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                     江戸検定受験記

今年の11月3日文化の日に「江戸文化歴史検定」が
初めて行われましたが、大船住人も古文書仲間から
この話しを聞き、野次馬根性で申し込みました。 
 9月25日の締切り直前に申し込み、傾向と対策本を
早速インターネットで注文しましたが、普通2-3日で
必ず来る本が売り切れたのか4週間もかかりました。
これを企画した出版社は受験料と対策本で大分
儲かったな、と人の懐を気にしても仕方ないのですが。
 因みに受験料は2級と3級合わせて\9,450なり、
受験者は1万人を超えたそうです。
当初目標一万人で都内の私立大学を予定したものの、
受験申し込みが多く急遽もう一つ私大を借りたようです。
 暇人の集まりと思い参加したら、とんでもない、老若
男女の広い年齢層の人たちが参加していました。 
それだけ皆、歴史好きというか、クイズ好き
というか、チャレンジ精神旺盛というか、とにかく好きな
人が多いのだなと感心した次第です。
(20061105)

試験は2,3級共に問題は100問で4択方式であり、70%以上正解で合格との事です。 3級の問題は
オーソドックスな知識で解答できるものが多いものの、2級はかなり雑学的なもの、クイズ的なものが
混じっている感じです。2級の難易度は1.5倍くらいでしょうか。  1級はありませんが、来年は1級を
設定し2級合格者に受験資格が有る由。

どんな問題なの?という例をいくつか拾います
3級問題から
1)江戸にある徳川将軍家の墓所は、上野寛永寺とどこでしょう
    東海寺、 浅草寺、泉岳寺、増上寺
2)テレビ時代劇の主人公、銭形平次が投げた銭は、次のうちどれでしょう
    寛永通宝、 慶長小判、 和同開珎、 天保通宝
3)長屋の共同便所に溜まった糞尿は、貴重な肥料として近郊の農民が買求めました。 ではその
  代金は誰の収入となったでしょう
    名主、 地主、 家守、 長屋の住人
4)庶民が関所を通過するときに必要となる文書を、何というでしょう
    通行切符、往来手形、通行証、 宿駅切符
5)私は天保6年(1835)、土佐国の郷士の家に生れました。日本最初の株式会社・亀山社中を起こし、
海援隊を組織、薩長同盟の成立に貢献しましたが、33歳で凶刃に倒れました。さて、私は誰でしょう
    岡田以蔵、 中岡慎太郎、 武市半平太、 坂本竜馬
6) 大名や幕臣の役職や屋敷の位置を知るために欠かせなかった、大名や幕府役人の名鑑のことを
なんと云うでしょう
    大鑑、 町鑑、 武鑑、 軍鑑
7)吉原は江戸で幕府が営業を許可していた唯一の遊郭です。 吉原では格の高い遊女を「花魁」と
呼んでいましたが、その語源といわれているのはどれでしょう
    妹分の遊女たちが「おいらの姉さん」と呼んでいたのが縮まった
    ベテランで年齢のいった「老いらく」の遊女だったから
    ポルトガル語の「女神」をあらわす言葉がなまった
    オランダ語の「天国」をあらわす言葉がなまった
8)庶民の住宅の典型は、落語の舞台としても一般的な「九尺二間の裏長屋」です。こうした裏長屋の
  家賃を、坪当り一ケ月で銭100文とすると、一年分(閏年ではない)の店賃はいくらになるでしょう
     2400文、 3200文、 3600文、 4800文
9)荒事で人気を博した江戸歌舞伎の初代市川団十郎に対し、和事で評判を呼んだ上方歌舞伎の
 人気役者は誰でしょう
     3代目尾上菊五郎、3代目中村歌右衛門、初代坂田籐十郎、5代目松本幸四郎
10)江戸時代中期、長崎での中国、オランダとの貿易を通じ、日本がもっとも大量に輸入していたものは
  何でしょう
     貴金属製品、  香辛料、 生糸、 医学・科学書

以上答は増上寺、寛永通宝、家守(大家さん)、往来手形、坂本竜馬、武鑑、おいらの姉さん、3600文、
坂田藤十郎、生糸です

2級問題から
1) 金属鉱石を採掘する際の副産物のひとつに砒石があります。江戸時代には殺鼠剤として用いられ
 ましたが、その商品名として有名だったのは、どの鉱山でしょう
    佐渡金山、 石見銀山、 足尾銅山、 釜石鉄山
2) 現代の宝くじが庶民の夢であるように、江戸の庶民にも富くじは大人気でした。なかでも「江戸の三富」
 とよばれて人気があったのは、谷中の感応寺、湯島天神喜見院と、もうひとつはどこでしょう
    目黒不動、 椙森神社、 上野寛永寺、 芝増上寺
3) 吉原で、着飾った花魁が新造や禿を引連れてゆっくりと練り歩く花魁道中は、それは華やかなものでした。
 このときの花魁の歩き方を何というでしょう
    六方、  外八文字、 内八文字、 お練り
4) 私は天正元年(1573)生れ。京都大徳寺の住寺で、寛永6年(1629)、「紫衣事件」で幕府を批判して
 出羽国へ流されました。のちに許されて3代将軍家光に重用され、品川東海寺を開きました、さて、
 私はだれでしょう
    金地院祟伝、 一休宗純、 沢庵宗彭、 東福門院
5) 幽霊には足が無いというイメージの定着には、江戸時代に描かれた幽霊の絵の存在が大きいといわれて
 います。 では、最初に足の無い幽霊を描いたとされているのは誰でしょう
    円山応挙、 狩野探幽、 歌川広重、 葛飾北斎
6)謡曲「隅田川」に登場する梅若丸は、人買いによって都から連れ去られ、隅田川畔で「たずね来て 
 とはばこたえよみやこどり すみだ河原の露と消へぬと」と詠んで病没します。梅若丸ゆかりの寺は、
 梅の字にちなんで何とよばれていたでしょう
    好文寺、 木母寺、 梅花寺、 梅林寺
7)天保期の全国の石高は、3055万石あまりですが、そのうち幕府直轄領が占めた割合はどの程度
 だったでしょう
    約3%、 約14%、 約24%、 約38%
8)鎖国政策の中で、日本とヨーロッパを貿易でつなぐ唯一の接点となった長崎・出島。滞在するオランダ人
 は10人前後で、出入りは厳しく管理されました。ではこの出島の広さはおよそどのくらいでしょう
    東京ドーム約0.1個分、 同0.3個分、同1個分、同3個分
9)助六は江戸っ子に大人気の芝居の主人公で、男伊達の代表とされました。では、この助六を当り芸として
 代々、家に伝えた役者はだれでしょう
    初代芳沢あやめ、 初代中村仲蔵、 2代目市川団十郎、 5代目松本幸四郎
10)現在でも使われる言い回しに「見当違い」があります。この「見当」という言葉は江戸時代に使われるように
 なりましたが、本来は何のことでしょう
    浮世絵版画の多色摺りのための目印、 歌舞伎役者の舞台での立ち位置
    迷子をさがすための目印、         地図を作製するための目印

以上答は 石見銀山、目黒不動、外八文字、 沢庵宗彭、円山応挙、木母寺、約14%、0.3個、2代目団十郎、
 多色刷り目印です。 なお傾向と対策の公式本から3級で80%、2級で50%出題されたと言う事です。


江戸検定其の後
12月中旬に成績と右のような認定証及びバッジが送られてきました。
受験者の平均点は参級が81.98点、弐級が66.69点との事です。 従って参級は殆どの人が合格したと思われます。
(2006年12月16日)