武家諸法度(寛文令) 戻る | ||
1 | 一文武弓馬之道、専可相嗜事 | 学問や武芸に熱心に取り組む事 |
2 | 一大名・小名在江戸交替之義、毎年守所定時節可 致参勤、従者之員数弥不可及繁多、以其相応可 減少之、但公役者任教令、可随分限事 |
大名・小名の在所と江戸の交替は、毎年決めた 時期を守り参勤する事。 従者は多数にせず 相応に減らす事。 但公役の時は財力に応じる |
3 | 一新規之城郭構営堅禁止之、居城之湟累・石壁 以下敗壊之時、達奉行所可受其旨也、櫓・城門等 者如先規可修補事 |
新規築城は禁止する。 居城の堀や石垣の 破損は奉行所に届け指示待つ事。 櫓・城門 等の修復も同様である |
4 | 一於江戸并何国、縦何等之事雖在之、在国之輩ハ 守其所、可相待下知事 |
江戸でも何国でも、何か起こっても在国の者は その場を守り、幕府の指示待つ事 |
5 | 一雖於何処被行刑罰、役者之外不出向、但可任 検使之左右事 |
何所で刑罰が行われるとも、担当者以外出向 かない事。 担当者に任せる事 |
6 | 一企新儀、結徒党、成誓約之儀制禁之事 | 謀反を企て、仲間を集め誓約する事は厳禁する |
7 | 一諸国主并領主等不可致私之争論、平日須加謹慎 若有可及遅滞之儀者、達奉行所可受其旨事 |
国主や領主は私闘してはならない。 平日常に 注意する事。 もし問題あれば奉行所に伺う事 |
8 | 一国主・城主・壱万石以上近習并物頭ハ私不可結 婚姻事 附、与公家於結縁辺者、向後達奉行所、可受 差図事 |
国主・城主・壱万石以上の近習や物頭は許可 無く結婚してはならない 附、公家周辺との縁談は奉行所に伺い指示 を受ける事」 |
9 | 一音信・贈答・嫁取儀式、或餐応、或家宅営作等、 弥可為簡略、其外万事可用倹約事 |
贈り物、結婚式、宴会或は家作など、特に簡略 化に務める事。 その他万事倹約に努める事 |
10 | 一衣装之品不可混乱、白綾公卿已上花小袖諸 士大夫已上聴之、紫袷紫裏練無紋之小袖、 猥不可着之、至諸家中之郎従・諸卒、 綾羅錦繍之飾服非古法、令制禁事 |
衣装の等級を乱さない事。 白綾は公卿以上、 白小袖は士大夫以上に許す。 紫袷・紫裏・練 無紋之小袖は妄りに着てはいけない。 諸家中 で下級武士が綾羅錦繍の飾服は古来無いので 是を禁ずる事 |
11 | 一乗輿者一門之歴々、国主城主壱万国以上并 各大名之息、城主及侍従以上之嫡子、或年 五十以上、或医・陰両道病人免之、其外禁濫吹 但免許之輩ハ各別也、 至干諸家中者、於其国撰其人可載事 |
乗輿は徳川一門の歴々、国主城主壱万国 以上並びに各大名の子息、城主及侍従以上 の嫡子、或は五十才以上の者、或は医者 陰陽道、病人は許す。他は許しを得た外は 載ってはならぬ。諸家中で乗る人を撰ぶ事 |
12 | 一本主之障有之者、不可相抱、若有叛逆・殺害人 之告ハ可返之、向背之族或返し、或可追出事 |
元の主人方で問題ある者は採用せぬ事。 もし叛逆・殺害人等の情報あれば直ぐ返す事 違反者は或は返し、或は追出す事 |
13 | 一陪臣質人所献之者、可及追放・死刑時ハ 奉行所可受其旨、若於当座有難遁儀而斬戮之 者、其子細可言上事 |
幕府に出した人質を追放・死刑にする時は 奉行所の指示を受ける事。 もし即座に処刑が 必要ならその理由を報告する事 |
14 | 一知行所務清廉沙汰之、不致非法、国郡不可令 衰微事 |
知行所政務は清廉に行い、違法な事をしては ならない。 国郡を衰微させぬ事 |
15 | 一道路・駅馬・船梁等無断絶、不可令致往還之 停滞事 |
道路・駅馬・船橋等途絶えさせぬ事、交通の 停滞を起こすべからず |
16 | 一私之関所、新法之津留制禁事 | 私的な関所を設けたり、商品流通止めをせぬ事 |
17 | 一五百石以上之船停止之、但荷船制外之事 | 五百石以上の船製造禁止、但商船は除く |
18 | 一諸国散在之寺社領、自古至今所付来ハ 向後不可取放事 |
諸国に散在する寺社領は昔からある物は今後 も取り離してはいけない |
19 | 一耶蘇宗門之義、国々所々弥堅可禁止之事 | キリスト教は全国何所でも厳禁する |
20 | 一不孝之輩於有之者、可属罪科事 | 親不孝者は処罰の対象となる |
21 | 一万事応江戸之法度、於国々所々可通行事 | 全国何所でも幕府の法を遵守する事 |
右之条々准当家先制之旨、今度潤色而定之 訖、堅可相守之者也 寛文三卯年五月廿三日 |
右の各条は当家の従来からの法に準じ今度 改定したものである。 厳守する事 寛文三年五月廿三日 |
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注 1.寛文令は、19条耶蘇教厳禁及び20条の不孝者の処罰の追加、及び17条荷船の500石 制限撤廃以外は寛永12年の寛永令に同じ。 2.天草の乱は寛永14年に起こっており、以後キリスト教が厳禁となった事が寛文令に反映 されているものと思われる。 3.軍船(関船と云った)は500石に制限されたが、荷船は江戸への物資運送に不都合あり 荷船に限り制限は撤廃された。 |
条々(寛文三諸士法度) 戻る | ||
1 | 一忠孝をはげまし、礼法をただし、常に文道武芸 を心がけ義理を専にし、風俗を乱すべからざる事 |
忠孝をはげまし礼法をただし、常に文道武芸を 心がけ義理を専にし、風俗を乱さぬ事 |
2 | 一軍役の定、旗・弓鉄砲鑓・甲冑・馬皆具・諸色 兵具并人積、無相違可嗜之事 |
軍役の規則、旗・弓鉄砲鑓・甲冑・馬皆具等各種 武器及び人員予定を間違いなく確認しておく事 |
3 | 一兵具之外、不入道具を好、私之奢不可致、万 倹約を用べし、知行損毛、或船破損、或火事、 此外人も存たる大成失墜ハ各別、件之子細 なくして、進退不成奉公難動輩ハ可為曲事事 |
武器以外の不要の道具に投資し、自分の贅沢を してはならず、常に倹約に努める事。 収穫が 減るか運送の船が破損したり、火事、それ以外に 特に皆が知る損害、それ以外で理由無く経営が 不振となり奉公が難しくなるのは曲事である |
4 | 一屋作之営、不可及美麗、向後弥分限ニ応じ 可為簡略事 |
家作は華麗にする事ならず、今後は財力に応じ 十分簡略にする事 |
5 | 一嫁娶之儀式、不可及美麗、自今以後弥応 其分限可省略、縦大身たりといふとも、長柄 つり輿三拾丁、長持者五拾棹過べからず、 惣而此数量を以分限ニ応可沙汰事 |
結婚式を派手にせぬ事。 以後夫々財力に応じ 省略する事。 上級武士と云えども長柄つり輿 三拾丁、長持は五拾棹を超えぬ事 全体にこの数量を参考に財力応分になす事 |
6 | 一振舞之膳、七五三等の饗応之外ハ木具并 杯之台金銀彩色之造花停止之、但晴之会合、 嫁娶之時ハ木具盃台用捨すべし、惣而振舞 之義者かろく致、酒乱酔に不可及事 |
宴会の膳は七五三等の祝い以外は木具及び 杯の台に金銀彩色の造花は禁止する。但晴の 会合、結婚式の時は木具も盃台も許す。 全体に宴会は軽くし、酒を飲みすぎない事 |
7 | 一音信之礼儀、太刀馬代黄金壱枚、或銀拾枚、 分限にしたがひ、此内を以可減少之、或銀 壱枚青銅三百疋礼物百疋に至迄可用之、并 小袖十如右可減少之、雖為大身不可過之、 惣而諸色此積を以可用遣之、国持大名と礼儀 取かハしの時も此上之美麗不可致、勿論酒肴 等も可為軽少事 |
贈り物の基準は太刀馬代黄金壱枚、或は銀 拾枚財力により是以内に減らし、銀壱枚、青銅 三百疋礼物百疋に至るまで、更に小袖十迄 減らす。 上級武士とても是を超えない事。 全体にこの基準を使う事。 国持大名と贈答を 交わす時もこれ以上してはならない。 勿論酒肴等も軽く少なめにする。 |
8 | 一行死罪者有之時ハ役人之外一切其場へ不可 懸集事 |
死刑執行の時は役人以外は一切其場へ 集ってはいけない |
9 | 一喧嘩口論堅制禁之、若有之時荷担ハ其咎 可重於本人、惣而喧嘩口論之刻、一切不可 馳集事 |
喧嘩口論は堅く禁じる。 もしそれに荷担すると 荷担の罪は当人以上重くなる。 全体に喧嘩口論のある時は一切集らぬ事 |
10 | 一城中において、万一喧嘩口論有之節ハ、其相 番中可計之、猥他番より不可集寄、番無之節ハ 其所へ近輩可取扱計之、令油断者可為越度事 |
城中において、万一喧嘩口論があった時は 当事者の属する部門内で解決する事。 妄りに 他部門から集らぬ事。 もし部門が無い時は近い 者で解決する事、何もしない者は落度とする |
11 | 一火事若令出来ハ役人并免許之輩之外、不可 懸集、但役人差図之者ハ可罷出事 |
もし火事を出したら役人及び許可された者以外は 集らぬ事。 但役人が差図した者は出る事 |
12 | 一本主之障有之者、不可相抱、叛逆殺害盗賊 之届あらば急度可返之、其外軽咎之者ニ至て、 侍者届次第可追払之、小者中間者可返之、於 難渋ハ番頭組頭及談合可済之、頭なきものハ 其並之輩可致談合、若有滞所者達役者可受 差図事 |
元の主人方で問題を起こした者は採用せぬ事。 叛逆殺害盗賊の届あれば必ず返す事。 その他 軽い罪の者でも侍は届け次第追払い、小者中間 は返す事。 困難があれば番頭組頭で相談して 解決する事。 頭がなければ相当の者が相談 する事。 もし難航なら役者に届け指示待つ事 |
13 | 一於諸家中大犯人あらハ、縦雖為親類縁者、直参 之輩取持、不可相囲事 |
諸家中に大犯人あれば、例え親類縁者でも直参 の者が解決し隠しておいてはいけない |
14 | 一何事においても私之争論不可致、若申旨あらバ 番頭組頭可令相談之、番頭なきものハ、其並之 輩及相談可済之、滞儀あらハ達役者可受其旨事 |
何事においても私の争論をしてはならぬ。 もし 言分あれば番頭組頭に相談する事。 番頭 なければ相当の者に相談し解決する事 難航するなら役者に届け指示を待つ事 |
15 | 一百姓訴論之事、双方之番頭・組頭遂穿鑿、其組 之荷担不致之、相互令談合可捌之、頭なき者 ハ其並の輩寄合可済、滞義あらハ、達役者 可受其捌、然上者地頭・代官者勿論、番頭・組頭 并其捌之輩不及出於評定所之事 N |
百姓の訴論は双方の番頭・組頭が検討し、其組 の荷担はせずに相談してこれを解決する。頭が なければ相応の者が相談して解決する。 難航するなら役者に届け捌を受ける。 この時 地頭・代官は勿論、番頭・組頭並びに捌の者 は評定所に出る必要はない |
16 | 一知行所務諸色、相定まる年貢所当之外、非法を なし、領地亡所ニ致べからざる事 |
知行所政務で、決められた年貢収納以外に違法 な事をして、領地をなくすような事をしないこと |
17 | 一新地之寺社建立弥可令停止之、若無拠子細 有之ハ達奉行所可受差図事 N |
新たに寺社建立は禁止とする。もし特別な理由 あれば奉行所に訴え指示を待つ事 |
18 | 一跡目之義養子ハ、存生之内可致言上之、及 末期雖申之不可用之、雖然其父年五拾已下 之輩、雖為末期、依其品可立之、十七歳以下 之者、於致養子ハ吟味之上許容すべし、 向後ハ同姓之弟・同甥・同従弟・同又甥・ 同又従弟此内を以、相応之者を可撰、若同姓 無之ハ入婿・娘方之孫姉妹之子、種替り之弟、 此等之者其父之人柄により可立之、自然右之 内ニ而も可致養子者、於無之ハ達奉行所可受 差図也、縦雖為実子、筋目違たる遺言立 べからざる事 |
跡目の養子は、生存中に言上する事。 死後 に申出ても取上ない。 しかし父が50歳以下は 死後でも認める事がある。 十七歳以下の者が 養子を立てるのは吟味の上許容する。 今後は 同姓の弟・同甥・同従弟・同又甥・同又従弟の中 で相応の者を撰ぶ事。 もし同姓の者無ければ 入婿・娘方の孫姉妹の子、種替りの弟、此等の 者も其父の人柄により立てる事。 当然この中で 養子にする者が無ければ奉行所に届け指示を 待つ事。 例え実子でも筋目が違う遺言では 立ててはならない |
19 | 一嫁娶并養子之義ニ付、貧たる作法不可仕事 | 嫁娶りや養子縁組には作法をきちんとする事 |
20 | 一結徒党、致荷担、或妨をなし、或落書張文博奕 不行儀之好色、其外侍に不似合事業 不可仕事 |
仲間を集め荷担をし、或は妨害し落書、張文 博奕、行儀の悪い好色、其外侍に不似合な 事業をしてはならない |
21 | 一徒・若党衣類、さやちりめん・平島・羽二重・ 絹紬・布 木綿之外停止之事 附 弓鉄砲之者、絹紬・布木綿之外不可着之、 小者中間衣類、万布木綿可用之事 |
徒・若党の衣類はさやちりめん・平島・羽二重・ 絹紬・ 布木綿の他は禁止する。 附 弓鉄砲の者は絹紬・布木綿の他は着ては ならない。小者・中間衣類は布木綿のみ |
22 | 一物頭・諸役人万事に付而、不可致依怙并諸役 之者其役之品々常ニ致吟味不可油断事 |
物頭・諸役人は万事に依怙贔屓してはならぬ。 又諸役人は役の内容を常に吟味し油断せぬ事 |
23 | 一家業無油断可相勤事 N | 家業に油断なく勤める事 |
右条々依先刻之旨損益之、今度定之訖、堅可 相守之、若於有違犯族ハ、糺咎之軽重、急度 可処罪科者也 寛文三卯年八月五日 |
右条々は前の趣旨を整理統合し、今度改定した 堅く守る事。 違反した者は咎の軽重により 必ず処罰されるものである 寛文三卯年八月五日 |
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注 1.大成令には諸士法度と云う名前はなく、武家諸法度の部の条々というタイトルである。 2.寛永九年のものが初めで9か条からなる。 第一条侍の道は油断なく軍役等相嗜事 以下旗本の心構えを述べている 3.寛永十二年に整備したものが発令され、上記寛文三年版で一部追加削除がなされた。 寛永十二年版にあり、寛文で削除された条項で「上意趣、縦如何様之事申渡と 云ふとも、違背すべからざる事」と云うのがある。 |
武家諸法度 (天和令) 戻る | ||
1 | 一文武忠孝を励し可正礼儀事 | 学問武芸に励み忠孝を尽し、礼儀を正しくする事 |
2 | 一参勤交替之義、毎年可守定所之時節、従者之 員数不可及繁多之事 |
参勤交替は、毎年決まった時節を守り、従者の 員数は多過ぎない事 |
3 | 一人馬・兵具等分限ニ応じ可相嗜事 | 人馬・武器は財力に応じ用意して置く事 |
4 | 一新規之城郭構営堅禁止之、居城湟累石壁等 敗壊之時ハ達奉行所、可受差図也、櫓城門 以下者如先規可修補事 |
新規の築城は禁止する。 居城の堀・石垣が 壊れた時は奉行所に届け指示を受ける事。 櫓・城門の修理も前に同じ |
5 | 一企新規、結徒党、成誓約并私之関所、 新法之津留制禁事 |
謀反を企て仲間を集め誓約する事を禁止する 私的な関所、新法で物流を止める事禁止 |
6 | 一江戸并何国にて不慮之儀有之といふ共猥不可 懸集、在国之輩ハ其所を守、下知可相待也、 何所ニ而雖行刑罰、役者之外不可出向、可任 検使之左右事 |
江戸並びに何国で事が起きても妄りに集らず 在国の者は其処を守り、幕府の命令を待つ事 何所で刑罰が行われようとも、担当者以外は 集らず、検使に任せる事 |
7 | 一喧嘩口論可加謹慎、私之争論制禁之、若無拠 子細有之、達奉行所可受其旨、 不依何事令荷担者其咎本人よりおもかるべし、 并 本主の障有之もの不可相抱事 附 頭有之輩へ百姓訴論ハ其支配江令談合、 可相済之、有滞儀ハ評定所へ差出之可受捌事 |
喧嘩口論は押さえ、私的な争を禁じる。もし已む なき理由があれば、奉行所に届け指示を待つ事 何事に寄らず荷担の罪は当事者より重い。 元の主人方で問題あった者を採用しない事 附 頭の有る者への百姓訴論は、その支配に 談合させ解決する事。 難航すれば評定所へ 差出して捌を受ける事 |
8 | 一国主・城主・壱万石以上近習并諸奉行、諸物頭 私不可結婚姻、惣而公家と於結縁辺者、達奉行 所可受差図事 |
国主・城主・壱万石以上近習及諸奉行、諸 物頭は許可無く結婚してはならぬ。 全体に公家 周辺との縁談は奉行所に届け指示を受ける事 |
9 | 一音信・贈答・嫁取之規式餐応、或家宅営作等 其外万事可用倹約、惣而無益之道具を好、不可 致私之奢事 |
贈り物や結婚式の宴会、或は家作、其の他 万事に倹約すべし。 全体に無益の道具を好む 等私的な贅沢をせぬ事 |
10 | 一衣装之品不可混乱、白綾公卿以上、白小袖 諸士大夫以上免許之事 附 従者・若党之衣類、羽二重縮緬布木綿、 弓鉄砲之者ハ紬布木綿其外ニ至てハ万 に布木綿可用之事 |
衣装の等級を乱してはならぬ。 白綾は公卿 以上、白小袖は諸士大夫以上に着用を許す 附 従者・若党の衣類は羽二重、縮緬、布木綿 弓鉄砲の者は紬布木綿、其外は全て 布木綿着用する事 |
11 | 一乗輿者一門之歴々、国主城主壱万石以上并 国大名之息、城主及侍従以上之嫡子或五拾 以上許之、儒・医・諸出家者制外之事 |
乗輿は徳川一門の歴々、国主城主壱万石以上 並びに国大名の子息、城主及び侍従以上の嫡子 或は五拾才以上は許す。 儒・医・僧侶は制限外 |
12 | 一養子者同姓相応之者を撰び、若無之に おいてハ由緒を正し、存生之内可致言上、 五十已上十七已下之輩、及末期雖致養子、吟味 之上可立之、縦雖実子筋目違たる義不可立事 附 殉死之義令弥制禁事 |
養子は同姓で相応の者を撰ぶ。 もし該当無きは 由緒正しい者を生きている内に言上する事。 五十才以上十七才以下の者、死後に養子を 立てる事は吟味の上である。 仮令実子で あろうと筋目が違う者は立てられない 附 殉死は禁止されている事である |
13 | 一知行所務清廉沙汰之、国郡不可令衰弊、道路 駅馬橋船等、無断絶可令往還事 附 荷船之外、大船者如先規停止之事 |
知行所政務は清廉に行い、国郡を衰弊させぬ事 道路・駅馬・橋船等は途絶えさせず交通させる事 附 商船以外大船建造は従来通り禁止 |
14 | 一諸国散在之寺社領ハ自古至干今所附来ハ 不可取放之、向後新地之寺社建立弥令停止之、 若無拠子細有之ハ達奉行所可受差図事 |
諸国に散在する寺社領は、昔からのものは今後 も領地を取り離してはならない。 今後は新規の 寺社建立は禁止する。 もし已むを得ぬ理由が あれば奉行所に訴え指示を受ける事 |
15 | 一万事応江戸之法度、於国々所々可通行事 | 全国何所でも幕府の法を遵守する事 |
右条々今度定之訖、堅可相守者也 天和三亥年七月二十五日 |
右の条々今度定める、堅く守るべきものである。 天和三年七月二十五日 |
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注 1.旗本用の諸士法度を統合し、対象が拡大した為寛永、寛文の武家諸法度とかなり変る。 2.江戸中期となり、第一条に見られ通り文治主義の色彩が強く、殉死の禁止も成分化 3.諸士法度からの流入としては第1条武家の心構え、2条人馬・兵員の準備、10条衣類の 一部、12条養子の規定等 4.享保令は天和令と全く同一で、最後に以下の文章が入っている。 右条々堅可相守之、当家代々潤色之故無所改正、依用天和法制者也 (右条々堅くこれを相守るべし、当家代々これを潤色故、改正する所無し、依って 天和法制を用いるものなり) 享保二酉年三月十一日 |
嘉永六年(1853年)大船製造の禁止の解除 | |
嘉永六丑年九月遠藤但馬守殿御渡 荷船之外大船停止之御法令ニ候所、方今之時勢 大船必要之儀ニ付、自今諸大名大船製造致候義 御免被成候間、作用方并船数とも委細相伺、可受 差図之旨被 仰出候、尤右様御製度御変通被 遊候者、畢竟 御祖家之御遺志御徳述之思召より 被 仰出候事ニ候間、邪宗門御制禁等之儀者弥 以、如先釈相守取締向、別而厳重可被相心得候 右之通、万石以上之面々江被 仰出候間、万石 以下之向江も為心得可被達候 (出典:嘉永雑記) |
嘉永六丑年九月遠藤但馬守殿御渡 荷船の外の大船は法令で禁止されていいたが 昨今の時勢より大船が必要である。 今後は諸大名が 大船を製造する事が許されるので、目的、船数など 申請して指図を受ける様に指示された。 もっとも この様な制度の変更を将軍が成されたのは、つまり 御祖家の御遺志御徳述の思召より決定されたので、 キリスト教の禁止等は従来通り守り、特に厳重に 心得る様に。 右の通り、万石以上の面々へ指示されたので、万石 以下の者にも心得の為に伝える事 |
注: 1.上記大船の製造解除は享保以後変更されなかった武家所諸法度の唯一の変更と言われる。 19世紀に入ってから日本近海へ西洋諸国の軍艦が頻繁に訪れる様になり、特に嘉永6年 6月米国ペリー艦隊が浦賀に渡来した事が法令変更契機と思われる 2.遠藤但馬守: (胤統1793-1870、三上藩主一万二千石)若年寄在職(1841-1861) |