アマガミ 響先輩SS 「塚原ひびき30歳」



 赤い自転車を買ってしまった。

 私らしからぬ、真っ赤な自転車。

 ミニベロと言うらしい。

 きっとはるかが見たら腹を抱えて笑うであろう私に似つかわしくない色と形。

 でも、でも、どうしてもこれが欲しかった。

 運命と言うものがあるのなら、きっとその神様が私にこの子を引き合わせて
くれたのだろうと思えるほど私はこの子に一目ぼれをしてしまった。

 そりゃあ、似合わないのは本人が一番よくわかっている。

 どんな顔をしてこの子に乗ればいいのか、とうの私が一番困っている。
 
 仕事帰りに通りがかった自転車屋さんにこの子がいた。

 まるで私のことを待っていたかのように、ちょこんと展示されていた。

 目が合った、そんな馬鹿なと言われるかもしれない、でも、目が合った。

 間違いなく、確実に、錯覚なんかでも思い込みでもなく、目が合った。

 少し悩んだ。

 その場では決めなかった。

 一週間悩んだ。

 悩んで買うことにした。

 ちょうど私の30歳の誕生日のことだった。



 赤いミニベロを手に入れて、私の休日が一変した。

 それまでは自転車で遠出しようなんて思いもしなかったのにこの子は私を
外へ外へと連れ出そうとする。

 ちょっとその辺を一回り、買い物ついでに自転車屋さんに寄るコース。

 それがいつの間にか河川敷をかなり上流まで往復するようになって、
今では河を下り海を目指すようになった。

 自転車屋さんでメンテナンスの仕方も教わった。

 パンクも自分で直せるようになった。

 デジカメをバックに入れて気の向くままに走る。

 気に入った風景を写真に撮る。

 風を切って走るのがこんなに楽しいことだったなんて知らなかった。



 今までは毎日医局と家を往復で休みは疲れて寝ていることが多かった。

 高校や大学のときの部活のおかげで他の人よりも体力に自信があるとは言え
何もトレーニングなしでその体力を維持するのはもう限界だった。

 ジムとプールに通おうとしたけれど不規則な生活には向かなかった。

 家に帰ってからするストレッチと筋トレ。

 なんだかそれがむなしく思えるようになったのは30と言う数字を意識し始めたからだろうか。

 そうかもしれない。

 30と言う数字が私に迫っていた。

 意識していないつもりで意識していたのだと思う。

 アラサーがジャストサーティになる。

 仕事の忙しさを考えたらこれまで恋に現を抜かしている暇はなかった。

 それでいいと思っていた。

 早く一人前の医師になりたかった。

 でも。

 はるかが結婚し七咲に先を越され。

 大学の先輩や後輩の結婚式の案内が頻繁に届くようになってふっと思ってしまった。

 これでいいのだろうかと。



 忙しい日々に疑問を感じていたときにこの子に出会った。

 この子と出かけることで私の悩みはどこかへ飛んで行った。

 吹き抜ける風と一緒に。

 それが現実からの逃避だと言うことはわかっている。

 わかっているけれど。

 今日も海を目指そうと思う。

 潮風を受けて気持ちをリフレッシュするために。

 明日からまた子供たちの治療に励むために。

 まずは海を目指そう。



 あ、あれ?

 30分も走らないうちにタイヤに変な感触。

 もしかして。

 やっぱりそう。

 パンク。

 換えのチューブ切らしてたかも。

 ミニベロを押していつもの自転車屋さんに向かう。

 道の途中で同じミニベロの人を見かけた。

 自転車を停めて何かしている。

 あ、この人もパンクなんだ。

 くす、慣れてないのかな。

 チューブを持ってあたふたしている。

 どうしようかな。

 手伝ったほうがいいかな。

 うーん。


 「あの、パンクですか?」

 「ええ、慣れてないからよくわからなくて」


 照れたように笑うその人は私と似たような歳に見えてちょっとだけ親近感が沸いた。


 「ああ、それなら……」


 自転車屋さんで習ったこと。

 何度か自分でもやることになった作業をその人に教える。

 同じミニベロですねとか、いつ買ったのとか、その赤きれいだよねとか
そんな話をしながらパンクを直す。

 彼のミニベロは程なくして元通りになった。

 挨拶して歩き出そうとする私。

 呼び止める彼。


 「もうひとつ予備があるからこれ使ってよ」

 「え、でも」

 「修理の仕方教えてくれたお礼ってことで」

 「……じゃあ、お言葉に甘えて」


 もう一度その場にしゃがんで今度は自分の自転車のパンクを直す。

 彼が面白そうに私の手元を見ている。


 「あの、ありがとうございました」

 「いえいえ」


 照れくさそうに笑う彼は自転車にまたがると私と同じ方向へ漕ぎ出そうとした。


 「あの」

 「え?」

 「どこへ行くところ?」

 「海を見に。君は?」

 「……私も海を見に」

 「ん、と。じゃあ、海まで一緒に行きませんか?」


 彼の言葉になぜだか胸が高鳴った。



 30の誕生日に買った真っ赤なミニベロは私に外に出る機会と出会いを与えてくれた。

 この子とどこまで行けるだろうか。




 「で、そのお兄ちゃんとは仲良くやってんの?」

 「それが……、連絡先交換するなんて思いつかなくて、それきり」

 「あんだ、もったいない」

 「そうなのよね……」

 「ま、先生らしいっちゃー、らしいな」

 「もう、おじさんからかわないでよ。気がついたときは結構凹んだんだから」


 勤務明けに行きつけの自転車屋さんに寄る。

 なにを買うわけでもないのだけどそんな習慣がついた。

 お店のおじさんが暇なときは相手をしてくれる。

 今日は暇だったらしい。


 「ま、縁があればまた会えるよ」

 「くす、そうだね」


Fin


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 お読みいただきありがとうございました。
 ひびきの誕生日SSを何か書こう、と思って以前から頭の中にくすぶっていたものを
形にしてみました。
 30になり忙しい毎日を送っているであろうひびきの姿を書いてみたいなあ、と思ったのです。
 勢いで書いた部分が多く、また扱っているのがアマガミから12年先と言うこともあって
受け入れがたい方も居られるかもしれませんが、その辺を自由に想像できるのが二次創作、と
寛容に受け止めていただければ幸いです。
 書いてから 「ヨコハマ買い出し紀行」の某お話にかなり影響を受けていることに気がつきましたが、
そこは敢えてそのままにしてあります。


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