アマガミ 響先輩SS 「離れていても」



 とある病院の一室。
 白衣を身にまとった塚原ひびきが休憩時間に手紙を読んでいた。


 「まったく、変わらないな」


 ぼやくような口調とは裏腹に口元に笑みを浮かべ便箋を見つめるひびき。


 「来月こっちに帰ってくるから休みを空けておけ、か」


 ひびきは白衣にぶら下げているキーホルダーに手をやると、少し引っ張るようにして
そのキーホルダーを見つめた。


 「休みをとるのはそんなに簡単じゃないんだぞ」


 ひびきはそう言うと人差し指でキーホルダーをつつき、くすっと笑うと10年近く前のできごとを
思い返した。



 梅雨も近づいたある日の夜のこと。
 塚原家の玄関にある黒電話が音を立てた。


 「はい、はい、はい」


 リビングでお茶を飲んでいた塚原ひびきが電話にかけよる。


 「はい、塚原です。……ああ、はるか。どうしたの?」


 電話の主はひびきの親友の森島はるかのようだ。
 高校を卒業して2年。
 2人は別々の大学に進んだがこうして時折連絡を取り合っていた。


 「ねえねえ、ひびき。今度の休み空いてる?」


 電話の向こうではるかがいつもの調子でひびきに話しかける。


 「今度の休み? 空いてるけど一体どうしたの?」


 どうしたの? とはるかに問いかけながらひびきは軽く自嘲気味に笑った。
 はるかがこういう電話をしてくるときは、ほぼ100%遊びの誘いなのだから。


 「あじさい、見に行かない?」

 「あじさい?」


 はるかの意外な言葉に思わずオウム返しをするひびき。


 「うん、そう。あじさい。雑誌見てたらね、今が見頃なんだって。
 すごーくきれいなあじさいが見れる場所があるらしいの」

 「……あじさい、ねえ」


 ひびきの脳裏を雨に濡れたあじさいとかたつむり、それを見てはしゃぐはるかの姿が
横切っていった。


 「うんうん、雑誌に載ってる写真がすごく素敵なの。ね、実物を見に行かない?」

 「それはいいけど……あじさいを見るだけなの?」


 ひびきが素朴な疑問を返す。


 「えーっと、あじさいの場所の近くにすごく雰囲気のいいカフェがあるらしいから、
あじさいを見たらそこでお茶しようかなって」


 ははーんそっちが本命か、とひびきが思う。


 「どんなカフェ?」


 電話の向こうで身を乗り出しているであろうはるかの姿を想像しつつ、ひびきが問いかける。


 「えっとね、アンティークな家具があって、クマちゃんのぬいぐるみがたくさん飾ってあって、
 それから」

 「ふふ、はるからしい」


 はるかの説明を聞いてひびきが笑う。
 案の定、はるかの目当てはそのカフェの方だ。
 あじさいはなにかの受け売りだろう。


 「なによ。きれいなあじさいを見て、それから雰囲気のいいカフェでお茶するなんて
 最高じゃない」

 「それはそうだけど……」

 「でしょ? ほら、最近ひびき忙しそうだし、リフレッシュリフレッシュ!」


 確かに最近のひびきは忙しい。
 医学部のカリキュラムは他の学部の何割か増しで授業が詰め込まれている上に、
水泳部の練習が重なっていてなかなか暇が作れない状態だ。
 もちろんはるかと遊びに行く機会も減っていた。


 「そうね。その日は水泳部の練習もないし、講義の課題もないから大丈夫よ」

 「やったぁ」


 電話の向こうで素直に喜ぶはるか。
 ひびきははしゃぐ声を聞きながら、はるかの気遣いに感謝していた。


 「……はるか」

 「なに?」

 「ありがとう」


 ちょっと節目がちにひびきがそう言う。


 「え? なにが?」


 いつもと変わらない口調ではるかが返す。


 「ううん、なんでもない」


 そんなはるかの口調がひびきにはうれしかった。


 「なんでもないならいいけど……急にありがとうなんて言うから熱でもあるのかと思ったわ」

 「あら、私だってありがとうくらい言うわよ」

 「そう?」

 「そうよ。はるかは私のことをなんだと思ってるんだか」


 受話器に向かってひびきが盛大に嘆く。


 「えーとね。いつも気むずかしい顔をしている人」

 「気むずかしい……ねえ」


 ついさっきまでの感謝の念はどこへやら。
 はるかのいつもと変わらない軽口に、ひびきの声のトーンが下がる。


 「そうよ、だからなかなか男の子がまわりに寄ってこないんじゃない」

 「大学違うのになんでわかるのよ」


 あっけらかんと事実を言い当てるはるかにひびきの語気が荒くなる。


 「わかるわよ。だって」

 「だって?」

 「だってひびきちゃんだもの」


 いつもと変わらぬ無邪気な声ではるかがそう断言した。


 「それはちょっと、言い過ぎじゃないかしら」


 一語一語を区切るようにはっきりと、更に声を荒げてひびきが返す。


 「わお、ひびきちゃんが怒った」


 さすがのはるかもひびきの剣幕に気がついたようだ。


 「怒るわよ。はぁ、まったく。高校の時となんにも変わってやしない」


 受話器を片手にため息をつくひびき。


 「大学に入ったら多少変わると思ったんだけどね……」

 「なによそれ。私が成長してないみたいじゃない」


 はるかが文字通り口を尖らせて抗議の異を唱える。


 「してないでしょ? 突然思いついて電話をかけてくるなんて高校の時からずっと一緒じゃない」

 「むむー」

 「ひびきならどうせ暇だろうってところだろうし、一緒よ。変わってないわ」

 「むむむー」


 何度も繰り返されたやりとり。
 そのやりとりは大体ひびきが話の矛先をかえて納めるのが決まりのようなものだった。


 「それで、次の日曜日だけど、どこで待ち合わせるの? 時間は?」

 「えーとね。ノープラン」


 悪びれずしれっとはるかがそう答える。
 予想はしていたものの、実際にそう言われて軽くため息のひびき。


 「はぁ……、はるからしいわ。詳しい場所を教えて、ここからどのくらいかかるか調べるから」

 「さすがひびきちゃん、頼りになるな。えーっと、場所はね……」


 はるかは電話の向こうで身を乗り出すと、目的地の場所を説明し始めるのだった。



 日曜日。
 駅前で待ち合わせた二人は電車を乗り継いで目的地へと向かった。
 あじさいで有名な古い街。
 2人は電車を降りると、古びた街並みをガイドブック片手に歩き始めた。


 「へー、ずいぶん雰囲気のいい街ね」


 あたりを見回してひびきがそう言う。
 ずいぶん昔から同じたたずまいであろうこの街は確かにある独特の雰囲気を醸し出していた。


 「そう? なんだか古くさい感じだけど」


 あごに人差し指を当て、いまいちピンと来ない風なはるか。


 「はるかにはわからないかもね」


 そう言って、ひびきがふふっと笑う。


 「あー、バカにして」

 「バカになんかしてないわよ。おこちゃまなはるかにはこの雰囲気はわからないかもなって
 思っただけ」

 「それがバカにしてるっていうのよ。ふーんだ、ひびきちゃんみたいな年寄り臭い人にしか
 きっと良さはわからないんでしょうよ」


 はるかが口をとがらす。


 「はいはい、年寄り臭くて悪かったでちゅね」

 「むむー」


 そんなはるかをいつものことといなすひびき。


 「ところで、お昼食べるお店はこっちでいいの?」

 「うん、もう何軒か行ったところのはずよ」


 はるかがガイドブックがわりの雑誌を見ながら答える。


 「釜飯屋さんだよね?」

 「そうそう、この雑誌におじいさんとおばあさんがやってるすっごくおいしいお店だって
 書いてあったわ」

 「でも、それっぽいお店、見あたらないわよ」


 ひびきの言うように、周囲にみやげや雑貨類を売る店はあっても、釜飯が食べれるような店は
見あたらない。


 「そんなはずないわよ」

 「ないわよって言われても……あれ?」


ひびきがなにかに気がついた。


 「ねえ、ここそうじゃない? ほらこの看板みたいなの」

 「あ、きっとここだわ」


 のれんが下がっていればこぢんまりとした食事処にも見える構えの家。
 ただしのれんは掛かっておらず、きっとメニューが置かれていたであろう小窓には
板が打ち付けられ小さな張り紙がされていた。


 「……休み、みたいね」

 「えー」

 「あ、違うみたい。閉店したって書いてあるわよ」

 「閉店!? そんなあ」

 「ね、はるか。それいつの雑誌?」


 ひびきがはるかの持っている雑誌を指さした。。


 「えっと、大学で後輩の子にもらったからよくわかんない」

 「ちょっとそれ貸して」


 はるかから雑誌を受け取るとひびきは裏表紙の発行日を確認した。


 「はあ……はるか、これ3年前のじゃない」

 「わお、それは気がつかなかったわ」


 大げさに驚くはるか。


 「気づきなさいよ。3年の間になにかあってお店を閉めちゃったのね」

 「むむむー」


 冷静に事態を把握したひびきの言葉に、はるかが盛大にしょぼくれる。


 「仕方ないわね。どこか違うお店で食べましょう」

 「釜飯……」

 「ほら、はるか」

 「釜飯……」

 「しょうがないわね」


 まるでお目当てのものが売り切れだった時の子供のようにうつむくはるかの姿に困り顔のひびき。
 しばらく考えたのち何か思いついたようだ。


 「ね、はるか。あじさいを見た後に寄る予定の喫茶店ってランチやってないかな」


 ひびきがそんな問いかけをする。


 「え? えっと……うん、ランチもあるって書かれてるわ」


 はるかは雑誌のページをパラパラとめくると、お目当てのページを見つけてそう答えた。


 「じゃあ、アンティークな家具とクマのぬいぐるみに囲まれてランチなんてどう?」

 「わお、さすがひびきナイスアイデアだわ」

 「でしょ?」


 ひびきの提案を聞いて指をパチンと鳴らすはるか。
 さっきまでのしょぼくれ顔は、もうない。
 はるかの変わりようにひびきは苦笑しつつホッとした顔になった。


 「あじさいはそのお店に行く途中なのよね?」

 「そのはずよ」

 「そうね……、多分この時間ならあじさいを見てからでもランチタイムには間に合うと思うから
 まずはあじさいを見に行かない?」

 「うん! それじゃ、あじさいを見にレッツゴーッ」


 今泣いたカラスがもう笑った、とひびきは思った。
 はるかはいつもこうだ、とも。
 二人は地図を片手にはるかが雑誌で見かけたあじさいスポットに向かった。


 「ここよ、ここ。この階段の先」


 そう言いながら階段を駆け上がっていくはるか。


 「へえ、お寺の参道なんだ」

 「すごい絶景みたいよ、わくわくしちゃうわね。わっ」


 ひびきのつぶやきに振り返って答えたはるかが階段でバランスを崩す。


 「ほら、はるか、足元見ないと危ないわよ」

 「だ、大丈夫大丈夫、ちょっとつまづいただけだから」


 そう言うと、懲りずに階段を駆け上がっていく。


 「くす、相変わらずね」


 そんなはるかの姿に苦笑いのひびき。


 「なあに、なにかいった?」

 「いーえ、別に」


 はるかの地獄耳にぺろっと舌を出したひびきが、はるかの後を追って階段を上っていく。


 「一体、どんな風景が見えるのかしら」


 他の観光客の間をすり抜けるように階段を上がっていくはるか。
 右手に崖、左手には咲き乱れるあじさいの花々。
 その間の階段を上っていく。


 「わーっ、すごいわ。雑誌の写真の通りね」


 一足先に上り終えたはるかが声を上げた。
 その声につられてひびきの足が速くなる。


 「ほらほら、ひびきちゃん早く早く」


 はるかの指さす先、階段を上り終えた小さな広場のその先にある、上ってきたのとは別の
下りの階段の向こうにその光景は広がっていた。


 「……」


 はるかの横に並んだひびきの眼下には、延々と続く下りの階段の両脇に咲く色とりどりの
無数のあじさいと青い海。


 「……すごい」


 濃い緑色の葉っぱの中に青、紫、白のあじさいが浮かび、更にその向こうの海の青さと
絶妙なコントラストを描いていた。


 「カメラ、持ってくればよかった」

 「……そうね」

 「ね、降りていってみよう」

 「うん」


 はるかに促されて、あじさいに囲まれた階段を降り始めるひびき。
 時折足を止めて咲きほこるあじさいの花に見入る二人。


 「結構写真撮ってる人多いね」

 「うん、雑誌に書いてあったわ。”有名なあじさいの写真スポットの穴場”なんだって」

 「なるほど……ってちょっと待って、有名な穴場ってそれ穴場じゃないんじゃ」

 「そういえばそうね……」


 まあいいや、とひびきは思った。
 ここが穴場であろうとなかろうと、そんなことはこのあじさいの花の前では関係ない。


 「あ、この色すてきね」

 「こっちもいいと思うわよ」


 自分の好みのあじさいを二人がそれぞれ指さす。


 「ひびきちゃんは地味な色ばかり選ぶんだから」


 先手を打つはるか。


 「落ち着いた色って言ってもらいたいわね」


 すかさずひびきが返す。


 「年寄り臭い色、とも言えるわね」


 はるかも負けてはいない。


 「すいませんね。はるかみたいにド派手なお子さまみたいな色が好みじゃなくて」


 ひびきがはるかの攻撃を受け流しつつ反撃にでた。


 「別にそう言うつもりで言ったわけじゃ……ってなによ、ド派手なお子さま好みって」

 「そのままだけど」


 どうやらひびきが優勢だ。


 「むむー、こ、この鮮やかな色の良さがわからないなんて、そっちがおかしいのよ」

 「じゃあ、そう言うことにしといてあげる」

 「もう、ひびきちゃんのいじわる」


 ぷいっと横を向いて抗議の意を露わにするはるか。
 そんなはるかを見ながらひびきがつぶやいた。


 「あ、でも、その濃い青はいい色ね」

 「でしょう? さすがひびきちゃん」


 とたんにはるかの顔が明るくなった。


 「これなんか持って帰りたいくらいだわ」


 花に手をやりながら、はるかが微笑む。


 「本当に持って帰っちゃだめよ?」


 ひびきが真顔で言う。
 どうやらはるかには前科があるようだ。


 「やらないわよ」

 「どうだか」

 「やらないってば」

 「ならいいけど」


 そんな軽口をたたきながらあじさいに囲まれた階段を下りきった二人は、
はるかの目的のカフェに向かった。


 「そのお店も閉店してた……なんてことはないわよね?」

 「多分……」


 自信なげなはるか。
 さっきの釜飯屋の閉店がこたえているらしい。
 階段から続く坂を下り、目印を頼りに角を曲がり……。


 「あった。ここだわ」


 店の看板を見つけたはるかが声を上げた。


 「開いてるわね。よかった」


 ひびきもホッと胸をなでおろす。


 「うんうん、よかったわ。今日はもうお昼抜きかもって心配したのよ」

 「そうね。ランチタイムにも間に合ったみたいだし、よかった」

 「うん」


 はるかのこぼれるような笑顔につられてひびきが思わず微笑んだ。
 早速店内に入り席に落ち着いた二人が店内を見回す。


 「わー、すごいわ」

 「ほんと、すごいわね」


 あちこちに置かれたアンティーク家具。
 そのアンティーク家具の上に置かれたこれまたアンティーク調のクマのぬいぐるみ。
 それらに囲まれる形でテーブルが配置されていた。


 「あ、あのクマちゃんかわいい」


 はるかが一体のクマのぬいぐるみを指さした。


 「私にはどれも同じに見えるけど……」

 「そんなことないわよ。あっちのクマちゃんとこっちのクマちゃんは微妙に違うわ」


 はるかが別の一体を指さして力説する。


 「そうかしら」


 首を傾げるひびき。
 いまいちピンとこない様子だ。


 「もう、ひびきは見る目がないんだから」

 「はいはい。とりあえず先に注文を済ませましょう」


 まだ注文がすんでいないことを思い出してひびきがはるかに促す。


 「そうね。お腹ぺこぺこ」


 はるかも注文がまだなことに気がついてメニューを手に取った。
 二人はそれぞれランチメニューを注文すると、改めて周囲の家具やぬいぐるみに目をやった。


 「それにしてもすごいわ」


 アンティークの家具やクマのぬいぐるみに目を輝かせるはるか。
 それを微笑ましく見るひびき。


 「ふふ、まるで子供みたいだね」

 「なにか言った?」

 「別に。うれしそうだなって思って」

 「そりゃあもう」


 運ばれてきたランチを食べている間も、食後の紅茶を飲む間もはるかは終始上機嫌だった。
 はるかは胚芽パンのサンドイッチがメインのランチ。
 ひびきは松花堂弁当のようなこじゃれた和風のランチ。
 はるかがひびきのランチの付け添えに手を出したり、自分のランチの付け添えを押しつけたり
しながら時間がどんどん流れていく。


 「ねえ、ひびき。最近電話かけてもいないこと多いけど忙しいの?」

 「そうね。実習とレポートの提出と部活の練習が重なっちゃったりするとね」


 あえて何の実習かは言わずひびきが答える。


 「そっかあ。彼氏でもできたのかと思ったけど違うのね」

 「ごほ、ごほ。いきなりなにを言うかと思ったら……」


 唐突なはるかのセリフにひびきがせき込む。


 「だって電話してもいないことが多いし、てっきり」

 「彼を作ってる余裕はないわよ」


 そう言ってひびきが苦笑いを浮かべた。


 「ひびきにその気がないだけじゃないの?」

 「そうかしら。別に男の人を避けてるつもりはないのだけど」


 ランチを食べながら、ひびきの大学での交友関係が話題となった。


 「実験や実習でも同じグループの人たちとは話をするし」

 「そうなんだ。私てっきりひびきちゃんは男嫌いなんだと思ってた」

 「どこをどう考えたらそうなるのよ」


 思わず身を乗り出しそうになるひびき。


 「だって、こうして会っていてもひびきの口から男の子の話題がでたことないもの」

 「それは……確かに」


 けろっとした顔で結構きついことを言うはるかが、更に追い打ちをかける。


 「ひびきちゃんは女の子にしか興味がない子なのかと」

 「だ、か、ら、どうしてそうなるのよ」

 「まあまあ、落ち着いて」


 身を乗り出してきたひびきをはるかが押しとどめると、ひびきは疲れたようにイスに腰掛け直した。


 「はあ、はるかと話をしていると時々自分の感覚がおかしいんじゃないかって錯覚するわ」

 「そうかしら?」

 「ええ、なんだか大学に入ってからどんどん磨きがかかってる気がする」


 やれやれと首を振りながらそう言うひびきに対してはるかがいつもの調子で答える。


 「そんなことないわよ」

 「どうだか。よく電話でしゃべってるときに出てくる大学の友達に感謝なさい」

 「ふーんだ、わかってますって」


 ぷいっと横を向くはるか。
 大学入学後に、高校時代の自分と同じようにはるかの世話をしてくれる友人ができた、と
はるかに聞かされたときは安心と同時に少し寂しい気持ちにもなったけれど、でも、はるかは
高校時代と変わらぬペースで電話をくれ、高校の時と比べたらかなり回数は減ったけれど
こうして会う機会を作ってくれる。
 多少突発的で多分に思いつきの部分が多いけれど、でもそれが講義や部活、バイトとついつい
生真面目になってしまうひびきにはうれしいし、ありがたかった。


 「……はるか」


 テーブルにひじを突いて手を組んだひびきが目を細め微笑みながら穏やかな声ではるかに呼びかける。


 「なに?」


 不意に呼ばれて首を傾げるはるか。


 「ありがとうね」

 「え? なによ、急に」


 不意をつかれたはるかがひびきの言葉に戸惑う。


 「ふふ、なんでもない」


 そんなはるかの仕草を見て微笑むひびき。


 「そ、そう? おかしなひびきちゃんね」

 「おかしい?」

 「うん、だって急にありがとうだなんて」


はるかが素直な気持ちを口にした。


 「そうね……。今日こうして会えて、きれいなあじさいが見れて、おいしいランチが食べれて、
 楽しく話ができたから。だから、ありがとう、かな」

 「ど、どういたしまして」

 「またこようね」

 「うん、もちろん」


 ひびきの言葉に満面の笑みを浮かべたはるかが強くうなずいた。


 それからしばらくの間お互いの大学での近況やバイトの話をしながらお茶を飲み、
ちょっとお手洗い、と言ってはるかが席を立ったタイミングで店を出ることになった。
会計を済ませ、駅までの道を歩き始める二人。


 「ひびきちゃん、はいこれ」


 前を歩いていたはるかがくるっとひびきの方に振り返って、小さな紙袋を渡してきた。


 「え?」


 驚きつつ受け取るひびき。


 「開けてみて。私とお揃いのクマのキーホルダー。かわいいでしょう?」


 自分のクマのキーホルダーを見せながら促すはるか。


 「かわいいけど……私にはかわいすぎるかな」


 さっきのお店に飾ってあったアンティーク調のクマのぬいぐるみを小さくしたような
キーホルダーを取り出して、くすっと笑うひびき。


 「そんなことないわよ。これをつけて歩けば、きっとちょっと取っつきにくいひびきにも
 いろんな人が声をかけてくれるんじゃないかって」

 「それはどうかしらね」


 キーホルダーを見ながらひびきが答える


 「それに、お揃いでこれを持っていれば普段会えなくてもひびきと一緒な気がするから」

 「はるか……」

 「ね、またこよう!」

 「そうね。この街にはほかにもいろんなお店があるみたいだし」

 「うん! きっとね」


 そう言うと駅に向かって駆け出すはるか。


 「いつも一緒……か」


 はるかのくれたクマのキーホルダーを見つめるひびき。


 「あ、ちょっと、はるか、待ちなさい」

 「ひびきちゃんおそーい」


 まったくもう、というひびきの顔はいつも以上の笑顔に包まれていた。



 あれから10年近くが過ぎ、ひびきは小児科医として忙しい日々を送っていた。
 彼女の白衣にぶら下がっているクマのぬいぐるみのキーホルダー。
 それが彼女のトレードマークとなっていた。


 「ひびき先生、クマちゃん見せてー」

 「わたしもー」

 「ふふ、いいわよ。やあやあボクになにか用かな?」

 「かわいいー」


 アンティーク調のそれはひびきと病棟の子供たちとのコミュニケーションにも
一役買っていた。

 手紙を読み終えたひびきは便箋をたたみ入っていた封筒に戻すと窓の外に目をやった。
青く晴れた空にいくつかの雲。
 その雲と雲をつなぐように飛行機雲が伸びていた。


 「まったく、いきなり連絡をよこすからなにかと思ったら遊びに行こうだなんて、
 なんにも変わってないんだから」


 封筒にはAirMailの文字。
 差出人は森島はるか。


 「あ、でも、こっちのことを考えて手紙にしたのはちょっとした進歩かな」


 ひびきとほぼ正反対の時間帯で生活するはるかとは電話で話をするタイミングが
なかなかうまく合わない。
 そのせいなのだろう、はるかが手紙で連絡してきたのは。
 ひびきはくすっと笑うと封筒をポケットに入れ、仕事に戻ろうと立ち上がった。
 そのタイミングを見計らったように鳴りだす携帯。
 画面に表示された発信元を確認してひびきがため息をつく。


 「こら、はるか、今何時だと思ってるの。こっちは勤務中よ」

 「グッモーニンって、ありゃ? ひびきちゃんが怒ってる」


 ひびきの剣幕に驚くはるか。


 「当たり前よ。そっちは朝でもこっちはもう夕方近くよ」

 「そっかそっか。忘れてたわ」


 電話の向こうではるかが舌を出す。


 「時差とかを考えて手紙にしたんじゃなかったの?」

 「うん、その方が確実だと思って。ちゃんと届いた?」


 どうやらはるかは手紙が届いているかが気になって仕方なかったらしい。


 「届いたわよ。今読んでいたところ。なんでメールじゃなくて手紙なの?」

 「それは……ほ、ほら、その方がなんだか雰囲気がでるじゃない」

 「そう言われれば、確かにそうかもしれないわね」


 なんとなくそれっぽい答えに丸め込まれそうになり、しかしすぐに、違う、いや違う、
と踏みとどまるひびき。
 はるかは電子メールという手段をころっと忘れていただけだ、と思いなおす。


 「お返事よろしくね。じゃ私出社の準備をするから」

 「あ、ちょっと」


 そう言うとはるかは一方的に通話を切り上げた。


 「もう、何にも変わってないじゃないの」


 ひびきはそう言うと、携帯を白衣のポケットにしまい。
 ぶら下げているクマのキーフォルダーの頭を指で軽くつつくのだった。


fin

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拙作をお読みいただきありがとうございました。
今年のひびきの誕生日SSになにを書こうか、と考えていて、
卒業後のはるかとひびきのやりとりを書きたいなあ、なんて漠然と思い、
頭に浮かんだシチュエーションを膨らませていった結果、
こんなお話になりました。
なお、察しのいい方はお気づきかもしれませんが、このお話は
「塚原ひびき30歳」の番外編と言う位置づけです。



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