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 リン・ハザードが倒れた。
 レジスタンスが倒した。
 その一報は瞬く間に大陸を駆け巡り、町々で祝宴が開かれた。

 だが――



        DK2後日談 ―闇の晴れるとき―



    壊れた時は。



 祝宴の波が引けた夜更け。喜びも寝静まったころ。
 少ない荷物を遠慮なくゴミ箱へ処分し身軽になった人影があった。
 足を街の外へ向けようとしたとき、普段着で帯剣姿の戦士が行く手をさえぎる。

 「どこへ行く、DD?」
 「見送りに来たって格好じゃねえなぁ、カズ」
 「もうダンナとは呼んじゃくれないのか?」
 「ディアスの皇帝が倒れて何もかんも終わっちまったお前らとはもう一緒にいらんねぇ、ってこった」

 DDはいつもの軽口に真剣さをふりかけて答える。
 相対するカズは鋭さが増す。視線にも、言葉にも。

 「仲間、だろ?」
 「ああ。仲間『だった』な」

 言葉は冷たく今までの信頼を突き崩す鋭さで視線が交わされる。

 「オレは知ってるんだ、お前が何をしに行くのか」
 「知ってるんなら話は早い」

 ここ数日DDが何を調べていたのかカズは知っている。
 今の自分を作り、壊した人間たちへの復讐――それがあと一人ということも。

 「リン・ハザードは倒れた。もう終わったんだ。なんでお前は復讐なんかに行こうとするんだ!?」
 「気楽に言うなよ……まだ何も終わっちゃいない」
 「終わったことにすればいいじゃないか! 違うのか!?」
 「何も終わっちゃいない。何にも終わらせないで、何もかも忘れろっていうのか? 俺はそこまで器用じゃあない」

 DDの口調から軽さが消える。軽薄な仮面の下から覗くのは冷酷。
 初めて見る仲間の一面に、なおカズは言葉を重ねる。

 「なら、他にやり方が……!」
 「ないさ。俺は不器用なんでな」

 唇が歪んだ。
 笑顔と称するには凄惨に過ぎる表情がカズを見据えていた。
 気持ちのスイッチにため息一つ。

 「そうか」
 カズは剣を構えた。
 両腕に、足に、全身に力がこもる。

 「なら止める。どんな事をしてでも止めてやる!」
 「俺を止めたい? はっ、笑わせるな! 俺を止めたきゃ殺す気で来い! 不殺を唱えたお前さんにゃ無理な話だろうがよ!!」

 DDはまだ重機に乗り込んでいない。動けなくできればそれでいい。一発で決める!
 わずかに剣を振り上げる。

 「けっ」

 技の動作準備で体を崩せない、半呼吸の空隙。剣の間合いの内に飛び込むには事足りた。
 飛び込んだときにはすでに肘が水月にめり込んでいる。
 吐息とも嗚咽ともつかない呻き声を上げてカズはDDにもたれかかった。

 「重機乗ってない俺なんて普通に斬りかかりゃ十分勝てるのによ、情けだかなんだか知らんが技に頼ろうとした時点で
お前の負けさ。カズの技を一番身近で見てたのは俺なんだから隙くらいお見通しだ」
 「ま、て。それ、でもオレ、は」
 「殺させたくない? 殺したくない? 甘いな。そういう世界にしか住めない生き物だっているんだぜ?」

 どぅ、とカズは大の字に倒れた。

 「心配しなくても俺の周りで死ぬのはあと二人さ。そのときまでちょろーっとシカト決め込んでくれたらいい」
 「やめ、て、くれ……D、D」
 「みんなによろしくな。楽しかったが、最後まで迷惑かけてすまないって伝えてくれると助かる。じゃあ……さよならだ」

 最後の一人?
 死ぬのはあと二人?
 合わない計算をぼやけた頭で考えながら、カズの意識は闇に落ちる。


 住み慣れた街。
 見慣れた景色。

 いつもの酒場。
 メシはうまいがコーヒーはまずい喫茶店。
 馬鹿騒ぎをした広場。
 雪の中の公園。
 セレーネの眠る部屋。
 弥都波のいる宿。
 倒れたカズ。
 そして――しーなの住む教会と、そこへ至る道。


 DDはかつての日常のかけらに、二度と視線を戻さなかった。


 予兆。
 予感と言ってもいい。
 何かにゆすられるようにしーなは目を覚ました。
 それは吉兆ではない。むしろ逆。外に感じたそれは何か大事なものが消える感じ。
 寝巻きの上に法衣をひっかけてしーなは外へ飛び出す。
 それは着替えるより大事なことだと思ったから。


 でも何を見たのだろうか。
 不安げな表情を浮かべた彼女は、羽根の生えた……?

 「リーダー!?」
 「しーな、すまない……DDが行っちまった……」

 地面に倒れていたカズを助け起こす。
 治療の呪文を唱えかけて杖を忘れてきたことに気付いた。
 集中力も魔力も落ちている。効果を上げるため唱えかけた応急処置から、可能な限りの治癒へ呪文を組み替える。

 「止められなかった……あいつ、死ぬつもりだ」
 「話さないで下さい、まだ呪文が効いてないです」

 最後の一人。死ぬのは二人。
 合わない計算の最後の変数。
 無理にはめなくても、一人残ってたじゃないか。

 「もう誰もオレの周りじゃ死なせたくない。誰一人もだ! だからしーな、頼む。早く治してくれ……」
 「む、むちゃですよーっ」

 鍛えられたカズだからこそ死なずに済んだほどの一撃を、杖もなく一気に治療できるはずもない。

 「ならしーな」
 「はい、すぐに教会から人をよこしますから、動かないでいてください」
 「懐に、メモが入ってる。そこに行くはず、だから」

 それだけを告げてカズは気を失う。
 呼吸が安定していることを確認すると、しーなは教会に取って返した。
 人を呼ぶために。そして――もう一度、旅をするために。



    さらに壊れ行き。



 ディアス領内。
 街道こそレジスタンスが治安を守っているが、わずかにでも離れればいまだ詳細不明の地も多い。
 そんな一角、開けた山すそに構えるは異形の重機。
 重装甲のしつらえと四本の腕。重量を支えるために巨大化した足。そして何より一般の重機の倍に迫ろうかという体高。
 何から何まで異質な重機に向き合う機体がある。
 歴戦の勇者と呼べるだけの使い込まれた無数の傷を持つ無名の人型が相対峙する姿は、むしろある種の
笑えないユーモアすら感じさせる。

 『生きていたか、死の13番』
 「てめえこそ生きていやがったかよ、元教官殿」

 再会を懐かしむ口調ではない。
 さりとて殺意に満ちた気配でもない。
 すべてが交じり合ったその声は、濁りで本来の感情を覆い隠していた。

 「まともな重機じゃ勝てないと踏んだか?」
 『勝ち負けは関係ない。どうせもう仕える国もなくした人間だ。だか、最後にやりのこした事だけはしておこうと思っただけだ』
 「奇遇だな、俺も同じだよ」

 つま先で削るようなわずかの移動を、会話を交わしながら行う。
 自分が有利になるように。相手が不利になるように。

 『お前はまだあの女の重機に乗って相変わらず過去を引きずるだけか。未練を詰め込んだまま、名前も変えずに』
 「てめえ倒せば終わりさ。俺は燃え尽きて過去に戻るんだ。男と心中なんて願い下げだが、地獄の門番にてめえらの
首並べて差し出さんことにゃ閻魔様の前に出られもしねえ。最後の一個だ、せいぜい派手に飾ってやらあ」
 『――その考えが終わってるとなぜ気付けん?』
 「俺はただ、覚めない悪夢に生きていただけさ」

 動きが止まった。
 それは戦闘の合図。

 『そうか。ならば終わらせよう、お互いの悪夢を』

 抜刀と跳躍と斬撃は一呼吸。
 DDの神速の一撃を、しかし異形は片手で受け止めた。
 追撃の手を止めて体が勝手に前転をかける。殺気が背中を駆け抜け、残り3本の腕が胴体のあった空間を綺麗にえぐっていた。

 「……おっかねぇ〜」
 『この重機を並のものといっしょにしてもらいたくはない。対重機戦闘に特化したこいつは、並の重機の群れなどなぎ倒すぞ?』
 「たった1機をなぎ倒してから言えよウドの大木っ!」

 左右の剣で繰り出す攻撃は速度では負けていない。
 だが機体の差、追撃は倍の数で行われる。そして何より。

 (……速えぇ!)

 2ステップで取った距離は一呼吸で潰される。休む間もない追撃に飲まれないためには攻撃を続けるしかない。
 一進一退ではない。休めない以上分が悪すぎる。
 左右からの払いをかがんで避けた。
 そこにはすでに追撃の腕。剣を交差し受ける。止められない衝撃は跳ねて後ろへ流せばいい。
 空中でとんぼを切る。剣を構えなおす。着地と同時に攻撃再開を

 (蹴り!?)

 出来ない。
 宙にあるうちに予測された軌道のままに詰められ、十分な体勢から重さと速度の乗った前蹴りが逃がしようのない打撃として
DDとブロードソードマインを襲う。
 二転。三転。四転してなお消えない勢いを両足と腕で殺して立ったのは体に染み付いた本能だったかもしれない。
 視界が暗転し、姿勢を支えきれず地面に崩れ落ちた。


 「これ、そこの若者」

 無視した。
 時代錯誤もはなはだしい、レトロスタイルのばあさん占い師からの声だと気付いたからだ。

 「そこの白い服を着た赤の若者、だ」
 「赤たぁなんだ」

 無視し切れなかった声に反応する。

 「おぬしの姿じゃよ。白き衣を身に纏う、赤き炎の若者よ」
 「よく俺の技まで知ってるな」
 「技ではないさ。おぬしの心には炎が燃えておるよ。かすんだ老いぼれの目にもよく見えとるわ」
 「……それで」
 「面白い物を見せてもらった。見料はまけとくよ」

 金の問題じゃねぇだろ、と言いかけて黙る。聞いてる様子など全くない。

 「面白い、面白いのぉ……今までに二回死んだものは何度も見てきたが、その先があるとは」
 「まだ俺は生きてるぜ?」
 「一回目は過去が死んだ。二回目は心を自分で殺した」

 見えて、やがる。
 記憶を失った事も。
 かけがえのないものを自分で切り取った事も。
 望まれてとはいえ、俺が、自分で……

 「それ以上言うな……燃やすぜ?」
 「わしの言葉が気に食わないなら燃やすがいいさ! 目のかすんだ老いぼれごとき、貴様の炎なら簡単に燃やし尽くせるだろうからの」
 「……続けろよ」
 「おぉ、そうかそうか……なら、この先は予言さ。お前はあと二回死ぬ。一度はすべてを受け入れる死。もう一度は、おだやかに
死ねるだろうよ。代わりの心を手に入れたあとでな」
 「は、ははははははっ」

 笑わせる!

 「良く出来たジョークだぜインチキばばぁ! 俺はきっちり三度目で死ぬんだ。続きはなしさ。占いが外れて悪かったな」

 懐から出した財布にはなかなかの金貨が入っている。
 それを目の前に無造作に置く。たった、それだけ。

 「未来は変わらんよ、おまえが燃え尽きた存在であるうちはの」
 「『まだ』燃え尽きちゃいねぇさ」
 「自分の未来を限定した人間が燃え尽きた存在であると認めんのか?」
 「ああ、俺はまだ燃え尽きるわけにゃいかねぇんだ。金は老い先短いあんたへの餞別だ、とっときな」

 俺はもう一度歩を進めた。

 「未来はそれほど悲観したものではない……藍き瞳を持つ、『龍』の名を受け継ぐものよ」
 「!?」

 なんだ、と開きかけた口がそこで止まる。
 そこにはただぽっかりと人通りの途絶えた空間があるだけだった。


 「……かはっ!」

 口から出た何かを吐き捨てる。

 (気ぃ失ってた! 何秒だ!?)

 ほんのわずかの時間。過去を見るには十分な時間。
 そして、追撃を受けるにも。
 一気に立ち上がる。衝撃でふらつくがそんなことは知ったこっちゃない。
 剣を構えると、その向こうで異形の重機がこちらを見下ろしていた。

 『それで終わりか』
 「いや、まだこれからさ」

 どこかでまだ生に未練がある。だから戦いに隙が出来る。

 (決めたじゃないか、俺は――)
 「クレイモア、聞いてるな? 起きろクレイモア!」
 ”弱くなったな 命を惜しんでいる 前は純粋な炎だったはずだ”
 「かもな……普通のやり方で通じると思ってた。あのバケモノ相手にゃ大間違いだ」
 ”人間の論理はわからん わかるのは我を呼び出した理由だけだ”
 「そうか」

 深呼吸をする。吸い込み、叫んだ。

 「クレイモア、契約を果たせ。俺に力を、炎をよこせ! 何もかも焼き尽くす、地獄の業火をっ!!」
 ”了解した 我が主”

 リミッター解除。動力ケーブル全開放。ジェネレーターの全力稼動承認。
 ……放熱開始。

 ”動体センサに感”
 「何だ?」

 遠くに見える、見まがいようのない法衣。

 「しーな? 何しに来やがった!」
 「やっと追いつき……って何が!?」
 『ほう、仲間か。ならば更なる絶望を与えるのも悪くない』

 4本の腕が伸ばされる。
 距離は遠い。モード切替はまだ不十分。体勢は不利。

 『罪はないが、お前の死出の花道を飾るために死んでもらおう』


 俺は何をしてきたんだ?
 俺は今まで――『あいつ』を筆頭に、生き残るために殺してきた。
 誰が好きで人を殺す? そこまで俺は壊れちゃいない。
 それもこれもすべてが俺の仲間を殺させないための、好き好んでなった悪役だろう?
 生き残るためでも誰も殺さない甘ちゃん揃いの仲間連中のために、好き好んで引き受けた汚れ役だろう?
 仲間を助けるために。
 ここまで来てたったそれだけのことが出来ないのか? 殺させるだけなのか!?


 DDの届かないところで腕が伸びる。
 攻撃を止めるためにはどれほどの加速が必要か。
 状況を理解してないしーなはまだ行動を起こせない。


 ああ。
 なんだ。
 似てるんじゃないか。深いところで。俺が否定してきたあいつと。
 自分を傷つけても誰かを守るために。
 あいつは生き残ろうとし。
 俺は――

 「クレイモア」

 機体は熱くても、頭はしんと冷えて静か。

 「俺の命を、くれてやる」
 ”代償を 貴公の魂に刻もう”

 ブロードソードマインの足元で土が爆発した。


 しーなは目の前に迫る鉄塊を見て、熱風を感じた。
 それが重機の形をしていることに気付いたのは、迫っていた鉄塊が重機の腕で、それが切り落とされた音を聞いてからだ。

 「わっっ!?」

 どちらもしーなの記憶にある重機とは激しく異なっていた。
 かたや倍の体躯を誇る、異形の重機。
 その腕を切り落としたのは、赤熱した個所の残るぼろぼろの重機。

 「ブロード……DDさん……?」
 「無間罪・爆炎龍(バーンドラゴン・インフィニット)……っ」

 無茶を通して攻撃を止めた代償は大きく、かすれた言葉とともに吐き出されたのは血の塊。

 「お、れの、――に、手を出、すな……」

 内臓を痛めたらしい。吐いた血が鮮やかだ。
 だからどうした?

 (ここで守れなきゃ、俺が今まで守ってきた意味がねぇ!)

 ブロードソードマインが振り返った。懐に入り込むともう一本の腕を切り落とす。

 『速くなった、だと!?』
 「なにビビってやがる。まだ分はそっちにあるだろうが。二本ぴんしゃんした腕が残ってて逃げ腰たぁどういうこった?」

 DDは正面のみを見据えた。後方警戒のモニターは切断して、しーなの姿を見えないようにする。

 「DDさん、だめ……。それ以上はだめですよーっ。だめです。だめなんですよーっ……」
 

 「死ぬ準備はいいか?」

 DDは後ろの声を聞こえないことにして剣を構え直す。
 異形の重機も腕2本での戦術に切り替えて戦いに備える。

 「いくぜ」
 『来い!』


 「死んじゃうから……。DDさん、死んじゃいますよーっ」

 すべてが終わるまで数分。
 止めようのないわずかな時間が、しーなにはどれほど長く感じただろうか。
 黒くすすけたブロードソードマインがいまだに立ち続け、異形の重機は地に臥した。

 『ここまではお前の勝ちだ』

 DDは何も答えず、ただ立ち尽くすだけ。

 『だが、お前は私を殺すために生きてきたんだよな? だったらここで私の勝ちが決まる』

 異形の重機のハッチが開く。
 電極の繋がった人間の上半身――に見える肉塊が入ったシリンダーがそこにあった。

 『私は今までこの機械に頼って生きてきた。いや、死なずにいた。だがそれも間もなく止まる』

 なおDDは何も答えない。
 ブロードソードマインが答えるように膝を折り、姿勢を低くした。

 『お前は私を殺すために生きてきた。だが私はお前に殺されん。殺されてなどやるものか!
 かなわぬ夢をかかえて地獄に来るがいい! 私は先に逝って待っているぞ。はは、ははははは……!』

 声が小さくなりついていたランプが消える。
 透明だったシリンダーの液体が濁って、中を確認できなくなる。
 小さな動作音が途切れ、戦いの終焉を告げた。


 ブロードソードマインのハッチが爆発音で強制的に開放された。
 DDはまだそこに存在していた。
 機体内部の熱で服は焦げ肌に火傷を作り、片腕は明らかに折れ、口から血を流しながら、DDの目には
まだかすかな藍い光があった。

 「……よう」

 続けて何かを言おうとしたのかも知れない。
 開きかけた口からこぼれたのは言葉ではなく大量の血。
 コクピットから崩れ落ちるDDを抱き止めたしーなは、その両腕でもDDの命が零れ落ちるのを止められなかった。

 「しーなっ、何があった!?」

 背後から足音と誰何の声。
 聞き慣れた歩調が3人分。振り返らなくても誰が来たかわかる。

 「すみません、手を貸してください。早く街に連れて帰らないと。私一人の力じゃ……」
 「わかった!」

 カズがDDを重機から引きずり出し、しーなが治療の魔法をかける。セレーネも弥都波も手伝うが、本業ではない分焼け石に水か。
 白い何かが視界を横切った。
 誰もが手を止め、それを見上げた。
 DDの肩から離れて空に浮き上がった白い衣に羽根を持つ天使が、藍い瞳で空から回りを見渡す。

 ――彼をよろしくね。私の加護はもう、彼に必要ないみたいだから――

 音にならない言葉を投げて、ほほ笑みながら天使は宙に飛び去っていく。
 流れ星が舞っているようにも見えた。



    壊れ損なう一つのの命が。



 ああ、俺の手は真っ赤だよ。
 誰かを抱きしめる資格なんかない手だ。
 俺はいるだけで回りに死を振りまく死神で、何人も死んできたし殺してきた。
 そうするしかないと思っていたから。
 違うのか?
 夢で見た『あいつ』はいつも悲しそうな瞳で俺を見ていた。
 ―――と同じ、哀しそうな目で。
 その報いがこの苦しみなら、それでいい。
 俺の罪にはもっとむごい死すら生ぬるいんだから。
 でも、なんでみんなは「起きろ」と言うんだ?
 もっと苦しめというのか?

 違う。
 起きて、DD。戻ってきて。
 まだあなたはそっちに行っちゃいけないから――

 生きて。

 DDが、虚空の何かをつかむように跳ね起きて。
 激痛に再度倒れこんだ。

 「…………痛てぇ」

 間抜けなつぶやきだが、これでも全力で叫んでいるつもりだ。
 真上のみの視界でもここが部屋の中であることはわかる。無機質な光景の天井は教会の治療室や病院にありがちのしつらえ。
 全身ぐるぐる巻きの包帯と数箇所のギプス。全身に走る痛みが告げていた。

 「生き、てる?」

 左手はギプスに固められて動かせそうもない。
 かろうじて動いた右腕を無理矢理顔まで持っていった。

 「生きてる。生きてるよ俺……ははは、は……俺、生きてる……」
 「DD、さん?」

 部屋のどこかでしーなの細い声がした。
 その声にも、しーなが部屋から出て行くことにすら気付かず、DDは嗚咽を漏らしていた。


 しーなが見慣れた顔と見慣れない人間を連れて戻ってきたとき、DDはすでにけろりとした顔で寝転んでいた。
 セレーネが、弥都波が、カズが、そしてしーなが、DDを見下ろしている。

 「ほんとに、ほんとに生きてたんですねぇ……」
 「あんまし心配かけるんやないよお寝坊さん」
 「1週間も寝てたんだぞ」
 「寝てただけか。くっそ、ぶっさいくな男の悪魔とキレードコロの天使がいるからお迎えかと思ったんだがよー」

 DDはその間医者と思しき女性に全身を調べられている。我ながら間抜けな返答だと思いながら何度か口の中で同じ言葉を繰り返した。
 1週間。
 1週間、寝ていた。

 「傷や火傷の跡は治癒呪式でもすぐには癒せないでしょうが、もはや峠は越えたようですね。傷の状態を考えると野生動物並の生命力です」
 「そう、か」

 再びDDは横になった。
 1週間寝ていた。そして起きたということは。

 「死に損なった、か」

 口に出たのは感情と意思の伴わない透明な言葉。
 小さいながら誰の耳にも届いた言葉は、部屋中を凍りつかせるのに十分な力を持っていた。

 「……え」
 「何を言ってやがるこらぁ!」

 カズが遠慮のない全力で拳を握り締めたとき、小さな音が全員の動きを止めた。
 ぽす。ぽす。ぽす。ぽすぽすぽすぽすぽすぽす……
 それは力のない打撃音で、いつまで経っても止まる気配はない。
 しーなが叩いていた。力なく、それでも握り締めた拳で、DDを。
 ――心底哀しそうな目に怒りをたたえ、涙を流しながら。

 「……オレよりきつい拳喰らってるみたいだから、オレからのはやめておこう」

 カズが拳から力を抜くのと同時に、部屋から緊張が消えた。

 「だがな。しーながこの1週間ろくに寝ないで何をしていたか知りもしないで、それを改めて無にしたいんなら
オレは全力で殴るぞ。出る前に借りた一発に利子をつけてな」

 カズは病室を出て行くとき振り返らなかった。
 慌てて弥都波が後を追い、セレーネが続く。
 その口に浮かんでいたのは攻撃呪文だったが途中で詠唱を止めている。
 生き残った実感が湧いてきたのは、日常のかけらがまた周囲に集まってきたからか。
 はは、と乾いた笑いがDDの口からこぼれた。

 「それでどうします? このまま治療を拒否されれば数ヵ月後には起き上がれない若輩者が出来上がりますが」
 「いや、続けてくれ」

 しーなが手を止めた。医者もDDに驚きの顔を向ける。

 「しなきゃならんことが出来た」


 呼び出されたカズが、DDの肩口で不平を漏らす。

 「久し振りに呼ばれたと思ったら相変わらず頼み事は面倒ばかりだ。あんなものどうしようっていうんだ?」
 「見てみないとどうなるかわかんねーからなぁ」
 「馬車まで借りた。取りに行った。オレの声でも動かせたからよかったものの、あんなもの一人で拾ってこいだなんて無茶だろう?」
 「無茶は通ったんだ。道理をひっこめてくれ」
 「2発分の貸しに無茶と道理分の利息を加えておくよ」

 カズがDDを支えて歩いていた。
 本来ならいまだに面会謝絶で外出なんて当然のように禁止なはずのDDは、ルール破りが楽しみという困った一面も持つ。
カズの肩を借りて夜半に病室を抜け出す計画は意外と成功しているかに見えた。
 そう教会から離れていない倉庫の扉を開くと、中には黒くすすけた重機が存在していた。
 あちこちの装甲がひしゃげ、つぶれ、所々動力シリンダーはおろかフレームまで覗け、胸部ハッチはボルトの爆破で
外れたためにとりあえず縛ってある。
 DDの重機――ブロードソードマインだ。
 数年ぶりに相棒に会うような懐かしい顔をしてあちこちを目視すると、降機モードで折りたたまれた足元からコクピットに顔をつっこんだ。

 「システムチェック。生きてるか、ブロード?」
 ”サブシステムは停止中で復旧の余地はない 期待に沿えない 我が主”
 「詳細をセルフチェックしろ。稼動に問題のある個所だけリストアップして提示。やれるな?」
 「ちょっと待てDD。猛烈に嫌な予感がしてるんだが、それが現実だったら貸し減らさずに1発殴っていいか?」
 「却下」

 DDはリストを眺める。

 「続いての頼み事なんだが、俺の部屋から……ってもう何も置いてないからリストアップした工具を準備してくれ。
特にチェックした工具は専用品だから、それ以外は激安品でかまわん。あと部品の調達と搬入と」
 「……馬鹿かDD」
 「そんなこととっくに気付いてろ。こいつ治すぞ。手伝ってくれますな、共犯者殿?」
 「いつの間にか共犯者扱いになってやがる」
 「むしろ主犯扱いしなかったことに感謝してもらいたい」
 「このままDDごと放置して何も見なかったことにして弥都波と新天地に逃げて平和で幸せでまっとうな
新婚生活送りたくなってきた。猛烈に。むしろ今夜中に」
 「そんなこと言わずに手伝ってくれよダンナぁ」

 カズがDDを、意外そうな顔で見る。
 久し振りに聞く懐かしい呼ばれ方。DDがこちら側に戻ってきた証明でもあった。

 「そんなに見つめるなよ。恋愛の主観は自由だが、それを俺に当てはめるな」
 「あらためて馬鹿と言い直してやろう」
 「言い直すだけにしろ、怪我人を殴るなふつーにっ!」
 「だったらまずその性格から治せ! しかるのちに体を治してそれから重機に行け! 順番がめちゃくちゃだろう!」
 「うるっせーな、重機回収してきてくれって頼まれた時点でこれくらい予測しておけよ!」
 「わかるかそんなもの!!」
 「部品調達は明日で出来るはずだ。明日から始めるぞ」
 「このあほーがっ! 物事を順番通りにこなすことから始めろっ!」
 「だからリスト作るって言ってるだろうが」
 「そこからもう間違ってんだ、気付け馬鹿っ!」

 久し振りの漫才は長く続く。
 それをもう三人の共犯者――しーなと弥都波とセレーネが見つめていた。

 「幸せやねぇDDさん。こうまで思ってもらえると」
 「そうですねぇ……」

 だが、当のしーなは『DDだから』見逃したことに気付いていない。
 二人の言葉の意味にも。


 DDの回復力は驚くほどで、呪文の支えがあったとしても「常識の範囲外」と評価されるほどであった。
そのためめでたく『もっとも目の離せない入院者』と呼ばれることと相成った。
 あえて追記するほどでもないとは思うが念のため。


 自然体で立つ。
 たったそれだけのことが実は以外に難しい。
 それなりに武道を経験していたり中途半端にケンカ慣れしているとまず構えてしまう。構えることなどなくても、
構えに移行しやすい体勢を自ら作る。それは自身の中で最速の反応を呼ぶと同時に対応の画一化を生んでしまう。
 ましてや病み上がりのDDが『弛緩した緊張』を保ち続けるなど無理に近い。
 いつの間にか動作を確認しようとしていた自分の体に、DDは苦笑した。
 右手はどうにか動く。
 左手は、鈍く痛むが動かせる。
 右足。左足。大丈夫。スタミナは不安だがやれるだろう。いまだ包帯の取れない体を自分で確認していく。
 決めた。決めたのだ。
 次の一歩を踏み出さないことには自分は変われない、と。
 それこそが自分の自然体なんだ。

 「よぅ、しーな」

 休憩時間に三人娘が会話をしカズがそれに巻き込まれる日常。
 DDが入院してから変わらない日常を、当のDDが堂々と病室から脱走して壊すなど誰が想像できようものか。
 しかもそんな状態であえてしーなを名指しした。

 「だ、だめですよーっ、まだ動いちゃ……」
 「昨日直ったんだ。もう待ってられないからなぁ」
 「ないがしろにされた側から割り込ませてもらっていいか?」
 「馬に蹴られて死にたきゃどんぞ」

 カズがDDに視線を向けていた。返答次第では、という意思を込めて。

 「まだ死にたいか?」
 「……いんや、とりあえず生きることにした。今出来ることにケリつけてくらぁ」
 「わかった。ちゃんと戻ってこいよ?」

 改めてDDはしーなに向き直る。

 「しーな……行こう、俺の始まりの場所へ。俺にとってすべてが始まった場所へ。もう体は動くし重機も直った。付き合ってくれるよな?」

 弥都波ははやしたてるような口ぶりで。
 セレーネはただ黙ってしーなの背中を押して。
 カズは呆れたように手で追い出して。
 しーなはただうなずいた。


 DDは重機を操るのに必死だ。
 しーなは馬に乗ってそれについていくだけでいい。
 ついていくと言ってもこの道は数年間放置されていた風情であり、あまり馬を急かすような真似はできそうもない。
 またその馬がDDの重機に近づきたがらないのも理由である。

 「すごい音ですねーっ」
 「急ごしらえだからなぁ。馬、怖がってないか?」
 「なんとか……」

 一歩進むたびにどこかの金属がきしみ、腕を動かすたびに不気味に振動する。
 昔はもっと静かに動いていたはずだ。もっと軽やかに、装甲のこすれる音すらさせずに歩き回っていたではないか。
 しーなの素人目にもわかる。この重機は直ってはいない。

 「もうちょっとだから。頼むよ」

 進める歩みにも軽さは感じない。
 それでも行く。

 「もうすぐ開けてくるはずだ……そだそだ。こんな感じだ。ここだここだ」

 崖と木に囲まれた道が不意に開けた。山間の里という風情にも近いが、それほど広くも感じない上に人の手の細工を覚えた。

 「やっぱり綺麗さっぱり無くなってるか。そりゃそうか……何年ぶりかだもんな」

 人里離れた山間の土地に重機を止める。軽やかとは言いがたい歩調でコクピットから下りてくるDDを、しーなはさらりと手助けした。
 その土の上を歩いてみる。
 時折しゃがみこんで土を見て、かすかな『何か』のあとが残っていることに安堵した。

 「ほらしーな、ここに建物があった。基礎のあとがある」
 「はえ? どれですかーっ? えーっと……」
 「わからなくてもいいさ。実際にここに何があったか分からないと、想像つかないだろうし」

 そこからやや離れたところ。土に半ば以上埋まり砂埃で隠されていたが、それは確かに。

 「焦げた……木?」
 「ああ。俺が作ったやつのはずだ」

 DDが拾い上げたその木片はわずかな抵抗を残して崩れていく。

 「ここが俺が生まれた、ディアスの機械兵訓練場さ」
 「生まれた……?」
 「生まれたっていうのも正確じゃないかも知れんが、俺のオツムっから大事なとこがごっそり欠けてるみたいでね。
ここに来る前のことは全く覚えてない。あの通ってきた道が最初の記憶さ」

 名前もわからない。DDだって本名じゃない。どこで生まれてここに来るまでどんな人間であったかもわからない。
 それまでのすべてを失い、新たに体に叩き込まれたのは人殺しの技。
 死神とあだ名され、死んでいく仲間の中で不思議と生き残り、心を通わせた女性がいて、彼女を――自分の手で。
 すべてがここであったこと。すべて自分で行ったこと。

 「俺は、全部終わったら死ぬつもりだった」

 感情を殺した声だった。

 「だってそうだろう? 俺の手は愛した女の血で染まったんだ。死んだって許されることじゃない。もっと、もっと
惨めでむごたらしく、苦しんだ上での死すら生ぬるいんだ……それでもなぜ生きろと言うんだ!?」

 すぐには答えない。答える代わりに、しーながDDを優しく抱いていた。

 「許されない罪なんて、ないんですよ」

 それはどこまでも優しく、暖かく、柔かな声であった。

 「今までずっと、ここに来て泣きたかったんですよね? 自分のしてしまったことに苦しんで、罪の上に罪を重ねて。
罪滅ぼしにもならないことを知ってなお、自分だけが罪をかぶろうとして。したくないことを、自分を殺してまでして」

 しーなはDDの耳元に口を寄せて、そっとささやいた。

 「泣いて、いいんですよ? もう我慢することはないんです」

 DDの腕に力がこもる。しーなはそれをとがめず、ただ見つめていた。


 長い長い慟哭が山間に響き渡る。
 数年に渡って自分を殺してきた男の、心からの叫びだった。


 ため息ひとつでDDはしーなから離れた。
 すぐに顔を背け、しーなの顔を直視しないようにする。

 「さて、仕事すっかなぁ」

 精一杯の照れ隠しに気付いたが、しーなはそれに気付かないふりをした。
 ぎしぎしときしむ重機をあやつり広場の中央へ持ってくる。

 「どうするんですかーっ?」
 「どうもしないよ。少なくともこいつとはここでお別れだ」
 「どうして!?」
 「こいつはこれ以上直せない。今までも無理矢理引っ張ってきたようなモンだったが、こないだのアレでついに
無茶が致命的になっちまった。他のパーツはどうにでもなるが、サブコンとフレームが使い物にならないのが痛い。だから」

 DDは横にした重機のコクピットから這い出してきた。

 「俺はこいつ以外に乗る気もない。重機を降りるさ」
 「……そうですか。決めてたんですね? ここに来る前から」
 「ああ、決めてた。墓作るならここしかないからな」
 「お墓?」
 「あいつと、機械兵としての俺。すべてが始まった場所ですべてを終わらせたかった。みみっちい感傷だと笑ってくれてもいい」

 ううん、としーなは首を振る。

 「すごく素敵です」
 「……そっか」
 「ただ、重機から降りたDDさんなんて想像できないですねーっ」

 その問いにDDは苦笑するしかない。
 自分が重機から降りる。それは力を失うと同義。
 それでもなお――

 「しーな」
 「なんですかーっ?」
 「俺は、重機を降りても、お前を守っていきたいと思う」

 藍い瞳をまっすぐしーなに向けたまま、DDははっきりと口にした。

 「でももう冒険は」
 「確かに終わったな。重機を降りた俺はいいとこ街のケンカ自慢か駆け出しの戦士だ。それでも俺は、しーなを可能な
限りあらゆる事から守ろうと思う。冒険の仲間としてではなく――対等のパートナーとして」
 「……あ」

 ここで言葉の意味を取り違えたりまぜっかえすほど世慣れていないしーなが、言葉に負けて視線を逸らす。
 DDは、ずっと視線を向けたまま。

 「あ、あははーっ 私よりも魅力的な女の人は一杯いるじゃないですかーっ」
 「いたところで俺の答えは変わらないよ」

 沈黙が辺りを満たす。
 痛いほどの静けさはしーなを慌てさせ、向けかけた顔はやはり合わせられずに下を向いた。

 「私と一緒だと気の休まる暇がないですよ」
 「疾風怒濤多いにけっこう、俺が全部静めてみせらぁ」

 しーなが顔を上げる。
 口を開きかけ、閉じ、逡巡を見せ、そして。
 強い意志を瞳にこめてDDを見つめた。

 「私は追われているんですよ。逃げるために冒険を選んだんです。それでもいいんですか?」
 「それがどうした」

 DDは叫ぶ。

 「それがどうした? それがどうした。それがどうした! ここにゃあ過去のない男がいる。過去なんか忘れちまえばいい!
それでも駄目なら過去から逃げて、逃げて、もっと逃げて、どうしようもなくなったら」

 出来る。
 信じろ。
 (あの時俺は受け継いだはずだ。『力』を)

 「俺が全部燃やしてやる。それだけのことさ」

 一振りしたDDの手の中に、一塊の炎。

 「DDさん、それ……」
 「前は重機無しじゃ出来なかったんだがな。どうも最後の戦闘で『目覚めた』っぽい」

 次の一振りで炎をかき消すと、改めてしーなに向き直った。

 「それとも、俺じゃ駄目なのか?」
 「私で……いいんですか……?」
 「違うな」

 DDは真正面からしーなを見据えた。

 「俺は、しーながいいんだ。だから、俺と」

 不意に途切れた言葉。
 続きを急かす真似はしない。
 どう言葉をつなげるかなんてすべてがお見通し。
 続く言葉を待たず、続くであろう言葉を信頼し、ただしーなはDDを見つめ

 「はい」

 とだけつぶやいた。

 「クレイモア」
 ”こういうとき私は どう言えばいいのだ?”

 機械兵DDの、最後の仕事。

 「任せる」
 ”今まで楽しかった 我が主 必要になったらまた使ってくれ”
 「わかったよ。そんな日がないことを祈ってるがな」
 「おやすみ、ブロードソードマイン」
 ”我が主を頼む しーな嬢 我という力を無くして 何もかも中途半端になった我が主を”
 「全関節完全固定。コンピュータにプロテクト、俺の音声でのみ再起動許可。ハッチ閉鎖でロック。じゃあな、ブロード」
 ”二人の未来に 幸運のあらんことを”
 「似合わんこと言うな」

 ブロードソードマインが生まれた土地で眠りにつく。
 機械兵としてのDDはここで眠りにつくのだ。
 静かなしーなの祈りの言葉が響く。ここで眠るすべての『者』の安らぎを祈って。

 ”Good luck.”



    求めたものすら守りえず。



 「ふぅ、なんだか疲れちゃいましたーっ」

 しーなが前。DDが後ろ。馬上の二人は意外なほどしっくりとかみ合っていた。

 「いろいろあったからなぁ。町につくまで一眠りするか?」
 「えへへ……。それじゃ、お言葉に甘えさせてもらいますー」

 しーなが体を預けてくる。
 間もなく規則正しい呼吸がし始め、しーなの首も預けられた。
 優しい重さ。幸せな暖かさ。
 DDにとって生まれて始めての安らぎと幸せは――


 「しーな、町についたぞ。そろそろ起きろよ……しーな?」


 ――あっけなく終わりを告げる。


 「私は酷な現実を伝えなくてはいけないんでしょうね」

 しーなを連れて駆け込んだ神殿で、DDは宣告を受けていた。

 「酷な?」
 「はい。彼女は極度の精神の疲労と魔力の枯渇で眠りについてしまったものと思われます」
 「精神の疲労……まさか」
 「彼女は貴方を目覚めさせるために、相当の無茶をしたのです」

 告げられたくない現実。

 「俺のために」
 「ほとんど眠らず、休みも取らず、明らかに実力を超えた奇跡を――治癒呪式の形で貴方に施し続けたのです。
その結果貴方は死神から逃れられた」
 「俺の、ために」

 何をしていたんだ、俺は。
 守ってやると誓ったのに。

 「また、守れなかったのか……馬鹿かよ俺は」

 机を、壁を、ところかまわず殴りつける。
 (馬鹿は俺だ、自分の言葉すら守れない俺には……)

 「当然の報いなのか」
 「ただし、幸運もあります」
 「幸運だと? どこがだ!」
 「落ち着いてください。彼女は今、眠っているだけなんです。いつか目覚める可能性だって十分にあります。
死んでいないのであれば治療できる可能性だって」

 脱力して椅子にへたり込む。
 すべてが終わったわけじゃない。まだ出来うることがあるというのなら。

 「治せるのか」
 「可能性の話です。何もしなくても明日にでも目覚めるかもしれませし、100年経っても目覚めずにそのまま死んでしまう
かもしれません。もちろん治療法は現時点では不明です」
 「治す方法が、あるんだな」
 「繰り返しますが現時点では不明ですよ? 大陸中探したって見つからないかも知れません。雲を掴むような話です」
 「そう、か」

 諦めなければ、可能性はゼロじゃない。それだけ分かれば次の一歩をためらうことはない。
 そのために死を選ばなかったのだから。


 「ここでオレたちも解散、かな」
 「せやねぇ。リン・ハザードが倒れたから、うちらの冒険の理由もなくなったんやし」

 旅支度を整えた4人が、街の出口で顔を合わせる。
 しーなが眠りについた以上もう5人は揃わない。
 4人はそれぞれの方向に足を向けようとしていた。

 「みんなはどうするんだ?」
 「うちはカズのいくとこにどこまでもついていくんよ。そこが指定席やもん」
 「私は……もう少し考えますぅ。時間は無限ですからねぇ……」
 「ダンナはどうするんだ?」
 「オレは……オレの、戦士以外の力を活かせるところに行きたい」
 「そうか」
 「オレはDDの方が心配だよ。重機もない、戦士としては駆け出し中の駆け出しだからな。ほんとどうするんだこれから」

 空を見上げた。
 どこまでも澄んだ青。透き通った青。その青に藍の瞳を向ける。
 手を伸ばした。
 わずかに見える、手の届かない浮遊物。そいつを。

 「雲をつかみにでも行くさ」

 握ってみた。


 5人がそれぞれに歩みを始める。
 カズは医者に。
 弥都波はその助手として。
 セレーネは相変わらずあちこちを歩いている。
 しーなはいまだ眠りにつき。
 DDは……



    されど失うに任せえず。



 「……ありゃ?」

 記憶が途切れている。
 (寝ちゃってたんですねー……疲れてましたし)
 ベッドにいることを考えると、誰かが運んでくれたんだろう。ほっと一安心すると同時に、誰が着替えさせてくれたのかを
真剣に悩み始めた。

 「よぉ、しーな」
 「………………DD、さん?」

 DDが声をかけた。
 違う。DDはこんなに年を取っていないはずだ。

 「あ、あははーっ DDさん、ずいぶん老けちゃいましたねーっ」
 「20年近くだ。年も取るさ」
 「にぢぅねん……?」
 「やっと起こせた。ずーっと大陸回って、いろんな治し方調べて、片っ端から試してみて……いっぱしのトレジャーハンターに
なって、ようやく雲に手が届いた。おはようねぼすけ」
 「い、いたいですよーっ」
 「黙って抱かれてろ。20年ぶりなんだから」

 20年経っていた。
 現実離れした数字は、しかしDDの腕の力が示していた。
 重機に乗っていたときとは違う筋肉のつき方。数割増しの力。明らかに己の膂力を頼みに戦う男の肉の硬さ。

 「20年も、私のために……?」
 「しーなは俺のために命をかけた。なら俺は一生かけたっていい。守るって、誓ったからな」

 20年ぶりの抱擁は、しかし。

 「抱き方、不器用になってませんかーっ?」
 「20年抱かせなかった方が悪い」


 昼の時間とはいえ、医者というのはなかなか休む暇もない。
 20年の歳月はカズを穏やかな医者に変え、弥都波を看護婦にした。2人が冒険者であったと信じるのは冒険話を
聞きたがる子供たちだけ。

 「カズーお客さんやよー?」
 「悪い、ちょっと待たせててくれ」
 「いいん? 珍しいお客さんなんやけど」
 「あと5分。いや3分」

 診察室にはもう人はいない。それでも書類をまとめないことには一息つけようもない。段取りを整えないと駄目になる
実体験から生まれた教訓だ。
 来客はそんな様子を無視して診察室へ入る。
 不意に殴りかかられた。
 ペンを放り投げ、座った姿勢から拳をはじく。立ち上がって追撃。小気味よい打音はしかし殺陣のごとく当たりはしない。
 数度拳を交え、落ちてきたペンに手を伸ばして……客に先んじられた。

 「ヒマなく机仕事してっからそこまでなまるんだぜ、ダンナよー」

 昔から変わらない白一色の上下一そろいに20年分の風格を加えたDDが、カズの眼前でペンをちらつかせてにやりと笑っていた。

 「てめっ、DD。何年ぶりだよお前!」

 改めてカズはDDに拳を向けた。
 本気ではない、挨拶代わりのゲンコツを受け止めてDDはペンを机に戻した。

 「5年かな。金なかったからここに治療費たかりに来たのが最後のはず」
 「もっとマメに顔出せってんだ、トレジャーハンターなんて山師をやめてな。もっと他に道はあるだろ?」
 「不器用なんだよ俺は」
 「あははーっ、相変わらずですねー」

 DDの影から顔と口を出したのは。

 「……しーな!?」

 20年ぶりの来客だ。DDがトレジャーハンターになったことは知っていても、しーなが目覚めたなんて話はまだ聞いていない。

 「な、珍しいやろ?」
 「ご無沙汰してますー……リーダーも年とりましたねー、弥都波さんと違って」
 「余計なお世話だ」
 「しーなさんだって変わっとらへんやんー。で、セレーネさんとこには?」
 「もう顔出してきた。驚いてたよ」
 「オレだって驚くさ。で、用件はそれだけか?」

 とたんに饒舌だったDDの口が止まる。明らかに視線を逸らしながら口篭もる。

 「あー、いやー、そのなー、んー」

 しーなはDDのわき腹をひじでつつく。

 「まー、その、なんだ、あー」

 しーなが困ったような顔をし、弥都波はすべて了承済みの顔をしーなに向けた。
 わからないのはカズと、それを知られてないと思っているDDばかり。
 ふぅ、とひとつため息をついてしーなが続けた。

 「今まで不義理してきたことを謝りたいんですよね? 素直じゃないですよねー、DDは」
 「……『は』!?」

 カズが驚きに目を丸くし、弥都波と向き合う。

 「いましーな、でぃーでぃーって……」
 「言うたねぇ」

 はっきりと言った。敬称略で。
 カズはすでに意味を取り違えるほどのガキではなかった。

 「あは、はははははは。こいつは一本取られたよ。まさかこんな隠し球でくるとはな、まいったよ。そうかDDか。そうか」
 「そういうことなんですよーっ」

 怒りと照れを同時に浮かべるという器用なことを一つの顔で実現したDDは、それをどこに向けていいかわからず
誰もいないほうに向けることにした。それでも赤い耳がよくわかるほどだ。
 しーなは相変わらずにこにことしている。

 「照れなくていいんですよー?」
 「……うるせぇ」

 それは20年前からカズも弥都波も見たかった光景だ。戦いが終わり幸せに生きるその日が、みんなの願いだったはずだ。
 この笑顔と会話を取り戻すために20年かかった。
 今日がその待ち望んだ日なのだ。

 「わかった。祝儀だ、今までの不義理と貸しは全部チャラにしといてやる。でもな」

 カズはやさしくDDの肩を叩く。

 「今からこんなで、この先大丈夫か?」
 「うるせー黙ってろ!」


 20年ぶりに出会った歯車は、それでもあるべきところに落ち着いて噛み合う。


    時がもう一度動き出した。


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