アマガミ 響先輩SS 「2人の卒業」



 卒業式を控え、森島はるかは忙しい日々を送っていた。
 

 「あの…… ごめんなさい。えっと、今のところ誰ともつきあうつもりがなくて……」


 卒業を前に、舞い込むラブレターの数は日に日に増え、その全てに「ごめんなさい」を
言って回るだけでも結構な時間を取られていた。


 「次の休み時間は屋上ね。それ終わったら校舎裏だから」

 「うん、わかった」


 はるかが忙しいと言うことは、そのフォローに回るひびきも忙しいわけで……


 「ごめんね。悪く思わないでもらえるかな。はるかの言ってることに嘘はないんだ」


 バタバタとしているうちに、後に伝説として語り継がれることとなる
”卒業生を送り出す会”が終わり、卒業式当日がやってきた。


 「うーん、困ったな。これ全員に会ってたら夜になっちゃう」

 「はぁ……、すごいね。ラブレターの数、過去最高じゃない」


 はるかの手元に、卒業式後を指定したラブレターの山ができていた。


 「できるだけ直接返事をするようにして……、あ、でも、同じ時間にトリプル
 ブッキングしているのはどうするの?」

 「そうでさぁねぇ……」

 「2人までならなんとかなるけど、残った1人が気の毒ね」

 「むむむ、なんとかならないかな」

 「身体はひとつだしこればっかりはどうにもならなさそうね」

 「うーん、困った」


 すごくもてる、と言うのも考えものだ。

 そうこうしているうちに卒業式が始まった。
 お決まりの校長先生の長いお言葉に続いて、卒業証書が手渡されていく。


 「塚原ひびき」

 「はい」


 体育館の中に凛とした声が響く。
 隙のない、完璧な立ち振る舞い。
 だが、橘さんだけが彼女の振る舞いが完璧ではなかったことに気付いていた。


 「森島はるか」

 「はい」


 パシャ、パシャ、パシャ……
 父母と言わず在校生と言わずたかれるフラッシュ。
 それがこの学校でのはるかの人気の高さを示していた。

 卒業生退場。
 在校生の間を歩くひびきとはるか。
 七咲がハンカチを鼻に当て目を真っ赤にしながら2人に手を振っている。


 「(卒業か……、4月からひびき先輩も森島先輩もいない学校なんて、
 まだ信じられないな……)」

 「(ひびき先輩、なんだか寂しそうだな。卒業証書をもらう時も、反応が少しだけ
 遅かったし。あ、こっちに気がついた)」


 橘さんに気付き、ちょっと照れながら胸元で手を振るひびき。
 笑顔で手を振り返す橘さん。


 「(来年僕は、どんな気持ちであそこを歩くのだろう)」


 通り過ぎる卒業生の列に自分を重ねてみたものの、やはり実感の湧かない
橘さんだった。


 卒業式終了後、はるかとひびきは作戦会議を開いていた。
 もちろん、ラブレターをどうさばくか、を決めるための会議だ。
 悩んでいるうちにクラスメートが一人減り二人減り、気がつけば教室の中に
残っているのは数人だけになっていた。


 「そろそろ最初の待ち合わせの時間だね……」

 「うーん、どうしよう」


 軍師塚原ひびきを持ってしても、妙案が浮かぶことはなく。
 二人はラブレターの山を前に顔を突き合わせてため息をついていた。


 「ひ、ひびき先輩!」


 と、そこへ橘さんが飛び込んできた。
 相当あわてた様子だ。


 「一体どうしたの?」


 橘さんの様子にただならぬものを感じ取ったひびき。


 「そこから昇降口が見えますか? すごいことになってますよ」

 「すごいこと?」

 「なになに、どうしたって言うの?」


 急いで昇降口を見る二人。


 「わお、すごい人だかり」

 「ね、橘君。これってもしかして……」

 「ええ、そのもしかして、です」

 「え?」

 「いわゆる、出待ち、ってヤツね」

 「へ〜、芸能人みたいね。誰を待ってるのかしら」

 「はぁ……、はるかに決まってるでしょ?」

 「むむむ、それは困るな。ラブレターをくれた人めぐりができなくなっちゃう」

 「それ、まとめて済みそうですよ。ラブレターを出したと宣言した僕の学年の
 連中があらかた揃ってますから」


 昇降口の出待ちの人だかりが大きくなり、待ち合わせ場所で待っていても待ち
ぼうけになる、と思ったのだろう、はるかにラブレターを出した者たちも
昇降口前に集まっていた。


 「昇降口にいかないと靴がないし、仕方ないわね」

 「でも、あの中に入っていくのは危ないんじゃ……」

 「ラブレターをくれた人があの中にいるのなら、ちゃんと断りに行かないと
 いけないわね」

 「も、森島先輩、本気ですか?」

 「うん、そうよ。だってわざわざラブレターを書いてくれたのに、返事も
 なしじゃ悪いじゃない」

 「……と言うことだそうよ。しょうがない、行きましょうか」

 「うん」

 「あ、橘君、ちょっと」

 「はい?」

 「……で、……だから、……ね」

 「はい、わかりました」

 「よろしくね」


 そう言うとひびきははるかと連れ立って、昇降口へと向かった。


 昇降口は出待ちの、主に男子でごった返していた。
 かなり殺伐とした状況だ。


 「あ、森島先輩だ!」

 「森島だ!」

 「はるかせんぱーい!!」

 「もりしまー、オレと付き合ってくれー」

 「いや、オレだー」

 「なんだとてめえ」

 「なにぃ、やるか」

 「みんな落ち着いてー!」


 昇降口に響き渡るはるかの声。
 ぴたっと止む喧騒。
 その隙を逃さず、ひびきがしゃべりだす。


 「ねえみんな、せっかく集まってくれたからはるかがみんなに一言
 言いたいんだって、静かに聞いてくれるかな」


 無言でうなずく群集。


 「ありがとう。それじゃはるか」

 「うん」


 はるかが一歩前に踏み出す。


 「えっと、こんなにたくさんの人が集まってくれてありがとう。すごくうれしいわ」


 おー、と沸き立つ群衆。


 「それで、まず最初に私にラブレターをくれた人がみんな来ているみたいだから、
 そのお話から」


 息を呑むラブレター集団。


 「あの…… ごめんなさいっ。今のところ誰ともつきあうつもりがなくって」

 「えーーーーっ」

 「あ、あのね、みんなに魅力がないって訳じゃないの。ただ、私のハートに
 ずきゅーーんってくるような人に残念ながら出会えなかったの。ごめんなさい」

 「そんなの、付き合ってみないとわからないじゃないですかー」

 「そうだそうだー」

 「なんだおまえら、森島に文句があるってのか」

 「森島先輩なりに考えた結果なら、ちゃんと聞けよ」

 「文句あるヤツ表でろ」


 殺伐とした雰囲気、リターンズ。
 ラブレター組が文句をいい、最後にはるかをひと目見ようと言う出待ちの
森島ファンが反論する形になっていた。


 「ちょ、ちょっとケンカしないの」


 ひびきが止めに入る。
 しかし、熱くなった野郎どものハートはなかなかおさまらない。


 「はるか先輩ーっ。せめて一緒に写真を撮らせて下さいーっ」


 ヒートアップする声の隙間をついて、後ろのほうから女の子の声が飛んだ。


 「オーキードーキー! そのくらいならおやすいご用よ。前に出てきて」

 「うわ、やったぁ〜」

 「ねえ、そこの君。写真撮ってくれないかな」

 「は、はい!」


 いつの間にか、うやむやのうちににわか撮影会と化した昇降口。
 撮影のどさくさに握手を求める輩や、校章下さいとかボタン下さいとか
つき合って下さいとか鼻息の荒い輩もいたが、森島ファンの間で自浄作用が
働きそう言うのは自動的に排除される仕組みができあがっていた。


 「それにしても多いね……」

 「はいチーズ。うん、それじゃ次の人」

 「押さないで、危ないから。順番順番」


 さばいてもさばいても続く写真撮影待ちの行列。
 何度目かの溜息をついたひびきは、これはなにかの悪い冗談じゃないかと
思い始めていた。


 「ひびき先輩」

 「あ、橘君」

 「七咲に話をしておきました」

 「ありがとう。こっちは……列の後ろの方がもうもたなさそうだね。
 時間の問題かな」

 「言われた場所に待機してもらってますからいつでも大丈夫ですよ」

 「了解」


 どこからともなく現れた橘さんがひびきとそんなやりとりをしていると、
列の後ろの方から叫び声が聞こえてきた。


 「いつまで待たせるんだー、もう我慢できねー」

 「順番待ちなんてまどろっこしいことはやめだ」

 「そうだそうだ」

 「オレは今から森島に想いのたけをぶつけるぞ」

 「いけいけー」


 我慢しきれなくなったのか、ラブレター組がやはり自分の気持ちを伝えたく
なったのか、周囲の無責任な煽りにのせられた数人が暴走し出したようだ。
 遅れてなるものか、と他の連中も追従する。


 「もう限界ね。はるか、逃げるわよ」

 「え? まだ全員終わってないわ」

 「今の声が聞こえなかったの? 逃げないと危険よ」

 「あ、もう、ひびきったら」


 ひびきははるかの手を取り、脱兎のごとく駆け出した。
 校舎裏の水泳部の部室に向かって。
 はるかがいなくなったことに気づき追いかけようとする群衆。
 逃げるはるかとひびきの後ろに入り込んで楯となり、逃走を手助けする水泳部員たち。
 さっきひびきが橘さんに手配を頼んでいたのはこのことのようだ。


 「はあ、はあ、はあ…… とりあえず、ここなら一安心だね」

 「逢ちゃんたちのお陰で逃げ切れたわ」

 「あ、いえ……、でも、外には森島先輩を捜す人たちがうろうろしてますから、
 しばらくは出れそうにないですね」

 「困ったね……」

 「ええ」

 「ドアの外は橘君が見張っててくれるから大丈夫として、帰り道をどう確保
 するかが問題ね」

 「水泳部のみんなが偵察に行ってくれてますけど、どうでしょうか……」


 あまりに騒ぎが大きくなったためか、はるか達が逃走した直後に学校側の介入
があり、騒ぎは終結したかに見えた。
 しかし、諦めきれない残党が学校内を徘徊しており、うかつには部室から出れ
ない状況になっていた。


 「正門は森島先輩待ちの連中で固められてます」

 「裏門もダメです」


 次々入る水泳部員達からの報告。
 どうやら正攻法では学校の外に出られそうもない。


 「いつまでもここにいるわけにもいかないし、どうしようかしら」

 「下校時刻になったら外に出されちゃいますからね」

 「正々堂々と正門から出るって言うのはどう? 話せばわかってくれるわよ」

 「はぁ……、それで済むようなら今頃駅前でクレープを食べているわ」


 七咲や他の部員たちの買い置きカップ麺のお陰でお昼抜きの状況は避け
られたが、いつまでも籠城しているわけにはいかなかった。


 「ひびき先輩」


 ドアの向こうから橘さんの声がした。


 「なに?」


 ひびきが部室のドアを少し開けると橘さんが小声で話しかけてきた。


 「校舎裏の抜け穴って知ってますか?」

 「校舎裏?」

 「ええ、フェンスに穴が開いていて、遅刻しそうなときに使うんですけど、
 あれならノーマークなんじゃないかなって」
 
 「なるほど……」
 
 「それでちょっと見に行ってみたんです」

 「どうだった?」

 「案の定。誰もいませんでした」

 「そう……。それじゃ、そこを使えば脱出できそうね」

 「ええ。問題は、どうやって部室からそこまで移動するか、ですけどね」

 「その辺は大丈夫です。水泳部のみんなでうまく誘導しますから。ね、みんな」


 笑顔でうなずく女子部員たち。
 他ならぬひびきの手助けだ。
 彼女たちが動かないわけがない。


 「ふふ、みんなこの状況を楽しんでるみたいですよ」

 「七咲、みんな、ありがとう」

 「助かるな〜 さすがはひびきの後輩達ね。ありがとう」


 かくして、水泳部員達は嘘の情報を流しまくり、その結果、はるか目当てに校内に
残っていたもの達は大半が正門近くに集まった。
 その隙に部室を出たひびき達は、無事抜け穴を通って学校の外へと脱出したのだった。


 「はあ、一時はどうなるかと思った」

 「そうですね。うまく逃げれてよかったです」

 「後で水泳部のみんなにお礼をしなくちゃいけないわね」

 「まったく、はるかといると飽きないな」

 「期待していて、大学ではもっとマーベラスなことが起きるから」

 「す、すごいことになりそうですね……」

 「ふふ、はるかにも困ったものね」


 顔を見合わせて笑うはるかとひびき。
 つられて笑う、七咲と橘さん。
 ようやくホッとできたようだ。


 「そうだ、大学といえば……。ねえ、今朝の話は本気なの?」


 ひびきが思い出したように橘さんに話しかけた。


 「ええ、本気ですよ。しばらく真剣に考えた結果ですから」


 その答えにうなずくひびき。


 「そう、それなら私も腹を括らなくちゃね。思ってるほど簡単じゃないと思うよ」

 「それは覚悟の上です」

 「うん、わかった」


 橘さんの瞳にやどる決意を読み取り、柔らかな笑顔をむけるひびき。


 「なになに? なんの話?」

 「あ、すみません。僕の進路の話なんです」

 「橘先輩の……進路、ですか?」

 「うん、自分が何になりたいか、どうしたいのか、どの大学を目指すのか。
 しばらくずっと考えていたんだ」

 「その答えを今朝会った時に聞かせてもらったの」

 「それで、橘君はどうするつもりなの?」

 「ひびき先輩と同じ大学で医者を目指そうと思います」


 橘さんに集まる3人の視線。


 「……大変だよって言ったんだけどね」

 「わお、すごいじゃない」

 「あ、それじゃ、塚原先輩と同じように推薦で?」

 「僕は推薦で入れるほどできるわけじゃないから、一般入試だね」

 「でも、またなんで医学部なんですか?」

 「ひびき先輩と一緒に歩いていけるから、いつかひびき先輩のサポートが
 できるようになりたいから。今はそれだけなんだけど」

 「橘君、すごいわ。なんて素敵なの。もう、グーよ、ベリグー」

 「決めては見たものの、すごく大変そうなので今から気持ちが折れないか心配ですよ」

 「まあ、やるだけやってみようってことになったんだ。大学の講義とか部活とか
 色々ありそうだけど、合間を縫って私が家庭教師をするつもり」

 「あ、それじゃ、学校でサボらないようにしっかりチェックしないといけないですね」

 「七咲、勘弁してよ」

 「クスッ、今後の行ない次第です」


 七咲の突っ込みに苦笑いの橘さん。
 笑うひびき、はるか、七咲。


 学校からのいつもの帰り道。
 高校の思い出を語らう、はるかとひびき。
 そのエピソードに驚き、笑い、つっこむ七咲と橘さん。


 「高校からの帰り道もこれが最後だね」

 「そうね」

 「ふふ、なんだかんだ言って楽しい三年間だったな」

 「そう?」

 「それはそうよ。はるかといると話題に事欠かないし、七咲という頼りになる
 後輩にも会えたし」


 ”最後の数ヶ月間で彼に出会えて、彼と一緒に過ごすこともできたし”
 ひびきは心の中でそう付け加えた。


 「ひびきにはかわいい彼氏もできたしね」

 「そ、そうね」


 心の中を見透かされたようなはるかの言葉に、ちょっと焦るひびき。


 「はるかが彼を拾ってきたときは、またかって思ったけど」

 「なんだかひどい言われようだなあ」

 「くすっ、こんなことになるなら、もっと早く彼を拾ってきてもらえばよかった」

 「あー、ひびきがのろけてる」

 「ふふ、塚原先輩、耳が真っ赤ですよ」

 「そ、そんなことないわよ」

 「いーえ、真っ赤です」


 そんなことはない、と否定しつつもリンゴのように赤くなっていくひびきのほほ。
 自分でも顔が熱くなっていくのがわかる。
 以前ならそんな自分を否定したかもしれない。
 以前なら強面には似つかわしくないと言ったかもしれない。
 でも、もうそんなことはない。
 冷やかされてからかわれて、でも、そんなやりとりが今はとても楽しい。


 「ど、どうしたんですか?」


 自分のことをじーっと見つめるひびきに、そう問いかける橘さん。


 「ふふ、君に出会えてよかったなって思って」

 「そ、そう?」

 「うん」

 「あー、なんだかラブラブだな。いーな、いーな。よーし、それじゃあ私は、
 逢ちゃんとラブラブな関係になろうっと」

 「えっ? も、森島先輩!? ちょ、ちょっと……」


 七咲の腕を取ってべったり抱きつくはるか。
 「まったくもう」と笑うひびき。


 こうして今日、ひびきとはるかは輝日東高校を、卒業した。




アマガミSSのページへ戻る