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                      利尻島漂着次第


嘉永元申年七月十一日御掛り阿部伊勢守様へ差出、
 同十九日御付札ニ而御指図
  私領分西蝦夷地リイシリ島之内字ノツカと申所
  江去二日申刻頃、異国人壱人端船へ乗致漂着、濡
  候衣類を着余程疲れ候躰ニ見請候ニ付、直

  様字ノツカ番小屋江連越、食物等致手当候段、番人
  共Aソウヤ勤番所江訴出候ニ付、同所詰家来之内
  ノツカ江罷越、始末相尋候所言葉不通ニ付、手真似
  を以相尋候得共、異国人も同様手真似ニ而相答候
  事故、聢と難相分候得共、沖合ニ而元船ニ別れ
  端船江壱人乗、漂居候内風波強く相成、端船両度
  水船ニ相成、其節所持之磁石海失様子ニ而何れを
  当テと申事なく漂ひ罷在候内、高山見受候間漕寄
  致上陸候様ニ相聞候付、乗参候端船損しも無之
  候間帰帆可致旨手真似ニ而相諭候所右小船ニ而者
  大洋帰帆成兼、当惑之義ニ相見候付、差留置候旨
  手真似ニて相諭候所黙頭候ニ付、ソウヤ勤番所江
  引取、番人等厚申付置候段、当番家来共
より申越候

一異国人乗参り候端船、長サ四間斗巾六尺位御座
  候間、右船并船具等役場へ引上置申候、其外所持
  之品取調差越候、別紙相添御届申上候、右異国人
  此上如何相心得可申候哉、此段奉伺候、以上
     六月廿二日 在所日付   松前志摩守
 
 御付札 七月十九日阿部伊勢守殿御付札
 書面上陸致し候異国人之義、於長崎表相
 尋候筋有之候者ニ付、先達而漂着之異国人共
 同様相心得、彼地江送遣候様可被致候、且又異国
 人所持之書籍類ハ役人共立合、封印付置
 猥ニ他見無之様可被取計候

嘉永元(1848)年7月11日海防掛阿部伊勢守
守様〔筆頭老中)へ差出、同月19日に御付札
で差図あり
松前藩西蝦夷の利尻島野塚と云う所へ
6月2日午後4時頃異国人が一名艀で漂着、
濡れた衣類を着て酷く疲れた様子なので
直ぐに野塚の番小屋で食物等与え手当した
事を番人より宗谷の藩勤番所へ報告ありました。
同所に詰めていた家来が野塚へ行き、状況を
尋ねましたが言葉が通じません。手真似で
質問し、異国人も手真似で答えている為、

はっきりした事はわかりませんが、沖合で元船
に別れ艀に一人漂っている内に風波が強く
なり艀が2度迄冠水し、その時磁石も失った様で
方向が分らなくなり、その内高山を見懸けたので
漕寄せ上陸した様に聞きました。 乗って来た艀
も損傷して居ないので戻る様手真似で説得
しましたが、小船では大洋を戻る事は出来ない
と困った様子なので、爰に留めて置く旨手真似
したら黙って頷くので宗谷勤番所に引取り番人を
付けて置く様に申付けた旨、当番の家来から
報告してきました。 

異国人が乗って来た艀は長さ7m余、幅1.8m程
です。この船は役場へ引上げてあり、その他所持
品調査し報告ある別紙を添えます。 この異国人
は今後如何したら良いか御伺い致します
   六月廿日 松前陣屋日付 松前志摩守

御付札 7月19日阿部伊勢守殿による
 書面にある上陸異国人は長崎で尋ねるので
前に漂着の異国人(15名)と同様に長崎へ送る
べし、又異国人が所持している書籍類は役人
立会いで封印し、みだりに見れない様にする事
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                        所持品報告書

別紙 異国人所持品
 一小筒 長サ四寸五分位、口径三匁位 壱挺
 一端船                     壱艘
但し惣長四間半位巾広き所ニ而六尺位深三尺余
    一檣 長弐間半位           壱本
    一帆 但白木綿             壱
    一櫂                    壱挺
    一楫柄 様之物 但長五尺位    壱
    一縄 内長サ五拾尋程        壱本、
          長サ六尋程         壱本
    一碇 様之物
    一碇浮キ様之物
    一水樽                   弐
    一樽 内獣肉様之物入有之      壱
    一衣類品々入袋             壱
    一無表紙書物 大小         廿三冊
    一万国絵図面              壱枚
     一天眼鏡様之物、箱入       壱
     一革笠                壱蓋
     一剃刀、指し物           壱
     一小刀様之物            壱
     一火打様之物            壱
     
一丸ノミ様之物     大小 弐本
     一釘抜指し物            壱
     一 様之物              壱
     一茶釜蓋様之物          壱
     一銀象眼蓋付台様之物     壱
     一銅柄杓様之物        壱
     一錐様之物          壱
     一櫛?様之物         壱
     一すき櫛様之物        壱
     一白木絵図          弐玉
     一牙様之物          壱
     一硫黄            壱包
     
     一松やに        大小 弐玉
     一ちゃん           壱玉
     一たばこ           少々
     一服鏡様之物         壱
     一銀色燭台様之物       壱
     一小箱 但錠前付       壱
     一塗板            壱枚
     一薩様之物          壱枚
     一実子            壱本
     一革沓            壱足
     右之通御座候以上
          六月

 
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                        早期移送伺い


右同日左之伺書、御同所様江差出置候所、同十九日
 以御書取御差図有之
 志摩守様
より御届被仰上候ソウヤ勤番所江引取
 候異国人之義者、松前
より同所迄百九十里余相隔
 例年二百十日後者、追々海上荒れ船路留り候時
 節相成、其上空地之場所故、足軽両人ヒマシケ江
 引取越年仕候、勤番の家来共者例年秋末松前
 表江引払候付、百拾二日余ニ者御座候得共イシカ
 江引取置候得者、秋冬ニ相成候而も差支有御座間
 敷奉存候、差越候義ニ者御座候得共、万一長崎表
 江差廻候様相成候節者、江戸表江引取置候得者
 明早春船通路出来可申哉ニ奉存候、可相成義ニ
 御座 候者江戸表江引取申度奉存候、遠境海場
 之義ニ御座候付取斗方奉伺御在所表江申遣度、
 此段各様迄御内慮奉伺候以上
   七月十一日  松前志摩守様御家来
                  嶋田  興
御付札
 書面漂着之異人一旦江戸表江引取候上、都合
 次第長崎江差遣候様可仕候事
 右御内慮伺書江七月十九日之御付札也


原文は江戸表となっているが次の報告書から判断して、江差表
の誤写と思われる

松前志摩守報告書を同藩江戸詰家来が阿部
伊勢守に提出する際に、追伸として添えて
提出したものに7月19日に御付札の差図あり

志摩守様より御届の宗谷勤番所に引取った
異国人についてですが、松前から同所は190里
離れており、例年8月中旬以降は海が荒れる
ので海路は閉ざされます。 其上何もない不便
なところですから足軽2名はヒマシケに引取り年
を越します。勤番の家来は例年秋には松前に
戻ります。 4ヶ月程の事ですが石狩に引取れ
ば秋冬でも差支ないと存じます。 先走った事
ですが、もし長崎へ送る様な場合は江差へ引取
れば来春早々海上交通が出来ます。 出来れば
江差に引取りたく存じます。 辺境の海域の事で
であり処理を御伺いして松前へ連絡致し度、
皆様の御内意を御伺い仕度存じます
    七月十一日  松前志摩守家来
                  嶋田 興
御付札
書面の漂着異人は一旦江差へ引取り、都合
次第長崎へ送る事
この御内意伺書に7月19日に御付札あり

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                        移送経路変更届け


七月十九日御達御座候リイシリ島之内ノツカと申所
江上陸之異国人壱人昨五日風順ニ付江良町村出
帆、長崎表江護送仕候段、出役家来共より私居所
江申越候、此段御届申上候、以上
   九月六日   松前志摩守

別紙御届申上候異国人之義、一旦江差表江引取置
候上、都合次第長崎へ差遣し候様最前御差図御座
候ニ付、急飛脚を以ソウヤ勤番所へ申遣、七月廿六日
同所出帆之所、風筋不宜、去月十日私居所沖合
江着船致候間、江差表差廻し可申筈ニ御座候
得共、風順不宜、江良町村へ着船仕候、依之同所
風待中、船支度相整候ニ付、昨日出帆仕候、兼而御
差図相済候場所と相違仕候ニ付、此段申上置候以上
    九月六日    松前志摩守
      

7月19日御指図あった利尻島野塚に上陸
した異国人一名、昨日風順調に付、江良町村
を出帆して長崎へ護送した旨、出先の家来より
松前陣屋に報告がありましたので御届します
       九月六日   松前志摩守

別紙御届した異国人の事ですが、一旦江差に
引取り、都合次第長崎へ送る様に御指図戴き
ましたので、急飛脚で宗谷勤番所へ連絡し7月
26日宗谷を出帆しました。 8月10日に松前陣屋
沖合に到着し江差へ廻す予定でしたが、風順が
悪く、江良町村へ着船したものです。 爰で風を
待ち準備も整いましたので9月5日長崎へ向け
出帆しました。 前に御指示の場所と違っており
ますのでこの事を申上げます
        9月6日   松前志摩守

  
上記出典 
弘化雑記第四冊
註 此異国人は後に日本回想記を著作したラナルド
マクドナルド(1824-1894,Lanald MaCdonald)で
長崎滞在中に森山栄之助初めオランダ語通事達に
英語を教えた。 最初から日本に上陸する積りで
漂流を装ったと言うが日本での評判は非常に良かった
報告が残っている。

 嘉永元6月2日  利尻島野塚に漂着
             宗谷勤番所に引取り
     7月26日   宗谷から江差へ向出帆
     8月10日   江良町村到着
     9月5日    長崎へ向出帆
     9月15日頃 長崎着
             長崎祟福寺大悲院滞在
 嘉永2年4月5日  オランダ商館経由
             プレブル号へ引渡し
   日本滞在 10ヶ月余

参考文献 マクドナルド「日本回想記」 ルイス、村上編 刀水書房