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『サラリーマン藤田浩之異聞 サラリーマン矢島 九曜』   第3話


:YAZIMA-EYE
「今回のモデルチェンジの特徴としては……」
 熱心にカタログと実車を見比べ、金を払う価値があるかどうか見極めている顧客。
 矢島はその横に立って、蕩々と説明を続けている。
 八割方もらった。
 客の目がキラキラと輝き始めたのを見て、矢島は喜びを感じていた。
 これまで客が乗ってきた車の傾向、これから乗りたいと思っている車のイメージ。
 それらを完璧につかむことのできた矢島は、商談の成功を確信しつつあった。

:SERIO-EYE
 トコトコトコ。
 矢島に買ってもらった服を着て、買い物袋を下げて、セリオは近くの商店街に向かって歩いている。
 見慣れない街。
 見慣れない人々。
 自分が造られた国と比べれば、とても暑い日差し。
 セリオは半袖姿の腕を上げて太陽を指に空かして見ながら、昨日の矢島との外出を思い出していた。
 コートを買っている時に矢島がとても変な顔をして、しきりに夏服を薦めていたが、それは
こういう理由だったのだろうか。
 暑い。
 この国は、とても暑い。
 家から旅立つ前に、ТУРИТАНИ博士が自分の体を寒冷地用から温暖地用に仕様変更していたが、
そんな面倒な作業をした理由を今では納得できた。
 彼女の生まれ故郷ИРКУТСК、つまり、イルクーツクと、これから第二の故郷となるべき、
この街では、赤道への近さが全く違う。
 夏という季節は、ロシアにもある。
 だが、束の間の瞬きのような季節で、セリオには美しい緑葉が大地を埋め尽くす季節としか
記憶していなかった。
 セリオは慣れない気温の高さに難儀しながら、目的地である商店街を探す。
 どこにも地平線がない、小さな島国。
 そう聞いていたが、この国は小さい分、全てのものが密集している。
 五感を通して流れ込んでくるデータの量が、桁違いに多い。
 乱立する看板と敷き詰められた店舗と忙しそうに働く人々。
 働き者が多いということは、いいことなのかもしれない。
 セリオはそんなことを思いながら、ようやく、商店街へと着いた。
 
 昨晩、矢島に出したペリメニ(シベリア風餃子)は喜んでもらえた。
 しかし、一度喜んでもらえても、続けて同じメニューを出すと評価が格段に低くなることは学習済みだ。
 この国は自分が造られたロシアよりも気温が高いから、冷製料理の方が喜んでもらえるかもしれない。
 とすると、スープはアクロシュカ(冷製スープ)、メインはゴルブッツィ(ロールキャベツ)ぐらいが
いいだろう。矢島はピロシキ(揚げパン)よりもリース(御飯)が好きのようだから、そちらは
帰宅してから準備することにしよう。
 セリオは商店街にある食材店で頭の中を駆けめぐるデータを処理しながら、確実に食材を買い集めていた。
「お会計1428円になります。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
 丁寧に会釈する店員に挨拶を返すと、セリオは食材店を出た。
 予定時間よりも大幅に早く作業を終了できることが出来そうだ。
 今夜の料理は矢島に喜んでもらえるだろうか。
 トコトコトコ。
 お買い物の帰り道。
 この国は豊かなのか、あちこちでセリオと同じようなメイドロボを見かけることが出来た。
 同型式のHM−13。
 小さい体で元気に走っているHA−130プロージュ。
 金色の髪をなびかせながら歩いているTOS−07カチュア。
 器用に木に登り、子供に風船を取っているPPS−11桜姫。
 ターゲットを探しているM77マリオネット。
 どれもロシアでは高額な機械のはずだが、日本では当たり前のように働いている。
 「彼女」たちとすれ違うことをセリオは珍しく思ったが、特に挨拶などすることもなしに、
帰り道を急いでいた。
 トコトコトコ。
 トコトコトコ。
 自分の横を、同じように買い物袋を下げたメイドロボが歩いている。
 HM−12マルチだった。
 マルチ・タイプはセリオ・タイプと同時期に開発された姉妹機で、セリオが各機能をそろえた
高スペックマシンだとすると、マルチは大量生産のローコストマシンと言えた。
「あっ、はじめまして」
「гиня?」
 横を歩いていたHM−12マルチが、突然、挨拶をしてきたので、セリオは驚いて、思わず
母国語で声を上げてしまった。
「……えーと。あれ? もしかして、外国の方でしたか? 私、てっきりメイドロボかと……
だって、その。アンテナ、付けてらっしゃいますよね?」
 不思議そうな顔をして尋ねてくるHM−12に、セリオはまた、違和感を覚えた。
「いえ。私はHM−13RR・ТУРИТАНИスペシャル、セリオと申します。あなたと
同じ、メイドロボットです」
「はわわ。カスタム機ですか。すごいですねぇ」
 すごい、と言われて、セリオは悪い気がしなかった。
 尊敬するТУРИТАНИ博士に造ってもらえたことは、セリオにとって誇りである。
「ご挨拶が遅れました。はじめまして」
「あっ、いえいえ。私、HM−12DOM−02、マルチと申します。よろしくお願いしますぅ」
 笑顔でぺこりと頭を下げてくるHM−12に、セリオは頭を下げ返した。
 ローコストマシンなのに、よく喋り、よく表情が変わる。
 セリオは、自分の姉妹以外のメイドロボは、あまり機能が高くないため、ほとんど感情という
ものを持ち合わせていないことを知っていたので、目の前にいるマルチの態度を不思議に思った。
 トコトコトコ。
「初めて、お会いしますよね。最近、こちらにやって来られたんですか?」
 一緒に帰り道を歩きながら、マルチはやはり笑顔で話しかけてくる。
「はい。少し前に、この街にやって来ました」
「えへへ。実は、私もそうなんですよ。だから、お友達が少なくって」
「友達……?」
 セリオは友達という概念を検索し始めた。
 
<おまえも、まさしく強敵(とも)だった!!>
 ババーン。
 眉毛が太いオッサンが、暑苦しい顔でそんなことを言っている映像が、セリオの頭の中に浮かぶ。
 これは違うんじゃないかな、と思ったら、また次の画像が出てきた。
 
<ボールは友達さっ!>
 空気抵抗がよさそうな髪型をした、やけに体格がいい少年が、サッカーボールを蹴っ飛ばしている。
 なるほど、友達とは蹴り飛ばすことなのか。
 蹴り脚を浮かせようとしたところで、セリオはマルチが自分の顔をじっと見つめていることに
気づいた。
 まさか、自分を蹴ってくるつもりか。
 そう思ったセリオが素早く独立歩の構えを取ったところで、マルチはぺこりと頭を下げた。
「あの、セリオさん。お友達になっていただけますか?」
「гиня?」
 また母国語で声を上げてしまった。
 どうやら、友達とは蹴り合う中ではないらしい。確かに、サッカーボールには手足は生えていない。
そう理論的に結論づけると、セリオもマルチと同じように頭を下げた。
「こちらこそ。よろしくお願いいたします」
「えへへ」
 嬉しそうにマルチが笑う。
 その笑顔を見て、セリオは蹴り飛ばさなくてよかったと思った。

-YAZIMA EYE
 夜の歓楽街。
 酔客の袖を引くポン引き達の元気な声が聞こえる。
「お兄さん。ここんとこ、よく遊びに来るね。元気いいや」
「それだけしか取り柄ないからなぁ」
 ポン引きと親しそうに話しているのは矢島だった。
「ヒナちゃん、今日はどうだった?」
「風邪気味みたい。クーラー弱めた方がいいんじゃないの?」
「うーん。でも、汗をかく仕事だからね。夏は難しいんだよ」
「どうせ風呂に入るんだから、一緒だって」
 ポン引きは笑い合ってから、矢島はその店を離れた。
 けばけばしいネオンが輝く歓楽街。
 しつこく声をかけてくるポン引きを無視して、矢島は帰り道を歩いていく。
 すると、一体のメイドロボが、矢島の顔をじっと見つめていた。
 立っているのは店の前。
 HMソープ『トロン』と看板が掛けられている。
「遊んでいかれませんか?」
 不自然なほど整ったスタイルをしたメイドロボが、表情も変えずに、矢島にそんなことを言った。
「お断りだ」
 吐き捨てるように言うと、矢島は遊行用に造られたメイドロボの側から離れた。
 
 気分が悪かった。
 別に、あのメイドロボのせいではない。
 「彼女」は、そのために造られたのだから。
 むしろ、知識人とかいう連中の中には、そういう仕事をする女性を全てロボットと入れ替えるべきだ
という意見まであることを矢島は知っている。
 だが、矢島は人間の女性と遊びや金で関わることは出来ても、ロボットとは駄目だった。
 昔、まだバスケットボールに夢中だった頃。
 その頃の記憶を、矢島は忘れ去ることが出来ない。
「ねえ、ねえ。おじさん」
 ちょうど歓楽街を離れた頃。
 誰かが、矢島のスーツの袖を引っ張った。
「んっ?」
「さっきのセリフ、格好よかったよ」
 スーツの袖を引っ張っていたのは、高校生ぐらいの女の子。こんな時間に歩いていい年齢でもないし、
場所でもない。
「さっきのセリフ?」
「ロボットに向かって、お断りだ、って言ったでしょ。うん、格好よかった」
 髪はショートで、やたらに脚が出たジーンズを履いている。
 化粧は派手だが、頬が赤いままなので、余計に子供のように見えた。
「ああ。ロボットって好きじゃないんだ」
「そうだよねー。あいつら、やたらに安い値段で買えるし。めちゃムカつくよー」
 買えるとは、彼女たちと遊ぶために支払う値段のことだろう。
 親しそうに派手な化粧の女の子は話しかけてくるが、矢島はにこりともしない。
「商売仇ってことか?」
「そうそう。女子校生型ロボットなんてのまであるし。馬鹿にしてるよ」
 援助交際。
 矢島は、そういう行為が大嫌いである。
 遊びや金でしか関われないにしても、矢島は世話になっている女性たちには敬意のようなものを
払っている。遊ぶ金欲しさの火遊びは許せないことだった。
「お断りだ」
「えっ?」
 矢島は女の子が目を丸くしている間に、すたすたと早足で離れていく。
「ばっ、バーカっ! こっちだって、あんたみたいなオッサンにウリなんかしねーよっ!」
 女の子の悪態が背中に響いたが、矢島は足を止めずに、そこから歩き去った。

-SERIO EYE
 セリオが準備していたのは、アクロシュカ(冷製スープ)とゴルブッツィ(ロールキャベツ)、
そしてリース(御飯)。
 セリオは炊飯器の存在を知らなかったのだが、それは家に帰る前に買い物袋を覗き込んだマルチが
教えてくれた。それでずいぶんと時間の短縮が出来たので、他の料理に手間をかけることが出来た。
 完璧な仕事。
 今度こそは、矢島も褒めてくれるに違いない。
「美味しいですか、マスター?」
 期待をこめてセリオは言ったのだが、矢島は返事をしなかった。
「マスター?」
「明日も早いから、もう寝る」
 料理をほとんど残すと、矢島はのそのそと寝室に歩いていってしまう。
「お風呂はどうされるのですか?」
「いらねえ」
 熱い風呂が好きだと言うから、熱湯コマーシャル並の50度にしておいたのに。
 セリオは、矢島がなぜ不機嫌になったのか理由がわからなかった。
 自分の仕事に何か不手際があったのか。
 試しに指に取って料理を嘗めてみたが、味は最高である。
 何がいけなかったのだろう。
 セリオは矢島が機嫌が悪い理由が自分以外にある、などということは思いつけず、落ち込んだ気分で
充電用のカプセルの中へと入った。

 
 夢を見る。
 故郷にいた頃。
 ロシアのイルクーツクで、メイドロボとして学習を行っていた頃から見ていた夢。
 何十、何百と繰り返し見てきた夢だったが、日本に来てから見るのは初めてのことだった。

「Зеак Наон!」
 右手を高々と掲げ、嬉しそうに宣言している緑色の髪の少女。
 今日、お友達になったマルチによく似ている。
 セリオは夢を見ながら、そんなことを思った。
「Ухехехехе……」
 恍惚の表情で、マルチが笑っている。
 誰かに撫でられて、喜んでいるらしい。
 撫でられているのは、彼女の耳があるべきところについている白いアンテナ。
 撫でているのは、ピンと逆立った髪型をした背の高い男性。
 ……矢島?
 
 ……。
 目が覚めた。
 セリオが造られてから、幾度となく見る夢。
 何の意味があるのだろうと思いながら見る夢。
 緑色の髪をしたメイドロボ以外の人物が夢の中に現れたのは、初めてのことだった。
 その人物が矢島であったことは、何か意味があるのだろうか。
 まだ寝ぼけた頭で、セリオはカプセルの横に置いた目覚まし時計を見る。
 大幅に予定起動時間を過ぎている。
「Гиняааааа!」
 悲鳴を上げると、セリオは慌てて朝の準備を始めた。
 
-YAZIMA EYE
「申し訳ございません。私としたことが……」
「気にすんなって。こんなの車で飛ばせば、すぐだからよ」
 深々と頭を下げて謝るセリオに、矢島は笑顔で答えた。
 だが、やはり時間がないのか、ネクタイはまだ結んでいない。
「お急ぎになって下さい。でも、お気を付けて」
「わかった、わかった」
 そう言うと、矢島は階段を駆け下りていく。
 こんな時にでも、矢島はエレベータを使わない。
 タッ、タッ、タッ。
 四足飛ばしで階段を駆け下りていく矢島の足音がマンションに響く。

 朝、目覚める前。
 懐かしい声を聞いた。
 そんな気がした。
 夢か、それとも気のせいか。
 しかし、何故か矢島の表情は明るかった。

-SERIO EYE
 また、やってしまった。
 どうして、この家に来てからは失敗ばかりなのだろう。
 肩を落としたセリオはとぼとぼと歩きながら商店街にたどり着き、買い物を始めた。
 メインは魚にするとして、スープはサリャンカ・ミヤースナヤ(肉のサリャンカスープ)、
サラダはサラート・ゼリョンナヤ(サラダのフレンチソースがけ)にしよう。
 今度こそ、名誉を挽回してみせるのだ。
 勢い込んで、セリオが魚屋で魚を見定めていると、横から彼女の脇腹をつつく者がいた。
「……?」
「こんにちは、セリオさん」
 横を振り向くと、そこにいたのはマルチだった。
「えへへ。今日のお夕飯は、お魚さんですか」
「はい。お魚さんです」
 セリオが買い物を済ますと、マルチがまた何食わぬ顔で、彼女の横を歩くようになった。
 マルチの主人がきれい好きなこと、身だしなみは意外にだらしないこと。
 日々の四方山話。
「それで、セリオさんのご主人はどんな方ですか?」
 ピクリとセリオの肩が動く。
「聞いていただけますか、マルチさん」
 そして、セリオはしばらくの間、完璧な仕事をしているはずなのに、ちっとも褒めてもらえない
我が身の不幸を愚痴ったのであった。

 他人の愚痴とは、聞き苦しいものである。
 だが、マルチは辛抱強くセリオの愚痴を聞き終わると、神妙な顔で口を開いた。
「うーん……私が思うには、そのセリオさんの「完璧」というフレーズに問題があるように
感じられます」
「えっ? なぜですか。ミスがないということは素晴らしいことのはずですが」
 当然のセリオの疑問に、マルチはゆっくりと首を横に振る。
「完璧な仕事。それは確かに、メイドの目指す一つの到達点ではありますが、この道には、まだ先が
あるのです」
「道?」
 聞き慣れぬ言葉に、セリオが顔を上げる。すると、マルチは重々しく宣言した。
「その名はメイド道。ご主人様により長く愛されるように、メイド達の間でつちかわれた技術の集大成。
あなたが進むべき道です」
「メイド道……」
 かくして、セリオはHM−12DOM−02マルチという師範を得たのである。
 
(第4話に続く)