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        江戸城(現皇居)見学

 古文書で江戸城に関する記述は多いが、「古文書を楽しむ会」で明暦の大火(1657年)に関する
記録を読んだ事から、課外授業として江戸城探訪を思い立ち此度皇居一般参観コース(無料)を
申し込み2022年7月7日に参加した。
 旧江戸城は現在の北の丸公園(旧北之丸)、東御苑(旧本丸、二之丸、三之丸)、皇居(旧西之丸)
皇居外苑(旧西の丸下)に分かれる。更に西之丸は古くは紅葉山を含む西之丸とその西側(現吹上御苑)
に分れていた。
 明暦の大火前は尾張、紀伊、水戸の御三家の屋敷が現吹上御苑にあったが、大火後はこの地域は
火除地となり、その後江戸城が皇居となるに至り吹上御所、御苑となった。元々の西之丸は宮殿、
宮内庁となり公式諸行事が行われている。 
 今回参観コースは元々の西之丸部分の一部であり、天皇御所等含む吹上御苑は含まれていない。 
尚明暦の大火で焼けた天守閣の台座等がある皇居東御苑は出入りのチェック以外は一般の公園と
同じ様に自由に入れる。
 明暦の大火では北の丸、東御苑、吹上御苑は全て延焼したが、紅葉山及西之丸(下図内堀内)は
残ったと記録されている
。(20220709)

13時入門 桔梗門よりコースが始る。我々は
13名だが、他のグループ含め50名程の団体。
窓明館で30分休憩及び皇居コース説明を受け。13時半に出発
富士見櫓:別名八方正面の櫓 富士山は勿論、
品川の海が見えた由
。 石垣下は蓮池濠。
同左:石垣15m、櫓16m、大火四年後
再建され天守閣の代りとなった由
坂下門: この門の外側で幕末、出勤登城の
老中安藤対馬守が攘夷派の凶刃で負傷した
宮殿正面長和殿:新年の一般参賀で天皇
始め、皇族方が立たれる二階バルコニー
同上:バルコニーの硝子に丸の内ビル街が
写り広場、宮殿共に以外と高い位置にある。
伏見櫓:江戸時代初期に京都伏見城から移設
した由。二重橋の奥に見える美景の櫓。
二重橋(手前鉄橋、奥めがね橋)を皇居内から
写す
江戸城時代は木製の二重の橋だった由
皇居のシンボル二重橋:奥に伏見櫓が見える
(2013年5月撮影)
紅葉山裾:鬱蒼と草木が茂り全体は見えない。
古文書によれば、西の丸が出来る前は江戸
庶民の憩いの場だったと云う。(落穂集)
コース終了:所要一時間半。 本丸があった
東御苑は広い平地であるのに比べ、西の丸
(現皇居)は緩やかだが起伏が感じられた。

参考絵図

正保絵図
1640年代
大火前
元禄絵図
元禄二年
1689年
大火後
後期絵図
1850年頃