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主な研究開発成果(1970〜1979年)


技術情報検索手法とシステム開発に関する研究(1979)
技術情報検索 研究所内には5万冊の図書、300種類の雑誌、作成された論文
報告書、収集された資料、パンフレット、写真など膨大な情
報が存在しているが、それらを一元的に検索する手段がなく
多くの研究員の悩みの種であった。まだ、コンピュータの性
能も計算速度、記憶容量の面で十分ではなく、すぐには実現
が難しく、こうした大量の情報の中から高速に応報を抽出す
るための検索手法をソフト的な観点から、データベースを用
いた高速検索手法の研究とそのシステムを開発するためのプ
ログラミング方法などの調査研究を実施した。こうした研究
は将来のデータベースシステムを用いた様々なシステム開発
へとつながって行くことになった。

コンピュータを利用した設計計画手法に関する研究(1979)
設計計画手法 英国のホワイトヘッド博士の論文に触れヒントを得て、建築
の設計計画の分野に応用できないかと新しい研究を始めるこ
ととした。彼は既存の病院で人の部屋から部屋への動きから
動線の距離を調査し、その総計距離から部屋同士の関係性を
接続行列とする方法を提案した。この接続行列から関係性が
強いつまり数値の大きい部屋同士は近くに配置すれば動線の
総距離が減らせ人は歩く距離を少なくできる。その点に着目
し、与えられた接続行列を基に各部屋の配置を自動的に作成
できないかというアイデアを思いつき、与えられた接続行列
や部屋の規模などの設計条件から平面型をコンピュータで計
算し平面型を図形の形で出力するシステムの開発研究に着手
した。その結果、後に「自動平面配置計画システム」として
発表することができた。

高知学園・東京女子大学計画プロジェクト(1979)
キャンパス計画 本社の設計部からキャンパス計画の依頼があり、参加するこ
ととなった。プロジェクトは設計に入る前の学校側の要求や
現状の課題などをまとめる作業で、具体的には現地へ行って
実態を調査し、学校側の要望などをヒアリングした。さらに
この調査結果を基に建設するキャンパスのゾーニングや必要
な施設とその規模などを計画し、大まかな概要設計案を作成
し、調査報告書として提出した。現状の調査結果から将来の
キャンパスを描き出すにはアイデアが必要で、アイデアを出
すためのブレーンストーミングやKJ法などの社会科学的アプ
ローチが有効でその方法をトライした。しかし、後で分かっ
たことだが、アイデアはそこに参加するメンバーの知識に依
存してしまい、乏しい知識をぶつけても新しいアイデアは生
まれないということであった。同じ専門分野のメンバーだけ
ではなく、多くの異なった分野の専門家と議論することが重
要だと知ることができた。

万代シティ整備計画プロジェクト(1979)
万代シティ整備計画 新潟駅前に広大な土地を所有している新潟交通から土地を有
効活用するために市民のニーズに基づいた拠点計画の策定を
依頼された。整備計画は来街者調査の結果を基にショッピン
グセンターを中心にホテル、ボーリング場などの複数の施設
を2階部分のデッキでつないで施設間を行き来できる配置を
提案した。また、全体の中央には要望のあった市のランドマ
ークとしてのタワーを建設し、観光客の誘致にも貢献する計
画となった。また、ショッピングセンターいは多くの市民が
訪れることを想定し大規模な駐車場も整備された。その結果
周辺道路の混雑が予想され、それを防止するための交通計画
には独自に開発した交通流シミュレーションシステムを用い
て、その対応策を示した。整備計画書は好評で、計画は実現
することになった。

街路交通流シミュレーションシステムの開発(1978)
街路交通流シミュレーション 万代シティ整備計画プロジェクトにおいてショッピングセン
ター、ホテル、ボーリング場などの複数の建物の大規模計画
が進められる中、来店者の車で周辺の道路が混雑して問題を
起こすのではないかと言う話が持ち上がった。そうした周辺
道路の混雑具合が分かるシステムを作ってほしいという依頼
があり、交通流シミュレーションシステムを作成して対応す
ることにした。システムは、道路を数メートルのブロックの
連結で表現して、そのブロックに入る車の最大数から混雑度
を表すことにし、交通流はブロック間の車の移動で考えるこ
ととした。交通流のモデルには追従理論と言うのがあり、一
般に車は前方の車の速度に依存するという理論であった。速
度の値を用いて前のブロックに入る台数を計算して交通流と
し、ブロックで連結されたネットワークに実際に計測された
単位当たりの車を入れ、それを単位時間毎に計算して、ブロ
ック内の車の台数から混雑度を表示させた。このシステムは
駐車場の配置計画にも使われ評判となった。

万代シティ来街者調査プロジェクト(1977)
万代シティ来街者調査 N市駅前に大規模な商業施設の拠点開発の計画の話が持ち上
がり、一般の市民から希望する施設などのニーズを聞くため
の来街者調査を始めることとなった。来街者調査はアンケー
トに答えてもらうため、歩いている市民に、直接声をかけて
調査する方法をとった。事前に質問票を作成し、回答を調査
者が記録するため数日をかけて数百枚の回答を得た。回答を
得るためにはコミュニケーション能力が求められ、調査の目
的や開発企業などを伝え、ティッシュを上げるなど手を尽く
した。こうした調査には信頼感を持ってもらうことの大切さ
が必要だと痛感した。回答から得られた施設の他に公園や緑
地などを希望する市民が多かった。しかし、実際に公園へ行
ってみると誰もいなくて、使われてもいない様子で、実態と
ニーズの乖離があることが分かり調査方法を見直すいいきっ
かけにもなった。

物的流通施設の適正配置に関する研究(1976)
物的流通施設の適正配置 物的流通施設の都心集中化はトラック輸送の増加を伴い都市
部の交通混雑を招く要因となっていて、この問題を解決する
ため流通施設の適正配置に関する研究に着手した。物資流通
系の配送モデルを集中化モデルと分散化モデルに分けて、配
送の数学的モデルを提示して、配送距離の積分による数値計
算によって、その最小化の配置パターンを求めるものであっ
た。いくつかの配置パターンを計算した結果、流通施設を圏
域によって分散化し、その最適化を図ることができることを
示した。距離最小をコスト最小に置き換えれば様々な立地分
析にも応用可能であり、また、距離指標が重要な避難施設の
配置や施設の利用計画などにも適用可能な方法であった。

ハフの確率モデル・グラフ理論を用いた地域施設配置手法の研究(1976)
ハフの確率モデル グラフ理論を研究している中で、本社の都市開発部で施設配
置に関するニーズがあることが分かり、勉強会を始めた。配
置手法を調べていてハフの確率モデルに出会った。この理論
は施設の規模が大きい程人を引き付ける力があり、逆に施設
との距離が遠い程その力が弱くなるというものであった。こ
のモデルとグラフ理論を組み合わせて、地域施設を適正に配
置するための手法の研究に取り組むこととした。ハフの手法
は地域の人口とその人口の今後の伸びを考慮する方法が流行
り始め、各社が同じ方法で計算するため出店場所が同じにな
ってしまい津田沼に同時に大規模な施設が出現し「津田沼戦
争」などとと呼ばれ新聞記事にもなった。

グラフ理論を用いた施設の適正配置(1975)
グラフ理論 グラフ理論はノード(点)の集合とエッジ(線)の集合で構成さ
れるグラフに関する数学の理論で、たとえば、鉄道や路線バ
ス等の路線図は、駅(点)がどのように路線(線)で結ばれてい
るかをグラフで描くことができる。このつながり方に着目し
て、地域の人口ポテンシャルや施設の規模ポテンシャルなど
を点に、線を地域間の距離や時間距離などに置き換えて施設
の適正配置に応用できないかと考えた。当時、最先端だった
この数学理論を使って試行錯誤の結果、一つの点から全ての
点に行く最短距離の総和を各点毎に計算できるので、点のポ
テンシャルを変えた時の変化を計算すれば適正な配置を決定
できるのではないかと思ったが、膨大な計算量になって、ス
マートな方法ではなかった。

空間の計量と評価に関する研究(1975)
空間の計量と評価 設備制御システムは商品化され、そのための専門部署ができ
本格的に販売がなされることとなった。研究所から本社への
技術移転も進み、研究所で生まれた技術が商品化された最初
の技術成果として高い評価が得られた。そこで、以前から暖
めていた空間の計量と評価に関する新たな研究に着手するこ
ととし、全く異なった分野への方向転換を図った。今まで、
あまり着目されてこなかったグローバルなスケールでのアプ
ローチで、建築を捉えることを考えた。それは、以前のよう
に単体の建築を研究対象にするのではなく自然の中の建築群
として捉えるものであった。自然環境そのもの、あるいは建
物群の用途や規模などを対象にその計量化を図り、当時、流
行っていたメッシュ法を用いて、メッシュ毎に分割された対
象空間を数値化し、そのポテンシャルを評価するといった方
法に着目した研究であった。

インテル8080用クロスアセンブラーの開発(1974)
クロスアセンブラー 富士通のU200上に開発した設備制御システムであったが、今
までのシステムは全ての処理を中央のコンピュータ 1台で処
理していて、中央に負荷がかかり過ぎる問題があり、プロセ
ス側に当時最先端を誇っていたインテル8080のマイクロコン
ピュータを導入し負荷分散を図ることとした。そこで、U200
のコンピュータ上のアセンブラー言語で書いたマイクロコン
ピュータのプログラムを作成するためのクロスアセンブラー
を開発した。その結果効率よくマイクロコンピュータのプロ
グラム作成ができ、今後の分散システムの基礎を築くことが
できた。

U-200リアルタイムモニターシステムの改良開発(1974)
U-200リアルタイムモニター 開発した設備制御システムは BECSS(ベックス)という商品名
でデビューすることが決まり、そのために富士通のU200とい
う新たなコンピュータを導入することとなった。しかし、そ
のリアルタイムOSはローリン・ロールアウト機能を多用し
ているため処理速度が遅く、使い物にならなかった。そこで
以前、開発した設備制御のためのリアルタイムOSのノウハ
ウを生かして、高速にマルチ処理をするシステムに改良開発
した。これらの基本的なアルゴリズムは、現在においても
プログラム開発には欠かせない機能となっている。


設備制御システムの開発の全貌を論文発表(1974)
論文発表 日本で初めてのコンピュータによる建築設備の自動制御シス
テムであり、空調、電気、衛生、防災の各設備機器を統合的
に制御し、設備の自動運転を可能としたビルディング・オー
トメーションの開発の全てを業界に知らせることとした。そ
の全貌を研究所報・空調学会・建築学会などへ論文投稿し研
究発表を行った。コンピュータによる無人運転という触れ込
みで多くの専門家の関心を集めた。他に建築、設備等の雑誌
などからの執筆の依頼も多くあり、当社の技術レベルの高さ
を一般に知らせる広報活動にも貢献した。

対戦用立体4目並べプログラム(1973)
ゲームプログラム 当時では画期的なゲームプログラムであったが、オセロに継
ぐ 2匹目のドジョウで人気はイマイチだった。もう一つの問
題はグラフィックディスプレイ上に、この立体をどのように
表現するかといった表示方法だった。裏側や中央は見えなく
なってしまうので 4層に分けて表示したり、いくつか試みた
が、みんなからは不評で人気はでなかった。これもコンピュ
ータが手を読んで人間と対戦するように作った、どこにもな
い傑作であったが、すぐに飽きられて終わってしまった。


設備制御用言語処理インタープリターの開発(1973)
設備制御用言語 プロセスとの入出力を中心とした設備制御プログラムはアセ
ンブラーという機械語とほとんど変わらない言語で記述して
いたが、作成効率が悪く、それを具体的な設備等の名称で記
述できる言語を設計し、それを処理する言語処理インタープ
リターを開発した。具体的には冷水バルブの流水量を 3段階
にや部屋番号X1の温度は、などと記述することでコンピュー
タの言語に詳しくない技術者でもプロセスの制御システムを
作成することができた。インタープリターは解釈実行という
意味で記述された文を 1行づつ読取りながら実行して行く方
式で、今ではHTMLなどの処理に利用されている。

日本初の設備制御システムの開発・本格稼働(1972)
設備制御システムの開発 独自に開発した DOSと1kアセンブラーを使って本格的な空調
・電気・衛生・防災の建築設備全般をコンピュータによって
制御するシステムの開発に着手した。一例を上げれば、例え
ば部屋の温度を取込んで、その部屋の最適温度と比較し、暑
ければその階にある空調機の冷却バルブを開ける操作信号を
出して部屋の温度を適切に保つといった制御を行う。こうし
た室内温湿度制御をはじめ動力機器のスケジュール発停、熱
源管理、ポンプの台数制御、監視ロギングなどを、電気設備
においてはデマンド管理、力率制御、電力量管理、故障管理
機器運転管理など、殆ど全ての設備の自動化を目指した。ま
た、そのために具体的な設備名を使って入出力を行う制御用
のマクロ言語を開発し、プログラム開発の効率化を図った。
システムは1972/12本格稼働した。

ミニコン用サブルーチン・ライブラリー等の開発(1972)
サブルーチン・ライブラリー メーカーから提供されたソフトには技術計算用のサブルーチ
ンやアプリケーションプログラムを効率よく開発するための
ユーティリティ・プログラムがあった。ただ、実際に使って
みると、浮動小数点演算、三角関数などの初等関数などのラ
イブラリーに多くのバグが見つかり、ミニコン用のサブルー
チン・ライブラリーやユーティリティ・プログラムの全てを
新たに開発することを余儀なくされた。面倒な作業であった
が、この経験で、たとえば三角関数はアークタンジェントか
ら作成し、これを基にコサインを、サインはその逆関数なの
で簡単に作ることができた。これらの初等関数のほとんどは
多項式近似を使って作られていることも分かり、いい勉強を
させてもらった。

リアルタイムDOSおよび1kアセンブラーの開発(1972)
リアルタイムDOS 設備制御用のアプリケーションプログラムが増えていく中で
メモリーは増設できないため当時新しく開発された磁気ドラ
ムを導入してプログラムの増えるのに対応することとした。
そこでリアルタイムOSをディスク・オペレーティング・シス
テムに改善して増加するプログラムをドラムに内蔵して起動
要請があるたびに呼び出してスタートさせる機能をOSに持た
せた。今では当たり前の DOSを世界に先駆けて開発した。ま
た、同時にプログラム言語であったアセンブラーを1kワード
に圧縮して、ドラムとのロールイン・ロールアウト方式でメ
モリーを殆ど使わないシステムにした。もちろん、リアルタ
イムシステムなので設備の運用管理制御中に同時に開発がで
き、 1台のコンピュータで行うことを可能にした。マイクロ
ソフト社が数年後にシングルタスクの DOSを発売したのだが
こちらはマルチタスクの DOSを作っていたので、これを商品
化しておけば億万長者になれたと今でも言われている。

対戦用オセロプログラム(1972)
ゲームプログラム 世界初の対戦用のゲームプログラムで、当時の最新鋭のグラ
フィックディスプレイを用いて、すばやく数手先の手を読む
本格的なシステムであった。オセロは駒が反転してしまうた
人間にとっては数手先を読むのも難しく、このプログラムは
2〜3手先を読むだけで、人間に勝つことができた。それに指
し手の数も少なく、当時の遅いコンピュータには向いていた
昼休みにはみんなが列をなして対戦していたが負け知らずの
強い存在だった。このプログラムは、もちろん設備制御中の
コンピュータで実際の仕事と同時に遊ぶことができ評判は良
かった。オセロプログラムは、現在の将棋、マージャンなど
のゲームソフトのさきがけとなった。


新研究所に設備制御システム導入(1972)
新研究所に設備制御システム導入 新研究所の開設を前に設備やコンピュータの試運転を行う時
期 (1972/09頃)から新家屋に入り設備制御システムの開発に
取組んだ。コンピュータと実際の設備をつなぐ作業は設備業
者も初めてで何もできず、MDF の配線表の作成から実際の配
線作業もこちらでやる羽目になった。400 チャネルのクロス
バー交換機、FACOM-RのデジタルインターフェイスとMDFの配
線、さらに MDFと実際の設備との配線は1000点を越える膨大
な量で何日もかかる作業だった。建物は地上 6階、建築面積
は 127万平米、熱源方式は熱回収型エアソースヒートポンプ
方式、空調はファンコイルユニット併用各階ユニット方式、
熱源は蓄熱層を使った蓄熱式を採用した。実際の設備と MDF
を介して接続されたコンピュータによって一点一点毎の接続
テストを繰返し、動作やセンサーの正常性の確認などに追わ
れた。また、停電時にコンピュータと非常電灯が作動できる
ように蓄電池を備え、バッテリーが無くなるとディーゼル発
電機を自動でスタートさせた。さらに、コンピュータ側には
CVCF(安定化電源)からの電源供給を行い電圧と周波数の安定
化を図った。

FACOM-Rリアルタイムモニターおよびユーティリティシステムの開発(1971)
FACOM-Rリアルタイムモニター 同時に動作する建築設備を 1台のコンピュータであたかも同
時に動かすためには、それらを制御するためのリアルタイム
システムが必要であった。今のリアルタイムOSのことを当時
はリアルタイムモニターと呼んでいた。設備等の動作はコン
ピュータから見れば緩慢で遅いので、従来のバッチ処理だと
設備が動作している間は、コンピュータは処理が終わるまで
待つことになる。そのため、起動信号を送った後は周辺の装
置とは切り離す必要ある。周辺装置は自身の処理が終了した
段階でコンピュータに終了の信号を送る。この信号を受取っ
てコンピュータは処理の終了を知る。この知らせる機能を割
込みと言い、この機能がハードウエアとして内蔵されて初め
てリアルタイム処理が可能となる。今回は16本のプログラム
を同時に動作できるように設計した。モニターから見たプロ
グラムの単位はタスクと呼ばれ、そのタスクを制御すること
をタスク処理と言う。また、通常の運転中に火災警報などの
緊急信号を受取って、その処理をすぐにやるためにタスクに
動作の順番を持たせて行う優先処理の機能などもシステム化
した。モニターシステムはリアルタイム処理に必要なこうし
た割込み管理、タスク管理、入出力管理、タイマー管理を行
う。また、コンピュータの操作作業を補助し、アプリケーシ
ョンプログラムの作成、デバッグなどをサポートするユーテ
ィリティプログラムを作成した。

建築設備の自動制御に関する研究(1970)
建築設備の自動制御 建築設備をコンピュータで自動制御しようとする日本で初め
ての研究をスタートさせた。この試みは米国が最初であった
が空調機だけの単純なもので、本研究の対象とした設備は、
空調・電気・衛生・防災の全てに及び、これらの無人化運転
を目指した。設備からの情報は 400チャネルのクロスバー交
換機を通して、また、設備への制御信号は MDFを介して送ら
れ、リアルタイムに動作させることができた。建築の設備は
動作が同時に起こることは日常の現象で、例えば空調制御中
に火災警報器が鳴るなどは普通のことである。ところが、当
初導入した富士通のモニターシステムはバッチ処理で、こう
した同時に起こる処理に対応できていないことからリアルタ
イムモニターの開発に着手した。さらに、制御用のマクロ言
語などの開発も行い、各室や熱源などの温度情報の入手やバ
ルブの開閉などの制御情報をプロセスに送出できた。コンピ
ュータ内には、こうした制御用の AD-DA変換器やデジタル入
出力のインターフェイスを備え、開発したリアルタイムモニ
ターのタスク処理によって16の機器を同時に制御可能とした
プログラムからバルブの動作信号を出して、空調機械室へ走
って行き、動作が確認できた時の感動は今でも忘れられない
本研究の全体は研究所報Vol.22(1974.4)掲載されている。

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