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Someday Sometime in Sometown. いつかどこかの町で5
とある夏の日のひとコマ



 バサ、バサ、バサ。バサ、バサ、バサ、バサバサバサ。

「うー、暑いよー」

 団扇を扇ぎながら女の子が唸っています。
 見た感じ小学校高学年の女の子。
 水色の生地に水玉模様が涼しげなノースリーブのワンピースを着て、窓を開け放した部屋の中に足を投げ出して座っています。
 もちろん裸足。

「うー、なんでこんなに暑いんだよー」

 バサバサと団扇を扇ぎながらぶつくさ文句を言っています。
 女の子の額には玉のような汗。
 ワンピースも汗で背中に張り付いています。
 女の子の名前はゆきちゃん。
 お陽様のような笑顔がチャームポイントのこの家の一人娘です。
 
「――夏は暑いから夏、と昔から言います」

 一生懸命団扇を仰ぐゆきちゃんの横に、もう一人の少女。
 汗一つかいていないその少女は、ゆきちゃんに向かってゆっくりと団扇を扇ぎながらそう言いました。

「そうだけどさーっ。ね、セリオお姉ちゃんは暑くないの?」

 ぶーたれた様子でゆきちゃんが隣の少女――セリオと呼ばれた少女に問いかけました。
 確かにセリオはまったく汗をかいていませんし、暑そうな様子も見えません。

「――普段よりも体内温度が若干上昇しています。でも、ゆきちゃんのような『暑い』と言う感覚はよくわかりません」

 セリオはそう答えました。
 それもそのはず、セリオはゆきちゃん家のメイドロボットなのです。
 ロボットですから汗もかきませんし、暑いという感覚も人間とは一味違います。

「こう言うときはセリオお姉ちゃんがうらやましいなぁ」

 ゆきちゃんはセリオのほうを見ながらそう言いました。


 季節は夏真っ盛り。
 外には青空が広がり、その向こうに入道雲が見えています。
 照りつける暑い日差し。
 吹き抜けていく風も心なしか熱を帯びているようです。
 ゆきちゃんのお部屋は風が通るように窓とドアが開け放してあるのですが、今日はほとんど効果がありません。
 ちょうどお盆で友達はみんな田舎へ行ってしまっているし、今日はお母さんに用事を頼まれているから遊びに出るわけにも行かなくて、
ゆきちゃんはこうしてお部屋で団扇を扇いでいるのです。

「こんなに暑いんだから、あたしの部屋にもクーラー欲しいなぁ」

 ワンピースの胸元をパタパタとやりながらゆきちゃんがつぶやきました。

「――それは多分無理ですね。お父さんとお母さんの方針ですから」

 セリオがそう返します。
 ゆきちゃんの家はお父さんとお母さんの方針でクーラーを使わないことにしています。
 『季節を肌で感じるため』なんだそうです。
 だからお家にクーラーは一台しかありません。

「そうだけどさー。こんなに暑かったら何もする気が起きないよー」

 ゆきちゃんとうとう根を上げました。ごろんと床に寝転がります。

「――そうですね。シャワーを浴びるとすっきりしますよ」
「そうだねー。あ、でもお母さんが用事あるって言ってたんだよね。一体なんだろ?」

 ゆきちゃんはむっくり起き上がると首を捻ってそう言いました。
 朝、ご飯を食べたときにお母さんに言われたのです。
 少ししたらお手伝いを頼むからお家に居てね、と。

「――さあ、わたしにもわかりません」
「むむむ、一体なんだろう? お買い物かな?」

 いったん気になりだすと止まらないものです。
 ゆきちゃん、気になって仕方なくなりました。

「よーし、お母さんに聞いてくるーっ」

 ゆきちゃんは立ち上がるとお母さんのところへ行きました。

「セリオおねーちゃーん。こっち来てー」

 すぐにゆきちゃんの声がしました。
 セリオは立ち上がるとゆきちゃんとお母さんの居るリビングへ向かいました。

「――どうしたんですか?」
「あのね、これからお庭の手入れをするんだって。それでね、あたしたちに手伝って欲しいんだって」

 ゆきちゃんがうんざりした顔で言いました。
 お部屋の中に居るだけでも暑いのに、お庭でお手伝いなんて考えただけでも汗が出てきます。

「――そうですか。わかりました」

 セリオは嫌な顔一つせずそう言いました。

「ごめんねえ。あたしもやりたくないんだけどね。たまに手入れしておかないと雑草だらけになっちゃうのよ。
終わったらシャワーとかき氷が待ってるから、がんばって」

 お母さんは笑いながらそう言いました。
 でも、あんまり悪いと思っていないようです。
 まあ、確かに夏休みに子供が家の仕事を手伝うのは当然の事ですね。

「かき氷? お母さんのお手製のあれ?」

 かき氷と聞いてゆきちゃんが目の色を変えました。
 お母さんの作ってくれるかき氷はそんじょそこらのかき氷なんか目じゃないくらい美味しいのです。

「うん。もちろんトッピングとシロップはかけ放題」

 お母さんが人差し指を立ててそう付け加えました。

「やったーっ、あたしがんばるねー」

 現金なものです。
 ゆきちゃん、お母さんのかき氷に釣られてお庭の手伝いを引き受けました。

「――それでは始めましょうか?」

 セリオがそう言いました。
 彼女はいつのまにか人数分の麦わら帽子と軍手、手ぬぐいを用意しています。

「ありがと、セリオ。それじゃ始めよっか」
「お庭のお手入れ隊、しゅっぱーっつ!」

 お母さんの声に、ゆきちゃんが手を上げて応えました。


 三人は麦わら帽子をかぶり首から手ぬぐいを下げた格好でお庭に出てきました。
 ジリジリと焼け付く太陽が三人を容赦なく照らしつけます。

「それじゃあね……」

 お母さんがみんなの役割分担を決めました。
 セリオとゆきちゃんはこくこくとうなずくとそれぞれの持ち場へ向かいます。
 お母さんも軍手をして雑草をむしり始めました。
 お母さんは芝生の草むしり、セリオはプランターの手入れと垣根の枝の剪定、ゆきちゃんはホースで水まきです。
 すぐそこにかげろうが見える暑さの中、みんな黙々と作業しています。
 一人だけ鼻歌混じりの上機嫌なのがゆきちゃん。ホースで水をまくのは結構涼しげな作業なのです。

「わ、セ、セリオ。これなんとかしてーっ」

 突如、お母さんの叫び声が上がりました。
 何事か、とセリオとゆきちゃんが駆けつけます。
 お母さんが後ずさりしながら指差したその先には、大きさ2cmくらいの青虫。
 セリオはその青虫をひょいと掴むとお庭の外に出しました。

「ありがとう、セリオ」

 お母さんが、やれやれ、と言う感じで溜息をつきました。

「お母さん、相変わらず芋虫ダメだねー」

 ゆきちゃんが笑いながら言いました。

「なんとでも言って。ダメなものはダメなのよ」

 お母さんがフクレながら言い返します。
 お母さんは虫の類が大の苦手なのです。
 特に芋虫とか毛虫とかそう言うのが一番ダメ。
 カブトムシの幼虫なんて掘り返した日には、その場に卒倒する事請け合いです。

「――芋虫も、よく見ると結構可愛いですよ」

 セリオがそんなことを言います。

「うそーっ、あんなのは人類の敵よ」

 セリオの言葉を聞いてお母さん、冗談じゃないとばかりに首をぶんぶん振りました。

「あ、お母さんの背中におっきな毛虫っ!」

 突然ゆきちゃんが叫びました。

「え!? どこどこどこ? とってとってとってーー!!」

 その言葉にお母さん、パニック状態です。

「――大丈夫です。虫なんていません」

 やれやれ、と言った感じでセリオがお母さんに言いました。

「ほんと? ほんとにほんと??」

 お母さんが聞き返します。

「――ホントにホントです。ゆきちゃんがからかったんです」

 セリオの横で、にへへ、と笑うゆきちゃん。

「もー」

 お母さんふくれっ面。

「さ、水まき水まきー」

 ゆきちゃんはその場をごまかすように、自分の持ち場に戻ろうとしました。

「――ゆきちゃん待って!」

 そんなゆきちゃんをセリオが呼び止めました。

「セリオお姉ちゃん、なーに?」

 ゆきちゃんが振り返ります。

「――動かないで!!」

「ほ、ほへ?」

 いつにないセリオの強い口調に、ゆきちゃんが身体の動きを止めました。
 身じろぎ一つしません。

「ね、ねえ。セリオお姉ちゃん。一体なに?」

 そう問いかけるゆきちゃん。
 セリオはゆきちゃんを指差して言いました。

「――背中にクモが付いてます」
「えーーーーーっっ。やだーーーーーーっっ。やだやだ、とってとってとってーーーー。クモきらーーーいっ」

 ゆきちゃんはわめき散らすとその場にしゃがみ込みました。
 セリオはそんなゆきちゃんの肩をポンと叩いて一言。

「――冗談です」
「ホント? ホントにホント?」

 ゆきちゃんが恐る恐る顔を上げます。
 目には大粒の涙。

「――ホントにホントです。からかっただけです」

 セリオがしれっと言いました。

「もー。セリオお姉ちゃんひどいよー。あたしがクモ嫌いなの知っててやったでしょ?」

 ゆきちゃん、それまでの泣き顔から一変してふくれっ面です。

「――ゆきちゃん、私にからかわれてとても嫌だったでしょう?」
「当たり前だよーっ」

 ゆきちゃん、ふくれっ面のまま両手を組んで仁王立ち。
 かなり怒っています。

「――お母さんも同じだと思いますよ」
「あっ」

 ゆきちゃんは、いつもお父さんとお母さんから言われていることを思い出しました。
 『自分がされて嫌なことは他の人にはしないこと』そうでしたね。

「――思い出したみたいですね」
「うん、お母さん、セリオお姉ちゃん、ごめんなさい」

 ゆきちゃんは神妙な面もちで二人に深々と頭を下げました。

「わかればいいわ。もうしないのよ」

 お母さんは人差し指でゆきちゃんのおでこを突っつくきながらそう言いました。

「うん」

 ゆきちゃんが答えます。

「セリオもありがとね」
「――はい」

 お母さんの言葉にセリオがうつむき加減で応えました。
 ちょっと差し出がましかったかな、と思ったようです。

「さ、それじゃ続きお願いねー」
「はーい」
「――はい」

 お母さんのかけ声にゆきちゃんとセリオが答えました。


「シャッシャッシャ〜〜♪」

 ゆきちゃんがご機嫌で花に水をやっています。
 ホースの先端にシャワーヘッドが付いた水撒き用のホースです。

 ブーン。

 突然、ゆきちゃんの目の前を突然大きなハチが通り過ぎました。

「わっっ」

 慌てたゆきちゃんが一瞬両手を大きく上げました。

「ふーっ、びっくりだよー」

 パラパラパラ……

「え?」

 なにかが降ってきたみたいです。

「雨? でも近くに雲はないし……」

 きょろきょろとあたりを見回しますが、雨の降った気配はありません。
 でもゆきちゃんのワンピースには雨粒のあとが数カ所。

「むむむ、なんだろう?」

 ゆきちゃん、考え込んでいます。

「ゆきちゃん、水、水!」

 向こうからお母さんの声がしました。

「え? わわ……」

 考え事をしていた間に足下が水浸しです。
 ゆきちゃん、びっくりして両手を上に上げました。
 ……パラパラパラ。

「あれれ?」

 またしても雨です。

「もしかして……」

 そう言うとゆきちゃんは『いしししし』と笑いました。
 ゆきちゃんがこの笑い方をするときは、大抵なにかいたずらを思いついたときです。
 セリオやお母さんが『もんちゃ笑い』と呼んでいる笑い方です。
 ゆきちゃんは蛇口へ行くと、水道のコックを大きく開けました。
 ホースの先端から水が勢いよく噴出します。
 ゆきちゃん、狙いを定めるとホースの先端を一瞬空に向けました。
 シャーッ。
 水しぶきが太陽の光りを受けてきらきらと輝きます。
 水が飛んでいった先に居るのは……こちらに背中を向けて作業をしているセリオです。
 パラパラパラ。
 セリオは『なんだろう?』と言う感じで空を見上げました。

「――天気雨。きつねの嫁入りですね」

 なんだか風流なことを言っています。
 ゆきちゃん『いしし』と笑いながら、ホースの先を再び空へ。
 パラパラパラパラ……。
 今度はさっきよりも多めにセリオの頭に降り注ぎました。

「――どこかの雨が風で飛んできたんですね」

 セリオは意にも介しません。
 ゆきちゃん、全く気にしないセリオにちょっと意地になってきたみたいです。
 もう一度セリオに水をかけようとホースの先を空に向けました。
 ス、ス。音もなくセリオが飛んできた水をよけました。
 まるで背中に目があるみたいです。

「むむむ」

 ゆきちゃん、狙いを定めてまたもやセリオに水をかけようとします。
 ススー。またもや音も無くよけるセリオ。

「むむむむ」

 ゆきちゃん、かなり真剣です。
 なんとかセリオに水をかけようとがんばります。
 ス、ス、ススススー。
 でも、その都度セリオによけられてしまいます。

「むー、えい、えい、えいっ」

 じゃばじゃばと水をかけるゆきちゃんに、よけ続けるセリオがボソッと言いました。

「――ゆきちゃん、怒られる前にやめましょうね」

 ピクッ、一瞬ゆきちゃんの動きが止まりました。

「セリオお姉ちゃんがよけるからいけないんだよーっ」

 ゆきちゃん逆ギレ。
 お庭の中を水をよけつつ移動するセリオを追い掛け回します。
 と、そこへ用事でちょっと出ていたお母さんが戻ってきました。

「こらーっ、ゆきちゃん、なーんてことしてんのーーーっ! お庭が水浸しじゃないの!!」

 ガラガラドッシャーーーン。
 やんちゃるゆきちゃんの頭の真上に、お母さん雷が落ちました。

「わわわっ」

 ゆきちゃん、お母さんの剣幕に思わずホースを持ったままバンザイ。
 ジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ。
 手に持ったホースから飛び出た水しぶきはまっすぐ空に向かって舞い上がり、太陽の日差しの中できらきらと光りました。
 そして……。
 バチャバチャバチャバチャバチャバチャバチャバチャ。

「わー」

 宙を舞った水はそのままゆきちゃんの頭の上に落ちてきました。
 頭から水をかぶったゆきちゃん、頭の先からつま先までずぶ濡れです。
 髪の毛はぐっしょりと濡れ、ワンピースもびちょびちょで身体に貼り付いて透けてしまっています。
 ぶるぶるぶる、と頭を左右に振ると水しぶきがあたりに飛び散りました。

「うー、ぐっちょり」
「いたずらするからよ」

 ぬれねずみのゆきちゃんを見て、セリオとお母さんが笑っています。


 暑いお庭でのお手伝い。
 ゆきちゃん、お手伝いはともかく涼しくなれたみたいです。

「はっくしょん」

 でも、いたずらはほどほどにね。

fin


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あとがき
 拙作をご覧頂きありがとうございました。
 このお話は「いつかどこかの町で」シリーズの5作目にあたります。
 Holmes金谷さんの「機械仕掛けのPureHeart IV」に寄稿したお話で、
初出が2001年の夏のコミックマーケットだったため、清涼感のあるお話を……と思って
こんな内容で書いてみました。
 ご意見ご感想ありましたらお聞かせ下さい。
 
 初出から9年、掲載許可もとうの昔にいただいていたのに、この体たらくですが、
これから暑くなる時期の一服の清涼剤になれば幸いです。

 いつかどこかの町でこんな出来事が起きるその日を楽しみに、
 それではまた。
 
初出 2001.08.12
Web掲載 2010.05.23

 

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