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                    我田引水             
 今から四十年程前の一九八〇年、アルビン・トフラーと言うアメリカの作家が第三の波
(The Third Wave)と言う未来予想本を出した。 彼によれば、人類はエジプトで一万年前に
狩猟生活から農業化社会の波にのった。 これが第一の波である。  第二の波は十八世紀
半ば(二百余年前)の英国の産業革命に始まる工業化社会の波である。 そして第三の波とは
二十世紀後半、将に今アメリカで始まったばかりの情報化社会の波であると云う。 

 この当時私は三十代後半で情報通信関係の仕事にどぶづけになっていた頃であり、これは
使えると、大いにプレゼンテーションに利用した記憶がある。 確かに情報化社会の基盤となる
情報通信技術とコンピュータの進歩は日進月歩でともすると波の大きさに呑まれるような
日々だった。 
 パソコンひとつ例にとっても、私は個人用として一九九四年に始めて購入したが、五年間程は
毎年買換えざるを得ない、買いたくなる程進化した。 これも二〇〇〇年以降漸く落着き、
退職後の現在使用中のパソコン三台は一番古い物が十年選手、新しい方でも五年ものだが
全く不便は感じていない。 初期購入のものに比べ性能は二千倍以上になっているが、
中古市場から買うので費用は昔の一割以下である。

さてトフラーの波の話に戻るが、私達世代の日本人は人類の中でこの三つの波を過去七十
余年の間に全て経験している世界でもたいへん珍しい、撰ばれたグループではないだろうか。
そう思わせる理由を以下見て行きたい。
 
先ず第一波の農業に関しては、子供の頃の西諸の農業は機械化が全く進んでおらず農機具と
云えば野尻の民族資料館にあるような、江戸時代の古文書にも出てくる農機具であり、人力や
牛馬を使用する農業だった。 私もそうであるが、子供の頃から農作業の手伝いを経験している
人が多い筈である。 
 例えば同じ世代のアメリカ人が子供の頃には既にトラクタターなどあり、昔の農業ではなく
工業化された農業だったに違い無い。 日本でも私達の少し後の世代には耕運機やトラクター
の時代に入り、 弥生時代以来あまり変わらなかったであろう農業の原風景は消えた。

 第二波の工業化社会は二百年余の歴史であるが、大量生産の元祖となった自動車産業が
その到達点であるとトフラーも言っている。 若い頃、モータリゼーションと言う言葉もはやり、
それ迄は夢の又夢だった車が庶民も買える様になった。 私達仲間も三十歳前後からカー
オーナーになった人も多い。 しかし私達の親の世代ではマイカーは高嶺の花で、工業化
社会の恩恵と云えば、精々三種の神器と云われた白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機である。

 最後の第三の波は始まってまだ半世紀弱であるが、通信に関して言えば、一家に一台だった
電話機に替り、各人がケータイを持てるようになった。 更にこの二ー三年でケータイはガラケー
等と云われて時代遅れの代名詞となり、スマホが主流になった。 私達の年代はスマホに
送られた孫の写真を見て悦ぶという時代である。 
 それ以上に情報化社会は、ネット社会等の言葉も生まれた様に生活環境に大きな変化を
もたらしている。 先ずパソコンがインターネットと称する通信網を介して、色々情報が取れる
様になってから未だ三十年も立っていない。 この間情報源は増える一方であるから、情報の
大海原を航海する様なものである。 メールもお金が掛らず便利な機能である。 自分はネット
社会など関係ないと言ってパソコンに触らなかった私達同年代の人が一足飛びにスマホを操り、
メールや写真を送ったり、情報検索、ショッピングをしている今日この頃である。 

 居ながらにして世界中の情報を取る事ができる便利な社会であるが、それだけに問題も色々
出てくる。 それは兎も角、私達はギリギリこのネット社会に間に合った世代である。 私達の
親世代は勿論、少し上の年代の人達も当然ながらスマホやネット社会は経験していない。 
逆に孫の世代は物心ついた時には既にネット社会であるが。

 私達は昭和に生まれ育ち、平成の半ばに還暦を迎え、そして令和の始めに喜寿を迎える
事ができた世代である。 究めて我田引水的な言い方かも知れないが、人類史上の大きな
三つの波の全てに乗り、唯一身を以って体験してきた誇るべき世代である。 

  人類の三つの波を乗り渡り
         喜寿を迎えた我らの世代

        写真は宮崎鵜戸神宮海岸

      本文は高校同窓生喜寿記念誌への寄稿文として書いたもので我々の世代が
     主役である。 又ローカルな地名が出て来るが以下註に示す。(20190719)
  註1. 西諸: 宮崎県南西部のえびの市、小林市、高原町を含む総称。 南北の山系に
     挟まれ、水が豊富で昔から穀倉地帯だった。 市制以前は西諸県郡と呼ばれ、
     小林高校の学区だった。
  註2. 野尻の民族資料館: 現在は小林市に統合されたが、旧野尻町にある
     資料館で西諸地区で使われた昔の農機具、生活用品など主に展示されている。