pn01
          オランダ通詞 名村多吉郎書簡及び別紙書留  戻る
         九月廿一日名村多吉郎書簡
 一筆啓上仕候、追而冷気相募候得共、弥御清福被成御座成
 奉恭賀候、当方無異義相勤罷在候、御休意可被下候
 然者八月十五日エゲレス船壱艘長崎表へ乗渡候、
 渡来荒方此ニ申上候

一八月十五日辰刻頃白帆相見候趣、肥前鍋島七左衛門殿
 より御注進有之、同国野母遠見より白帆壱艘見出候、御注
 進を午ノ刻頃ニ、瀬戸より十七八里ニ相見江候御注進有之
 候之段、御奉行所より御達有之、其節旗合検使として藤谷
 保次郎殿・上川伝右衛門殿・阿蘭陀人通詞随添沖江罷越
 候處、申ノ下刻頃白帆之船者追々伊王島近ク走り寄候ニ付
 四郎ケ島辺迄検使并阿蘭陀人何れも相越候処、赤白青横
 縞之旗印明カニ相見、猶又検使より被相尋候ニ付、阿蘭陀人
 ニ相尋候処、阿蘭陀旗ニ相違無之相見候段阿蘭陀人申立
 其後追々近寄、殊ニ至而順風ニ而、白帆之船江難乗付

 程之儀ニ有之候処、彼船より俄ニ端船を漕出シ、阿蘭陀
 人乗り候船へ漕付、彼端舟より罷越候者共江阿蘭陀人より
 相尋候者、何国之船ニ候哉と相尋候処、阿蘭陀舟ニ而交留巴
 出帆之由、阿蘭陀語ニ而相答候故、去年帰帆之役人阿
 蘭陀はくき頭者渡来致候哉と相尋候処、乗渡候段申
 之候ニ付、無程御検使一同本船江可罷越趣、阿蘭陀人より
 相答候之処、端舟之者共隠シ置候釼を振り上、不残立懸り
 阿蘭陀乗組之船へ繰込、理不尽ニ阿蘭陀人を彼端舟江
 捕へ行漕出し候と相見候処、本船より端舟江縄を付有之
 候を本船より挽付候、其夜異国船より端舟三艘ニ壱艘ニ

 五拾人つヽ乗組、石火矢・鉄砲・其外武器等相備江、湊内江
 漕入、所々漕廻り候上本船へ漕戻候、翌十六日亦々
 端舟三艘湊内大多尾と申辺江漕入候ニ付、右捕へ候
 ため小船にて漕出候処逃かけ候様子見受、沖手之方へ引
 戻し候、其後者?様者別紙ニ御覧ニ入候
一阿蘭陀人共御奉行所江去退、海辺其外所々御備有之    
 市中之騒動中々言語ニ難尽、委細之儀者梅栄老より
 御承知可被成奉存候間、文略仕候 (梅栄ハ足達氏多紀某之
 門人ニ而、江戸の医師なり、松平図書殿の家来となりて
 長崎ニ至る、当十月江戸ニ帰る)
一別紙申上候異国船一件帳面六冊梅栄老江御渡候間、御受取高
 縄御屋鋪江御内覧ニ御入可被下候、右別紙之外、当夜入御覧
 
 度、書面も御座候得共、未取調中にて首尾相整不申
 是ハ追而入御覧可申候
一当年阿蘭陀船欠年ニ付、高縄御用之品何分難相整、何
 そ御慰之ため可奉献之処、当時在館之阿蘭陀人とも御
 上御玩物ニ相成候程之品物所持不仕、いつれ来年阿蘭陀
 船入津之上、珍器相整、御屋敷江相納候様可仕候、此段
 横井氏江も文通仕置候間、御序之刻御上向宜敷御取
 成奉願候
一被仰置候宣徳手燻着崎之上、直ニ市中吟味仕り候へとも御好ミ
 手燻無之候ニ付、梅栄老江御咄仕候処、則唐方江注文有之多ク

 当冬船ニ持渡り可申奉存候間、町年寄貰請ニ仕差上候様
 可仕候、委細者梅栄老より御承知可被申候、右之趣為可得
 其意、如斯御座候、恐惶謹厳
      九月廿一日    名村多吉郎
   曽昌啓様

 猶々異国船渡来直ニ私儀御役所へ被召出、御奉行様
 御直ニ被仰付候者、被召捕候両人取返シ候か、左も無之候ハヽ
 彼方より異国人両人連帰り候様、只今より沖江罷越、得と利害

 異国人共江申聞候様被仰渡候ニ付、直ニ乗出シ翌十六日
 昼七ツ頃沖より引取申候、出船仕候砌者誠ニ討死と覚
 悟仕罷在候処、先無難ニ而相勤申候、御休意可被下候、以上


9月21日通詞名村多吉郎の書簡

一筆啓上仕り候、追って冷気相募り
候得共、 いよいよ御清福に御座成
られ恭賀奉り候、 当方異議無く相
勤めまかりあり候、御休息下さるべく
候、然らば八月十五日イギリス船
一艘長崎表へ乗り渡り候、渡来荒方
此に申上げ候

以下大意

・8月15日午前八時に肥前藩野母
監視所で異国船が一艘見えた由。

・正午頃奉行所から瀬戸から17,8里
に見えたと通達あり。

・旗合の為検使・オランダ人2名及び
通詞が臨検に向かい、午後五時頃
異国船は伊王島付近迄近寄り、我々
は四郎島付近迄出向く

・異国船は間違いなくオランダ国旗
を掲げているので近付こうとしたところ
相手から艀を下して拾弐三人乗組
此方のオランダ人の船に近付いて
来た。

・相手もオランダ語でバタビアから
来た旨伝えるので、間もなく検使
一同が本船に行くと答える。

・突然艀の異国人が全員隠し持った
剣を振上げ、此方のオランダ人を
強奪して本船に引揚げた。 その時
相手の艀に縄が張ってあり、一気に
本船に艀を回収した

・其夜異国船から艀三艘に50人
宛乗組み、大砲・鉄砲等で武装して
港内に乗り入れ、所々漕廻り本船
に戻った

・翌16日にも艀三艘で大田尾という
所にも来たが、小船を出したら沖へ
去った。 

・15日夜は出島のオランダ人達は
奉行所へ避難し、市中は大混乱した
詳細は来月江戸に帰る梅栄に
聞かれたし。

・この異国船の件を別紙六冊の帳面
に纏め梅栄に渡したので高輪の
御屋敷で見て戴きたい

・今年はオランダ船は入港ない
ので伺っている品物は入手出来ず
代替品を市中で入手も難しい。
来年のオランダ船に期待したい

・頼まれていた宣徳手燻は長崎市
中では見当たらないが、中国へ注文
してある様なので、この冬の船で
来ると思われる。町年寄から入手
して差上げる
  9月21日 名村多吉郎
 曽昌啓様

追伸
異国船渡来時に役所に呼ばれ奉行
から、異国船に奪われたオランダ人
二名を取り返すか、代りに異国人
二名を連帰れと云われ、死ぬ覚悟
で交渉に当ったが、 翌日16日午後
4時に無事戻ったので御安心願う
pn02
        イギリス船船長がホウセマン書記に語った内容 戻る
一の印
 エゲレス船主申口カビタン承り申上候横文字和解
 
 此日御当地高鉾島前ニ碇を入候エケレス船主より
 筆者阿蘭陀人ホウセマン江申聞候趣、左ニ奉申上候
一エゲレス本国出帆仕并柄国へ乗渡り、同所より四十九日経り 
 御当地江着岸仕候、尤本国出帆仕候義ハ八ヶ月程ニ相成申候

一本船人数三百五拾人乗組居申候
一今般御当地江渡来仕候義者追々申上候通、エケレス国之
 儀者不知之国故、御当地迄も慕ひ妨仕候心組ニ而乗渡候
 儀ニ御座候、就而者旗合之節、筆者阿蘭陀人両人謀
 計ヲ以召捕候儀者、通弁等之ためニ而、全ク 御国へ奉
 対、聊不敬等仕候所存無御座候、然ル処数日之洋中ニ而
 薪水之貯乏敷相成候ニ付、不知之国ニ者御座候得共
 難義之余り、阿蘭陀カビタン江申遣呉候様留置候所
 阿蘭陀人江書翰相認させ差送り申候処、右薪水・食物
 早速被遣難有奉存候、然者阿蘭陀人両人差返シ、速ニ

 御当地出帆仕、再ヒ御当国近寄申間鋪候、此段乍恐
 御礼奉申上候
   右者エゲレス船主申口筆写阿蘭陀人ほうせまん
   承之候之趣申上候
          かびたん
               へんとれきどうふ
   右之趣カビタン横文字書付を以申上候ニ付、和解仕
   差上申候、以上
    辰八月十六日      蔵  伝之進
                   加福  喜蔵
                   石橋助左衛門
                   中山 作三郎
                   名村 多吉郎
                   今村 金兵衛
                   横山 勝之丞
                   今村才右衛門


      別紙1
イギリス船長の口述を商館長が書取

イギリス軍艦は高鉾島前に停泊中
で船長がホウセマン書記に語った
に内容は以下の通りです
 大意
・イギリス本国を8ヶ月前に出帆して
ベンガル(インド)に渡り、そこから
49日で長崎に到着

・乗組員は350人

・長崎へ渡来したのはオランダ商船
を拿捕する為である。 

・旗合時オランダ人2名を謀を以て
捕捉したのは、通訳させる為であり
日本に対して全く他意はない

・薪水が乏しく苦労しているが日本
は未知の国なので、オランダ商館長
に頼む積りで捕捉のオランダ人に
手紙を持たせ送還した。

・早速薪水・食料を供給戴き深謝する

・この上は人質オランダ人は返し
すぐ出帆する。 再度日本には
近付かない。 

・これはイギリス船長の話をホウセマン
が聞いたものを申上げる 
    商館長  
       ヘンドリック・ドーフ

・商館長の書状はオランダ語なので
日本語に直す
  文化5年8月16日
       通詞連名
pn03
        オランダ商館長のイギリス船穏便取扱い願い 戻る
   二ノ印
 エゲレス船之儀ニ付、カヒタン存置之趣申上候横文 字和解
 
 追々奉申上候通、エゲレス国之儀者敵国ニ御座候処、此節
 御当地迄も慕ひ妨仕候心組ニ而罷越申段、カヒタン

 歎ケ敷可存、然者向後之儀をも被思召上、彼船出帆御差
 留厳敷被 仰付方も可有御座候ニ付、私存意之趣申上
 候様被 仰付、誠ニ御厚儀之次第重畳難有仕合奉存候
 随而右之段私より御願ヲも可申上儀ニ御座候得共、今般
 御当地江罷越候儀者、弥私共を為妨に慕ヒ罷越候哉
 敵国之者申聞候儀故、聢と難申上御座候、乍然薪水之
 貯船主申上候趣、私よりも御願申上候通、品々被下置候故、奉感
 御恩儀御蔭ニ而召捕られ候者も差返シ、船主本船より
 下り立厚ク御礼申上、早々御当地出帆仕、再渡も仕間敷
 段申之候、然ニ厳敷被 仰付候節者格別、御手当等被

 仰付候儀ニ者可有御座候得共、万々一船等損シながらも
 帰帆仕候様御座候時者、却而諸事之害と相成可申奉存候
 得者、彼者共申立通、早々帰帆被 仰付被下度奉願候
              かびたん
                 へんとれきどうふ
  右之趣カビタン横文字書付ヲ以申上候ニ付、和解仕
  差上申候、以上
      辰八月      通詞連名
      別紙2
イギリス船に付いての商館長考察

・イギリスは敵国であるが日本に迄
オランダ船を追って来るとは嘆かわ
しい事です。 

・奉行は彼船を出帆させず厳しい
処置(焼打)も考えられ、私の意見を
お求めですので申上げます。

・此度彼等が来たのはオランダ船を
追って来たと云のは、敵国の云う事
ですから、確かにそうである、とは
申せません。

・しかし薪水欠乏でこれを望み、私共
からも御願して供与して戴きました。 

・御蔭で人質も返り、相手船長も厚く
礼を尽し、早々出帆して再び当地へ
は渡来しないと云っております

・随って厳しい処置をなさる場合、
準備はなさるとば存じます。 しかし
万一船が疵ついても彼等が帰った
時には、もっと問題が多くなると
思います (国を挙げての仕返し等)

・ここは彼等が云う通り、早々帰帆
するように云われる事を御願致します
   商館長 ヘンドリック・ドーフ
上記オランダ語での書付を和訳
  文化五年八月   通詞連名

pn04
          オランダ書記達が拉致された直後の状況  戻る
 三ノ印
 エケレス船江筆者阿蘭陀人共被引揚候節之儀申上候横文字和解
 
 筆者阿蘭陀人両人本船江引揚候上ニ而、エゲレス船主
 鉄砲を持、筆写阿蘭陀人之胸ニ押当、阿蘭陀船弐艘
 来津之様子相尋候ニ付、入津無之段相答候処、端舟三艘ニ

 鉄砲石火矢等相備、壱艘ニ五拾人宛乗組、阿蘭陀船湊内
 ニ繋ク船之有無相糺候ため漕入、亦々本船江漕戻し
 候、且又カビダン者何故参り不申哉と相尋候ニ付、病気之段
 相答候、将亦本船乗組人数物三百五拾人と承申候
 右者筆者阿蘭陀人エゲレス船ニ引揚候節、彼方より
 如何様取扱候哉之儀、八月十六日ほうせまん上陸仕候上
 相尋候処、右之趣申出候ニ付、其節通詞衆江物語仕候
 次第書付ヲ以奉申上候
        かひたん
                へんてれきどうふ
右之趣かひたん横文字書付ヲ以申上候ニ付、和解
仕差上申候、以上
     辰九月       蔵  伝之進
                石橋助左衛門
                中山 作三郎       
                名村 多吉郎

      別紙3
イギリス船にオランダ人書記が連行
された時の様子

・オランダ人書記二名の胸に船長が
銃を突きつけ、オランダ船二艘来て
いる筈と其様子を尋ねる。

・入港していない旨答えると、艀
三艘に大砲・鉄砲積み一艘に50人
宛乗込、港内にオランダ船有無の
確認をして本船へ戻る

・又商館長は何故来ないかと云う
ので病気と答えた

・本船乗組は350人と云っていた

・これはオランダ人書記達がイギリス
船に拉致された時の取扱が如何
だったかを8月16日、先に戻された
ホウセマンに尋ねた際に通詞達に
語った書付に基づき報告します
   商館長
     ヘンドリック・ドーフ
上記オランダ語書付を邦訳
   文化五年九月
        通詞連名

pn05
        オランダ人書記達が解放された直後の状況  戻る
  四ノ印
 筆者阿蘭陀人共異国船より差返シ候節之儀ニ付
 御尋之趣御答、申上候横文字和解
 
 八月十六日之夜、私共両人エゲレス船より差返シ候節、船主

 如何取扱候哉、其節之始末かひたんを以被為成御尋奉
 承知候、右者其夜牛・野牛其外食物類ほうせまん
 付添エケレス船へ罷越、右品々持越候段船主申聞
 候處、水薪之儀相尋候ニ付、右者明朝被差越候旨相答
 候処、左候ハヽ両人も右品々参り候迄者、本船江留置可旨
 申之候故、通詞衆よりも右弐品者明早朝迄ニ無相違
 可差遣旨堅ク約定有之、扨今夕持越候品々可被請取
 迚相渡シ候処、船中要用之品々被下置候 御恩儀を
 奉感服候様子ニ而、御奉行様江御礼申上、猶亦かびたん
 江も返礼として、何そ差送り度旨申之候得共、其儀者

 御奉行所より御赦免無之候而者、申請候義難相成趣申答
 候処、私共江者酒食なと振舞、丁寧ニ致し候上ニ而、私共
 上陸致シ候様申聞候、既ニ通詞衆江も右被下物等之
 御礼申候様子ニ見受申候、扨食事相済私共本船より
 下り候節物、梯子之際迄皆々送り出、愍ニ別れをなし
 猶又送り物之礼謝再往申聞、私共船中ニ而相用候
 様ニとて酒弐フラスコ并コツフ壱つ、外ニビスコイト
 麦粉ニテ製候食物ニ御座候 壱包差送申候
             筆者頭 でるく・ほうせまん
             筆者   げるりつと・しきんむる
  右之通両人之者共申出候ニ付、書付奉申上候
             かびたん
                   へんてれきどうふ
  右之趣カヒタン横文字書付ヲ以申上候ニ付、和解仕
  差上申候、以上
       辰九月       蔵  伝之進
                  石橋助左衛門
                   中山 作三郎
                  名村 多吉郎


      別紙4
オランダ人書記達異国船より送還
時の事に付き御質問に対する答

・8月16日夜に私共両名が返された
時の相手船長の様子は如何か
お尋ねの件

・同夜ホウセマン付添いで牛等
食物類をイギリス船に届ける

・薪水はと聞かれたので、これは
明朝到着すると答えると、夫迄
両名は夫迄留めると云う。 

・通詞達が絶対間違無く届けると
説得し、両名解放となる

・渡した食料は皆必要な物であり
奉行に感謝し商館長にも何か
返礼したいと言う

・奉行の許可がないと貰えないと
答えると、それではと、私共へ酒食
を振舞い、通詞達にもお礼を云う

・食後私共が本船を居りる時は皆
梯子の所まで見送りに来る

・私共の船中での飲み物として酒
二瓶、コップ壱つ、ビスケットを
包んでくれる

  書記頭 デルク・ホウセマン
  書記 ゲルリッツ・シキンムル

以上、両人申出を書類にし報告します        商館長 
         ヘンドリック・ドーフ
商館長のオランダ語書付の邦訳
    文化五年九月
           通詞連名   
pn06
           解放されたオランダ人書記へ奉行の質問(1)

 御役所江筆者阿蘭陀人共被召出御尋之趣
 御答申上候横文字和解

 今日 御奉行所江被召出、於御前かひたんを以
 御尋之趣、左ニ御答奉申上候
一八月十五日異国船渡来之節、旗合として其方共両人罷出候
 節之始末、并本船江被引揚候節之様子可申聞
   昼九時頃例之通、旗合として私共両人沖江罷越、小
   瀬戸ニテ沖之様子見分仕候上、御検使船一同白帆船
   近ク漕寄候処、阿蘭陀旗印明カニ相見江、御検使
   よりも御尋ニ付、阿蘭陀旗ニ相違無之段申上、白帆
   船近ク漕寄声をかけ相尋候処、阿蘭陀船と存候船より
   
   阿蘭陀語ニテ相答候ニ付、此段も御検使江申上候内、本
   船より端舟を下シ、私共乗組之船ニ漕付候ニ付、相尋
   候処、阿蘭陀語ニテ交留巴出帆と相答、其節此端舟ニ
   乗移り本船江参り候様、端舟之者申聞候得共、其儀者
   不相成、無程御検使一同可罷越旨相答候内、本船より
   何か高声ニテ申候処、直ニ端船之者共釼を抜き
   数人立掛、理不尽ニ私共を捕江端船ニ而直ニ本線江連行
   申候
一本船ニ而者何様之次第ニ有之候哉
   船主私共を捕へ鉄砲を胸ニ押当、阿蘭陀船弐艘来

   津之様子有躰ニ申候様申聞候ニ付、入津無之段相答候
   其節之穏ニ会釈ニ申候
一最初交留巴仕出シと申候由ニ候得共、言語人躰等エゲ
  レス国之船ニ無相違存候哉
   交留巴仕出シニ而者無之、言語人躰等エゲレスニ相違
   無之様ニ見請申候
一船之大サ何程ニ候哉
   凡そ三拾間程ニ有之候
一石火矢何挺程仕掛有之候哉、二段ニ候哉三段ニ候哉、船ニ
 仕掛ケ外ニも石火矢・大筒等有之、乗組之者共銘々
 小筒持居候様子ニ候哉
   石火矢者上下二段ニ仕掛、下段之左右ニ三拾弐挺上段
   者舳先之左右ニ四挺、艫之方左右ニ十弐挺、都合
   四拾八挺相備、其外大筒鎗鉄砲大小并種々之
   玉スコロートサツカ (獣皮或者帆木綿之如き粗布を
   以袋ヲ造り、其中に弾丸或者切弾古キ釘など数多火
   薬とともに堅く充て、外面を革縄ニ而結ひたる上をチャン
   にて炒たる火器をスコートサツカと唱へ申候 )等ハ見
   候得共、外ニ相替候武器等者及見不申候、扨又乗組之
   者共銘々小筒等持居候義者本船ニ罷在候時者
     見掛ケ不申候
一旗者何様何国之旗ニ候哉
   
   十五日私共本船へ連行候迄者阿蘭陀旗を建候得共
   十六日に者エゲレス国王ノ旗を艫ニ建、舳先ニも国王之
   小旗を建申候
一乗組人数何人程ニ見請候哉、乗組之内オロシヤ人も乗
 組居候哉、エゲレス国之者斗ニ而外国之者も入交り居り
 本国之者ハ居不申候哉
   人数者三百五拾人と承り申候、右乗組之内ヲロシヤ
   人等見掛ケ不申候、尤阿蘭陀ハ壱人乗組罷在、其他
   者都而エゲレス人と見請申候、乍然水夫共ハ中段ニ
   住居仕、私共義者船主部屋ニ差置候故、差窺難申上候

一船之造りハ何程之船ニ候哉、本船居候内船之内見および
 候様子可申立候
   船之造りハ欧羅巴州之軍船同様ニ有之候、尤私共
   者船主部屋ニ罷在候事故、船之内ハ見不申候
一鉄砲之外武器者何々仕掛ケ候哉、乗組之者共一同釼を
付居候哉
  第五之御ケ条ニ御答申上候通、外ニ相整候武器見掛ケ
  不申候、扨又乗組之者共船之内ニ而者帯剣不致候得共
  端舟ニ乗り候節者帯剣仕候
一其方とも取戻し候為、検使之船本船へ付候節、端舟にて

 右検使船を取巻き彼是と手間取候趣、検使船永ク繋
 居候而者宜カル間敷、早々引離レ候様ホウセマンより
 申候由、右者何様之様子ニ而右之通申候哉
   其夜御検使船、本船江漕寄候処、船主下知いたし
   端船ニ砲器等相備へ、ホウセマンに役掛之者其外
   水夫とも数人付添、御検使船之際ニ参り、御検使
   御沙汰之趣承り本船江立帰り、船主江申聞候処、何れ
   明朝御出被成候様、船主申聞横文字差出候ニ付、其旨
   御検使江御答申上候処、御検使よりハ今晩御乗船被成
   候旨御沙汰有之候処、船主憤り候顔色ニ而御乗船

   被成候様ニと相答申候、然ル處亦々通詞衆より御
   検使御乗船被成候而も弥不敬等者無之哉、と相尋候
   ニ付、船主よりハ其通り申出候得とも、船主甚憤り難
   心得様子ニ見請候ニ付、怪敷返答仕候、自然御検使
   御乗船被成候而、万一狼藉之儀も難斗、速く御船を
   被離候方可然奉存候故、早々本船を被漕離候様
   申立候内、船主よりも日本之船ハ本船を離レ候様ニと頻
   に申聞候、扨亦御検使船を端舟ニ而取巻候訳者
   何故と申儀承知不仕候
一御国江奉対聊不敬等仕候所存ニ無之旨申候由、右者船主
 其方共へも右之通申候哉
    右之通船主より私共江申聞候儀ニ御座候
一端舟ニ而港内乗込ミ、紅毛船入津之有無相尋候由、右
 端船おろし湊内江遣シ候儀者船主より之差図ニ候哉、船
 主も湊内ニ乗入候哉
   端舟数艘ニ砲器等相備、湊内ニ乗入阿蘭陀船之有
   無相尋候儀者、船主下知いたし自身も乗組罷越候由
   申之候、其節私共儀者船主部屋ニ差置候故、及見不申候
一端船ニ五拾人程宛乗組、大筒等も備へ候由、何様之様子ニ
 候哉
   
   右之通本船ニおいて承候儀ニ而見およびハ不仕候
一エゲレス船乗組之内、其方共是迄出合候者ハ乗組居不申候哉
   是迄出合候者見掛ケ不申候
一本船より卸シ候節、薪水其外送り物之挨拶、エケレス
 人より厚ク申候由、何様申候哉
   御奉行様江御礼申上、猶亦かびたんへも厚挨拶
   致シ呉候様、船主申聞候、既ニ通詞衆江も挨拶致候様
   見受申候
一右尋之外ニも如何と心付候儀者可申立候
   かびたん江申達候外私共心付候儀無御座候

             筆者頭
                でるく・ほうせまん
             筆者
                げるりつと・しきんむる
   右之通両人之者共申立候ニ付、書付を以奉申上候
             かびたん
                へんどりき・とうふ
   右之趣かひたん横文字書付ヲ以申上候ニ付、和解仕差
   上申候、以上
     辰九月          蔵  伝之進
                   石橋助左衛門
                   中山 作三郎
                   名村 多吉郎


       別紙5
役所にオランダ書記達が呼出され
質問あった件

今日奉行の前で商館長経由で
お尋ねの件、御答えします

問: 8月15日に旗合の際の様子
及び捕捉後の様子

答:正午頃通常通り旗合に私共
出発、小瀬戸付近で異国船に
近付くと、オランダ国旗に相違無く
この旨検使に報告しました
更に近付き声を掛けると相手も
オランダ語で答え、是も検使に報告
しました。

其船から艀を下ろし私共の方に
来るので、尋ねるとバタビヤと
オランダ語で答え、艀に乗移る様
に云います。 間もなくj検使が
行く旨答えると本船から合図が
あり、彼等が一斉に剣を抜き襲い
懸り、私共を本船に連行しました

問:本船では如何様だったか

答:船長が私共の胸に銃を当て
オランダ船二艘の様子を有体に
答えよ、との事なので入港して
いない旨答えました。

問:バタビヤ所属の由だが、言語
人物イギリス人に間違い無いか

答:バタビヤ所属ではなく、言語
人物共にイギリス人である事
間違いありません

問:船の大きさは
答:凡三十間程です

問:大砲何挺程か、二段か三段か
外の装備品は、乗員は銘々小銃を
持っているか

答:大砲は上下二段、下段は
左右32挺、上段は舳先左右4挺
艫左右10挺、合計48挺、外に
大砲・鎗・鉄砲があります。 

玉はスコートサツカと言う爆裂弾が
あり、外には武器は見えません。
又船内では乗組員が銘々小銃を
持っているのは見掛けません

問:旗はどんな物で何国のものか

答:15日に私共連行時はオランダ
国旗ですが、16日にはイギリス国王
の旗を艫に立て、舳先にも同様
小旗を立ていました

問:乗組員は何人程に見えたか
其中にロシヤ人は居なかったか
イギリス人以外は、オランダ人は

答:人数は350人の由、ロシヤ人は
見掛けず、オランダ人は一名
おりました。 其外はイギリス人と
見えます。 しかし水夫達は中段
におり、私共は船長室に居たので
不明です

問:船はどんな造りか、本船内の
様子は

答:造りはヨーロッパの軍艦ですが
船長室に居たので船内不明です

問:鉄砲の外に武器はどんな物か
乗組員は剣を付けているか

答: 第五の問で答済ですが、外
には武器は見掛けません。帯剣は
船内ではしないが、艀に乗る時は
持っています。

問;其方二名を取返す為検使船を
本船へ付けようとしたが、彼等が艀
で囲み手間取る内、検使船に本船
から離れる様に云った由、どのような
理由からか

答:夜検使船が近付いて来た時
船長の命令で、艀に武器を備えて
ホウセマンに役職者及び水夫
数名が付添い、検使の口述を聞き
本船に戻り船長に報告しました。

船長は明朝来る様にとの横文字差
出し、其旨検使に伝えました。
検使は今晩乗船したい旨伝えると
船長は怒った様子で乗船する様に
と答えました。 このまま検使が乗船
すれば不測の事態もあると思い
本船を離れる様に云いました
間もなく船長よりも日本の船は
離れる様云われました。 

検使船を艀が取り巻いたのは何故
かは不承知です

問:日本に対しては全く他意は無い
と云った由だが、其方達にも船長
が言ったか

答: 私共に言いました

問:艀で港内に侵入してオランダ船
有無を確認した由、これは船長の
指図か、又船長も参加しているか

答:これは船長の命令で彼自身
も乗組む由聞きました。 私共は
船長室に居り見ていません

問:艀に50人宛乗組、大砲等も
備えた由、どんな様子か

答:聞いただけで見て居りません

問:イギリス船の中で其方達が
以前逢った者は見なかったか

答:見掛けませんでした

問:船長が本船より下りて薪水其外
の供与に感謝の挨拶の由
どのように云ったのか

答: 船長よりお奉行へのお礼
及び商館長に宜しくとの事です
又通詞衆へも挨拶していました

問:外に気付いた事はないか

答:商館長へ報告した以外は
ありません
      書記頭 ホウセマン
      書記  シキンムル

以上両名の報告に基づき書付提出
       商館長ドーフ

以上商館長書付和訳
    文化五年九月  通詞連名

pn07
     オランダ商館長より奉行所が国際事情等聴取 戻る


  御役所江かびたん被召出御尋之趣、御答申上候横文字和解
  
  今日 御奉行所江私儀被召出、於御前御尋之趣
  左ニ御答奉申上候
一此度異国船渡来之節、紅毛之旗を建欺き、筆者阿蘭陀人
 両人本船江引揚候次第、最初交留巴仕出シと申立後ニ者
 エゲレス国之由申立候儀、全クエケレス国之船と存候哉、右船者商
 売船又ハ賊船ニ而、軍船抔と申事ニ候哉
    阿蘭陀旗を建、交留巴仕出之船と最初申立者全ク

    欺き候儀ニ而エゲレス軍船ニ相違無之趣ニ奉察候
一右者彼国之大船ニ候哉小船ニ候哉、端舟三艘湊内乗廻り
 候由、櫂を遣ひ進退自由ニ候由、彼国おろしや船抔ハ都而
 右躰之儀ニ候哉
   右船長サ凡三拾間程も有之、阿蘭陀語ニ而フレガ  
   ツトシキツプと相唱へ候軍船と見請申候、尤軍船
   之大なるハ阿蘭陀語ニ而リイニイシキツプと相   
   唱へ、長サ三拾七八間程有之、石火矢六拾挺以上を
   三段ニ備へ申候、且又端船ニ櫂を用ひて進退自由
   ニ仕候義者おろしや其外欧羅巴州何れニ而も同様ニ御座候

一船形人物之様子ニ而も弥エゲレス船と存候哉
   船形にてハ見究かたく候得共、人物者エゲレス人
   にて、其上石火矢ニエゲレス国王之名前記シ有之候を
   筆者阿蘭陀人とも見請候由承り申候
一紅毛船日本渡海之節、エゲレス船之妨ニ逢荷物等
 被奪候義も承りおよび候哉
   御国へ渡海之節、エゲレス船ニ妨られ候儀者是迄
   承り及び不申候、本国より交留巴江之往来にハ被奪
   候儀も有之、阿蘭陀よりもエゲレス船を奪取候儀も折々有之候
一異国船薪水等乏敷願候迚も、紅毛人又者日本人等

 人質に取候儀も無之穏ニ願候而差遣来候、此度之船日本
 人江言語通シ兼候とは乍申、紅毛人弐人本船江引
 揚候儀者、通弁之為斗ニ者無之、何そ子細有之儀と者
 不察候哉
   通弁之為と船主申立候儀者疑敷、薪水之貯を
   乞ひ候為ニも可有之哉、是以不審ニ奉存候
一右船是迄日本之地方近ク通船候儀及見聞候儀者無之哉
   是迄見及び不申候、尤暦数千六百七十三年
   (日本延宝元丑年ニ当ル)
   御当津へ渡来仕候義者及承不申候
一右船三百五拾人乗組之由、右之通ニ而者商売荷物等
 積込有之儀と者不察候哉
   乗組人数者三百五拾人と承り申候、且荷物之義者
   軍用之外、商売荷物等積込有之義と者不
   奉察候
一阿蘭陀国江者エゲレス国達て敵国之趣ニ付実々当湊
 迄も妨之ため慕ひ来候義者実事と存候哉、外ニ子細
 有之事とハ不心付候哉之事
   阿蘭陀船妨之ため渡来仕候旨、船主申立候儀虚実
   差究難申立、外ニ子細も有之事哉ニ奉察候
一右船中ニ而筆者阿蘭陀人、何ぞ難心得儀等無之哉
 
 出島帰館之上承り候次第可申聞
   両人之者滞船中ニ沖御番所之外、御要害之場所
   有之、石火矢・其外武器等厳重ニ相備江有之哉、其外
   湊内之事共船主相尋候得共、右場所江者罷越候義
   無之故存知不申段、筆者阿蘭陀人共相答候由、出島江
   帰館之上申聞候外承り候儀も無御座候
 右之際々其方如何相心得候哉、存寄之趣可申聞、尋之
 ヶ条外ニも察シながらも心付候義者委細可申聞事
 且心付ニ而も不容易事と心得申立兼候儀も候ハヽ
 別段横文字を以可申聞候事
   
   心付候儀も御座候間、別段可奉申上候
           かびたん
              へんとれき・どうふ
 右之趣かひたん横文字書付を以申上候ニ付、和解仕
 差上申候以上
    辰九月         蔵  伝之新
                 石橋助左衛門
                 中山 作三郎
                 名村 多吉郎
 右和解六通ハ九月廿一日通詞名村多吉郎書簡中ニ云
 異国一件帳面六冊とあるは則是なり、照しみるべし

     別紙6
奉行所での商館長の返答邦訳

今日私は奉行所へ呼出され、お尋
ねの件お答え申上げます

問:此度異国船渡来の節、オランダ
旗を欺き掲げ、オランダ人書記2名
を連行した事の次第だが、最初
バタビア所属と云い、後イギリス国と
云った由だが、本当にイギリスの船か
これは商船、海賊船又は軍艦か

答: オランダ旗を立てバタビヤ所属
と云うのは欺きであり、イギリス軍艦
に間違いありません。

問:この船は彼国では大船か小船か
また艀三艘で港内を乗廻り、進退
自由の由、彼国やロシヤ船は全て
この様か

答: この船は長さ30間程であり
オランダ語でフレガットシキツプ
(巡洋艦)と呼ぶ軍艦と思われます
軍艦の大きなものはリイニイシキツプ
(戦列艦)と呼び長さ37−38間あり
大砲を60挺以上三段に備えています
艀で櫂を使い進退自由に走るのは
ロシヤも外ヨーロッパでは同じです

問:船の形、人物の様子からイギリス
船と考えるのか

答:船の形で判断は難しいですが
人物はイギリス人であり、大砲に
イギリス国王の名前が記されている
のをオランダ書記も見ております

問:オランダ船が日本へ渡海の際
イギリス船に妨害や積荷を奪われた
事など聞いていないか

答:日本へ渡海時にイギリスに妨害
された事は聞いておりません。但し
オランダ本国からバタビヤへの途中
奪われた事もありますがオランダも
イギリス船を奪う事も時々あります

問:異国船が薪水など必用な時
オランダ人や日本人を人質にとる事
無く穏やか与えてきた。
此度オランダ人2名を人質としたのは
通訳が必要との由だが、何か外に
理由考えられないか

答: 通訳の為と云う船長の言は疑
わしく薪水を入手の為でしょうか
これも不審な事です

問:この船は過去日本近辺を通行
したか又は見ていないか
答:是迄見ておりません。1673年
(延宝元年)長崎への渡来は見聞
していません

問: この船は350人乗組の由だが
商品は積んでいると考えられないか

答:乗組350人と聞き、荷物は軍用
以外に商品積込あると思いません

問:オランダはイギリスの敵国故、実
に当港迄追って来たのは真実と考え
るか、他にも理由あると思わないか

答:オランダ船妨害の為に渡来の旨
船長は言っておりますが真偽は
確認できません。外に理由有るかも
知れません

問:船中に留置されたオランダ書記
が何か分らない事は無かったか、
出島帰館後聞いた事は無いか

答:両名が船中に居る時、沖番所、
要塞の場所及び武器の備え、港内
の様子等船長から尋ねられました。
しかしこれらの場所に行った事も無い
ので分らないと両名は答えた由です

問:外に尋ねている事以外に何か
気付いた事はないか、又重用な事で
云いかねて居る事あれば横文字で
報告する事

答:気付いて居る事もありますので
別段申上げます
     商館長 ドウフ
邦訳
  文化五年九月 通詞連名

以上邦訳6通は9月21日付通詞
名村多吉郎書簡に示す異国一件
帳面6冊を示す。


出典:内閣文庫 視聴草三集之九より