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日米修好通商条約

帝国大日本大君と亜墨利加合衆国大統領と親睦の意を
堅く、且永続せしめんに両国之人民貿易を通する事を
取置し、其際の厚からん事を欲するが為に、懇親及貿易
の條約を結ふ事をし、日本大君は其事を井上信濃守、
岩瀬肥後守に命し、合衆国大統領はハ日本に差越たる
亜墨利加合衆国のコンユルセネラール、トウンセント
ハルリスに命し、双方委任の書を照応し、下文の条々を
合議決定す。


日本側全権
 井上信濃守 外国奉行(前下田奉行)
 岩瀬肥後守 同上(前目付)
米側全権
 Townsend Harris, Consular General
            (総領事)
第一條
向後日本大君と亜墨利加合衆国と世々親睦たるへし、
日本政府は華盛頓に居留する政事に預る役人を任し、
又合衆国の各港の内に居留する諸取締の役人及貿易を
取置する役人を任すへし、其政事に預る役人及頭立たる
取締の役人は合衆国に到着の日より其国の郡内を旅行
すべし、合衆国の大統領ハ江戸に居留するチフロマチーキ
アケントを任し、又此約書に載る亜墨利加人民貿易の為め
に開きたる日本の各港の内に居留するコンシユル、又は
コンシライルアケントコンシュルセネラールハ職務ヲ行ふ
時より日本国の郡内を旅行する免許有へし


双方外交官を相手国に駐在させ
国内旅行の権利を規定

華盛頓 Washington,合衆国首府
日本の公使をワシントンに駐在させる
Deplomatic Agent 外交官、 公使
Consular 領事
Consular Agent 領事代理人
Consular General 総領事
第二條
日本国と欧羅巴中の或る国との間に若ハ障り起る時ハ日本
政府の嘱に応、合衆国の大統領和親の媒となりて扱ふべし
合衆国之軍艦大洋にて行遇たる日本船へ公平なる友睦之
取斗らいあるへし、且亜墨利加コンシュルの居留する港に
本船の入る事あらハ其各国の規定によりて友睦の取斗らい
あるべし

日本と西洋諸国との問題あれば米国が
仲立ちをする、
第三條
下田箱館の港の外、次にいふ所、場所を左の期限より開く
べし
 神奈川 午三月より凡十五ヶ月の後より
       西洋紀元千八百五十九年七月四日
 長崎   同断
 新潟   同断
 兵庫   同断凡五十六ケ月の後より
       千八百六十三年一月一日
若新潟港ヲ開難き事あらハ其代りとして同所前後に於て
一港ヲ別に撰ぶべし
神奈川港ヲ開後六ケ月にして下田港ハ鎖すべし、此ケ條の
内に載たる各地は亜墨利加人に居留を許すべし
居留の者ハ一箇の地を価を出して借り、又其所に建物あらハ
是を買ふ事妨なく、且住宅倉庫を建る事をも許すへしといへ
とも、是を建るに託して要害の場所を取建る事ハ決して成ざる
へし、此掟ヲ堅くせん為に其建物を新築改造修補なとする
事あらん時にハ、日本役人是を見分する事当然たるべし

亜墨利加人建物のために借り得る一箇の場所に港々の
定則は各港の役人と亜墨理加コンシュルと議定すへし
若議定しかたき時は其件ヲ日本政府と亜墨利加チフロマ
チーキアケントに示し、取置せしむへし、其居留場の周囲に
門橋を設けず出入自在にすへし

  江戸 午三月より凡四拾四ケ月の後、
      千八百六十二年一月一日
  大坂 同断凡五十六ケ月の後より
      千八百六十三年一月一日
右二ケ所は亜墨利加人、只商売をする為にのミ逗留する
事を得へし、此両所の町に於て、亜墨利加人価を以て借
るへき建家を相当なる場所に散歩すへき規程は追て日本
役人と亜墨利加のチフロリーキアケントと談判すべし

双方の国人、品物を商売する事総て障なく其払方等に付
ては日本役人是に立合ハず、諸日本人、亜墨利加人より
得たる品を売買、或は所持するとも妨なし
軍用の諸物ハ日本役所の外へ売べからす、尤外国人互
の取引は差構ある事なし
此ケ條は條約本書取替し済之上は日本国内へ触渡すへし
米麦ハ日本逗留の亜墨利加人ニ船之乗組たる者及船中
旅客食料の為の用意ハあとふとも、積荷として輸出する事を
許さす
日本産する所の銅余分あらハ、日本役所ニて時々公の入札
を以払ひ渡すべし
在留の亜墨利加人、日本の賎民を雇ひ、且諸用事に充る事
を許すべし


和親条約では下田と箱館のみが開かれて
いた。 新たな開港地と開港日程
神奈川 (1859年7月4日)
長崎   同上
新潟   同上
兵庫   (1863年1月1日)




神奈川開港六ヶ月後下田は閉鎖
開港地におけるアメリカ人居留の許可
土地の借用、建物のを造ること許す






アメリカ人居留地への出入り自由とする
(閉鎖して閉じ込めた出島のイメージが
念頭にあった)



開港地に加え江戸と大阪には商売の為
のみにアメリカ人逗留を許す、但し
江戸 (1862年1月1日)から
大阪 (1863年1月1日)から




商売は双方の商人が自由に行う、役人は
立ち会わない
但し
軍用品は日本の役所以外には売らぬ事
米麦は旅客食料分のみ売る事を許すが
輸出は不可
銅は輸出は余分あれば役所が入札で行う

在留のアメリカ人が日本雇うこと許可する
第四條
総て国地に輸入、輸出の品々別冊之通日本役所え運上を
納むべし、日本の運上所ニて荷主申立の価を奸有と察する
時は其価を以て直ニ買上べし
合衆国海軍用意の品、神奈川、長崎、箱館の内に陸揚し
庫内に蔵めて亜墨利加番人守護する者ハ運上之沙汰に
及ばず、若其品を売払ふ時ハ買入る人より規定の運上を
日本役所に納べし
阿片之輸入厳禁たり、若亜墨利加商船三斤以上を持渡ら
ハ、其過量の品は日本役人是を取上べし
輸入の荷物、定例之運上納済の上ハ、日本人より国中に
輸送するとも別に運上を取立る事なし、亜墨利加人輸入
する荷物ハ、此條約に定たるより余分の運上を納る事なし
又日本船及他国之商船にても外国より輸入せる同じ荷物
の運上高と同様たるへし
   
全ての輸入・輸出品に対し、別表の関税
を納める事
合衆国海軍が消費するための陸揚げ備品
は関税なし、但し民間に払い下げる時は
関税を払う事
アヘンの輸入は厳禁、若し米国人が所持
していれば取上げる。
関税は輸入時に一回払い、国内の運送に
関しては払う必要なし
第五條
外国の諸貨幣は日本貨幣同種類の同量を通用すべし
金ハ金、銀ハ銀と量目を以比較するをいふ、双方の国人
互ニ物価を償ふニ日本と外国との貨幣を用ゆる妨なし
日本人外国の貨幣に慣れざハ、開国の後凡壱ケ年の間
各港の役所より日本の貨幣を以て亜墨利加人願次第引替
渡すへし
向後鋳替の為分量割を出すに及はす、日本貨幣は銅銭を
除き輸出する事を得、ニ外国の金銀ハ貨幣に鋳さるとも
輸出すべし
第六條
日本人に対し法を犯せる亜墨利加人は其国コンシュル裁
判所ニテ吟味の上、亜墨利加の法度を以て罰すへし、亜
墨利加人へ対し法を犯したる日本人ハ日本役人糺之上
日本之法度を以て罰すべし
日本奉行所、亜墨利加コンシュル裁判所は双方商人連続
等事をも公に取扱べし、都て條約中の規定并ニ別冊に記せ
る所の法則を犯す事に於てはコンシュルへ申達し取上品
過料は日本役人ヘ渡すへし
両国の役人ハ双方商民取引の事ニ付差構事なし
     
領事裁判権の問題、後に不平等な
治外法権の問題として、明治政府が
修正に努力する
第七条
日本開港の場所ニ於て亜墨利加人遊歩規程左の如し
 神奈川 六郷川筋を限として、其他各方へ十里
 箱館   各方へ凡十里
 兵庫   京都を距る事十里の地へハ亜墨利加人立入さる
       筈ニ付、其方角を除キ、各方へ十里、且兵庫に来
       る船之乗組人、稲川より海湾迄の川筋を越べからす
都て里数ハ各港の奉行所又は御用所より陸路の程度なり
一里ハ亜墨利加の四千弐百七拾五ヤールト、日本の凡三
十三町四拾八間一尺弐寸五分に当る
長崎    其周囲にある御料所を限とす
新潟ハ治定之上限界ヲ定べし

亜墨利加人重立たる悪事ありて裁判を受、又は不身持にて
裁許に所せられし者ハ、居留の場所より一里外に出るべからす
其者等ハ日本奉行より国地退去の義を其地在留のコンシュル
に達すへし、其者共諸引合等奉行所ニコンシュル糺済之上
退去の期限猶予の儀はコンシュルより申立に依て相叶ふへし
尤期限ハ決して一ケ年を越へからす

アメリカ人の行動の制限、但し外交官は
幕府の許可があれば旅行に制限はない
第八條
日本にある亜墨利加人、自ら其国の宗法を念し、礼拝堂を
居留の場の内に置も障りなし、其建物を破壊し亜墨利加人
宗法を自ら念ずるを妨る事なし
亜墨利加人、日本人堂宮を毀傷する事なく、又決して日本
神仏の礼拝を妨げ、神躰・仏像を破る事あるへからす、双方の
人民互に宗旨ニ付て争論あるへからす
日本長崎役所に於て踏絵の仕来りハ既ニ廃せり
    
アメリカ人の宗教の自由
第九條
亜墨利加コンシュルの願に依て、都て出奔人裁許の場より
逃去し者を召捕、又はコンシュル捕置たる罪人を獄に繋く事
叶ふべし、 且陸地ニ船中ニ在る亜墨利加人ニ不法を戒め
規則を遵守せしむるが為にコンシュル申立次第助力すべし
右等の諸入費并ニ願ニ依て日本の獄に繋きたる者の雑費は
都て亜墨利加コンシュルより償ふべし

都て: 総て
第十條
日本政府、合衆国より軍艦・蒸気船・商船・鯨漁船・大砲
軍用器ニ兵器之類、其他要需の諸物を買入、又は製作を
誂へ、或は其国の学者・海陸軍法の士、諸科の職人
夫を雇ふ事意の侭たるへし
都て日本政府注文の諸物品は合衆国より輸送し雇入る亜墨
利加人は差支なく本国より差送クるべし
合衆国親交の国と日本国万一戦争ある間は軍中制禁の品々
合衆国より輸出せす、且武事を扱ふ人々は差送らざるべし
   
第十一條
此條約に済たる商法之別冊は本書同様、双方臣民互に遵守
すべし
   
第十二條
安政元年寅三月、即千八百五十四年三月三十一日 
神奈川に於て取替したる條約之事、此條々に齟齬せる廉ハ
取用いず、
同四年巳五月廿六日即千八百五十七年八月十七日下田
に於て取替したる約書ハ此條約中ニ悉せるに依りて取捨へし
日本に来れる合衆国のヂフロマチーキアケントと此條約規則
別冊の條を全備せしむるために要すへき所の規律等談判
を遂べし
本条約が神奈川条約(和親条約)に抵触
する場合は本条約を優先する
下田条約は本条約に置き換わるので破棄
    
第十三條
今より凡百七拾壱ケ月の後、
即千八百七十弐年七月四日に当ル
双方政府の在意を以て両国の内より壱ケ年前に通達し、此
條約神奈川條約之内なし置くケ條、及此書添たる別冊
ともに双方委任の役人実験之上談判を尽し補ひ、或ハ改る
事を得へし
    
条約の改廃:1872年7月4日以降、一年前
の通達
第十四條
右條約之趣は来る未年五月日、即千八百五十九年四月より
執行ふべし、此日限或は其以前にても都合次第に日本政府
より使節を以て亜墨利加・華盛頓府に於て本書を取替すへし
若余義なく子細ありて此期限中本書取替し済すとも條約の
趣は此期限より執行へし

本條約は日本よりは大君の御名と奥印を署し、高官のもの名
を記し印を調して證とし、合衆国よりハ大統領自分名を記し
セケレターリスフハンタート官名とも自分名を記し、合衆国の
印を捺して證とすへし
尤日本語・英語・蘭語にて本書、写ともに四通を書し、其釈文
ハ何れも同義なりといへとも、蘭語釈文を以證拠となすへし
此取極のため安政五午年月日、即千八百五十八年
亜墨利加合衆国独立の八十二年月日、江府に於て前に
載たる両国の役人等名を記し調印するもの也
          
  安政五年戊午七月廿二日記之
条約に開始日 安政六年五月(1859年4月)
条約の批准
条約の当事者
   日本 将軍 名前・奥印
       幕府高官名前・印
   合衆国 大統領 サイン
        Secretary of States サイン 
         (国務長官)
            合衆国印 







(1858年7月22日)
注()内日付は新暦(太陽暦)

出典:安政雑記第一冊より

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