あのそらのかなたに
 
 
 
ある日、半島の港へ買い出しに出かけました。
お目当てはもちろん新鮮な魚。
車がうちに来てからと言うもの、今までに増して出かけることが多くなりました。

港で手に入れたお魚は、氷と一緒にして積んできたクーラーボックスの中に。
あとは帰るだけなんですが、ちょっとだけ寄り道です。
半島のとある岬へと、車を走らせます。
ちょうど、お店に向かって90度別の方向。
そこには港に買い出しに来る度に立ち寄る、小さな喫茶店があるのです。

車は舗装が痛んでしまった細い小道を走っていきます。
もちろんわたしには食べ物をエネルギーに変える機能がありませんから、
その喫茶店の名物のコーヒーを飲みに行くわけではないのです。
なぜ毎回わたしがここに立ち寄るのか、その理由(わけ)は…


プルルルルルン

お店の前に車を止めて、外で大きく伸びをします。
岬の先に一軒だけ建っているこの建物が、お目当ての喫茶店。
あ、音を聞きつけて誰かが出てきました。

カランコロン

誰かではないですね。
誰だかわかっているのですから。

「ありゃ、しいなちゃん やふ〜」

声の主−この喫茶店のマスターがこちらに向かって手を振っています。

「スフィアさん、また来ちゃいました」

わたしも彼女に向かって大きく手を振ります。

「うにゃうにゃ、大歓迎よ。さ、はいってはいって」

スフィアさん、今まで以上に大きく手を振ります。

「はい、いま行きます」

ちょっと苦笑して、彼女の立っているお店の入り口へと歩き出します。
わたしは彼女−このお店のマスターのスフィアさんに会いに来たのです。
パッと見、わたし以上に自然な振る舞いをする彼女は、わたしとは別の
メーカーのメイドロボット。
以前、マスターとこの辺に遊びに来て、偶然この喫茶店を見つけて以来、
買い出しに来る度にこのお店によって、彼女とお話をするのがおきまりになりました。

「今日はなんにするん?」

とメニューを広げながらスフィアさんがわたしに問いかけます。

「えーっと…」

初めてメニューを出されたときは、
素直に「わたしはロボットだから飲めないんです」と答えたのですが、
スフィアさんに「味はわかるでしょ? こういうのは雰囲気が大事だよ」
と言われて、その時の気分で飲み物を頼むことにしています。

「それじゃ今日はペコを頂けますか?」

ちょっと考えてそう答えます。

「ちょっと待っててね」

スフィアさんはそう言うと、カウンターの向こうで紅茶を煎れ始めました。
コポコポと音を立てて、ポットにお湯が吸い込まれていきます。

「お待たせお待たせ」

カップを3つトレイにのせた彼女が、カウンターの向こうからやってきました。
ひとつはわたしの分、もうひとつは彼女の分、はて最後の一つは誰のものでしょう?

「スフィアさん 一つ多くないですか?」

浮かんだ疑問をスフィアさんにぶつけてみます。

「ああ、これは外にいるあの人の分だよ。これからご一緒しようかと思って」

そう笑ってから、彼女はわたしについてくるように言って、
トレイを持ったまま外の…テラスへと出ていきました。
わたしも後を追って外に出ます。

ふわっ

海から吹く風がわたしの髪をなびかせていきます。

ここのお店にはもう何度も足を運んだけれど テラスに出るのは実は初めて。
目の前には、海原と大空がわたしたちを圧倒するように広がっています。
テラスには日差しを避けるようにパラソルが一つ その横に丸テーブルと椅子。
その椅子の1つに海を見つめる人影−かなりお年を召したような−がありました。
スフィアさんが言うには、その人は決まってこの時期になるとやってきて、
テラスで日がな一日外を眺めていくのだそうです。

「あのー ご一緒してもいいですか?」

人影に近づいたスフィアさんが、遠慮がちにそう声をかけます。

「ええ、よろこんで」

椅子に座ったままその人がそう答えます。
あれ? この声は… でもそんなはずは…

「あ、これサービス。で、今日はもう一人いるんだけど…」

スフィアさんが三つ目のカップをその人に出しながらそう言います。

「ありがと。もちろんいいわよ。にぎやかな方が楽しいわ」

その人がそう答えます。
間違いありません。
この声は……

スフィアさんがわたしに手招きをします。

「お邪魔します。おばあちゃん」

テーブルに近づくと、わたしはその人にそう声をかけました。

「ああ、やっぱりしいちゃんだ。さっき車の音がして、
あなたの声が聞こえたような気がしたから、もしやと思ってたのよ」

にっこりとわたしに笑いかけたのは、うらのおばあちゃん。
こんなところで会うなんて、びっくりです。

「わたしも声を聞いてもしやと思ったんです。びっくりしました」

素直な感想。
でも、どうしておばあちゃんがここにいるんでしょう?

「ありゃ? 二人は知り合いなん?」

目をぱちくりさせてスフィアさんが驚いてます。

「うらのおばあちゃんなんです」

わたしが苦笑しながらそう答えます。

「うん、しいちゃんにはいつも良くしてもらってるわ」

おばあちゃんが笑いながらそう言います。

「示し合わせた…ってわけじゃなさそうだし、世間は狭いやね」

スフィアさん、苦笑混じり。
本当に驚いたようです。

「まあ、いいや みんなで一緒にお茶にしよう」

そう言うと、スフィアさんはみんなの分の紅茶をテーブルに置くと、
自分も空いた椅子に腰掛けました。
わたしも空いた椅子に腰掛けて…
このお店にしては珍しい大人数でのティーブレイクになりました。


「今日は買い出し?」

しばらくして、おばあちゃんがわたしにそう問いかけます。

「はい、お魚を仕入れに」

隠し事もなにもないのでそのまま答えます。

「なにかいいのはあった?」

まるで、うちのお店でお茶を飲んでいるような感じです。

「アジのいいのがありました。たたきにしようかと思います」

「そう、それはよかったわ」

いつもと同じようにおばあちゃんが微笑みます。
横にいるのがマスターではなくてスフィアさんなのが、不思議なくらいに。

「あの、おばあちゃんはどうしてここに?」

さっきから気になっていたことを聞いてみます。

「ん? ああ、年に一度の個人イベントなのよ。この時期にここに来るのは」

ちょっと考えてから、おばあちゃんはそう言いました。

「なんて言うのかしら、別に来なきゃいけないわけでもないんだけど、
 この時期になると決まってここに足が向くの。もう何年になるかしら…」

遠くの空を見つめながら、わたしでもスフィアさんでもない誰かに言うように。

「あたしがこの店を任される前から…だね」

スフィアさんがちょっと思い出すようにそう言いました。

「そうね。あなたの前の前のマスターの時からね。ここに来るようになったのは。
 色々変わっちゃったけど、ここの海と空だけは昔のまんま」

おばあちゃん、やっぱり遠くを見て言います。

「あの、お客さんにこんなこと聞くのは、いけないかも知れないんだけど。
 なんでここに来るようになったん? あ、話したくなければ構わないんだけど…」

スフィアさんが神妙な面もちで問いかけます。
彼女とわたしが今、一番知りたいことを。

「……そうね。うちの人が亡くなってしばらく経つし。もう時効かしらね」

ちょっと考えてからおばあちゃんがそう、つぶやくように答えました。
なんだか”自分に言い聞かせた”ようにも見えます。

「もう何年前になるかしらね。しいちゃんのマスターが生まれるよりか前の話しね」

おばあちゃんの過去。
わたしは、わたしがマスターのところに来るよりも前のおばあちゃんを知りません。

「わたしね、今の家に嫁いでくる前につき合っていた人がいたの」

おばあちゃんの口をついて出たのは、そんなお話でした。

「その人とは結婚の約束もしてたわ。空と海が好きな本当に素敵な人だった。その人に…
 彼に連れられて初めてここに来たの」

そう言って、懐かしげにあたりの風景を見ています。

「彼、ハンググライダーにエンジンがついたようなのが好きでね、ここなら彼の
 飛びたつところも、飛んでるところも、降りてくるところも、みんな見えるからって」

遠くのほうを見ながら、その日のことを思い出すように言葉を紡いでいきます。

「わたしね、最初はとても心配だったの。空を飛ぶなんて言って、落ちちゃったら
 どうするんだろうって思ってね。そしたら彼、一度見に来ればいいって、そう言って
 わたしをここに連れてきたの。お茶を飲みながら見ててくれればいいからって」

そう言って、お茶を一口。
おばあちゃんの目にはそのころの景色が”彼”の姿ととともに映っているのかも知れません。

「何回か連れてきてもらってるうちに、彼が飛ぶことが不安じゃなくなったわ。
 うん、お世辞にも腕前がいいとは言えなかったけど、彼の飛び方がそんなに無茶な
 飛び方じゃないってわかったから。 それに…」

ちょっとした間(ま)に、わたしもスフィアさんも思わず身を乗り出します。

「それに彼は必ずわたしのところへ戻ってきてくれたから」

まるで少女のようにはにかんで、おばあちゃんがそうつぶやきました。

……わたしもスフィアさんもなにも言えず、おばあちゃんの横顔をただ見つめていました。

そして…

「ねえしいちゃん、空にはいろんな顔があるってわかる?」

不意にわたしにそう問いかけます。

「空…ですか? 確かにその時々で違うのはわかります」

朝、昼、夕方、データで知る以上に様々な空があるのは知っています。
でも、おばあちゃんの言う”空の顔”はちょっと違うみたい。

「空はいろんな顔を持ってるの。穏やかな顔も、怒った顔も」

おばあちゃんがつぶやくようにそう言います。

「どの顔もちょっとっつ違うの。その時々でね」

空を見上げたままなにかを思い出してるようにも見えます。

「あの日は… 朝から空の表情が目まぐるしく変わる日だった…
 新しく手に入れた機体で飛び立った彼は、いつもと同じようにこの岬から
 海に向かっていったの。その姿が遠くに見えなくなって、いつもだったら
 それからしばらくして戻ってくるのに、その日に限って彼は戻ってこなかった。
 いつまで待っても、ちっとも」

……こんな時、わたしはなにを言えばいいのでしょうか?
かける言葉が、見あたりません。
スフィアさんも同じようです。

「待ったわ。ずっと。きっと帰って来るってそう信じて。だって、彼は必ず
 わたしのところに戻ってきてくれたんだから。
 …でも、彼は戻ってこなかった。夜になっても、次の日になっても」

「その彼は、もしかして…」

スフィアさんがそう問いかけます。

「わからないの。どうしちゃったか、どこにいっちゃったか。だから…」

おばあちゃんは、はあ、と大きく息を吐いて、それから

「だから年に一度、わたしはここにくるの。もしかしたらあいつがひょっこり
帰ってくるかも知れない。そう思うから」

空の彼方を見つめて、まるで彼に話しかけるように。

「そうだったん、だ…」

スフィアさんが納得したようにそうつぶやきました。
わたしは言葉が見つからず黙ったままです。

「わたしもこんな歳になっちゃって、もういつ来れなくなるかわからないけど、
 身体が言うこと聞く間は来ようかと思ってるわ」

おばあちゃん、スフィアさんのほうを向いて、にっこりと笑いながらそう言いました。
目尻に光るものが見えます。

「待ってるから、ちゃんと来て下さいね。来年も再来年もずっと…」

スフィアさん、笑顔で答えます。
やっぱり目尻に光るものが。

「突然お店閉めちゃダメよ」とおばあちゃん。

「それは保証できませんけどね」とスフィアさん。

「もう、せっかくいいお話だったのに、台無しです」とわたし。

笑う三人の間を、心地よい風が通り抜けていきます。


それからひとしきりおばあちゃんの昔話を聞いて、今日はお開きになりました。

スフィアさんは残念がっていましたが、おばあちゃんもわたしも日が暮れる前に
出ないと帰りが遅くなってしまいます。

「本当にいいんですか?」とわたし。

一緒に車に乗って帰ればいいのに、おばあちゃんは最寄りの駅から電車で帰る
と言うのです。

「うん、いいの。ここに来るときは電車を使うのがお決まりだから」

おばあちゃんが微笑みながらそう言います。
こう言われてしまうとそれ以上強くは言えません。

きっと…
きっと昔を思いだしながら帰りたいんだと思います。

最寄りの駅に車を走らせます。
バックミラーにはお店の前で手を振り続けるスフィアさんの姿が。
わたしたちが、見えなくなるまで振るつもりですね。


駅でおばあちゃんを降ろしてから、車は一路お家へ。


あの日、飛び立ったまま帰ってこなかったおばあちゃんの彼。

きっと彼は飛び続けているのだと思います。
おばあちゃんの心の中の、あの空のかなたに向かって


fin990827

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椎那のお話の番外編06です。
このお話は、本編の#15「たなばたのよる」に当初書かれていた
”おばあちゃんの空への想い”に関するエピソードを元に
膨らませたものです。
気がつくと椎那のお話の中で一番長いものになってしまいました。

作中にスフィアという名前の喫茶店のマスター(ミストレスか?)が
出てきますが、「鞄」シリーズのスフィア(美霊)嬢がこの
椎那の世界にいたら…と言う感じで書きました。
そう言うことで、「鞄」本編のスフィア嬢とは若干(?)
異なるかも知れませんが、ちひろのイメージと言うことで
ご容赦願います。

なおこのお話を書くきっかけは桜木さんの感想からでした。
桜木さんにはこの場をお借りしてお礼申し上げます。

ご意見ご感想ありましたらお聞かせ下さい。

では。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
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