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『夢の続き…… −AFTER JUNE BRIDE−』

前書き
これはちひろさんの『ジューンブライド』を元にした3次創作です。
『ジューンブライド』の雰囲気を大切にしたい方は読まない事をお勧めします。
























『夢の続き…… −AFTER JUNE BRIDE−』

第1章 最悪の選択

新婚旅行から帰ると家の前に志保の車が止まっていた。
「お帰り、ヒロ、旅行は楽しかった?」
まったく感情がこもっていない声で志保は話しかけてきた。
「ああ、最高だったよ。ところで、どうしたんだ? 今頃はアメリ
カじゃなかったのか?」
「緊急事態が起きてね、仕事はすべてキャンセルしたの」
相変わらず志保は無表情のままそう言った。
「緊急事態?」
志保はちらりと妻の方を見て小声でささやいた。
「あなたにも関係があることなの。でもここでは話せないわ、ちょ
っとつきあってくれる?」
「今からか? こっちはくたくたなんだ。明日じゃダメか?」
「緊急事態って言ったでしょう。引きずってでもつれていくわよ」
志保そう言って再び妻に視線をなげた。
妻に聞かれたく無い話のなのか? 
俺は妻に先に家に入っているように伝えると志保に問いただした。
「だから何があったんだ? ちゃんと説明しろよ」
いままで無表情だった志保の顔にようやく表情が現れた。
いまにも泣き出しそうな悲しい表情を浮かべて俺を促した。
「……お願い、一緒に来て」
志保は俺を引っ張るように車までつれてくると、一通の封筒を手渡
した。
それには見慣れた字で「藤田浩之様」と書かれていた。
封を切ると、そこにはただこう書かれていた。

  浩之ちゃん、結婚おめでとう。いつまでもお幸せに
                      あかり

「おい、これが緊急事態か?」
俺はそう言って志保にその手紙を見せた。
「あの子らしいわね……でも、これがなんだかわからないの?」
志保はそれを読むとそう言って俺を睨んだ。
「ああ、わからん。いったい何なんだ?」
そう言ったとたん志保の平手打ちがとんできた。
「あんたがこれほど馬鹿だとは思わなかったわ。いいわ、ホントは
こっちは見せたくなかったんだけど。これを読めば馬鹿なあんたで
も判るでしょうよ」
そう言って志保はもう一通の手紙を取り出した。
中身はバラバラに破かれた手紙を台紙に張り付けた物だった。

  浩之ちゃんへ、今頃は飛行機にのってお空の上かな?
  浩之ちゃんが奥様と新しい人生の旅へと旅立ったこの日
  私も旅立つことにしました。浩之ちゃんを忘れるために。
  ううん、忘れないためにかな?
  浩之ちゃんは私のことを強いって言ってくれたけど、私は
  そんなに強くないよ。もう、これ以上浩之ちゃんのそば
  にいて、しっかり者の幼なじみを続けていけないのもの。
  今度浩之ちゃんに会ったら、きっと泣いて縋ってしまう。
  そばに居て、愛人でも良いからそばに居させてと。
  浩之ちゃんは優しいからそんな私を見て苦しむでしょう。
  きっと私は浩之ちゃんの結婚生活を壊してしまう。
  だから、旅立つことにしました。
  夕べ夢を見たよ。浩之ちゃんと結婚して幸せな朝を迎え
  た夢。私が子供の頃から思い描いてきた通りの幸せな夢。
  目が覚めてとても悲しかった。ずっと夢見ていたかった。
    夢でもいいの、浩之ちゃんがそばにいてくれれば。
    だから夢の世界へ旅立つことにしました。
  浩之ちゃんには迷惑をかけちゃうけど、許してね。
  最後に、浩之ちゃん、結婚おめでとう。幸せになってね。

                     神岸あかり

俺は何度もその手紙を読み返した。そこに書いて有ることが理解で
きなかった。
「志、志保……あかりは……どうしたんだ」
やっとの思いで声を出したが、殆ど声になっていないようだった。
志保は無言で助手席のドアを開け俺に乗るように促した。
俺がためらわず乗り込むと志保は車を急発進させた。
「ヒロの結婚式の翌日よ。睡眠薬を飲んで手首を切ったの……」
「嘘だろ、なぁ、いつもの志保ちゃんニュースなんだろ?」
俺はそう言った。信じたくなかった。
「……あんたのせいよ、あんたがあかりを選ばなかったから。あれ
だけあかりに助けてもらったのに。あかりの気持ちを利用するだけ
利用して、要らなくなったら邪魔者扱いするから!」
志保は吐き捨てるように言った。
俺は目の前が真っ暗になった。あかりが……死んだ?
そんな馬鹿な、あいつが俺をおいていくわけがない。あいつはいつ
だって俺のそばにいて俺の世話を焼いて……
「何言ってるのよ! あんたが追いつめたのよ。あかりにはあんた
しかいなかったのに。あんたがそう望んだからあの子はずっと世話
焼きの妹を演じ続けてきたのよ。いつかきっと気がついてくれるか
らって。それなのにあんたは……」
志保の声が泣き声に変わった。
志保は車を路肩に止めると声を上げて泣き出した。
「ヒロ……ヒロ……あかりを助けてよ。あかりを助けられるのはあ
んたしかいないのよ……」
志保は泣きじゃくりながらそう言った。あかりを助ける?
「志保!志保!あかりは……生きているのか?」
「……生きてるわ。体はね……でも心が……死んじゃったのよ!」
俺は志保から詳しい話を引き出そうとしたが志保は泣きじゃくるば
かりだった。
5分ほどしてようやく落ち着いた志保が言った
「あかりに、会わせてあげる。自分のしたことの結末をその目で見
るといいわ」
それきり志保は俺が何を言っても無言だった。
車は程なくある病院の中に入っていった。

第2章 選択の結末

「ここよ……」
志保に促されドアを開けると薄暗い部屋のベッドに横たわるあかり
が居た。
あかりは俺たちが入ってきたことに気づいていないようだった。
俺はあかりに駆け寄ると覆い被さるようにして顔をのぞき込んだ。
青ざめ痩せこけた顔には無数のひっかいたような傷跡があり、右目
には眼帯が有った。
口には何かが差し込まれ取れないように固定されていた。
左腕はベッドの柵に縛り付けられ点滴を受けている。
そして手首には幾重もの包帯が巻き付けられていた。
「あかり! 俺だ。解るか?」
あかりの目は大きく開いていたが、その目には何も映っていないよ
うだった。
焦点の合っていない、月夜の湖のような瞳。
「あかり! あかり! 俺が解らないのか!」
俺はあかりの体を揺さぶった。
だがあかりは全く反応を示さなかった。
あかりを揺さぶり続ける俺の手を志保が止めた。
「ヒロ、やめて、せっかくいまは落ち着いているんだからそっとし
ておいて」
その時だった。
「うーーーーーーーーっ」
あかりがうめき声を上げた。
腹の底から絞り出すような、重苦しく、悲しい声。
頭を左右に振り全身を揺さぶり、縛り付けられた腕を振りほどこう
とする。
「あかり、落ち着いて、大丈夫よ、ね。」
志保はあかりの頭を胸に抱え込むようにして、あかりを何とか落ち
着かせようとする。
10分ほどであかりは再び死んだように静かになった。
「志保、医者はなんと言ってるんだ?」
「見ての通りよ、あたしたちがここにいることすら解らない。時々
発作的に暴れ出して自分を傷つけようとする。舌を噛もうとするの
で拘束具を付けなきゃならない。だから食事もとれず点滴でしか栄
養補給できないのよ。先生は時間をかければ正気を取り戻すかもし
れないけど自殺願望までは直せないと言ってるわ。自殺願望は病気
じゃなくて絶望から来るものだから本人が生きたいと思うようにな
らなければどうしようもないって」
俺は再びあかりに目をやった。あかりはただ天井を見上げていた。
瞬きもせず……
「ヒロ、あかりを助けられるのはあなただけなのよ」
「俺にどうしろと言うんだ……俺に何が出来る?」
「簡単な事よ、ずっとあかりのそばに居てあげて。昼も夜もそばに
いて、ただあかりを抱きしめてあげて。あなたを失ったからあかり
はこうなった。だからあなたを取り戻せればあかりは治るはずよ」
「そんな無茶な。そんなこと出来るわけがない。俺には妻が居るし
、仕事もある」
「あかりはあなたの為に全てを無くしたわ。今度はあなたの番よ。
あなたも全てを捨ててあかりの居るところまで行ってあげて」
「馬鹿なことを言うな!」
「馬鹿なことですって? あなたにはあかりの心を壊した責任があ
るのよ! あかりについていてあげるのはあんたの義務なの! あ
んたに選択権はないのよ!」

「志保、落ち着いて」
その時、雅史が入ってきてそう言った。
「浩之、僕も志保と同意見だよ。浩之にはあかりちゃんを幸せにす
る義務が有るんだ」
「おまえまで言うのか。俺に結婚したばかりの妻を捨てろと?」
「そうだよ」
「出来るわけがないだろう!」
「浩之、ここは病院だよ。大声を出すな」
「そうね、ここじゃ思い切り怒鳴れないわね。あたしの家に行きま
しょう」
志保はそう言うとあかりの所へ行き、また来るわねと言ってあかり
の頭をなでた。

第3章 残された選択肢

志保は病院の近くの一軒家を借りていた。ずっとあかりについてい
られるようにだと言った。あかりの両親がここに泊まることも多い
らしい。
「豪勢なもんだな。国際ジャーナリストって言うのはそんなに儲か
るのか?」
「とある人の厚意でね。結構安く借りられたのよ。それより話の続
きだけど」
「あいつと別れろってか? あいつは俺が居ないとダメなんだ。そ
んなことしたら今度はあいつが自殺してしまうかもしれない」
「それは違うよ浩之。あの人は浩之が居ないと駄目なんじゃない。
そばにいて支えてくれる男が居ないと駄目なだけだよ」
「同じ事じゃないか」
「違うよ、そばにいるのは浩之じゃなくても構わないって事だよ」
「何だと……」
俺は絶句した。
「たまたま彼女が辛いときに浩之がそばに居ただけなんだよ。だか
ら彼女は浩之に縋ったのさ」
雅史が淡々と語る。
「彼女は浩之を失ってもまた誰か支えてくれる人を見つけられるっ
てことさ。でもあかりちゃんはそうじゃない。あかりちゃんを支え
られるのはこの世で浩之ただ一人なんだ」
「…………」
俺は何も言い返せなかった。確かにその通りかもしれない。でもい
まはあいつは俺を愛してくれているし俺もあいつを……
「あかりはそんなに弱い奴じゃない、あかりだってきっと……」
「15年よヒロ……」
志保が口を挟む。
「15年間、あかりはあなたのことだけを見つめて、あなたのこと
だけを考えて生きてきたのよ? 今更他の誰かが入り込む余地はあ
かりの中にはないのよ……」
「そうだよ、あかりちゃんは浩之のためだけに存在していたような
ものだ。存在理由が無くなったら生きてはいけない。違うか?」
雅史が語気を強めていった。
「だから? だから何だと言うんだ? 愛されたら愛し返さねばな
らないのか?」
「ヒロ……あんたはあかりを愛してないの? あんたにとってあか
りってなんだったの? あんたの中ではあかりはそんなに軽い存在
だったの?」
志保が語尾をふるわせてつぶやいた。
「俺はあかりを……」
愛していると言いかけて俺は口ごもった。俺のあかりへの愛は兄妹
愛のような物だと俺は思っていた。だが、病気の妹を見捨てる兄な
ど居ない……
俺が黙り込んでしまうと志保が立ち上がった。
テレビを付けビデオをセットする。
「いいものを見せて上げるわ。あなたの奥さんがあかりに何をした
のか、よく見るといいわ」
それは彼女の友人たちへのインタビューだった。彼女からあかりと
俺との間を邪魔するように頼まれたこと、結婚式のスピーチも彼女
の意向で取りやめにしたこと、2次会であかりを俺に近づかせない
ように頼まれたこと……
画面の女の子たちは皆おどおどしてたどたどしく話していた。中に
は泣き出す子も居た。あかりが自殺未遂を起こした事への罪悪感な
のだろうか。それとも話しを引き出すために志保が何かしたのだろ
うか?
「どう? あなたの奥さんは、か弱い女のふりをして結構したたか
だって事、解ったかしら?」
志保はビデオを止めるとそう言った。
俺は困惑していた。あの儚げな彼女が俺とあかりの仲を裂こうと裏
でこんな事をしていたなんて……
「もう一つあるの……これはあなたの友人達からのメッセージよ」
ビデオの再生を再開すると、そこには来栖川姉妹が写っていた。
「浩之、とんだことになったわね。でも、自業自得よ。姉さんがあ
れだけ忠告したのに、聞かずにあの女と結婚するから。私も姉さん
もあなたには愛想が尽きたわ。もしあかりを見捨てたら私たちはあ
なたを許さないわよ。来栖川の全力を使ってでもあなたを潰すわ。
あなただけじゃない。あなたとあの女の一族郎党すべてが路頭に迷
うことになるわ。来栖川の力を見くびらない事ね、これは最後通告
よ」
綾香がゆっくりと静かに語っていた。芹香先輩はその横でいつもの
無表情な顔でこちらを見ていた。どこか悲しげな顔だった。
「……浩之さん。いつか私が占ったとおりの結果になりましたね」
芹香先輩が綾香に変わってマイクを握った。
「いまも占いの結果に違いはありません。あなたと彼女の結婚は間
違いだったのです。このまま行けば4人の命が失われます。いまな
ら間に合います。あかりさんを助けてください。そうすればみんな
が幸せになれます。あなたの奥さんにも別の出会いが用意されてい
るのです。これは運命です」
「ひ、ひろゆきさ〜ん。ぐすっ、あかりさんを助けてください〜。
ううぅ、私でお役に立てることなら何でもしますからぁ、ひっく」
マルチがべそをかきながらしどろもどろに訴える。
ビデオはまだ続いていたが俺は気になって志保に問いかけた。
「志保、芹香先輩がいってた4人の命が失われるってどういう事だ
ろう。なにか聞いてないか?」
「こうゆうことよ」
志保の手には拳銃が握られていた。
「あかりが死んだらあんたとあの女を殺してあたしも死ぬわ。もう
あたしの覚悟は決まっているのよ。あんたも覚悟を決めなさい」
志保は氷の様な声で言った。
「おい、志保、それまさか本物じゃないだろ?」
いくら何でもここは日本だ、拳銃なんぞそう簡単に手にはいるわけ
がない。
パン! 
志保が無言で引き金を引くと乾いた発射音とともにソファーに穴が
空いた。
「ごらんの通り本物よ。仕事でやばい橋を渡っているから向こうで
は必需品なの。持ち込む方法も色々あるのよ。トレーニングも欠か
してないから外さないわ」
志保は本気だ……俺があかりを見捨てたら本気で俺を殺すだろう。
「こういうのはどうだ? あかりが良くなるまで仕事を辞めて出来
るだけあかりのそばに居る。だが、あいつとは別れられない」
俺は妥協案を提案した。
「それで? あかりちゃんが治ったらまた手を離すのかい? 今度
はもっと悪くなるぞ」
「今回の自殺未遂だって、あかりは相当悩んだ末の結論なのよ。決
して衝動的にしたんじゃないわ。自分の存在があなたの迷惑になる
から、だから自分を消してしまおうと思ったのよ。自分が辛いから
死を選んだんじゃない。あかりの行動基準はあなたが全てなのよ」
志保が銃口を俺に向けながら話し続ける。
「もしあかりが治っても、あかりにとって状況は自殺前と全く変わ
らないわ。もうあなたが欲しい自分を押さえきれない。でももうこ
れ以上あなたに迷惑をかけられない。もう自殺することさえ出来な
くなるわ。それであかりがどうすると思う?」
拳銃を握る志保の手が震える。
「あんたが心配しないように好きでもない男とつきあい。あんたが
心配しないように好きでもない男と結婚し、あんたを思いながら好
きでもない男に抱かれ続ける。そんな生き地獄をあかりに味あわせ
たいの?」
「いくら何でもそんなことは・・・」
俺の言葉を遮り志保が続けた。
「あたし宛の手紙に書いてあったわ、本当はそうすべきだけど、出
来なかったって。だから死を選ぶって。今度は本当にそれしか選択
肢が無くなるのよ……、ヒロ、あかりをそんな目に遭わせないで、
お願いよ」
あかり……おまえがそこまで思い詰めていたなんて……
俺のせいか……だが、俺があかりを選んだら妻はどうなる?
「いまこの場では決められん、考えさせてくれ」
「1週間あげる。その間に身辺を整理してきなさい。言っておくけ
ど逃げても無駄よ。あなたには来栖川の監視が付いてるの。雅史、
悪いけどヒロを送っていってくれない?」
「わかったよ。いこう浩之」
俺達が玄関を出る頃、志保の泣き声が聞こえてきた。
帰り道、雅史は終始無言だった。ただ別れ際にこう言った。
「浩之、浩之はあかりちゃんを愛しているんだよ。ただあんまり近
くにいすぎてそれに慣れきってしまったからその存在を感じ取れな
いだけなんだ。浩之の中のあかりちゃんを捜して見るんだね。それ
がどれだけ大きな存在かきっと解るよ」

第4章 選択

家に帰ると青ざめた顔の妻が居た。泣いていたようだ。
「どうした?」
「どこへ行っていたの?」
「……ああ、ちょっとな」
「あかりさんの所ね?」
どうやら、友人に帰国報告の電話をしてあかりが自殺未遂を起こし
たことを聞かされたらしい。
「ああ……」
俺はぶっきらぼうに答えた。
「どんな具合なの?」
「命に別状はないが……」
俺は言い淀んだ。
「良かった、きっと魔がさしたのよ……」
彼女もそれだけ言うと黙り込んでしまった。
「あなた、お食事は?」
突然彼女はそう言った。
まるでもうこの話は終わったとでも言うように。
俺は食欲なんか全くなかったが、彼女がせっかく作った料理を無駄
にするのも悪いと思い無理矢理腹に詰め込んだ。
食事の間、彼女はあれこれ話しかけていたようだが俺の耳には全く
届いていなかった。俺は適当に相づちを打って話を聞き流した。
二人とも長旅でくたくただったので早めに休むことにした。
だが、ベッドに入って彼女が寝息を立て始めても、俺は全く寝付か
れなかった。
目を閉じるとあかりの顔が浮かんできた。焦点の合わない、月夜の
湖のような瞳でこの世界ではないどこかを見つめているあかり。
その視線の先には、あかりだけを見つめ返す俺が居るのかもしれな
い。
俺はそっと起き出すと表に出た。梅雨の晴れ間にきれいな星空が広
がっていた。
どうしたらいいんだろう。確かにあかりを助けられるのは俺だけか
もしれない。
だがあかりを助けるために彼女を捨てることが俺に出来るのか? 
そんなことをしたら今度は彼女が壊れてしまうのではないか?
そもそも、俺はあかりを助けたいのか?
あかり失ったら俺はどうなるんだろう。
誰か教えてくれよ、なぁ、あかり、俺はどうしたらいい?

気がつくと公園にいた。昔よくあかりと遊んだ思い出の公園だ。
俺はベンチに腰掛けあかりのことを考え続けた。

思い出の中のあかりはいつも笑っていた。ただ、その笑顔はいつも
どこか寂しげだった。
違う、そんなはずはない、あかりの笑顔は、こんな寂しそうな笑顔
じゃなかった。
だが俺にはあかりの本当の笑顔が思い出せなかった。
きっと、その寂しさはいつもあかりの中にあったのだろう。
決して表面には出さなかったけれど。
俺はそれを無意識のうちに感じ取っていたんだ。
俺に振り向いてもらえない寂しさ。
俺の望む幼なじみを演じ続けなければならなかった寂しさ。
あかりから本当の笑顔を奪ったのは他ならぬ俺自身だ。
そして寂しさに耐えかねてあかりの心はとうとう壊れてしまった。
あかりの心を壊したのは俺なのだ……
あかり、あかり、俺を助けてくれ、どうしたらいいか教えてくれ。

『浩之ちゃんがしたいようにすればいいんだよ』
不意にあかりの声が聞こえたような気がした。
俺が悩んでいるときいつもそう言ってくれたあかり。
俺が何かを決断しなければならないとき、あかりは俺の言うことを
一通り聞いたあとで、いつもそう言って俺の背中を押してくれた。
その真剣な瞳は、何があっても助けてあげる、そう語っていた。
俺はずっとそんなあかりに甘えていた。
あかりが居なければ、俺は何一つ決断できない優柔不断な人間だっ
たのだ。
だが今はあかり抜きで決断しなければならない。
あかりを選ぶか彼女を選ぶか……

もしあかりを選んだら彼女はどうなるだろう。
きっと泣いて泣いて病気になってしまうだろう。
彼女の心も壊れるだろうか?
でも、もし誰かが支えてやれば彼女は壊れずに済むかもしれない。
俺たちが出会ったとき、彼女は傷ついていた。
俺はそんな彼女の力になりたくて、いつも彼女のそばに居た。
好きだからとかじゃなく放ってはおけなかったから。
彼女が笑顔を取り戻したとき、俺はその笑顔を守りたいと思った。
俺だけが彼女の笑顔を守れるのだと思っていた。
彼女が立ち直ったとき、彼女が俺だけに甘えてくれるのが嬉しくて
、愛おしくて彼女とずっと居たいと思った。
でも、もし彼女と俺があのとき出会わなかったら彼女はどうなって
いただろうか?
おそらく、雅史の言うとおり、彼女は他の誰かに縋っていたろう。
そいつが彼女を支えてやれる男なら、彼女はやっぱり笑顔を取り戻
したはずだ。
彼女は弱い、だけど泣いて泣いて泣き明かした後に立ち直れるだけ
の強さは持ち合わせている。誰かの手が有れば。
だがあかりは……

『あかりは、強いからな』
俺が彼女との結婚を決意したとき、俺はあかりにそう言った。
あかりはそれをどんな気持ちで聞いたのだろう。
俺はあかりが芯の強い女だと思いこんでいた。
おとなしいけれどもしっかりとした自分を持っていて、傷ついても
自力で立ち上がれる。そんな女だと……
あかりは俺に甘えてきたことなど無かった。
だから俺はあかりが強い女だと勘違いしていたんだ。
あかりは知っていたんだ。
俺が甘えられるのがあかりだけだって事を。
自分まで俺に甘えてしまったら俺が甘えられる人間が居なくなって
しまうってことを。
だからずっとしっかり者の幼なじみを演じて、俺が辛いときいつも
そばに居て、さりげなく、本当にさりげなく、俺を甘えさせてくれ
たんだ。
俺自身があかりに甘えていることに気づかないようにして。
俺はあかりの何を見ていたのだろう。
あかりの強さは俺のためだ。
あかりは俺のために強くあろうとしていたのだ。
俺を助けるために……
あかりには俺しかいないのだ。
あかりの中の俺とゆう存在はあまりにも大きくて、誰もその隙間を
埋めてやれはしないのだ。
あかり……

俺はあかりがいなくなった後の世界を想像してみた。

もし、あかりを失ったら俺の心は壊れてしまうだろう。
優柔不断で何一つ自分では決断できない、そんな人間になってしま
うだろう。
そしてあかりを見殺しにした罪悪感に怯えて一生を過ごすだろう。
そんな俺に彼女を幸せに出来るわけがない。
彼女も俺の中のあかりの存在をずっと感じながら暮らさねばならな
くなる。
いや、今も既に俺の中のあかりに怯えているのか?
だから友人たちに頼んで俺からあかりを遠ざけようとしたのか。
きっとそうに違いない。だからさっきも泣いてたんだな。俺が俺の
中のあかりの存在に気づくことを怖れて。
なんだ、みんな俺にとってあかりがどうゆう存在なのか知ってたん
じゃないか。
知らなかったのは当の本人の俺だけか。
これは喜劇だ、大した喜劇だぞ……

俺の中のあかりはあまりにも大きな存在だった。
ただ、俺たちはあまりにも近くにいすぎた。
お互いが不可分になるくらいに。
だから気がつかなかったんだ。
お互いがどれほど相手を必要としているかを。
いや、あかりは気づいていたのかもしれない。
俺がどれだけあかりに依存していたのかを。
知っていたからこそ俺のために強くなろうとしていたのだ。
今度は俺の番だ。
そうとも志保、おまえの言う通り、今度は俺が強くなる番だ。
あかりのために。
今なら言える、俺はあかりを愛していると。

こんどは彼女がいなくなった世界を思い浮かべた。

もし彼女を失ったら俺はどうするだろう。
俺の心は壊れるだろうか?
多分俺は泣いてあかりに縋るだろう。
そしていつしか俺の心はあかりによって癒やされるだろう。
今までずっとそうだったように。
俺は彼女のために壊れてはやれない。
俺の中の彼女とあかり。
俺は彼女を失っても生きていける、あかりさえいれば。
彼女を愛している、それは確かだ。
だがそれ以上にあかりを愛している。
お互いがお互いに依存しすぎた、酷く歪んだ愛。
それが俺とあかりの間にある物だ。
だが、それも愛の一つの形には違いない。
それに気づいた今、俺たちはその歪みを矯正していくことが出来る
だろう。
時間は掛かるだろうが。

あかりの心は今、闇の中をさまよっている。俺を求めて。
そう、遠い昔この公園で鬼ごっこをしていたように。
俺のいたずらでみんながこっそり帰ってしまったあの日のように、
誰もいない闇の中で必死に俺を捜しているのだ。
だから、あの時のように俺が迎えにいってやらなければならない。
そうだ俺はあの時二度とあかりを傷つけないと誓ったじゃないか。
なのに俺はそれを忘れて何度もあかりを傷つけた。
今度こそ、約束するよ、あかり。
もう二度とおまえを泣かせたりはしない。

結論は初めから出ていたのだ。
俺がよく考えていれば誰も不幸になりはしなかったのだ。
東の空がうっすらと明るくなりだした頃、俺は決断した。
あかり抜きで初めての決断を。

覚悟を決めると不思議に心が軽くなった。
それと同時に強烈な眠気がおそってきた。
少し眠っておかなければならない。今日は酷い1日になるだろう。
家に戻りまだ眠っている彼女の横に潜り込んだ。
彼女の寝顔を見つめていると罪悪感で心が痛んだ。
泣きたくなった、だが俺が泣くのはルール違反だ。
俺は傷つける側なのだから。
これから彼女は不幸のどん底に落ちる。俺のせいで。
彼女を揺り起こし、愛していると言って抱きしめたかった。
だが、それをしたらもう彼女を手放せなくなる。
彼女を支えてやりたかった。しかし、俺はあかりを選んだのだ。
両者を取ることは出来ない。
芹香先輩が言っていた、彼女の運命の出会いが本当に有ればいいと
心から願った。

第5章 逃避

目が覚めるともう12時を過ぎていた。
何をしても目を覚まさなかったのよ。と彼女は笑っていた。
「大事な話がある。落ち着いて聞いて欲しい」
俺は別れ話を切り出した。

彼女の取り乱し様は言葉では表せないほどだった。
泣きわめき、捨てないでと俺にしがみつき、ついにはあたしも死ん
でやると包丁を持ち出そうとした。
夜までその繰り返しだった。
夜、彼女の両親に電話して事情を話し来てもらった。
俺は彼女の父親に散々殴られたが、俺の決心が変わらないことを知
ると諦めたようだった。
来栖川に睨まれると俺が漏らしたのが効いたのかもしれない。
彼女も彼女の両親も泣いていた。
ただ俺だけが泣くことも出来ずにそれを見つめていた。
彼女の両親は彼女を連れて家に帰ると言った。
だが彼女がここを離れることを承知しないので、仕方なく泊まって
いくことにした。
俺は、彼女と親が一緒に休めるように布団を用意すると、手紙を書
き始めた。
もう二度と会わないということ、
慰謝料は言い値で払うということ、
彼女を傷つけた事への詫び、
後生だから死ぬのだけは思いとどまって欲しいということ。
今後の連絡はすべて弁護士を通して行うこと等々、書いていて自分
の卑劣さに胸が悪くなった。
俺は手紙を書き終えるとそれを居間のテーブルに置き、逃げるよう
に家を出た。

時間は午前2時を過ぎていた。
俺は行くところもないのであかりの居る病院へ行くことにした。
財布には金があまりなかったので歩くしかなかったが、夜が明ける
頃には着くだろう。
それからはずっと一緒だ、あかり。

志保の家の前を通りかかった時、灯りがついているのが見えた。
早起きなのかそれとも徹夜で仕事をしていたのだろうか。
多分病院に行ってもまだ入れてもらえないので、志保の家で休ませ
てもらおうと思い呼び鈴を押した。

「どうしたのよこんな時間に」
疲れた顔で出てきた志保が言った。
「決めたよ志保。すべて捨ててきた」
同じように疲れた顔で俺はそう言った。
志保は一瞬びっくりした顔をしたが、すぐに泣きそうな笑顔を見せ
俺に抱きついてきた。
「ありがとう、そして、ごめんなさい」
そう言って志保は泣き出した。
「どうした志保、志保が謝るようなことは何も無いぞ。悪いのは俺
だったんだからな」
「銃で脅して無理矢理あなたにすべてを捨てさせたわ。綾香の言っ
てた、来栖川の力であなたを潰すとゆうのも、私の作ったシナリオ
なの。全部嘘よ、ごめんなさい。あたしを許してとは言わないわ。
あたしのことを気が済むまで殴って頂戴。それでも気が済まなかっ
たらあたしの体をあなたの好きにしていいわ」
志保は一気にそう言うとまた声を上げて泣き出した。
「おいおい、それじゃまるで俺が脅迫に屈して嫌々あかりを選んだ
ように聞こえるじゃないか。俺があかりを選んだのはあかりを愛し
ているからだ。世界中の誰よりもな」
「……ホントに?」
「ああ、本当だ。志保のおかげでようやく気がついた。ありがとう
、感謝するよ。だから泣きやんでくれ」
「うれしい、本当にホントなのね。これであかりは助かるわ……」
そう言って志保はまた泣き出した。
やれやれ、だいぶ神経が張りつめていたようだ。無理もないが。
それもこれも俺のせいか、俺はみんなを泣かせてばっかりだな。
「とにかく、ちょっと泣きやんでくれ。2時間も歩いてここまで来
たんでへとへとなんだ。座らせてくれよ」
「あ、ごめん。どうぞ……入って」
志保は俺をソファーに案内すると、また俺に抱きつき泣き出した。
あの気丈で、俺に弱みを見せるのが大嫌いな志保が、赤子のように
無防備に俺の胸で泣いている。こいつ、こんなに参ってたんだな。
俺は志保が泣きやむまでそっと抱きしめ背中をさすってやった。

「ところで、こんなに遅くまで何やってたんだ? おまえが起きて
てくれてこっちは助かったけど」
ようやく泣きやんだ志保に俺は聞いた。
「ちょっと仕事の後始末をしてたのよ、契約を全部破棄したんで、
ペナルティが結構大きくてね、向こうの財産を処分する手配をして
たの。それと手持ちのネタを高く買ってくれる人を捜したりね。あ
かりが良くなるまでずっとそばに居るつもりだったから」
そうか、こいつもすべてを捨ててあかりを助けようとしたんだな。
「それよりヒロ、奥さんとはきれいに別れられたの? あれから2
日しか経ってないけど」
少し落ち着いたのか、いつもの詮索好きの志保が顔を覗かせた。
「いや、あいつは絶対に別れないと言っている。ただ親御さんには
納得してもらった、つーか、やっぱりこんな男には娘はやれんと言
われてしこたまぶん殴られたけどな。らちがあかないんで説得は親
御さんに任せて来た。とにかく話し合って納得させられるような話
じゃないから、あいつとはもう二度と会わない事にして逃げ出して
きたんだ」
俺はそう言って首をすくめた。
「問題は仕事だな。まだこっちは話をしてないんだ。さすがに今の
職場には居られないから辞めるしかないんだが、辞めてしまったら
その日から生活に困りそうだ。何しろ結婚式と新婚旅行で貯金の大
部分をはたいちまったから」
「後始末は私たちに任せて、彼女にはそれなりの償いをするし、あ
なたの生活費くらい私と雅史で何とかするわよ。それに芹香さんた
ちもヒロがあかりを選んでくれたら後のことは全部面倒を見るって
言ってくれてるし」
「しかし、そこまで甘えるわけには……」
「いいの、とにかくヒロはずっとあかりのそばにいて欲しいの。あ
たし達があかりの為に出来ることはそれくらいしかないんだから」
「わかった、お言葉に甘えさせてもらうよ」
俺がそう言うと志保はほっと息をついた。
「もう明るくなって来たけど少し寝ましょうか。さすがに眠いわ。
客間も有るけど、何なら一緒に寝る?」
志保はそう言ってウインクした。だいぶ調子が戻ってきたようだ。
「ありがたい申し出だが遠慮させてもらうよ。後が怖いからな」
「あら、あたしのベッドで寝られる幸運な男は、そうは居ないんだ
けど?」
志保はちょっと残念そうな顔をして笑った。
翌日、志保は俺の身辺の後始末を付けると言って出かけた。
綾香に会うのだという。
俺は一人であかりの部屋に向かった。

第6章 闘病生活

俺の目の前に、あかりが横たわっている。
何も写さない瞳で、俺を通り越してどこかを見ている。
「あかり……ごめんな。俺やっと気づいたよ。おまえが好きだ。お
まえを愛してる。これからはずっと一緒だ。ずっとそばに居るよ。
だから、戻って来てくれ。あかり……」
俺はそう言ってそっとあかりの体を抱きしめた。
あかりは相変わらず天井を見つめていた。

その日から俺はずっとあかりのそばに居た。
昼はあかりとの思い出を語り、夜は同じベッドで眠った。
日に数度暴れ出すあかりを抱きしめ、髪をなでながら俺はあかりに
ささやき続けた。もう大丈夫だ、俺がついてるから、と。

そんな生活がずっと続いていた。だが、1ヶ月立ってもあかりの様
子は変わらなかった。俺は何度も、もうあかりは戻ってこないので
はないかと思い涙を流した。
一向に変化のないあかりの容態に絶望しかけていたとき、芹香先輩
と綾香が来た。
「はい、浩之。がんばってるわね。調子はどう?」
「おう、俺はがんっばてるぞ。残念ながら結果がついてこないけど
な」
「・・・・・・・・・・・・」
「え? とてもお疲れのようですね。元気の出る薬をお持ちしまし
たって? あ、先輩、とてもありがたいんだけどさ。ほら、ここ病
院だろ? あまり大ぴらにそういった物を持ち歩くのはやばいんじ
ゃないか? それに俺はまだまだ元気だぜ?」
「今日はあなたの身辺整理の経過報告に来たの。手紙でも良かった
んだけど、姉さんがあなたを励ましたいってゆうから」
「そうか、ありがとうな。先輩、それに綾香も。俺とあかりのため
に色々便宜を図ってくれてありがとう」
「早速だけど、まず、あなたと奥さんの離婚協議はまだ何も進展が
無いわ。相変わらず奥さんは絶対別れないと言ってる。奥さんはず
っとノイローゼ気味で現在カウンセリングを受けてるそうよ」
「そうか……まぁ、仕方ないな」
「奥さんは、あなたに会わない限り、何の話し合いにも応じないと
言ってるけど、どうする?」
「いや、もう会わない、会ってしまったら放っておけなくなる」
「未練があるのね?」
「当たり前だ、この人ならと思って結婚したんだからな」
「それもそうね。こういったことは時間をかけるしかないわね」
「・・・・・・・・・・・・」
「え? 大丈夫です。運命の出会いは間近に迫っていますって? 
そうか、それを聞いて安心したよ」
「次に仕事ね。あなたが新婚旅行後に職場復帰するはずだった予定
日を持ってあなたの身柄は来栖川セキュリティーサービスに出向と
ゆう形を取らせてもらったわ。現在の仕事はこの病院のこの部屋の
警護よ。一応ここは来栖川のVIPルームなんだからしっかりね。
お給料もちゃんと払うから心配することは何もないわ」
「至れり尽くせりだな。とてもありがたい話だが、首にしてもらっ
ても良かったんだぜ? 俺みたいな馬鹿な男に何でそこまでしてく
れるんだ?」
「……あなたは一番最初の大切なお友達ですから……」
「そうゆうわけよ。あなたのおかげで、姉さんにもたくさん友人が
出来て、私も感謝してるのよ。それにマルチにも泣いて頼まれたし
ね。あの子の泣き顔には私も姉さんも弱いのよ」
ううっ、人(とメイドロボ)の情けが身にしみるぜ。
こりゃ挫けるわけにはいかないな。そうだな、あかりは15年も届
かない俺の心を思い続けてくれたんだ。俺だってそれくらい、いや
それ以上思い続けてやらなくちゃな。たった1ヶ月でめげてる場合
じゃない。

2ヶ月を過ぎた頃からあかりの暴れる回数が減ってきた。
医者は悪い兆候だと言った。
暴れるのは現実を拒否しようとしているからであり、まだ現実との
接点があるからなのだと。

秋も深まってきた頃、あかりは全く暴れなくなった。
ぴくりともせずただ天井を見上げているあかりがそこにいた。
医者はもう必要がないからとあかりの拘束具を外した。
俺はあかりを抱き起こし、そのあまりの軽さにぞっとした。
すっかり肉が落ち、まるで骨と皮だけのようなあかりの体。
俺はあかりを救えなかったのか?
「あかり、一緒に逝こうか。あかりが逝くなら俺も逝くぞ。二人で
なら寂しくないだろ?」
俺はあかりの顔をのぞき込みそう言って、あかりにキスをした。
唇を離し再びあかりの顔を見つめるとあかりは涙を流していた。
それはさっきさしてやった目薬だったかもしれない。
開きっぱなしのあかりの瞳には時々目薬を差して潤してやらなけれ
ばならないからだ。
だが、俺はその涙があかりが流したものだと思いたかった。
あかりの心は確かにこの瞳の奥にあると。
逝かせるわけにはいかない、なんとしても取り戻してやる。
「あかり、そこにいるんだろ? 帰って来いよ。もう俺はおまえを
傷つけたりしないよ。俺はおまえを守りたい。おまえを守れるくら
い強くなりたい。だから帰ってきてくれ」
俺は再びあかりにキスをした。涙の味がした。

第7章 クリスマスプレゼント

12月になってもあかりに変化はなかった。
周りからは俺の方が変化している様に見えたらしい。
志保が心配そうな顔をして言った。
「ヒロ、顔色悪いわよ。少しは外に出てきたら。あんた、この半年
この病院の外に出て無いじゃない。それに最近すっかり無口になっ
ちゃって、一日中あかりを抱えてぼーっとしてるじゃない。あんた
まで病気になっちゃったらあかりはどうなるの?」
確かに最近の俺は殆どしゃべらなくなった。
あかりに対しても時々話しかけるだけで、あかりの瞳をじっとのぞ
き込んであかりの思い出を追っている事が多い。
俺も壊れてきたのかもしれない。
そういや昔何かで読んだことがある。
心が壊れてしまった恋人の所へ行くために、自ら心を壊してしまっ
た娘の話。
俺も心が壊れたらあかりの所までいけるだろうか?
……いや、それは物語の中だけの話だ。
俺まで壊れてしまったら壊れた人間が二人になるだけだ。
残された者の悲しみが2倍になるだけだ。
あかりを助けるためには俺まで壊れてしまうわけにはいかない。
志保の言うことももっともだ。長期戦は覚悟していたはずだ。
少し気分転換して気合いを入れ直そう。
「ああ、そうだな、来週はクリスマスだし。パーティーの準備でも
するか」
「……ヒロ、あなたホントに大丈夫なの? 私が話しかけてから、
たっぷり2分たってるわよ。一度カウンセリングを受けたほうがい
いわよ」
やっぱり俺は壊れかけていたようだ。
ついつい自分の中であれこれ考え事をして外部と接点を見失ってし
まう。このままじゃいけない。
「ああ、そうするよ。俺まで壊れるわけにはいかないからな。とり
あえずクリスマスパーティーだ」
「OKOK、パーティーなら任せなさい。久しぶりの志保ちゃんon
ステージを楽しみにしててね」
「おい、ここは一応病院だぞ。かなり防音がしっかりしてるとはい
え、カラオケはまずい」
「そっか、じゃぁ、ひっそりと静かにクリスマスの雰囲気を楽しむ
ことにするかぁ」
「それがいい、じゃ、あかりについててくれるか? ちょっと街を
ぶらついてくるよ」
「わかったわ、ゆっくり楽しんできてね」
俺は久しぶりに自分の街に帰り商店街を歩いていた。
あかりへのクリスマスプレゼントを買うためだ。
ショーウィンドウを覗きながら何が良いか俺は悩んでしまった。
今のあかりには服や靴などを送ってもしょうがない。
アクセサリーにしようか、それともくまのぬいぐるみでも買おうか
、などと考えながら歩いていると一件の店の前で足が止まった。
ここは芹香先輩御用達のオカルトグッズの店だ。
以前先輩に、この店の幸運のお守りは効き目があると聞いたことが
ある。その時はお守りになど興味はなかったが、今の俺にはどんな
些細なものでも良いから幸運が必要だった。
ちょっと中を覗いてみることにする。
妖しげな紋様の入った指輪やネックレスなどがショーケースの中に
並んでいた。
俺はその中から比較的あかりに似合いそうなシンプルなデザインの
小さな六角形の水晶柱のついた銀のネックレスを買うことにした。
結構な値段だったが、これに芹香先輩に魔法をかけてもらってより
強力な幸運のお守りにしてもらうことにしよう。

芹香先輩に連絡を取ると、準備の都合があるので3日後に来て欲し
いと言われた。
その後、志保と雅史へのプレゼントを見繕い、クリスマスツリーの
セットを買い、ケーキを予約して帰った。

3日後、来栖川邸を訪れると芹香先輩がいつもの魔法の儀式の為の
格好で出迎えてくれた。
プレゼントのネックレスを見せると先輩は言った。
「・・・・・・・・・・・・」
「え? 銀は魔を退け水晶は闇を払う。良いものを買いましたねっ
て? うーん、あかりに似合いそうなの選んだだけなんだけど」
「……この水晶に光を封じ込めます。この光があかりさんの心を照
らしてくれるはずです」
「そうか、そいつは何よりだ。先輩早速頼むよ」
こくん
先輩は頷くと部屋の灯りを消し、魔法陣の中央に置いて有る妖しげ
な色をしたロウソクに火を付けた。
「……ker……vau……dist……lit……」
先輩はネックレスをロウソクの上にかざすと呪文を唱えた。
呪文が終わるとともにロウソクの火が消え、部屋は完全な闇に包ま
れた。そのなかでネックレスの水晶が幽かに光を放っていた。
終わりました。と先輩は言い。部屋の灯りをつけた。
「……首にかける前に、水晶をあかりさんの瞳に映してください」
先輩はそう言って俺にネックレスを手渡した。
俺は先輩に丁寧に礼を言いその場を辞そうとした。
しかし先輩は、マルチが会いたがっているので会っていって欲しい
と言った。

「ひろゆきさんっ! お久しぶりですぅ。お元気でしたか?」
「よお、マルチ、おまえも元気そうだな」
「はい! 私はいつも元気ですぅ。ところであかりさんの具合はど
うでしょうか……」
「ああ、相変わらずだ。でも大丈夫だ。あかりは絶対良くなる」
「そうですか〜。でも浩之さんが付いてるなら、あかりさん絶対に
良くなりますよ。あかりさんに早く良くなってまたお料理を教えて
くださいとマルチが言っていたと伝えてもらえますか?」
「ああ、伝えておくよ」
「ホントは直接お会いしてお伝えしたかったんですけど……」
マルチはそう言って芹香先輩の方をちらっと見た。
芹香先輩はふるふると首を振っていた。
確かにマルチが今のあかりを見たらものすごいショックを受けるに
違いない。それはマルチの心に悪い影響を及ぼすかもしれない。
「なぁ、マルチ。あかりは今の自分の姿をあまり友達には見られた
くないと思うぜ。だから、もう少し良くなるまでここであかりの健
康を祈っててくれよ」
「はい! わかりました! 今も芹香さんに教わったお祈りをしな
がらお掃除してるんですよ」
「そうか、ありがとうなマルチ」
俺はそう言ってマルチの頭を撫でた。
誰も彼もがあかりの回復を祈っている。
大丈夫だ。絶対あかりは戻ってくる。
俺はそう確信し、来栖川邸を後にした。

第8章 クリスマスイブの夜

24日は朝から大雪だった。俺はツリーを組み立てるとケーキを受
け取りに街へ出ようとした。しかし交通機関は軒並み停止状態で諦
めて病院の売店でショートケーキを買った。料理と酒は志保が持っ
てくると言ってたので、俺はやることもなく病室の窓からあかりと
二人で街を埋め尽くす雪を見ていた。
「きれいだな、あかり。何もかもが真っ白で全ての汚れた物を消し
去ってしまうようだ。あんな風に俺とおまえの心にある闇も消し去
ってしまえたらいいのに」
おれは、あかりに言い聞かせるでもなく独り言のように言った。
あかりの瞳は降りしきる雪の向こう側を見ているようだった。

パーティーは7時からの予定だったが、雅史が雪で身動きがとれな
いと言って欠席を伝えてきた。
俺は歩いてでも来いと言ってやったが、この雪の中を歩いてくるの
は無理だろうとは判っていた。
志保は5時にやってきた。
スーパーで買ったパーティー用の盛り合わせ料理と、超高級品のワ
インの取り合わせが何とも言えず志保らしい。
「なんだ、おまえの手料理じゃないのか」
俺は言ってやったが志保はすまし顔で言った。
「料理を用意するとは言ったけど、私が料理するなんて言ってない
わよ。それに料理はあかりの仕事だったからパーティー用の料理な
んて出来ないのよ」
とりあえずメンバーがそろったので、ランプに火を付け部屋の灯り
を落とし、ワインで乾杯をした。
「「メリークリスマス!」」
俺と志保はそう言って乾杯しワインを飲み干した。
「メリークリスマス。あかり」
俺はそう言ってあかりの口に湿らせる程度にワインを含ませた。
あかりは、流動食用のチューブが差し込んだままなので、物を食べ
させることが出来ない。
「あかり、プレゼントが有るんだ。気に入ってくれると良いけど」
俺はネックレスを取り出し。あかりの瞳の前にかざした。
「幸運のお守りだよ。芹香先輩の強力な魔法がかかってるんだ。き
れいだろ?」
俺はそう言って水晶をあかりの前で揺らした。
その瞬間、あかりの瞳が水晶の揺れを追いかけるように動いたよう
な気がした。だが、再び水晶を揺らしてみてもあかりの瞳は動かな
かった。俺はネックレスをあかりの首にかけた。
「うん、よく似合ってるわよ。あかり。じゃあ、あたしからはこれ
ね。やっぱり幸運のお守りなの。同じく芹香さんの魔法が掛かって
るのよ」
志保はそう言うとくまのぬいぐるみを取り出した。
俺がその昔あかりに贈った奴にそっくりの、かわいげのないぬいぐ
るみだ。
「おい、これのどこが幸運のお守りだって?」
「あかりといったらくまでしょう。それに芹香さんに聞いたらあか
りのラッキーアニマルはやっぱりくまだっていうから、これに健康
回復の魔法をかけてもらったのよ」
志保はそう言ってあかりにくまのぬいぐるみを抱かせた。
とゆうより腹の上に乗せただけだが。
しかし、芹香先輩……ラッキーアニマルっていったい……?
「でも考えることは同じよね。万策尽きてとうとう神頼みに走っち
ゃうとはあたしも落ちたもんだわ」
「先輩の魔法は神頼みより効くぜ」
「あたし初めて見たけど、逝っちゃってるわねぇ、芹香さん。あそ
こまで本格的だとは思わなかったわ」
「そんな言い方はないだろ。先輩はまじめに魔法の研究をしてるん
だからな」
「そうね、ごめんなさい。でもすごかったわよ。あのムード満点の
部屋で魔法陣の中でくまのぬいぐるみ相手に真剣に呪文唱えてるん
だから。思わずそのミスマッチに大笑いするところだったわよ。何
とか我慢したけどね。ジャーナリスト長岡志保としてはあの儀式の
写真は是非とも撮っておきたかったわ。もっとも公表したら命がな
いと思うけど」
そりゃ、天下の来栖川の次々期当主がオカルトマニアだというのは
一部では公然の秘密だけど、さすがに一般紙にその写真を流したら
来栖川の屋台骨が揺らぐからな。
俺たちはしばらくワインを飲み続け、あかりのためにクリスマスソ
ングを歌ったりした。
「そうそう、ヒロにもプレゼントがあるのよ。はいこれ」
二本目のワインも半分以上空けたとき、そういって志保は一通の封
筒を俺に手渡した。それはかつて俺の妻だった彼女が正式に俺との
離婚に同意するとゆう念書だった。
「そうか……」
おれはそうつぶやいて大きくため息を付いた。
「何深刻な顔をしてるのよ。これで晴れてあかりと一緒になれるん
じゃない」
「俺はこれ以上はないとゆうくらい彼女を傷つけたんだぞ。彼女が
離婚に同意したからと言って、手放しで喜べると思うか?」
「大丈夫よ、どうやら新しい男が出来たらしいわ」
「なに!?、本当かそれは!」
「お相手はお医者様だそうよ」
「医者か。そうやあいつはカウンセリングにかかってたな。その時
の医者か?」
「違うわ、小児科医だって。まぁ、カウンセリングに通ってた病院
の医者なのは確かだけどね。あたしの掴んだ情報だと結構ラブラブ
って感じよ。」
そうか……良かった。
俺はずっと彼女のことが心配だった。
かつて愛した、いや、今も愛している女性。
そう、俺はいまでも彼女を愛している。
俺はあの頃それこそが男女間の愛だと思っていた。
だが、今になってみればそれは違ったのだと思う。
俺は彼女を守ってやりたかった。ずっと彼女の手を引いて導いてや
りたかった。だが、俺は彼女に自分を守ってもらいたいと思ったこ
とは一度もなかった。
彼女とあかりのどちらを選ぶか悩んでいたときも、彼女に相談しよ
うとゆう気持ちが全く起こらなかった。
俺の中で彼女は保護すべき存在であり、対等のパートナーではなか
ったのだ。それはどちらかと言うと兄が妹を、いや父親が娘を思う
気持ちに近い様な気がする。
そして、俺をずっと守っていてくれた存在が、今、俺の横でベッド
に横たわっている。
俺とあかりも対等のパートナーではなかった。
俺は一方的に守られているばかりで、守られているとゆうことにさ
え気づいていなかった。
俺は早くあかりを守れる存在になりたい……。

「……ヒロ?」
俺が黙り込んでしまったのを心配してか、志保が俺の顔を覗き込ん
できた。俺は思考を彼女の相手が誰かと言うことに戻して言った。
「運命の出会いって奴かな……」
「何よそれ」
「覚えてないか? おまえが俺を脅すために作ったインチキビデオ
の中で芹香先輩が言ってた事を。彼女には別の出会いが用意されて
いる。それは運命だって」
「インチキビデオとは何よ! そりゃ確かに創作が多かったけどア
レは演出よ演出!」
「何が演出だ……って論点をずらすなぁ!」
「論点って何だっけ?」
「おまえ酔ってるな? 芹香先輩の言ってた運命の出会いだよ」
「あー、あれね。アレは私の演出じゃないよぅ。芹香さん演技が下
手なんだモン。地でやってもらったのよぉ」
志保は大分ろれつが回らなくなってきたようだ。
まぁ、ワインの2本めももうすぐ空になるからな。
俺もかなりはいってる
「綾香だって地でやってたみたいだったがな。おそらく俺があかり
を見捨てたら綾香は本気で俺を潰しにかかったと思うぜ」
「そ、そうかもね。綾香って過激だから……じゃぁ、あれは全部本
当の事じゃない。インチキなんかじゃないわよ」
しまった、そう来るか……
「でもシナリオはおまえが書いたんだろ? 綾香はそれに本気で乗
っただけだぜ」
「うぐぅ、あれはぁ、綾香の性格を読み切った上でぇ、綾香ならこ
うするってゆう事を書いただけなのぉ。それがぴったり当たったて
ことよぉ。あたしって天才?」
いかん、だいぶ出来上がってるようだ。
そろそろお開きにしないとな。
「ああ、天災かもしれんな。ところで天災さん。そろそろお開きに
しないか」
「そうね……久しぶりに楽しかったわ」
おい、目が据わってるぞ。
「……ヒロ……あかり、元に戻ると思う?」
志保は不意に真剣な顔で俺に問いかけた。
酔ってたんじゃないのか? それとも絡み酒か?
「あかりは絶対に元に戻る。この俺が言うんだから間違いない。大
丈夫だ」
「だって、もう半年よ……あたし、あなたがそばに居ればすぐにで
も良くなるとばっかり思って、無理矢理あなたの退路を断ってあか
りを選ばせたのに。このままあかりが戻らなかったら、あなた本当
に全てを無くしてしまうわ」
「おい志保。俺たちが弱気になったら終わりだぞ」
「判ってる、判ってるけど不安なの。あたしがしたことは、結局不
幸な人間を増やしただけなんじゃないかって」
「俺は不幸じゃ無いぞ」
「嘘、嘘よ、こんな生活を半年も続けていて不幸じゃないなんて」
志保の声が次第に涙声に変わった。
「なぁ、志保。俺にはあかりがいれば十分なんだ。あかりを助ける
ための生活が何故不幸だと言えるんだ?」
「でも、でも……」
「おまえが辛いのは判る。あかりはおまえの一番の親友で、何でも
相談出来るのはあかりだけだったしな」
「そうよ、あかりを失ったらと思うと不安で寂しくて怖くて、もう
気が狂いそうよ」
志保はそう言って俺に寄りかかり泣き出した。
俺は志保の肩をそっと抱いてやりながら言った。
「志保、あかりは絶対に治る。俺が治してみせる。だからそう自分
を責めるな」
「ヒロ……お願い。あたしを慰めて。今夜だけで良いの。そうした
らきっと立ち直れるから……」
「志保……」
俺は迷った。志保を慰めてやりたい。今夜の志保はどうかしてる。
寂しくて縋れる物が欲しいんだろう。だが、俺ではダメだ。
「志保、俺ではダメだ。そんなことしたら、おまえはきっとあかり
に対して負い目を持ってしまう」
「お願いよ……」
そう言って志保は俺にキスしてきた。俺は志保を傷つけないようさ
れるがままになっていた。
そのとき、何かの落ちる物音がして、キスは中断された。
辺りを見回すと、くまのぬいぐるみがベッドの下に落ちていた。
「ほらみろ。あかりが焼き餅を焼いてるぞ。この辺でやめておこう
ぜ。でないと冗談ではすまなくなるぞ」
「……そうね。あかりの前でする事じゃなかったわね。あかり、ご
めんね。別にヒロをあんたから取ろうとしたわけじゃないのよ。ち
ょっと寂しくて慰めてくれる男が欲しかっただけなの。誰でも良か
ったのよ」
志保はそう言ってくまのぬいぐるみをあかりの枕元においた。
「それじゃ、帰るわね」
志保はそう言ってふらふらと歩き出した。ちょっと足取りがおぼつ
かない。外は大雪だしこのまま返すのは危険だと感じた俺は志保の
肩に手をかけ言った。
「おい、この雪の中を帰る気か? 危ないから今夜はここに泊まっ
てけよ」
「一人になりたいのよ……」
志保はそう言って肩をふるわせる。
「だめだ、今のおまえは危なっかしくて放って置くわけにはいかな
い、泊まってけよ。おまえの望むことはしてやれないけど添い寝す
るくらいならしてやるからさ。あかりと3人で寝ようぜ」
「何いってんのよ」
志保は、しばらく俯いていたが、くるりと振り返り俺にしがみつい
てきた
「……腕枕してくれる?」
志保は上目遣いに俺を見てすねたような瞳で言った。
「ああ、してやるよ」
「……私が寝るまで髪を撫でてくれる?」
「いいとも」
「……あなたの胸で泣かせてくれる?」
「おやすいご用だ」
「じゃ、泊まってく……」
志保はそういって服を脱ぎだした。
「おい、ちょっと待て、着替えるなら外に出てるから」
「あら、志保ちゃんのナイスバディ見たくない?」
「……おまえ、酔ったふりして俺をからかってるだろう」
「今頃気が付いたの? でも遠慮しなくて良いわよ。弱気になって
あなたを困らせたお・わ・び。遠慮しないでじっくり見て」
志保はそう言うと俺の目の前でさっさと下着姿になってしまった。
ブラまで外そうとしたので俺は目のやり場に困り、あかりの替えの
パジャマを差し出すとさっさと着ろと言った。
「あら、あたしは寝るときはシャネルの5番しか着ないのよ」
「しーほー、おまえやっぱり酔ってるな? 頼むから着てくれ」
仕方ないわねぇ、と志保は言ってゆっくりとパジャマを着た。
その間俺はたっぷりと志保の豊満な乳房を鑑賞させてもらった。
見ていないと全部脱ぐと志保に脅されたからだ。
俺たちはあかりのベッドで俺を中心に右にあかり左に志保といった
形で寝ることにした。
「ごめんねあかり、ちょっとヒロを半分貸してね」
志保はそう言ってあかりの頭を撫でると俺の横に潜り込んできた。
ダブルベッドなので3人だとちょっと狭いが、なんとか寝られそう
だ。志保は俺の胸に顔を埋めると本当に泣き出した。
俺はただ、志保の頭を撫でてやる事しかできなかった。
「なぁ、志保。おまえそろそろ仕事を再開したらどうだ?」
志保が弱気になっているのは、ずっとあかりの付き添いをしていて
何も出来ない自分に無力感を感じているからだろう。本来の志保を
取り戻すには、充実した仕事をするのがいいのではないかと思い俺
はそう提案した。だが志保は答えずに俺の胸で泣き続けた。
志保が泣き疲れて眠ってしまったのを確認すると俺はあかりの方を
向き、耳元でささやいた。
「おやすみ、あかり。今日は楽しかったかい? 今後はイベントが
目白押しだぜ。忘年会に新年会、2月にはおまえの誕生日だ。早く
良くなって一緒に騒ごうぜ」
俺はそう言って空いている手であかりの頭を撫でた。

第9章 クリスマスの朝

翌朝、俺が目を覚ますと志保はまだ俺の腕で眠っていた。
体をぴったりと俺に密着させている。そろそろ朝の検温の時間だか
らこの状態はまずい。大抵は看護ロボが体温を測りに来るだけなん
だが、たまに医者が一緒に来ることがあるからな。
「おい、志保。起きろよ」
俺はそう言って志保の体を揺さぶった。
志保はうっすらと目を開けると、俺の顔をじっと見た。
しばらくそうしていたが、突然がばっと身を起こした。
「な、なんであんたが隣に寝てるのよ。さてはあたしが酔ったのを
良いことにあたしの体を弄んだんでしょう。酷いわ、ヒロ、信じて
たのに。もうあかりに合わせる顔がないわ」
「寝言は寝て言え。自分がどこにいるのか良く確認したらどうだ」
志保は俺の隣にあかりが寝ているのに気が付くと、あっと言って黙
り込んだ。
「ご、ごめん、お、思い出したわ。迷惑かけちゃったわね」
志保の顔が見る見る真っ赤に染まっていく。
どうやら夕べのストリップを思い出したらしい。
「こんな男にただで見せるなんて、志保ちゃん一生の不覚」
オーバーなアクションで天を仰ぐ志保。
「いい? アレは酔った上での事故よ。忘れるのよ」
「いいけど、まだ見えてるぜ」
はだけたパジャマの隙間から白い胸が見えていた。
志保は慌てて手で胸を隠すと、ベッドから飛び降りた。
「な、な、な、なんでボタンが外れてるの? あんた、あたしが寝
ている間に触ったんでしょう!」
本当は、窮屈だからと言って初めからボタンは留まっていなかった
んだが。
「誰が触るか。触ってくださいとお願いされれば触ってやっても良
いがな。夕べのように」
志保に言い返す隙を与えず俺は続けた。
「夕べは色々お願いされたからなぁ。全部叶えてやった俺ってなん
て親切なんだろう」
志保は真っ赤になって口をぱくぱくさせた。
どうやら有効な反撃を思いつかなかったらしい。
志保は戦術を切り替えた。
「ちょっと、着替えるんだから外に出てよ」
「何を今更、夕べはあんなに大胆だったのにな」
俺はにやりと笑ってそう言った。
「ひ、人が聞いたら誤解するような言い方は止めてよね。さっさと
出てって」
大分元気になったようだ。もう大丈夫だろう。俺は身を起こし外に
出た。

志保は着替え終わると落ち着いたようだった。
「ごめんねヒロ、昨日は醜態をさらしたわ。もう大丈夫よ」
「醜態だなんて思わない、夕べのおまえは素直で可愛かったぜ、だ
けど、おまえもそろそろ恋人作れよ。俺の胸ならいつでも貸してや
るけど、それ以上は俺には出来ないからな。夕べの調子で迫れば大
抵の男は一発で落ちると思うがな」
「あんたは落ちなかったじゃない」
志保はそう言ってすねた瞳で俺を見つめた。
「俺にはあかりが居るからな。しかし夕べは危なかったんだぜ。何
せ半年間禁欲生活を送ってるんだからな。ぬいぐるみが落ちなきゃ
危うく押し倒すところだった。もうああゆうのは勘弁してくれよ」
「……押し倒して欲しかったのに……」
志保はぽつりと言った。
「え、なんて言ったんだ。良く聞こえなかった」
実はしっかり聞こえていたのだが、わざと聞こえなかったふりをし
て聞き返した。
志保の気持ちは前から何となく判っていた。
だが俺たちはそう言った間柄になるわけにはいかないのだ。
一線を越えてしまったら、きっと俺たちの関係は壊れてしまう。
けんか友達。それが俺たちの一番良い関係なんだと思う。
「あたしの理想は高いのよ。あんたなんかお断りって言ったの」
志保も俺と同じ事を考えたのだろう。
ちょっと作り笑いをしてそう言った。
「おまえの理想って、ハンサムでスポーツマンで金持ちで優しくて
ってやつか?」
「違うわよ。顔なんかどうでもいいの。ただあたしの心をしっかり
と抱き留めてくれる強い心さえあればね。そのほかは問題じゃない
わ。だけど最近の男は軟弱なのばっかりでねぇ。これはと思った男
には彼女が居るしね」
「そうか。ま、きっと見つかるぜ。おまえはいい女だからな」
「そうよ、あたしはこんなにいい女なんだから。なのに男が出来な
いなんて世の中間違ってるわ」
「その調子だ。ところで志保。夕べも言ったんだがおまえ仕事を再
開する気はないのか?」
志保はこの半年間ほとんどつきっきりで俺とあかりの身の回りの世
話をしてくれていた。
仕事を辞められない俺やあかりの両親に代わって、甲斐甲斐しく世
話を焼いてくれた。あまりブランクが長引くとせっかく築いたコネ
クションなどを失ってしまうだろう。そうなったら一から出直しに
なる。俺たちのために志保まで全て無くすことはない。俺はそう考
え志保に仕事に戻るように言った。
「うん……実は私もそろそろ仕事しようかなって考えていたの。で
もあかりについていたい気持ちも強くて、なかなか踏ん切りがつか
ないのよ」
「おまえは、仕事で飛び回ってる方が、きっとあかりも喜ぶと思う
ぞ。このままだとおまえまでまいっちまいそうだから、俺としても
心配なんだ」
「ヒロに心配されるようじゃあたしも焼きが回ったわね。そうね、
とりあえず国内中心で少しずつ仕事しようかしら、実はいくつかオ
ファーが来てるのよ。新聞の解説委員の口なんだけどね。国際問題
に関して時々寄稿してもらいたいって言ってるの」
22才の若さでピュリッツァ賞候補に挙がったこともある志保は、
国内報道関係者にも高く評価されている。それがずっと国内でくす
ぶっているのだから、あわよくば自社へとひっきりなしにオファー
が有るのだという。
「それがいい、それなら今のところを拠点に活動できるだろうし」
「うん、そうするわ。決めた、早速活動開始よ」
志保はそう言って飛び出していった。
おいおい、朝飯も食わずに……まぁ、思い立ったら突っ走るのが志
保の良いところだしな。それで時々暴走するのが玉に瑕だが。
俺はあかりの所へ行くとあかりを抱き起こした
「おはよう、あかり。今日も雪だぞ。ごらん、もうすっかり真っ白
だ。こんなに降るのはめずらしいな」
そういって、俺はあかりにくまのぬいぐるみを抱かせた。
「昨日は、こいつが落ちて助かったよ。おまえが落としたんだろ?
ごめんな、おまえだけを愛していると言いながら、つい雰囲気に流
されそうになっちまった。相変わらず俺は優柔不断のままらしい。
泣いている女が居るとついつい何とかしたくなっちまう。それでお
まえを泣かせてきたのにな」
そう言って俺はあかりの顔をのぞき込みキスをしようとした。
「!」
あかりの顔の雰囲気がいつもと違うような気がして、俺はあかりの
顔をじっと凝視した。
いつもの、焦点のあっていない瞳、それが僅かながら俺に焦点を合
わせているような気がした。
「あかり……?」
おれはあかりの前で手を振ってみた。
あかりの瞳が僅かに手の動きに会わせて動いた。
ごく僅かだが、確かに動いた。
「あかり!」
「・・・・・・・」
あかりの唇が僅かに動いた。
声は出ていなかったが俺には確かに聞こえた。
『ひろゆきちゃん』
あかりはそう言ったのだ。
「あかり、俺だ、わかるか? あかり、俺はここに居るぞ。ずっと
おまえのそばに居るぞ。だから、もう大丈夫だ」
あかりはほんの少し微笑んだような表情を見せると、目を閉じた。
今まで開きっぱなしだった目を。
「おい、あかり、どうした。あかり!」
俺はあかりの体を揺さぶったがあかりは二度と目を開かなかった。

第10章 邂逅

急いでナースコールすると、すぐに看護ロボがやってきた。
そいつはあかりの状態をスキャンすると、当直医の緊急コールをし
た後、あかりの上にまたがり心臓マッサージを始めた。
ばたばたと医者や看護ロボが大量の機械を抱えてやってきた。
あっと言うまにあかりには大量の機械が繋がれ、看護ロボによる電
気ショックや心臓マッサージ、人工呼吸が続けられている。
俺はその光景をただ呆然と見つめていた。
……逝くな、あかり、逝かないでくれ、せっかくおまえの心が帰っ
てきたと思ったのに。俺はまだおまえに謝ってない。俺の心を伝え
ていない。寂しい心を抱いたまま逝かないでくれ。あかり……
目の前の光景がぼんやりと霞んできた。

『浩之ちゃ〜ん、起きてよぉ。遅刻しちゃうよぉ』
朝からうるさい奴だ。
あれほどちゃん付けで呼ぶなっていったのに。
『浩之ちゃんてばぁ』
だぁ、うるさい。今日こそはとっちめてやる。
時計を見ると俺は真っ青になった。
やべ、寝過ごした。
慌てて着替え。玄関へと急ぐ。
玄関のドアを開けるとあかりがいた。
『ほら、早くしないと間に合わないよ』
……あかり、おれは……不意に現実感が消失した。
……俺は高校生だったっけ?
『浩之ちゃん、どうしたの? 早くいこうよ』
あかり……俺はあかりを抱きしめた。
『ふぁ、浩之ちゃん?』
あかり、ごめんな。あかり、俺を許してくれ。あかり、逝かないで
くれ……
俺は泣き出した。
『……浩之ちゃん。ごめんね』
あかりの姿が変わった。
俺の結婚式に着てきたスーツ姿のあかりがそこにいた。
『私のせいで浩之ちゃん、みんな無くしちゃったね』
おまえのせいじゃない。みんな俺が悪いんだ。だから、逝かないで
くれ。俺はそう言いたかったが、どうやっても声が出なかった。
『ずっとついててくれたの、知ってたよ。とっても嬉しかった。私
、幸せだった。だから、今度は浩之ちゃんが幸せになってね』
あかり、俺の幸せはおまえと一緒にいることだ。だから、俺を置い
て逝かないでくれ。
俺は叫んだつもりだった。
だけどあかりには届いていないようだった。
あかりの姿がまた変わった。現在のやせ衰えた姿のあかり。
首には俺が贈ったネックレスをして、志保の贈ったくまのぬいぐる
みを抱いていた。
『もう、いかなくちゃ。プレゼントありがとう。この二つは持って
いくね』
あかり、いくな。あかり、いくな。あかり、いくな、あかり……
俺はあかりを抱きしめたまま離そうとはしなかった。
離したらあかりは逝ってしまう。
『浩之ちゃん……好きよ』
あかりはそう言うと、俺の手をするりとすり抜けた。
『あかり! 愛している! だから逝かないでくれ!』
俺は絶叫した。今度は声が出た。あかりは、一瞬きょとんとして、
そして嬉しそうに笑った。
俺が思い出せなかった。あかりの本当の笑顔だった。
あかりのネックレスの水晶が輝きだした。
あかりはその光に包まれた。
光が消えるとそこには闇しかなかった。

「あかりーーーーーーーーー!」
俺が悲鳴をあげると世界の様子がまた変わった。
病室の天井が見えている。
「気分はどうですか?」
声の方を振り返るとあかりの主治医が立っていた。
その向こうにあかりが横たわっていた。
もうあかりの周りには誰もいない。
どうやら俺は長いこと気を失っていたらしい。
俺が起きあがると、医者は言った。
「一時非常に危なかったですが現在は落ち着いています。ですが、
いつまた心臓発作が起こるかわかりません。至急ご家族の方に連絡
を取ってください」
良かった……とりあえずは最悪の事態を免れたわけだ。
俺が体験したのはただの夢だったのだろうか。
それなら良いのだが。
俺はあかりの両親、そして志保と雅史に連絡すると、あかりのそば
に寄った。
あかりは何とも言えず幸福そうな微笑みを浮かべ眠っていた。
「あかり、逝くなよ。なぁ、逝くなよ。頼むから俺を一人にしない
でくれ……」
俺はベッドにすがりついて泣き出した。

真っ先にやってきたのは志保だった。
志保が来たとき、俺はまだ泣き続けていた。
「ヒロ……、しっかりしなさいよ。あかりは大丈夫だって言ったの
はあんたでしょ? 自分の言葉には責任てものを持ちなさいよ。あ
んたが大丈夫って言ったんだからあかりは大丈夫よ、ね?」
志保は俺の後ろから抱きつきそうささやいた。
「ほら、あかりったら幸せそうな顔してるじゃない。きっと良くな
る兆候よ。ね。大丈夫よ」
俺の肩を抱く志保の手に力が入る。声が震えている。
そうだ、俺たちが弱気になったらお終いだと言ったのも俺だっけ。
自分の言葉には責任を持てか。
たまには良いこと言うじゃないか。志保。
俺は身を起こすと顔を洗ってくると言ってバスルームへ向かった。
俺は服を脱ぐと冷水のままシャワーを浴びた。
体を痛めつけることで心の痛みを消したかった。

外は雪が降り続いている。首都圏の交通網は昨日から完全に麻痺状
態だ。果たしてあかりの両親や雅史は来られるだろうか。無理に来
ようとして事故でも起こさなければいいが。俺と志保がそんな話を
しているとあかりの両親と雅史がやってきた。
来栖川から迎えのリムジンが来たらしい。雪道仕様のリムジンまで
あるとは来栖川の底力は大した物だ。
全員そろったところで、医者から状況説明があった。
それによると、体力が極限まで落ちたため心不全の発作が起こった
のだそうだ。今後も予断を許さない状況が続くという。
ただ、明るい情報もあった。反射が回復したのだ。
今までは体を触ったり瞳孔に光を当てても全く反応がなかったが、
それが回復したという。
これは非常に良い兆候で、体力が回復すれば意識が戻るかもしれな
いと言う。
俺はあかりが倒れる前の状況を医者に説明した。
医者はそれを聞いて急激に外部との接点が回復したのでショックで
心不全が起きたのかもしれないと言った。

第11章 目覚め

1週間が過ぎた、あかりは幸福そうに眠っている。
あれから心臓発作は起きていない。
医者は状態は大分良くなっていると言ってくれた。
今日は元旦だ。
あかりのお母さんが志保の家で雑煮を作って持ってきてくれた。
あかりの味そっくりの懐かしい味。
一口食べて不意に涙が溢れてきた。
俺のそんな様子を見て志保が「軟弱者が」と漏らした。
そう言う志保の目にも涙が浮かんでいた。

朝食が済むと俺たちはあかりにそれぞれ新年の挨拶をした。
「あかり、開けましておめでとう。今年もよろしくな。今年は一緒
に初詣に行けなくて残念だよ。来年は一緒にいけるといいな」
最後に俺はそう言ってあかりにキスをした。
両親の前でするのは初めてだったが、ついいつもの調子でやってし
まった。あかりの親父さんは複雑そうな顔で俺たちを見ていた。
唇を離しあかりの寝顔を見つめていると、あかりの瞳がうっすらと
開かれた。
「あかり?」
「あかりっ」
「あかりちゃん」
俺たちは口々にあかりの名を呼んだ。
あかりの瞳は今や完全に開かれていた。
あかりの瞳が周囲を見まわすように動く。
ナースコールをして、医者に来てもらった。
医者はあかりの瞳にライトを照らしたり、話しかけたり、手を握っ
てみたりした後、こういった。
「意識は完全に回復しています。私たちがここにいることも見えて
いるようです。但し、まだ自分の状態がよくわからないようです。
呼びかけても返事はしませんが手を握ると握り返してきます。後は
体力が回復すれば急速に良くなるでしょう。但し……」
と、そこで医者は一息付けて言った。
「自殺願望までは取り除かれているかどうかわかりません。自分の
置かれて居る状況を認識したとたん。再び発作的に自殺を計るかも
しれません。拘束具を付けておいた方がよいと思われます」
俺はそこで医者の言葉を遮り言った。
「あかりはもうそんなことはしない。俺がさせない。ずっと付いて
いるから拘束具は要らない」
医者は俺をしばらく見つめていたがふっと笑ってこういった。
「ま、良いでしょう。今はまだ自殺するほどの体力もないですし。
但し、舌を噛まないように口にだけは拘束具を付けます。これは病
院の規定なのであしからず」
あかりの口には再び拘束具が付けられた。痛々しい姿だったがしか
たがない。
その日から俺とあかりの新しい闘病生活が始まった。
あかりは1時間ほど目を覚ましては10時間以上眠るといったサイ
クルで生きていた。
俺は、あかりがいつ目を覚ましても寂しくないように、介護ロボを
導入した。マルチだ。
俺が介護ロボを導入したいと綾香に相談したら、どうしても自分が
行くのだと強硬に主張してやってきた。
芹香先輩は最後までマルチを心配して反対したが、マルチが自分は
大丈夫だからと言い張って泣くのでとうとう根負けしたようだ。
マルチにはあかりが目を覚ましたら俺を起こすように言ってある。
マルチが初めてあかりを見たとき、やはり相当なショックだったよ
うだ。だがマルチはブレーカーが飛ぶのを必死で耐えていた。
「あかりさんが、あかりさんが、大変なんですぅ。私が倒れてしま
ったらいけないんですぅ。私はメイドロボなんですぅ。あかりさん
のお役に立つんですぅ……うぅぅ」
泣くのも必死でこらえている。
マルチ、大人になったなぁ。お兄さんは嬉しいぞ。

第12章 失われた心

あかりはだんだんと目を覚ましている時間が多くなった。
体力も少しずつではあるが回復しているようだ。
医者はリハビリを始めても大丈夫だと判断した。
リハビリと行ってもあかりは自分から動けない。
看護ロボによって手足を強制的に屈伸させ、筋肉の衰えを少しずつ
回復させるのだ。
2月20日、あかりの誕生日を迎える頃には、あかりは4時間ほど
起きては8時間ほど眠るとゆうサイクルに変わっていた。
体の方も自力で寝返りが打てるくらいまでは回復していた。
口の拘束具も外してもらった。
だが、あかりの心は戻っていなかった。

以前の様に完全に外部との接触を断って訳ではない。
起きている間、俺の顔を嬉しそうに見つめている。
手を握れば握り返してくるし、髪を撫でればうっとりとした表情を
浮かべ目を細める。
俺がそばを離れようとすると、悲しそうな顔をして俺の手を握って
くる。俺が部屋に入ってくるとこちらを向いて微笑む。
だが、あかりには俺が誰かは判っていないようだった。
それどころか自分が誰かもわからないようだった。
俺が話しかけるとにこにこしながら聞いているが、多分言葉を理解
してはいないようだった。言葉を話すこともない。
「ハッピーバースディ あかり。誕生日おめでとう。ほらプレゼン
トだ。きれいだろ? 俺とお揃いの指輪だよ。ま、婚約指輪って程
の物でもない、安物だけど、いつも一緒にいる誓いの指輪だよ。本
物の婚約指輪はおまえの心が戻ってから正式にプロポーズした後で
な」
俺はそう言ってあかりの左手の薬指に銀の指輪を填めてやった。
あかりはにこにことそれを見つめていた。

3月の中頃、志保が再び海外での活動を開始した。
順調に体力が回復していくあかりを見て、もう大丈夫だと判断した
のだろう。あかりが記憶を取り戻したときに、自分が元通りに戻っ
ていないとあかりが悲しむから。
志保はそう言って志保の世界へと還っていった。

4月、桜の咲く頃、あかりはほぼ8時間起きては8時間眠るとゆう
サイクルにまで回復していた。
体力の方も順調に回復し、流動食を止めて普通食(但しお粥)を自
力で取れるまでになっていた。
相変わらず記憶は戻っていないが、こちらの言うことを少しは理解
するようになっていた。
返事はこくん、ふるふるの2種類だが、こちらの質問にも答えられ
るようになっていた。
もっともあまり難しい質問にはただにこにこしているだけだが。

「……それでですねぇ、私とセリオさんの試験期間が終了したとき
に、芹香さんと綾香さんが研究所に来てくれまして、えらい人に直
談判してくれたんですよ〜。私たちがただ眠ってしまうのはかわい
そうだって言ってくれたんですぅ。それで来栖川のお屋敷で働くこ
とが出来るようになったんですよ」
マルチが嬉々としてあかりに話しかける。
何度も同じ話を繰り返し繰り返し話しかける。
医者が出来るだけ話しかけるようにと言ったので、一生懸命話しか
ける。あかりが理解していないことはマルチも承知しているが、そ
れでもにこにこしながらあかりが聞いてくれているので、嬉しくて
しょうがないようだ。
「今ですかぁ、いま私は、お屋敷のお掃除班長をしてるんですぅ。
私の妹たちと一生懸命お屋敷中をお掃除してるんですぅ。来栖川の
お屋敷はとっても広いので1日掛かりなんですよ〜」
マルチの声だけ聞いていると会話しているように聞こえるが、マル
チは犬と会話していた前科があるからな。あかりの反応を適当に解
釈して会話したつもりになっているに違いない。
「セリオさんですか? セリオさんはですねぇ、綾香さんのボディ
ーガードをしてるんですよ〜。秘書も兼ねてるんですぅ。さすがは
セリオさんですぅ、それに比べて私はお掃除しか取り柄がないんで
すぅ」
相変わらずセリオにコンプレックスを持っているようだ。
なでなで、あかりがマルチの頭を撫でた。
俺が教えてやった必殺技だ。
意味が分かってやっているとは思えないが、あかりは時々マルチの
頭を撫でる。そうするとマルチも手で口元を押さえうっとりとした
表情を浮かべる。今のは絶妙のタイミングだったな。
「う、うれしいですぅ。あかりさん、早く良くなってくださいね。
またお料理教えて欲しいですぅ。あかりさんに教わったお料理はお
屋敷でも好評なんですよ〜。時々お皿を割っちゃうんであまりお料
理はさせてもらえないんですけど……」
まぁ、来栖川の屋敷で使っている皿はおそらく目の玉が飛び出るほ
どの値段なのだろうからそれも仕方あるまい。
「……浩之さんには試験運用中とっても親切にしていただいたんで
すよ〜。最終日には私のために仰げば尊しまで歌ってくださったん
ですぅ。あの日の記憶は私のメモリーに今もしっかりと焼き付いて
居るんですよ。桜の花びらが舞う中で、とっても楽しい時間を過ご
させていただいたんですぅ。ちょうど今頃の季節でした……」
そういや桜が満開だな。
あかりにも見せてやりたいが、外出許可は下りるかな。
俺は医者に外出出来るかどうか聞いた。
医者は2時間だけと病院の看護ロボをつれていくことを条件に許可
してくれた。
俺はあかりとマルチと看護ロボをつれて俺達の街の公園に行った。

「なぁ、あかり。最後におまえとお花見をしたのはいつだっけ。高
校2年だったかな? その後は結局一度もおまえとは花見が出来な
かったな」
桜吹雪の中、俺は車椅子を押しながらあかりに話しかけた。
「あの時はみんな都合が悪くて俺とおまえのふたりっきりだったっ
け。俺、あの時はおまえがいつも以上にきれいに見えて結構どきど
きしてたんだぜ?」
俺は、何とかあかりの記憶を刺激しようと、当時の心境を思い出し
ながら話しかけた。
俺の後ろではマルチが聞いているがこの際かまってはいられない。
あかりは相変わらずにこにこと俺の話を聞いていた。
「ひろゆきちゃんみーつけた」
突然女の子の声が聞こえた。かくれんぼをしているらしい。
「俺たちもあのくらいの頃、よくかくれんぼしたっけ。おまえ、覚
えてるかな。おまえが鬼の時、俺のいたずらでみんなが帰ってしま
ったのを。ごめんな、あの日、俺はおまえを二度と泣かさないと言
ったのに、それを忘れて何度も泣かしてしまった。もう一度この公
園で誓うよ。二度とおまえを傷つけたりしない」
俺はそう言ってあかりの顔をのぞき込んだ。
あかりは涙を流していた。
「あかり、どうしたんだ? 目にゴミでも入ったのか? それとも
疲れたのか? どこか痛いのか?」
俺は看護ロボにあかりの様子を調べてもらったが、特に問題はない
ようだった。
「もう戻ろうか、あかり。また来ような」
ちょっと早いが俺たちは病院に戻った。
医者に診てもらったが特に問題はないと言うことだった。

その日を境にあかりは頻繁に泣くようになった。
にこにこと俺の顔を眺めていたかと思うと突然に涙を流す。
声を上げて泣くわけではないが、その顔は非常に悲しげで俺の心に
突き刺さった。
医者は心に葛藤が生じているのではないかと言った。
本来のあかりが顔を覗かせ始めているのだと。
本来のあかり……あかりはまだ泣いているのだろうか。
俺を失った悲しみの中にいるのだろうか。
俺はあかりが泣く度に抱きしめてやりながらいった。
「なぁ、あかり。俺がついてるぞ。何も悲しいことなんか無い。だ
から泣くなよ、な。笑ってくれよ、あかり……」
あかりは、何かを訴えるような瞳で俺を見つめながら、泣き続ける
だけだった。

第13章 取り戻した心

それは、6月初めのある日のことだった。
「ひろゆきさーん、ゆうびんでーす」
マルチが俺やあかり宛の郵便物を持ってくる。
自宅に届いた物を時々まとめて持ってきてもらうのだ。
「あ、きれいな花嫁さんですぅ。どなたですかぁ?」
俺が安堵のため息とともに放り出した一枚のはがきを見つけると、
マルチはそれを手にとって羨ましそうな表情をした。
それはかつて俺の妻だった人の結婚写真だった。
そこには現在は俺と居たときよりも遙かに幸せだと書かれていた。
俺との別れは今の彼と出会うためだったのだと思っていると。
運命の出会い……俺は彼女の結婚を心から祝福した。
「あぁ、それは……」
俺が言いかけると、マルチはそのはがきを持って、あかりの所へ駆
け寄った。
「あかりさん。花嫁さんです。見てください。きれいですよぉ。」
マルチがその写真をあかりに見せると、あかりはそれを手にとって
眺めた。
あかりの顔から笑みが消え、大粒の涙がその瞳からこぼれだした。
「……ごめんね……浩之ちゃん……ごめんね……浩之ちゃん……
ごめんね……浩之ちゃん……」
「はうぅ、あかりさーん! どうしたんですか〜、泣かないでくだ
さいぃ」
「あかり!」
俺はマルチを押しのけてあかりに駆け寄った。
「あかり、どうした? 俺ががわかるか? あかり」
あかりの肩をゆさぶるとあかりは俺の顔を見つめて言った。
「浩之ちゃん、ごめんね……浩之ちゃんの幸せ、壊しちゃってごめ
んね」
「あかり、俺が判るんだな?」
あかりはこくんと頷いた。
「ほんとは、もうずっと前からわかってたの。公園の桜を見てた時
に思い出したの。でも浩之ちゃんがそばに居てくれるのが嬉しくて
、治ったとわかったらまた浩之ちゃんが離れていってしまいそうで
、ずっと判らないふりを続けていたの、ごめんね、浩之ちゃん」
あかりは声を上げて泣きながら言った。
「俺はもう、おまえのそばから離れたりしない。世界中で誰よりも
おまえが好きだ。」
俺はそう言ってあかりを抱きしめた。俺も涙が止まらなかった。
「嬉しい……嘘でも良いからずっとそう言って欲しかった。もうい
いよ、浩之ちゃん、私はもう大丈夫だから。だから浩之ちゃんは浩
之ちゃんの為に生きて。今度浩之ちゃんが結婚するときは、ちゃん
と祝福できるから……」
「おい、あかり、何を言ってるんだ? 今度俺が結婚するとしたら
おまえしか居ないぞ」
「だって……浩之ちゃん、私のことただの幼なじみとしか見て無い
じゃない……妹みたいにしか思って無いじゃない……」
あかりはそう言って、俺から視線を外した。
「……そうだよな、俺、おまえのことずっとそんな風に扱ってきた
もんな。ごめんな、あかり。だが、今は違うぞ。今はおまえを愛し
ている。一人の女性として」
「嘘……」
「嘘じゃない!」
「……やっぱり嘘よ、浩之ちゃん、優しいから、弱った私を放って
おけないだけなのよ」
そう言ってあかりは俺から体を離そうとした。
「嘘じゃない、あかり、俺が信じられないのか?」
「……浩之ちゃん……優しいから……」
あかりはそう言って泣くばかりであった。
俺はあることを思いついた。こうなったら実力行使あるのみ。
「信じてもらえないのも仕方ねーか。もう何年も俺はおまえのこと
を傷つけてきたんだもんな。だが、俺はおまえを愛している。今な
らそれを証明することが出来る」
俺がそう言うと、あかりは俺の顔を見上げ、戸惑いを顔に浮かべて
言った。
「……証明?」
「ああ、俺がおまえを愛していることを証明したい。いいか?」
あかりは俺の顔をじっと見つめている。青白い頬がうっすらと赤く
なってきた。
もしかして読まれたか? さすがは藤田浩之研究家だ。
あかりは、ふっと視線を宙に漂わせ、やがて意を決したように俺を
見つめていった。
「じゃぁ……証明して」
「ああ、証明してやる!」
俺はそう言うなりあかりの唇を奪った。
あかりは一瞬身を堅くしたが、すぐに緊張を解き俺のキスに積極的
に答えてきた。俺はあかりにキスしたままあかりをベッドに横たえ
るとあかりの胸に手を置き優しく愛撫した。
その時、部屋にけたたましい音が響きわたった。
「ぷしゅーーーーーーーっ」
その音に驚き振り返るとマルチがオーバーヒートを起こして立った
まま気絶していた。
以前なら倒れていたのだがオートバランスが改良されたらしい。
「いけねぇ、マルチが居るのを忘れてた」
「マルチちゃん、どうしちゃったの?」
「オーバーヒートさ、刺激が強すぎたんだ」
俺がそう言うとあかりは顔を赤くして俯いた。
「どうする、証明の続きをするか?」
「ううん、いいの。私、浩之ちゃんを信じてるから」
あかりはそう言ったが、まだどこか信じかねているようだった。
「そうだ、簡単な証明方法が有るぞ」
俺はそういうなりあかりの手を握り俺の股間へと導いた。
「え、きゃあ!」
俺の堅くなった物に触れると、あかりはびっくりして慌てて手を引
いた。
「ひ、ひろゆきちゃんてば。ひどいよぉ」
あかりの顔がさらに真っ赤になった。
「俺がどれだけあかりが欲いか、証明になったか?」
「……うん」

おれはそこで真顔になりあかりに言った。
「あかり、俺と結婚してくれ。俺を幸せにしてくれ。俺もおまえを
幸せにするよ。今まで泣かせた分を取り戻させてくれ」
「……私……私、バカやって、浩之ちゃんとあの人の生活メチャメ
チャにしちゃったのに。みんなにいっぱい迷惑かけて、みんなを不
幸にして……私……幸せになる資格なんて無い……」
「あかり、幸せになるのに資格なんていらねーぞ。それに、誰も不
幸になった奴なんていない。あいつも今は幸せになった。残ってる
のは俺達だけだ。もう一度言うぞ。俺と結婚して二人で幸せになろ
う。それとも、もう俺が嫌いになったか? 俺とじゃ幸せになれね
ーか?」
俺がそう言ってあかりの肩を抱くと、あかりは力強く首を振って言
った。
「ううん、私、浩之ちゃんのこと大好きだよ。私、ずっと浩之ちゃ
んのお嫁さんになりたかった。私……」
あかりは、俺にしがみつき大声で泣き出した。
「ひろゆきちゃん、ひろゆきちゃん、ひろゆきちゃん……」
「……結婚してくれるな?」
あかりは泣きながら、うんうんと何度も頷くと、顔を上げてとびき
りの笑顔を俺に見せて答えた。
「はい……」
俺は再びあかりにキスをした。
二人の涙の味がする、でも、幸せな味のキスだった。
「ぶぅーーーーーーん」
マルチの再起動音が聞こえてくる。
「はわわ〜、まだやってますぅ、す、すみませーん。私おじゃまの
ようですね、それでは失礼します。この部屋は立入禁止にしますか
らごゆっくりどうぞ〜」
マルチが思ったことを片端から口にしながら慌てて部屋を出ていこ
うとする。
「おい、待てマルチ」
俺はマルチを呼び止め、医者とみんなに連絡を取るように伝えた。
「はい! わかりました! あかりさんが治ったことを知れば、み
なさん喜びますよ! 私も嬉しいです。あかりさん!」
医者はあかりを問診した後、脳波検査、CTスキャン等を行った。
全て異常なし。あかりは完全に回復したのだ。

その後は慌ただしかった。俺とあかりが結婚することをみんなに伝
えると、大急ぎで式の準備が進められたからだ。
もっとも、みんな周りが動いてくれたので、俺とあかりは殆どする
ことがなかった。やったことと言えばあかりの衣装あわせと婚姻届
の署名捺印位の物だ。
式までの間、俺たちは、あかりが心を閉ざしていた頃の話をした。
自殺未遂の日から、クリスマスまであかりはずっと夢を見ていたの
だという。
俺と結婚して幸せな生活を送る、彼女が望んだ通りの夢を。
あの心臓発作の日、俺が見た悪夢をあかりも見ていた。
あかりはその時死を覚悟していたという。
だが、不思議な光に包まれた後、くまのぬいぐるみが身代わりとな
って死神につれて行かれたのだといった。
芹香先輩の魔法のおかげだと俺は思った。
正月に再び目覚めてからは、周りのことは全て判っていたという。
ただ、それは以前見ていた夢の続きなのだと思っていたそうだ。
俺達はこれからの事についても色々と話し合った。
自分たちがいかにお互いに依存しているか、どうしたら自立した人
間になれるのか、そんなことを話し合った。
話しながら時折あかりは涙ぐんだ。
「あかり、どうした?」
「ううん、なんでもない。ただ……あんまり幸せで、これも夢なん
じゃないかと思うと怖くて……」
「大丈夫だ、俺がついてる。これは夢じゃないぞ。夢なんかより、
もっともっと幸せにしてやる」
「うん……約束だよ、浩之ちゃん」
俺たちは何度も約束のキスをした。キスより先には進まなかった。
うっかり忘れていたが病室は看護ロボが監視カメラでモニターして
いるからだ。
証明の続きは当分出来そうもない。

終章 ジューンブライド

6月最後の日、今日は俺とあかりの結婚式だった。
あかりはずっと6月の花嫁に憧れていた。
あかりはそのために式は来年でも良いと言っていたのだが、これ以
上あかりを待たせたくなかったし、俺の方も待てなかった。
あかりはまだ支えがないと歩けなかったので、殆ど俺が抱きかかえ
るような形で式は進行していった。
家族と、親しい友人だけのささやかな式だが、あかりは終始幸せそ
うな顔をしていた。
式の後、あかりはブーケを志保に手渡していった。
「ありがとう志保、ずっと支えてくれて。今度は志保の番だよ」
「おめでとう、あかり、あんまりあいつを甘やかしちゃだめよ。あ
んたが甘やかすからあいつはつけあがって、ふらふらと他の女の尻
を追いかけたんだからね。びしっと手綱を握らなきゃだめよ」
俺は何か言ってやろうと思ったが、志保の言葉は痛いところを突い
ていたので黙っていた。
「それにしても、このあたしがまだだというのに、あんたはもう2
回目か……やっぱり世の中間違ってるわね」
志保はいたずらっぽく笑って俺にウインクした。
「もし俺があかりに愛想尽かされて一人に戻ったら、3回目はおま
えとしてやってもいいぜ」
俺もウインクを返して言った。
「いったでしょ。あんたなんかお断りよ。それにあかりがあんたに
愛想尽かすの待ってたら、おばあちゃんになっちゃうわ」
志保はそう言って笑った。
俺はずいぶんと志保に助けられた。
志保が居なかったら、今頃は俺もあかりと枕を並べて病室の天井を
眺めていたかもしれない。
早く志保にも運命の出会いがあればいい。
今度先輩に占ってもらおうか。

「おめでとう、あかりちゃん」
雅史はそう言ってあかりの頬にキスをした。
この野郎、いつのまにこんな油断のなら無い奴になったんだ。
その後、俺の頬にもキスをしようとしたので俺は避けようとした。
だが雅史は俺をがっちりと抱きしめ俺の頬にキスをするふりをして
耳元でささやいた。
「おめでとう浩之。志保のことは僕に任せとけよ。手出し無用だ」
なんだ、そうだったのか。
雅史なら志保も心を開いてるし、うまくいくかもしれない。
俺はがんばれよと言う代わりに雅史の腹をちょっと撫でてやった。
俺のあかりに勝手にキスした罰だ。
雅史はその場でうずくまってしまった。まだまだ甘いな、雅史よ。
そんなことでは志保は落とせんぞ。

みんなの万歳に送られて俺たちは新婚旅行に出発した。
あかりの体調を考えて2泊3日で隆山温泉だ。
あかりを抱きかかえてホテルの部屋まで運び、ベッドへ横たえると
俺は優しく言った
「あかり、証明の続きをするぞ」
あかりは真っ赤になって俺に体を預けてきた。
俺の証明は完璧だった。

                     HAPPY END

エピローグ 夢の続き……

あかりがベッドから出ていく気配がする。
俺の朝食を作るために、いつも俺より先に起きるあかり。
着替える衣擦れの音、くまのぬいぐるみへのおはようの挨拶。
そしてキッチンからかすかに聞こえてくる歌声。
何気ない日常の、幸せな朝のひととき。
まどろみの中で俺はあかりの発する音や声に聞き耳を立てている。
そろそろ起こしに来るはずだ、今日もいつものパターンで行くか。

「朝ごはんできたよ」
あかりが俺の肩を揺さぶる。
今だ。
バサッ
布団をはねのけあかりをベッドへ引きずり込む。
「きゃ」
そのままおはようのキス。
「おはよう、あかり」
「もう、浩之ちゃんたら……おはよう、浩之ちゃん」
あかりもキスを返してくる。
「おい? 泣くなよ。そんなにびっくりしたのか?」
あかりは突然大粒の涙をこぼした。
「ううん、いつか、これとそっくりの夢を見たのを思い出したの。
これも……夢なのかな」
あかりはそう言って俺にしがみついてきた。体が震えている。
まだあかりの心の痕は完全には癒やされていないのか。
「夢じゃねーぞ。約束したろ。夢より幸せにするって」
「うん……」
もう一度あかりにキスをして、強く抱きしめる。
あかりはじっと左手の手首の傷跡を見つめている。
「……うん、大丈夫だよ浩之ちゃん。今が幸せすぎて、ちょっと不
安になっただけなの。さ、御味噌汁さめちゃうからごはんにしよ」
あかりは涙を拭って極上の笑顔を俺に向けた。この笑顔を守るため
なら俺は何だって出来る。
「よし、あかりの作ってくれたうまい飯を食べて今日も1日がんば
るか」
「うん、がんばってね、パパ」
「そ、その呼び方は止めろって。生まれるのまだ半年も先じゃねー
か」
「だって、今から慣れておかないと。子供の前で浩之ちゃんて呼ん
じゃうかも……」
「うっ、わ、わかった。さすがにそれはまずいからな」
もはや浩之ちゃんと呼ばれることに慣れきってしまった俺は、それ
ならそれで良いと思っているのだが。
妊娠が判ったとき、あかりは親になる心構えを作るため、これから
は俺のことをパパと呼ぶ事を宣言した。が……
「じゃ、早く着替えてね、浩之ちゃん……じゃない、パパ」
ま、20年以上ずっと浩之ちゃんで通してきたんだから、そう簡単
には直らねーよな。
「ああ、すぐに行くよ、ママ」
あかりは真っ赤になって小走りに去っていった。
やれやれ、お互いこの呼び方に慣れる日が来るのはいつの事やら。













あとがき(言い訳とも言う)

ちひろさんの「ジューンブライド」を読んで作中のあかりちゃんが
あまりにもかわいそうなので何とか救ってやりたいと思って書いた
お話です。
ハッピーエンド至上主義者の私には、このお話、耐えられませんで
した。どうしたらあかりを救えるのか、数日間仕事中もずっと考え
続けていました。
「ジューンブライド」後のあかりにはあまり選択肢が残されていな
い様に感じました。
浩之を思いながらずっと一人で生きていくか、それに耐えられず死
を選ぶか、どちらかしかないように私は感じました。
浩之を諦め、別の男性を好きになることは、あかりには無理なので
はないか、そう考えて書いたのがこの話です。
本当はもっともっと浩之に苦しんでもらうつもりだったのですが、
長い割には人生経験の薄い私には本当の苦悩など書けませんでした
(^^;。
「ジューンブライド」の浩之の勝ってな言いぐさには、私、殺意を
覚えましたから(^^;。
徹底的に苦しませてやりたかったんですが……
わりとあっさり、あかりを選ばせてしまいましたが、やっぱり浩之
は、傷ついて助けを求めている女の子は放っておけないと思うんで
すよ。それがあかりとなれば尚更です。
だもんで、そうゆう状況を設定してみました。

このお話は私が初めて書いたSSです。思いついたことをみんなぶ
ち込んだのでだらだらと長くなってしまいました。全編なんらかの
パクリです(^^;
意識してやったわけではないのですが、書いてて「あれ、これどっ
かで読んだような・・・」とゆう箇所が随所にあります(^^;
自信を持ってオリジナルだと言えるところはありません(^^;
殆ど無意識にパクって居る可能性もあるので、『これは俺のSSの
パクリじゃねーか』と思われた方は下記まで抗議のメールをお寄せ
ください(^^;。

本当は浩之があかりと妻のどちらを選ぶかの苦悩をメインにして、
闘病生活などはさらっと流すつもりだったんですが、あかりがなか
なか起きてくれなくて(^^;
志保ちゃんは暴走してくれるし……
あかりちゃん救済SSなのにあかりの台詞が殆どない(^^;のも悔や
まれる所です。
それにしてもこの浩之はなんにもしてないですね。

ともあれ、ちひろさんには「ジューンブライド」の切なく悲しい雰
囲気をこのお話でぶち壊しにしてしまったことをお詫びします。
そしてSSを書く楽しさに目覚めさせてくれたことを感謝いたしま
す。



                    99/10/10  ルシリス
                  lucilis@da2.so-net.ne.jp
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ちひろです。

 ・・・と言うわけで、ルシリスさんより「ジューンブライドのあかりちゃん
救済SS」を頂きました。
 「ジューンブライド」のその後をルシリスさんなりに考えて書いて下さった
そうです。
 「ジューンブライド」はその後を皆さんの想像にお任せするつもりで
書いたので、こういう展開も選択肢の一つとしてありえるんじゃないかなあと
思いました。
 一気に読ませる勢いを感じるお話しですね。初めて書いたとは思えないです。
 ご感想などありましたら、ぜひルシリスさんまでお願いしますね。
 
 
 ルシリスさん、ありがとうございましたm(__)m

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