とくべつなかいもの
 
 
 
「それじゃ、行ってきますね」
「おう、気をつけてな」

4月のある日
日差しをまぶしく感じるようになった そんな日

暇になったお店をマスターにお任せして
街に買い物に出かけました

いつもの橋を渡って いつもの交差点を曲がると
向こうに商店街の街並みが見えてきます

外れにある駐車場に車を止めて
お買い物袋片手に歩き出します

いつもなら最短ルートを効率よく回るのですが
今日はちょっと特別

お店の軒先をのぞきながらゆっくりとお買い物です
こう言うのもたまにはいいですね。

あ、このブラウスかわいい
あ、この小物。お店に置いたら映えるかも
そろそろ新しい苗を植えようかな?
このジャケット。マスターに似合いそう…

……しばらく歩き回って
買い物袋の中にはあらかじめ買うつもりだったものがそろっています

でも まだ買っていないものがひとつ
今日のお買い物のメインの品 わざわざ店先をのぞく理由

お店をのぞいて回った中にはよさそうなものもいくつかありました
でも いまいち決め手に欠けるような そんな感じ

もう商店街の先の方まで歩いてきたのに
まだ決まりません


……とうとう商店街の外れまで来てしまいました
もうこの先にはお店やさんはありません

……少し考えてから行きつけの刃物屋さんに顔を出すことにしました
商店街の外れの 来ると必ず立ち寄るお店です

お店の前まできたところでショーケースに飾られているものに気づきました
――あれは

「……」
「あれ?椎那ちゃんじゃないかい。どうしたよ?そんなところに突っ立って」

刃物屋さんのご主人に声をかけられるまで
どうやら表のショーケースに見入っていたようです

「え、あ、こんにちは」
「はい、こんにちは。なにボーっとしてたんだい? 珍しいね」

刃物屋のご主人 マスターのお父様の代からおつき合いのある方
そのご主人が不思議そうな顔をしています

「あの… きれいですね」
ショーケースの中をのぞき込みながら ご主人にそう答えます

「ああ、真ん中のこいつかい?」
「いえ、それではなくて、その横の日本剃刀です」

ショーケースの中央には逸品と見られる包丁が一振り
ものの良さなりの値段が付いています

でも、わたしが見入ってしまったのはその横の剃刀
値札もなく隅っこに置かれているけど とても輝いて見えます

「とてもきれいですよね。なんだか全体が輝いているようで」
「椎那ちゃんいい目してるね。これはここ最近じゃ掘り出し物の一つさ」

「お人形が二人並んだマーク… ゾーリンゲンですか?」
「ああ、確か椎那ちゃんところにも…」

「はい、鋏が一丁あったと思います」
「大事にしなよ。あれは手入れさえすればずっと長持ちするものだから」

ゾーリンゲン ”刃物と言えばこれ”とまで言われる海外の逸品
わたしもお店にある鋏でしか知らないブランド…

「でも、どうしてこんな隅に値札もつけずに置いてあるんですか?」
「価値のわかんないヤツには売りたかなかったからね」

「そうですか… あの、おいくらなんですか?」
「こいつをご所望かい? 椎那ちゃんが欲しがるなんて珍しいねえ」

鋏や剃刀の見立てはいつもマスターがします
わたしはマスターのお供で刃物屋さんに来るだけ

「あの、実は……」
理由を隠さずに伝えます 一緒に予算も…

「ふーん、そういうことかい。なら今持ってるお金でいいよ。持っていきな」
ご主人が顎に手を当てて ちょっと思案してからそう言いました

「え? 本当にいいんですか?」
「いいんだよ。言ったろ”価値のわかんないヤツには売りたかない”って」

「はい…」
「価値をわかってくれる人が来たんだ。こいつも喜ぶよ」

そう言ってご主人はわたしに丁寧に包まれた剃刀を渡してくれました
「ありがとうございます」

お店の鋏と一緒のゾーリンゲンの剃刀
「なけなしの小遣いはたいたんだから、大事にな」

「はい」
なんだか満足そうなご主人にお礼を言って 刃物屋さんを後にします


包みをしっかり胸に抱いて 商店街の人混みをすり抜けていきます
足取りが軽く感じられるのはどうしてでしょうか?

車に戻って 急いでおうちへ
思ったよりも時間がかかってしまいました

車庫に車を入れて お店に入ります
「ただいま戻りました。遅くなってすみません」

「おかえり 何事もなかったんならいいさ」
マスターが笑って答えてくれます

「あの、これ… 開けてみてください。」
マスターに包みを手渡します

「え?」
マスター 驚いた顔

「わたしお台所に荷物置いてきます」
わたしは荷物を持ってお台所へ

片づけて戻ってくると 開いた包みを手にマスターが呆然としています
「し、椎那、これは一体!?」


「マスター お誕生日おめでとうございます!」

fin 990508






















「……しかし、よくもまあこんな逸品が手に入ったもんだ」
「ご主人に感謝しなくちゃいけないですね」

「これに目を付けた椎那にも、な」
「いえ…」

「野暮なこと聞くけど、これ結構したんだろ?」
「頂いたお小遣いを貯めていて、それを持っていったんですが、ご主人が”ならそれでいい”って……」

「…ありがとな、椎那」
「あまり儲かっていないのに、マスターがわたしにこうしてお小遣いをくださるから買えたんです」

「そっか、本当にありがとな」
「いえ。あ、そうそう、ケーキも作ってあるんです。後で食べてくださいね」

「ああ…」
「それじゃお夕飯の支度してきます」

この日はマスターの40数度目の誕生日だった

 
 
 
 
 
 
 
 
 
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