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        小林神社仏閣寺院改帳

 本文書は元禄十一(1698)年十一月に小林郷(現現宮崎県小林市)の地頭館役人より本府
(鹿児島藩)の寺社奉行に提出された郷内に存在する神社、仏閣、寺院合計百余の調査報告書
である。  
 小林では明治十年の西南戦争で旧地頭館を始め、多数の旧郷士屋敷が灰燼に帰し、近世
古文書が極めて少ない。 その中で明治二年に赤木通園により纏められた小林誌(当ホーム頁で
全文解読)と本改帳は当郷の近世の様子を知る貴重な史料である。

 当文書は複写本が小林図書館にあり、又旧家の脇元家には別写本が残っている。脇元家写本
には「明治四十年六月脇元家秘蔵の古文書に依りこれを写す」となっている。では図書館本は
脇元家秘蔵の原本からの直接コピーかとも考えられるが、原本の所在、経緯を知る人もなく
確認は出来ていない。 いずれにしても内容は同じなので脇元家写本を底本とし、図書館本で
校合して現代文訳を進めた。訳文の後にそれぞれ註釈として他資料からの引用、及び可能な限り
の現状と写真を載せた。又巻末に原文翻刻及び原文陰影(図書館本)を載せたので読者の参考に
資すると信じる。
 
 本改帳は小林の神社仏閣に関して纏めた最も古い一次史料と思われる。この百七十年後の明治二
(1869)年に成立した小林誌は、著者が国学の徒であるため神社については詳しく記述されている。
小林誌の二十年程前の天保十四(1843)年に鹿児島藩により編纂された三国名勝図会の中でも
小林の主要神社と寺院が紹介されている。 昭和四十(1965)年に小林市史が出版されたが、その
神社仏寺の章でも前記三書の参照が多い。 又改帳には昭和二(1927)年時点のメモ加筆があり、
現存、合祀、廃絶等が記されている。 

 本改帳成立の頃は中世から続く神仏習合であり、殆どの神社は権現と呼ばれ仏閣や寺院を併設して
いた。これらは明治元(1868)年の神仏分離法以後全て神社となり、仏閣や寺院部分は廃絶したが、
神社部分に関しては三十社中十五社の現存を確認した。 寺院に関しては、残念な事に主要寺院は
本改帳に先んじて報告したからと云う理由で寺院名だけで内容は省略されている。一部の寺院は
三国名勝図会及び市史でも取り上げられているので訳注で紹介した。 但し旧寺院は幕末明治の
廃仏棄釈で完全に廃絶し墓地だけが残った。又独立した仏閣として本改帳には薬師堂、阿弥陀堂、
地蔵堂、観音堂などが所在地と共に列記してあるが殆どが門(かど、南九州特有の数家族の農民
グループ)内 になっている。それぞれの門に属する農民の信仰の拠り所だったと思われる。
 門の長である名頭(みょうづ)の敷地等に堂があったのではないかと想像できるが本改帳以外の
記録は極めて少ない。多くは幕末明治初期の廃仏棄釈で廃棄焼却された事が考えられ、本改帳に載る
七十五堂の中七堂の復活継承が確認できた。 小林郷の当時の人口は幕末頃に6,400人と小林誌にあり、
その二百年程前の元禄の頃は四−五千人と推定するが、冒頭にもあるように記録に残る神社仏閣寺院
合せて百余もある。 いかに昔の人は信仰に熱心だったかと云う事が窺われる。

 廃仏棄釈に関しては小林郷の隣高原郷の永濱家に残る高原所系図(拙訳、当ホーム頁で掲載)の
慶応四年(1868)年閏四月三日の項に当時の生々しい状況が記されている。これによると
「狭野権現脇宮の千手観音及び寺内諸仏は三日に焼失した。 仁王は石でできているので脇の山内に
捨てられた。次第に村々に神道が入る事により郷内諸仏は焼かれるか破棄された。高原における諸仏
焼却棄却の役は曽於郡より派遣され、
高原の後は小林や東霧島(高崎郷)へ移って行った」とある。維新の蔭に隠れた蛮行としか思えない。

 本書の目的は三百年前に崩し字で書かれた郷土の古文書を活字化(翻刻)及び現代文にして読み
やすくすることである。神仏に対する造詣も知識も持合せて居ない筆者であるが、註釈として他書に
よる情報とその後の推移及び現状写真を追加しているので、更に研究を深めようと云う人に多少なり
ともお役に立てば幸甚である。 
 尚本稿の本となる改帳コピーと同写真を提供頂いた小林史談会会員の脇元りつ子氏及び、近郊のみ
ならず、小林の秘境とも云うべき木浦木迄数度訪れ、神社仏閣四十ヶ所余の写真撮影、及び聞取り等で
精力的に現状調査頂いた同会員羽島俊二郎氏に感謝を申上げたい。

霧島峯神社第一旧跡
霧島山(高千穂峰)九合目に建立され、承和四(837)年官社に指定された。その後文暦元(1234)年の御鉢の大噴火で此地から山裾の瀬戸尾に移転する。 更に享保元(1716)年の新燃嶽噴火で霧島山中から下山し小林近郊に遷座する。
写真は平成廿一(2009)年筆者登山時に撮影したもの。バックの山は高千穂峰頂上近辺。

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