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しーなのとある一日。
 

 朝。
 窓から外の光がこぼれてきます。
 夜明け過ぎの、まだ葉っぱの上に夜露が乗っているような、そんな時間。
 わたしは手早く法衣をまとうと、ホーリーシンボルを耳につけて部屋を出ます。

 「しーな様、おはようございます」
 「おはようございますーっ」

 シスターの卵たちと挨拶を交わしながら、聖堂へ。
 これから朝のお勤めが始まるのです。
 

 司祭様の朝のお祈りとお説教が、静やかな聖堂の中に響きます。
 わたしは侍祭として、司祭様の横に控えています。
 と、そこへ先日修道院に入ったばかりのシスター見習が遅れてこそこそと入ってきました。
 ありゃ……、どうせなら寝坊したことにして来なければいいのに。
 きっと後で司祭様にお説教とお仕置きされちゃいますね……。
 律儀に遅れてでもお勤めにくるのですから、それなりにフォローしないといけませんね。
 

 わたしの名前はしーな。
 女神フェルアーナを祀る聖フェルアーナ教会に仕える僧侶。
 この町のフェルアーナ教会で、侍祭(司祭―その教会で一番上位の僧侶―の次席にあたる僧侶のこと)を勤めるかたわら仲間とパーティを組んで冒険に出かけています。
 わたしのわがままでそれなりに冒険に出して頂いているお陰で、人からは高僧と言う称号で呼ばれることもあるけど、そんなことはちっともありません。
 徳も信心も経験も、わたしには全然足りないと思います。
 だからわたしは冒険に出かけるんです。
 わたしの知らない人、知らない考え、知らない習慣を知ることは、わたしにとっても教会にとっても意味のあることだと思うから。
 そして、わたしのほんのちっぽけな力で救われる人が、もしかしたらいるかも知れないから。
 

 いつしか朝のお勤めも終わり、朝食の時間になりました。
 お勤めの時間に別のことを考えるなんて、まだまだ信心が足りない証拠。
 自らを戒めないといけないですね。
 食堂では、シスターもその見習いもなく、皆でテーブルを囲んで食事を取ります。
 教派によっては食事の時間一切の私語も物音も立ててはいけないと言うところもあると聞くけど、わたしたちは自然に食べることになっています。
 しゃべりたければしゃべればいいし、沈黙したければすればいい。
 自分のありのままで食べることが、ご飯をおいしく食べることができる一番の方法であり、おいしく食べることが食事を与えてくださった神への感謝になるのだから。
 近くの人たちと談笑しながら、わたしはまわりをぐるっと見回しました。
 入り口のところにさっきの遅刻してきた子が立っています。
 ありゃりゃ、お仕置きは朝食抜きかぁ……。
 育ち盛りの子にとって、これほどつらいお仕置きはそうないかもしれません。
 わたしは自分のパンを一切れ法衣の下に忍ばせ、席を立ちました。
 それを合図に、皆が立ち上がって自分の部屋へ戻っていきます。
 シスターたちと見習いの子達は、これから午前中のお勤めなのです。
 わたしは罰を受け立たされている少女のすぐ横を通り、外へ出ました。
 彼女の着衣の下に持っていたパンを素早くねじ込み、見つからないようにね、と小さく声をかけて。

 「あははーっ。今日もいいお天気ですねーっ」

 食堂の外で大きく伸びをします。
 朝の澄んだ空気がとても清々しくて、気持ちよくなれます
 そんなわたしをくすくす笑う者、一緒になって伸びをする者、知らん顔で自室へ急ぐ者、皆それぞれ。
 とりあえず、こっちに気を引けたかな?
 ちらりと食堂を見ると、罰を解かれた少女が一目散に部屋に向かっているところでした。
 短い時間の間に、パンを食べきれるといいけど……。
 まあ、そこまで心配しても仕方ないですね。
 きっとうまくやるでしょう。
 

 午前中は教会の中で信者さんへのお説法と懺悔のお相手。

 「シスター、聞いてください。私、私は……」

 懺悔の部屋に入ってきたのは若い女性。
 声しか聞こえてこないけど、声で誰かくらいはわかってしまいます。
 この町はそのくらいの広さなんです。

 「落ち着いて、ゆっくりとお話しなさい。慌てることも畏れることもありません。どうなさいましたか?」
 「私は夜な夜な辻に立って生業を立てているものです。つい先日も辻で声をかけていたところ……」

 ありゃりゃ、かなり込み入った話。
 わたしでお相手できるでしょうか?
 わたし、こう言う色恋沙汰は苦手なんですよね……。

 結局その若い女性の懺悔は昼まで続き、彼女は胸のつかえが降りたような顔で帰っていきました。
 わたしはその経験談にびっくりした、と言うか、当てられたと言うか、ともかくしばらくの間、放心状態。
 こう言うのはわたしじゃなくて、あの人が得意な分野だと思うんですけどね。

 
 午後は教会の中庭の草むしり。
 ちょっとでも怠けるとあっという間に雑草だらけになってしまうのでがんばって草をむしります。

 「しーな様」
 「なんですかーっ?」

 草むしりをしていると、さっきの見習いの少女が横にやってきました。
 並んで草をむしります。

 「あの、今朝はありがとうございました」
 「次からは気をつけてくださいね」
 「はい」

 真摯な瞳。
 まっすぐわたしを捕らえて離さない視線。
 うん、この子なら良いシスターになれる。
 わたしはそう確信しました。
 わたしの見立てって結構当たるんですよ。

 「わたしもね。小さい頃は良く叱られたんですよー」
 「え?」
 「お寝坊さんでとろくて何度も何度も叱られました。そんなんじゃ一人前の司祭にはなれないって」
 「……なんとなくわかる気がします」
 「あーっ、さりげなくひどいこと言ってますねーっ」

 わたしはにこやかにそう返します。
 まだ彼女よりも小さかった頃から、わたしはシスター見習として厳しい躾を受けてきました。
 何度も何度も寝坊して、何度も何度も叱られて、その度にお仕置きを受けた……そんな日々。
 でもそれも、もう過ぎた昔の話です。

 「あ、その、すみません」
 「いいですよーっ、どうも人からはそう言う風に見えるみたいですから」

 実際におっちょこちょいでよくへまをしでかすけど、あなたたちにそれを見せないだけ、と心の中で付け加えます。
 事実、冒険の打ち合わせの帰りに寝てしまって送ってもらったとか、そう言うのは結構あるし、そのことは古参のシスター達の間ではよく知られた話なのだから。

 「ところでしーな様」
 「なんですかーっ?」
 「うわさでかっこいい男性とお付き合いされてるって聞いたんですけど……」
 「は、はえ? あの、それって誰が言ってたんですか?」
 「同室のシスターがおっしゃってたんです。すごくダンディーでかっこいい男の人が、立ち番してるときにしーな様を送ってきたって。きっとあれは彼氏に違いないって」
 「あははーっ、あの人は同じパーティの人ですよー。会議で遅くなって寝ちゃったら送ってくれたんですー」

 えーと、この子の同室は……。
 後でお灸を据えておかないといけませんね。
 修道院でシスターになる修行の最中の子に冗談でも浮いた話をしたら、それが気になってお勤めどころじゃなくなっちゃいます。
 それでなくてもそう言うのにあこがれる年頃なんですから。 

 「あの、それじゃ別に彼氏ってわけじゃないんですか?」
 「どう思うかはお任せしますけどー、少なくともみんなに広まっているうわさのような関係じゃないのは確かですよ」

 先日送ってもらった直後に広まったうわさは、わたしが近いうちに結婚すると言うもの。
 深夜に男性に連れられて帰るのだから親密でないわけがない、とまことしやかに流れたのです。
 もっともそれが真実で、わたしが送ってくれた彼と深夜の密会をして帰ってきたと言うのなら、今ごろ司祭様からお説教とお仕置きがあるはず。
 ところがわたしに対するお咎めが一切なかったので、うわさはそのうち立ち消えになりました。
 司祭様は、週に一度冒険の打ち合わせを酒場ですることと、始まるのが遅く、帰りもその分遅くなると言うことをご存知なのです。

 「あははーっ、お互い手が疎かになっちゃってますねーっ。急がないと日が暮れちゃいますよーっ」

 わたしの言葉を聞いた彼女は、あっ、という顔をして熱心に草をむしり始めました。
 わたしも彼女の横で、草をむしりました。
 

 夕刻。
 わたしは司祭様に呼ばれました。

 「なにか御用ですかー?」
 「わざわざ呼びたててすみません。今朝の件、あれでよかったかと気になりまして」
 「朝のお勤めの遅刻の件ですか? それならあれでよかったと思いますよーっ」
 「そうですか、よかった。ちょっと厳しくしすぎたかと心配していたんです」
 「そんなことないですよーっ」
 「それと……」
 「はい?」
 「ありがとうございました。午前中彼女が倒れたりしないかと心配していましたが、しーな様がご配慮くださったようですね」
 「ありゃ、バレてましたか」

 さすがは司祭様。
 現場は見られていなくても、その後の様子でわかったようだ。

 「ところでしーな様。いい加減、あの話を受けていただけませんか?」
 「あのお話……ですかー? ダメですよ。わたしはいつ帰れなくなるかわからない身なんですから」

 あの話、と言うのは、彼女と司祭を代わると言う話。
 彼女に言わせると、わたしは彼女よりも敬虔で、信仰に厚く、徳が高い……らしい。
 彼女としては、自分が侍祭になってわたしに司祭を譲りたいそうなのだが、わたしはずっとそれを拒んでいる。
 わたしはまだ未熟だから。
 わたしはまだ世間を知らないから。
 わたしには冒険を捨てる勇気が、仲間を捨てる勇気がないから。
 わたしにはわたしを頼りにしてくれる仲間がいるから。
 わたしには……

 「あなたにとってわたしの存在がそんなにも辛いものなら、わたしがここを辞して他所へ行きます」
 「しーな様。それはおやめになってください」
 「あなたがわたしに劣るなんてそんなことはないですよ。そうでなければ、この教会にこんなにも人々は集まってきません。自信を持ってくださいね」
 「しーな様」
 「それじゃわたし、いつもの打ち合わせに行ってきます」

 わたしに向かって深々と頭をたれる彼女の肩をぽんぽんと叩き、わたしは司祭様の部屋を後にしました。
 

 部屋に戻り、浴場へ。
 出かける前に昼間の汗を流したかったんです。
 汗臭くて嫌われたら大変だから。

 「ふーっ。気持ちいいですねーっ」

 浴槽に浸かってひとごこち。
 昼間の草むしりは結構こたえたなぁ。

 「ふーっ、はぁーっ、くー……」

 がぼっ、ばしゃ、ばしゃっっ。

 「はぁふうはぁふう。お、溺れるところでした」

 あまり気持ちよくてお風呂で寝ちゃったみたい。
 気持ちよすぎるのも考えもの。

 カンカーンカンカーン。

 時刻を知らせる鐘が鳴ります。
 あれが鳴ると言うことは……。
 急いでお風呂を出て法衣に着替え、身だしなみを整えます。
 髪の毛が跳ね上がっていないか確認して部屋を飛び出しました。

 はあふう、はあふう。
 町の路地を一目散にかけていきます。
 これじゃお風呂に入った意味がないです。
 バタバタバターーっと駆け込んだ酒場には、既に仲間たちの姿が。
 どうやら今日も一番最後みたいですね……。

 「あははーっ、遅れてすみませんー」

 仲間に声をかけます。

 「お、しーな来たか。それじゃ始めよう」とリーダーのカズさん。
 戦士にして隣の弥都波さんの旦那さん。
 猪突猛進タイプだけど、それなり以上にパーティの行く末を案じている人。
 頼れるみんなのリーダー。

 「しーなさん、いらっしゃーい」と鍛冶屋の弥都波さん。
 みんなの武器や防具はすべて彼女の作品。
 信頼できる鍛冶屋さんにして、カズさんの奥様。
 そんじょそこらの魔法使いよりもずっと強い魔法が使える人。

 「しーなさん、こんばんはですー」と魔法使いのセレーネさん。
 パーティの知恵袋兼ご意見番。
 うちのパーティは彼女抜きには語れない、そう言う存在。
 歩く弾薬庫と呼ばれるうちのパーティの中でもっとも威力のある魔法を放つ人。

 「よ、しーな」これは機械兵のDDさん。
 わたしや弥都波さん、セレーネさんを敵の攻撃から見を呈して守ってくれる頼れる人。
 ハードボイルドなんだけど、そのハードボイルドがよく空回りしてる人。
 寝てしまったわたしを何度となく教会まで送り届けてくれた人。
 うわさ話に出てきた格好いい男性がこの人。
 確かに修道院の子たちがきゃあきゃあ言うような、そんな風貌。
 一見すごくぶっきらぼうに見えるけど、話をすると面白い人。
 ちょっと子供っぽいところを持っている人。
 夜な夜な夜の町に繰り出しているみたい。
 変な女(ひと)に引っかからないといいんですけどね……。

 「お待たせしましたーっ。それじゃ始めましょうーっ」

 次の冒険の打ち合わせが、いつものように進みます。
 冗談言ったり茶化したり、急に真面目になったり。
 こうして今日もまた夜が更けていきます。

fin
 


「眠り姫を送っていけば」へつづく     リストに戻る。