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              嘉永六年七月勝麟太郎上書
                愚表申上候書付
   此度アメリカの使節船が渡来し滞船中、内海深く乗入れ測量や浅深等を探っておる
事は誠に無礼な事です。もし何かの手違いがあり万一不測の衝突になれば、普段から
手厚くなされている房総、相模の警備が何の役にも立たず、警備の兵士達はただ空しく
歯軋りをして海岸を守るしか御座いません。 大変失礼とは思いますが元はと云えば我国の
兵制や武器は時代遅れになっており、その上泰平に甘んじたので武備は廃れ弛み
役立たなくなったのではないでしょうか、そのため相手は恐れずに分不相応な望みを抱き
軽蔑さえもしている事と思います。 今後もずる賢い外国人達がこれを聞伝え、毎年こんな事
があれば国家の権威も次第に弱まり、大小名達は警備の命令に疲れ万民が労役を避け、道
には怨嗟の声が起こり、最後には天下の一大事にも成る可能性もあり大変な事で御座います。 

現在の急務であり且つ肝要の施策は先ず兵制の改革、軍法、兵の訓練の三大要素に
尽きると考えます。 それから江戸海に堅固な要塞を建造し、(諸侯の兵ではなく)旗本が
守備する事が急務と思います。 
彼の国の軍艦は堅牢で鉄の城の様であり、動きが自由でありますから富津・観音崎・猿島等を
幾ら整備しても広い海上の事ですから、此処で防留めて江戸海への乗入るのを止める事は
至難の事と存じます。 もしこれらの場所で烈しく打ち合う軍艦を一二艘も止めて応戦して
いる間、蒸気船等を直ちに内海へ乗入れ江戸市中へ向けて焼玉等を打かければ防ぎ
様もなく、戦で後手を取り臍を噛ような事態になる可能性もあると考えます。 従って江戸の
防禦を厳重に備えられる事が、現在の急務と存じます。 

彼国では専ら海岸に設置される砲台には十八斤以上の大砲や榴弾砲と云われる砲を採用して
いるようです、しかしながら砲種のみ揃えても製造方法が分らず、又砲台の位置なども適正で
なければ実戦では役立たず、却って味方に損害を与えると云う事も聞いております。 
江戸海の地勢で申上げれば先ず大森羽田の先、品川の先、佃島の先等に砲台を築き、七拾挺
備へ御台場、其外深川の先端、芝因幡侯の下屋敷先、浜御庭先等へは拾挺ないし弐拾挺
備える砲台を建造なされ、是より各砲台協力し十字射に発砲すれば江戸は厳重に守られると
存じます。 その他は場所に依っては厳重な砲台は無くとも、爆弾除けの防壁などを備えれば
不慣れな多数の兵士よりも遥かに効果があると存じます。 

総じて外国の攻撃を防ぐには軍艦が無ければ完全とは云えませんが、現在の處では軍艦が
有っても運用が不慣れで直ぐのお役には立つまいと存じます。 従って差し当たりは江戸の
防禦を厳重に為されて、その上で追々軍艦をご用意なされても遅くはないと存じます。 
仮令万一戦争になり、内地を離れた島を壱つ二つ奪われたとしても、軍艦を建造なされ
兵制の改革も行われれば直ぐにでも取り戻し、その上敵の巣窟まで攻める事も不可能では
ないと存じます。 多くの事を一度に完全にする事は過去にも無かった事ですから、緩急に
応じて対応なさるのが有りがたいと存じます

私ごとき若輩ものが国家の一大事に関する事等を申上げ、誠に死罪に相当するものですが
数代に渡り莫大の国恩に浴して居る身分で御座いますので、深く憂慮いたし恐れを顧みず
愚表を謹んで申上げます、以上
                                小普請組
                                  松平美作守支配
    丑七月                                勝 麟太郎

   前文で申上げた愚存は、現時点の急務と思う件だけ申上げておりますが常々メモして
   置きました数カ条を申上げます。
   
   第一 人を慎重にお選びになり、現場の情報が上に到達するようになされたき事
総じて外国の攻撃に対する備えの要は内部を固めることが重要です、この為には要になる
人を選ぶ事が第一です。 現在でも重視なされているので、お役人方は総て賢明で立派な
人だけ選ばれて居られるとは存じますが、更に一層の重視をなされたく存じます。
中でも政治に携わるお役人は特別厳重にお選びになり、廉直にしてその志正大雄偉の人を
任ぜられたく存じます。 そしてこれらお役人は時々御前へ召し出され、天下の政治、外交
政策等に付き討論して研究する事を仰つけられれば自然と良策も出て、これにより自分が
何を進言すべきかも明らかになると存じます。

泰平が続く事により起る弊害は尊卑の隔差が広がり、現場の情報が上に上がらず自然と進言
も塞る事で御座います。 どんな立派な将軍や大臣でも現場の情報が伝わらねば万民が
喜んで従うような政治は出来ないと存じます。 従ってこの点について十分ご注意なされ、
進言が上がるようになされたく存じます。
 
   第二 海の防禦は軍艦無しには不可能である事
海国の兵備の要である軍艦を製造しなくてはならない、と云う事は天下の通論で御座います。
しかし軍艦を製造することは容易ではなく、その上航海並びに運用、進退なども安易に
得られる技術とも思われません。 更にこれらの費用を見積もれば必ず莫大なものになる筈
と存じます。 だからと云っても強固な船が無ければ、どんなに注意を払っても外国からの
攻撃に対する防禦は完璧とはなりません。

総じて外国からの攻撃に備える兵備は外国から得たもので用意しなればなりません。 
なぜならば如何に豊かな国であっても大艦や大砲の建造費用は莫大であり、更にその運用
に従事する者達の費用も手厚くせねば成らず、このため万民の税金が過酷となり庶民の
反発を招く事になりましょう。
このような理由から外国防衛に充てる兵備は、交易で得た利潤を充てなければ十分には
ならないと存じます。 

此処に申上げた交易の事は実現可能でない様でもありますが、もし軍船の製造出来る
ようになれば、年々起り続ける難破船も少くなり、凶年の際の運送も自由になるので、
これらの米穀を確保する以外は外国へ廻したく存じます。 
これらを強固な船を製造なされて運送すれば、今までどんなに法令を厳重になされても
奸民達が行っていた密輸も止むの必然と存じます。 

強固な船が出来たら直ぐに法令を定められ、先ず清国・魯西亜の境近並びに朝鮮へ
こちらから雑穀・雑貨を売り、有益の品々と交易を盛んにする事で御座います。
このように此方から出掛け、彼方から来るのを止めれば国財を失う事は少く、有益
であると存じます。 初めの内は航海に不慣れなために、海上で海賊や外国船に
追われたり、時によっては打ち沈められる事もありましょうが、元来勇気は世界に
勝れている日本ですから、これらの事により却って進退・駆引並びに海戦なども実地に
経験し工夫も生まれる事と存じます。
 
この件は実に容易な事では御座いませんが、数十年の後には日本の勢は必ずこの
様になるかと存ますので追加して申し上げます。

    第三 天下の都府には厳重な防備が有りたき事
この件は前文にも示しておりますが重ねて反覆し申し上げます。
一般に繁栄した豊かな地が海岸近くの場所にあると、不意の事態で海賊が乱入する事
もあるので、必ず砲台を厳重にして置かないと不測の事態に応じる事が難しくなります。
況や江戸の如き天下の咽元の地は特に厳重である様にしたいと存じます。
前文で申上げましたように大砲数門を備えて置き、不時の事態が起っても臨機応変に
防禦できる様訓練をしておきたく存じます。

総じて外国の輩は船中での動きに特別熟練して居る様ですので、繁栄の地に対して攻撃を
する時に闇雲に上陸はぜず、先ず船中から柘榴弾・暴母等と云う破裂玉を千発ないしは
千五百発も打掛けた後、上陸すると聞いて居ります。 このようになりますと此方の兵士は
どんなに多数でも、唯々道具責めになり空しく討死せざるを得ません。 
従ってこれを防ぐ対策を立てた後、上陸接戦になれば、兼て鍛錬している刀鎗により
戦う事ができると存じます。
 
    第四 旗本の人々の活用と兵制の改正並び教練学校を設立の事
近来では特に旗本の人々は困窮しており、三百石以下の小給者達は諸物価高騰により
当面必要なものも不足し、武備を心懸る者もきちんとした用意はできず、次第に廉恥の志は
薄くなっております。 その他諸組の同心等に至っては手内職をしながら暮らして
おりますので、武術等の稽古をする暇は全く無い状態で御座います。 
勿論譜代・外様の大小名の中には武備を厳重に行っている家も少なからずありますが
天下の武備の根元はやはり旗本の兵備ではないかと存じます。 現在の兵学者流の
制度は泰平以後に定まった制度であり、これでは天下の兵法とは云えないもので御座います。
今では兵制も変遷しており、武器も新しく開発されたものも少なくありません。 特に大砲の
様なものは実に精巧になっております。 この点に着眼なされ世界一般に採用されている
西洋風の兵制に改正なさる事を決められ、若し異説や反対があっても少しも聞き入れず
改革をお進めになれば、日ならずして強大な武備が整う事と存じます。

教練学校は江戸から三四里隔たった場所に設立なされ、図書には日本、中国、西洋の
兵書・銃学書は何でも集められ、中でも特別に重要な科目である天文学・地理学・究理学
兵銃学・築城学・機械学等を研究する事を指示され、もし御家人だけでは人数不足であれば
諸藩からも参加させ、人撰の上で教授を仰付けられれば、短時日で上達し頭角を顕す者も
あるでしょう。

且つ又最近では翻訳書が夥しく流布しておりますが甚だ間違いが多く、若し天下の利益に
なる様な書は学士に翻訳を命ぜられ、官による版本を世間に触れれば、今まで間違いや
惑説に心酔していた様な事はなくなると存じます。

教練場は方六町(約650メートル四方)もあればどんな隊列でも整列でき、周囲には土手を
築き、訓練に参加する者はなるべく小人数で無益の物持人を省き、馬上の者も馬練沓
(馬の草鞋)等は鞍の後に付けて置き自身で交換する様にし、召連る侍の多くは二男、三男
或は弟、厄介等で死を共する者でなけれは連れて来ない様にして、自分自身も実用に近く
なる様にします。
現在の形勢では千石の禄の者も侍三四人以外は連れず、是も一季半季の渡人で譜代と
云う者は非常に稀ですから、この様な者を多く連れてきても実用の役にはならないと存じます。
そして成績の良いものには二男や厄介でも差別無く御扶持又は銀子等を成績に応じて
下され、同心等も参加する度毎に火薬料としてお金をくだされて、訓練に出る方が自宅で
手内職をするよりも多くなる様して下されば励みも出て贅沢な風もなくなり、その上砲声が
耳に響く中で草原を走り廻れば筋骨も逞しくなります。 一通りお聞きになると莫大な費用に
なるのではないかと思われますが大体二三万石ないし五六万石程の見込で足りると思われ
そうであれば費用僅で武威は盛んになり、国家としてもこの上無い事と存じます。
  
   第五 人工硝石の製造並びに武具製造の事
兵の訓練が盛んになり、銃の取扱い方の改正をなされば火薬の需要が夥しくなるので天然の
硝石だけでは不足します。 その上奸商達が利を貪り急に価格を引き上げるでしょうから
江戸近郊に土質が良く運送にも便利の場所を選んで作硝場として六七ヶ所もお造りになられたく
存じます。 そうすれば三年程すれば硝石が大量に出来、将来の国益に成るはずと存じます。 

総じてこれまで申上げた様に教練学校を設立し訓練演習を盛んになされば、現在の鉄砲の職人
その他の武器諸職人、玉薬(火薬)同心等だけでは人数が足らず、更に銃法を改正なれば
大砲の打ち方もちがいますので、そのためには器械学・銃学を学んだ者へ指揮を仰付
けられ、改正のために不足する人数は諸組の同心か又は少給の隠居・厄介等を充て、
又病身者等は毎日細工所へ出て細工を覚える様に指示なされ、砲身の鋳立及び研磨又は
玉の鋳立等、その人々の得手不得手に応じて細工等をやらせ、毎日日給を各細工に応じて
幾らと決めてお支払い下されば、町人の下請けの手内職で僅の利を得るのと比べれば大きな
違いであり、公儀の為にもなり万一の場合でも武器は幾らでも作り出せます。 
且つ又この様にして作り出した武器の不用分は要求あるところに廉価で払い下げれば、経費は
益々減少するものと存じます
以上愚存を申上げる様に指示されましたので申上げるもので御座います

 丑七月                  勝 麟太郎