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『サラリーマン藤田浩之異聞 サラリーマン矢島 九曜』   第2話

:SERIO-EYE
 トントントントントン。
 包丁で野菜を刻み終わると、セリオはスープを煮立てている鍋を見た。
 浸透度47%。現在の温度を保持して、4分12秒後に第二野菜群を投入。
 頭の中を駆けめぐっている数字を処理しながら、セリオは初めての朝食を作っていた。
 料理を作るのは、初めてではない。
 だが、マスターとなった矢島に作るのは初めてである。
 美味しいと言ってもらえる自信はある。
 彼女の作る料理は、人間の中でも美味しいものを作る者、つまり名コックが作る料理のデータを
基本データとして作っているのだから。
 だが、矢島は人間の中でも変わった舌の持ち主かもしれない。
 なにしろ、黄金律を守って作られた美しい自分を返品しようとするような変態嗜好の持ち主なのだから。
 そんな不安を抱えながら、セリオは鍋の中で煮立っていく野菜を監視していた。
 
:YAZIMA-EYE
「マスター、できあがりました」
 テーブルに座って朝食を待っていた矢島は、セリオが持ってきた料理を持ってきて、首をかしげた。
「なんだ、こりゃ?」
「ボルシチ(スープ)とサシースカ(ウインナーソーセージ)とピロシキ(揚げパン)です。
紅茶は、こちらの判断でレモンを添えさせてもらいました」
 御飯とみそ汁とがいいな、と矢島は思ったが、あえて口には出さなかった。
 カプセルの中から出てきたままのボディスーツにエプロンを巻いた姿で、セリオは自分がフォークに
手をつけるのを待っている。
 箸がいいな、と矢島は思ったが、それも口には出さなかった。
「いただきます」
 手を合わせる矢島の姿を、セリオは不思議そうに観察している。
 最初の一口。
 朝から濃い料理だ。
 昨日、夕食を抜いてしまったから、特にげんなりする。
 だが、矢島はそれでも口には出さずに、
「うん、美味いよ」
と、セリオを褒めていた。

:SERIO-EYE
「ありがとうございます」
 そう笑顔で答えながらも、セリオの不安は大きくなっていた。
 両耳についたアンテナ、高感度な彼女のセンサーは、矢島が本当は美味しく思っていないことを
知らせていた。
 何が悪かったのだろうか。味付けは失敗していないはずだ。
 規格外の特注品として作られた彼女は、舌と指先で味覚を感じることが出来る。
 これまで彼女が経験してきた中で、最高の評価をもらった味付け。
 それでも、矢島の舌は美味しいと感覚してくれないのだろうか。
 矢島に合わせられるようにしていこう。
 セリオはそう結論づけて、次の作業へと移ることにした。

:YAZIMA-EYE
「それじゃ、行ってくる。電話もインターホンも出なくていいから」
「それでは、私は何をすればよろしいのでしょうか?」
「何もしなくていい。そうだな、掃除と洗濯ぐらいはやっておいてくれると助かるけど。
他は自由にしていいぞ」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ、マスター」
 セリオに見送られて、矢島は駐車場に続く階段を降りていく。
 なるべく足を使って歩く。
 それは、矢島なりに気を使っている健康法だった。
 矢島はまだ二十代。歳を取ったというには、まだ早い。だが、衰えは確実にやって来る。
 最前線の営業で働くことを、矢島は誇りに思っていた。
 転職の回数は六回。同世代としては多い方だと思うが、全ては最も厳しい場所で働くためだった。
 車を売る。
 人生の中では、家に次いで高い買い物である車、それを売るということは並大抵のことではない。
 ましてや、金額の大きくなる高級車を売ることは技術や経験と共に、センスが必要とされることである。 厳しい競争の中で脱落する者もいる。自暴自棄になる者もいる。
 それでも、矢島は今の仕事が好きだった。
 仕事に打ち込んでいる間、矢島は嫌な記憶から解放されていた。
 仕事に打ち込む。
 それを熱意と呼ぼうと、逃避と呼ぼうと、結果は数字として出てくる。
 そのドライな数字の上下こそが、今の矢島の支えだった。

:SERIO-EYE
 キュイー。
 静音モーターが回転する音が聞こえる。
 セリオは洗濯が順調に進行中であることを確認すると、掃除を始めた。
 大まかなところは掃除機で処理し、細かいところは手作業で行う。
 独身男性らしく、矢島の部屋の中は結構ちらかっていたが、セリオは苦にもせずに掃除を続ける。
 働くことは、彼女の好きなことだった。
 いるもの、いらないものを区別し、処理方法によって判別し、整理していく。
「本……これは、本棚にしまっておくべきですね」
 なぜかベッドの下に置いてある、大量の本とDVDーROM。
 セリオは逐一中身を確認しながら、丁寧に整理をし始めた。

:YAZIMA-EYE
「今日もありがとうね、矢島さん」
「いやあ。お姉さんにはお世話になっているから。それより、迷惑じゃない? いつも来るでしょ、俺?」
「そんなことないよ。常連さんって大切だもん」
 タオル一枚を腰に巻いて、半裸の女性と矢島が楽しそうに話している。
 夜の歓楽街。
 矢島がいる場所は、いわゆる風俗店の一室。
 そこで、矢島はサービスを受けた後、いつものように雑談をしていた。
「ふーん。そんな話、あまり聞いたことがないけど。だって、メイドロボットって、すごく高いもの
でしょう? うまくだませたとしても、失敗した時のリスクが大きすぎるわ」
「そうだよなあ。俺も、どうしようか迷っているんだけど」
 矢島が濡れた髪に手をやると、女性は少し微笑んだ。
「矢島さん、HMソープとかHMヘルスは嫌いだもんね。そんなもの送りつけられたって、困るだけ
だもの。請求が来る前に、返品しちゃったら?」
「んー、まあ、そうなんだよな。こうして、お姉さんと話している方が楽しいし」
「そうそう。下手にふっかけられたら、お店来られなくなっちゃうよ」
 冗談めかして笑う女性と、合わせて笑う矢島。
 歓楽街の夜は、これからである。

:SERIO-EYE
 完璧だ。
 チリ一つ存在しない床と壁。
 区分ごとに整理された、部屋の中の各構成物。
 セリオは、自分の仕事に深く満足していた。
 朝食で失った評価の失点を、この掃除で大きく補えるかもしれない。
 額に浮き出た汗をぬぐい、セリオは矢島の帰りを待っていた。
 仕事の成果を褒めてもらえる。
 それは、彼女にとって何より嬉しいことだから。
 
 ガチャ。
 矢島が帰ってきた。
「おかえりなさいませ、マスター」
「……ただいま。なんだ、でかい声を出して」
 声が弾んでしまった。セリオは平静を失っていたことを恥じると、努めて冷静に作業報告を行った。
「洗濯、掃除ともに終わりました。メイドロボット協会基準で、AAAクラスの作業結果です」
 Sクラスだと言わないところが奥ゆかしい。
 セリオはそう思いながら、矢島の言葉を待つ。
「うわっ。ピカピカになっちまったなあ。こりゃすげえや」
 自分の働きに驚いている。セリオは嬉しかった。鉢巻きしてまで頑張った甲斐がある。
「へえ。物も使いやすいように整理して……んっ?」
 矢島の視線が本棚に移った。
 あまり本を読まない矢島が買った、やけにスペースがある大きな本棚。
 それが、なぜかギッチリと端の方まで本が詰まっている。

 『ああ観音様ご開帳』
 『けっこうマスク見参』
 『する気?』
 『天使のナースハット』
 『なんてったって巨乳』
 『ボイン天国』

 矢島が密かに集めてきたエッチな本とDVDが、大きな本棚の中に几帳面に整理されていた。
「おい、これは……?」
「日本のアルファベット、五十二音ごとに整理しておきました」
 どうです、使いやすいでしょう、と言わんばかりにセリオは胸を張る。
 だが、待っていたのは、
「いらんことすんなーっ!」
 予想外の矢島の怒鳴り声だった。
 
:YAZIMA-EYE
 部屋の隅が暗い。
 せっかくの休日。
 いつもなら、どこかに遊びに出かけるはずの矢島だったが、今日は違っていた。
「aнмаринанжаё、секкаку、ганбаттанони……」
 わけのわからない言葉、たぶんロシア語でブツブツ言いながら、部屋の隅で押しかけメイドロボット、
セリオがいじけている。床に何度も「の」の字を書いて、遠い目で部屋の隅を凝視していた。
「まったく……」
 大切な「矢島シークレットコレクション」を元の場所に戻すまでに、結構な時間がかかった。
 それ以上の時間を費やしてセリオは頑張ったのだろうが、あんなものを部屋の本棚に置きっ放しに
していたのでは人格を疑われる。
 そう思いながらも、矢島は小さくなっているセリオの背中を見ていると、彼女のことが可哀想に
なってきた。彼女も別に、好きでここに送りつけられて来たわけではない。
 何か、いい手はないか。
 セリオのボディスーツ姿を着た背中を見ながら、矢島は頭を捻っていた。
「ボディスーツ……ああ、そうだっ!」
 いいことを思いついた矢島が声を上げると、セリオの背中がビクンと震えた。
 必要以上に怯えている。
 やはり、最初の「返品騒ぎ」が利いているのだろうか。
 そんな彼女を怯えさせないように笑いかけながら、矢島は明るい声を出した。
「外に出るぞ」
「?」

:SERIO-EYE
 
 昨日の失敗は痛恨だった。
 「隠し事をしないのが家族」と、セリオはТУРИТАНИ博士に教わっていた。
 しかし、矢島は一般の人間とは基準が違うようだ。
<ベッドの下は不可侵領域。いかなることがあろうと、これを犯すことを禁ずる>
 理由はわからないが、ベッドの下に隠してあった本やDVDは、矢島にとっては見られたくないもの
だったらしい。
 矢島に合わせられるようにしていこう。
 それは、セリオがこの部屋に来て、最初に自己に定めた禁止の規律だった。
 それでも疑問と不満は残る。
 今、自分がいる環境も、セリオに取っては疑問だった。
 着ているのは、矢島から借りた男物の私服。
 来ているのは、かなり高値の服がそろうデパートの服飾店。
「ほら。好きな物を選んで買えよ。俺は、こういうのはよくわからないから」
 そういうと、矢島はどこかに行ってしまった。
 選び終わったら携帯電話にコールしてくれ、との命令だった。
 手はじめに下着を選ぶ。
 どれも小さい。
 女性の店員が珍しそうな顔で自分のことを見ているが、セリオは気にせずに命令された作業を続行した。
 小さい、小さい、小さい。
 どうやら、店員に尋ねてみるしかないようだ。
「申し訳ありません。これよりも大きなサイズのものはありますか?」
 近くにいた店員に尋ねると、彼女はにこりともせずに首を横に振った。
 ない、ということらしい。
「承知いたしました」
 耳のアンテナを使って、矢島の携帯電話にコールする。すぐに、矢島はセリオのところに来てくれた。
「作業続行が不可能と判断しましたので、コールいたしました」
「なに? 気に入った服なかったのか?」
「サイズが小さすぎるのです。私は日本製の規格で作られておりませんから」
 セリオに言われて、矢島は彼女の体と横にいた女性店員の体を見比べる。
 長身の矢島と並んで歩くと目立たないが、確かにセリオは身長が高い。それに伴って、体の各サイズも
大きめのようだ。特に、特定の箇所が大きく出っ張っている。
「なるほど。確かに、小さすぎるよなあ」
 そう言うと、横にいた女性店員の顔が鬼のようになったが、矢島は無視して言葉を続けた。
「それじゃ、次の店に行こう。せっかく服を買うことにしたんだから、気に入った物を買わないとな」
「ありがとうございます」
 そう言いながら、セリオは耳のアンテナを介して、サテライトサービスに接続を開始する。
 これは派手すぎる。
 これは地味すぎる。
 矢島が喜ぶのは、どんな服だろうか。
 近くにある店のデータを総ざらいしながら、セリオは彼女なりのショッピングを楽しんでいた。

:YAZIMA-EYE
「まあ、本人が気に入ったならいいんだけど……」
 セリオが買ってきたのは、どこにでもあるような私服数点と、どこにでもないような服数点。
 どこにでもない服は、日本では特定の店でしか売っていないようなロシア製の服だった。
 ふくらんだ白いスカートに、スーツのような直線の白い上着。胸には紺色のリボン。
「私の造られた場所で使われていたのと、同じ制服なんです」
 ロシア製のメイド服ということらしい。
 これはまだいい。
 嬉しそうに、黒い毛皮のコートと煙突型の帽子を抱きしめるセリオ。
「これ、とても高くって。買っていただけるとは思いませんでした」
 確かに、とても高かった。
 それでも、まだ喜んでいるから、よしとする。
「なんで、シャアのヘルメット?」
 シャアって、ロシア人だったろうか?
 サイド3の出身だったような気がする。
「心惹かれませんか。この造形」
 うっとりと白いヘルメットをなでるセリオを見て、矢島は、
(なんで、俺のところに来るメイドロボットはガンダム好きなんだろう)
と、溜め息をついた。
 
(第3話に続く)