カランコロン「それじゃ行ってきますね」
買い物袋片手に椎那が出かけていった。
「おう、気をつけてな」
「はいはい、いってらっしゃい」マスターと裏のおばあちゃんが笑顔でその後ろ姿を見送っている。
ちょと前まで港町として栄えていたとある街の近くに、古びた佇まいの床屋さんがある。
そのお店には気のいいマスターとメイドロボが一人。
たまに、忘れた頃に顔を出したくなる、そんなお店だ。
後ろ姿を見送りながら裏のおばあちゃんがつぶやいた。
「いつも思うんだけどね」
「ん?」「いい子に育ったわね。あの子」
「そう?」「うん、ほんとにいい子になった」
「おばちゃんがそう言うなら、そうなのかも知れないな」ゆっくりと西に傾きはじめた太陽が周りを少しずつ茜色に染めている。
おばあちゃんの言葉に、ほっぺをぽりぽりとかきながらマスターがうなづく。「もう何年になるのかねえ。あの子が来てから」
昔を懐かしむようにおばあちゃんがお店のなんにもないはずの場所をぼんやりと見つめる。
「椎那がオレのところに来て20年。この店を手伝うようになって10年…かな?」
マスターも同じようになんにもないはずの場所を懐かしそうに見つめる。
「いろいろあったわね」
「ああ、色々あった」二人が同じ風景でも見ているように話を続ける。
「あんたの親父さんが亡くなって、あんたがこの店を継いで」
「あいつが、椎那に全部を託して逝って…」「彼女、本当にいろんなことを経験して、乗り越えて」
「少しずつ少しずつ、経験を積み重ねてきた。それが今の椎那」「それもこれも、あんたがいたからだよ。だからあの子はあんなにいい子に育った」
フッとマスターを見て、少し微笑むおばあちゃん。
「おれはなんもしてないよ。椎那をとりまく人、もの、世界、全部があいつを育ててきたんだ。オレはなんもしてないよ」
軽く首を振りそう答えるマスター。
「そう?」
「そう。ま、強いて言えば…」「強いて言えばなんだい?」
「椎那の最初のマスターの躾がよかったんだろうな」マスターがまた遠い目をする。
「あの子、あんたのとこに来る前に誰かんところにいたのかい?」
「ほんの半年、ある人のお世話をしてたんだ。その半年の間、その人は椎那を自分のほんとの孫のように思ってくれた。自分が知ってる大事なことを椎那に教えてくれた。あの人じゃなかったら、今頃椎那はこうは育ってないだろうな」その人のことを思い出すようにマスターが言葉を紡いだ。
「三つ子の魂なんとやら…っていうけど本当なんだねえ…」
ふうっと息を吐くおばあちゃん。
「あの人の教えてくれたことは、今でもオレの頭の奥に残ってるよ。きっと、椎那もそうなんだろうな」
「いい人…だったんだねえ」思い出すように言葉を探しながら話すマスターの横顔を、おばあちゃんは微笑みながら見つめた。
「ああ、いい人だった。頑固だったけど、暖かい人だった」
「そう…」「椎那は幸せなやつだよ。あいつを取り巻く人、もの、世界、みんながあいつを育ててくれるんだ。こんなことは、そうないよな」
「本当だねえ…」「椎那自身それをわかってるから、あいつは自分の周りのすべてのもの、それこそ道ばたの、名前もわかんない花にだって感謝しながら生きている… だから、あいつはあんなにもみんなから愛されてんだと思うよ」
「……」マスターとおばあちゃん、二人の間にフッとした沈黙が、決して嫌な感じのしない、何とも言えない空気が流れた。
それからしばらくして、
プロロロロ…
プオン......外から車の止まる音が聞こえてきた。
カランコロン
ドアベルの音とともにお店の扉が開いて…
「ただいま戻りました」
椎那が買い物かごを手にお店に入ってきた。
「おう、お帰り」
「しいちゃん、お帰り」二人がそれぞれに声をかける。
「……」
椎那は二人を不思議そうに眺めている。
「どうした?椎那」
「……なんだか二人ともとても優しい目をしています」問いかけるマスターの声に、椎那はそう答えた。
「そうか?」
ぽりぽりとほっぺをかくマスター
「ええ、とても優しい目です。なんのお話をしてたんですか?」
「ちょっと、昔話をね」椎那の問いかけにおばあちゃんが答えた。
「とりあえず、買ってきた荷物をしまってきたらどうだ?」
「あ、はい。それじゃ、これと、これと…」椎那が買い物かごからなにやら取り出すと、お店のテーブルの上に置いた。
「あらま、芋ようかん?」
「はい、商店街の角のお店、いつも売り切れなんですけど、今日はたまたまあったから。おばあちゃん好きでしたよね」「うん、大好き。うれしいわ」
椎那の顔を目を細めて見つめるおばあちゃん。
本当に嬉しそう。「今、お茶を煎れてきますね」
椎那はそう言うと、買い物かごと芋ようかんを持って奥に入っていった。
「わたしの好物まで覚えていてくれるんだよ。あの子はさ」
「『喜ぶ顔が見たいから』前にそんなこと言ってたっけかな…」「嬉しいわね。本当に」
また優しい目になるおばあちゃん。
「…お待たせしました。はい。お茶うまくはいってるといいんですけど…」
「ありがとね。…… うん、上出来上出来」おばあちゃんの言葉に嬉しそうに微笑む椎那。
その横顔を見ながら、マスターがようかんを口に運ぶ。「マスター、美味しいからって食べ過ぎないで下さいね」
「ああ、大丈夫だよ」穏やかで暖かい空気が部屋の中に流れていく。
カランコロン
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃい」ドアを開けて入ってきたのは10歳前後の男の子。
「あのさ、お母さんに”お姉ちゃんに髪の毛切ってもらいなさい”って言われてきたんだ」
「うん、そしたら椅子に腰掛けてもらえますか?」腰掛けた男の子の髪の毛を切り始める椎那。
「いつもと同じでいいのかな?」
男の子は「うん」とうなずくと椎那と話し始めた。
「あのさ、今日学校でね…」
「ありゃ、そうなんだ。 それで?」「……なんだ。それでさ…」
「うーん、それはあんまり感心しないですね」次から次に出てくる話の相手をしながら、椎那が慣れた手つきで髪を切っていく。
ソファに座ってそれを見つめるマスター。
目を細めて椎那と男の子のやり取りを見ているおばあちゃんが、聞こえるかどうかの声でつぶやいた。「いい子になったわね。あの子」
その言葉にマスターがうなずく。
「ああ、全くだ」
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拙作をご覧頂き、ありがとうございました。
このお話は、以前奈落に投稿したものの再録です。
椎那に対するおばあちゃんとマスターの想い、伝わったでしょうか?ご意見ご感想ありましたら、お願いします(^^)
20000114 若干手直しして再録