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太陰太陽暦と閏月
  古代ローマでは閏月の管理がきちんと行われず暦が混乱していたため、 シーザーが現状打開のために早い時期に太陽暦に切り替えたいきさつがありますが、中国では二十四節気という考え方が古くから確立され、三千年近く太陰太陽暦が使われました。 二十四節気とは太陽運行の一年または360度を24に分けて節と中を決めます。 一ヶ月を月の満欠け周期の29日と30日で交互に、二十四節気にあわせて進めます。 月がずれ、節気の中が入らない月を閏月として一年の中に挿入するものです。 したがって一年が13ヶ月になる年が3−4年毎に出てきます。 追加した月は5月の次であれば閏5月、正月の次であれば閏正月と呼ばれました。 
二十四節気の名称は以下のとおりです。
          冬至十一月中
小寒一二月節 大寒一二月中
立春正月節   雨水正月中
啓蟄二月節   春分二月中
清明三月節   穀雨三月中
立夏四月節   小満四月中
芒種五月節   夏至五月中
小暑六月節   大暑六月中
立秋七月節   処暑七月中
白露八月節   秋分八月中
寒露九月節   霜降九月中
立冬十月節   小雪十月中
大雪十一月節

春分、夏至、秋分、冬至は必ず二月、五月、八月、十一月となるように後には決めています。
  24節気は太陽の運行を元に360度を15度ずつに24に配分する定気法と、1年を24等分(15日強)する恒気法がありますが、近世においては定気法が採用されています。

太陰太陽暦の正月(年開始月)
  中国及び日本で長く使われた太陰太陽暦では、正月は冬至の2ケ月後になっていますが、これは夏正建寅の暦(夏暦)と言います。 春秋戦国時代の木簡などに残された記録の日付記述から、正月が冬至の一ヶ月後であったと思われる殷正建丑の暦〈殷暦〉、或いは正月が冬至の月であったと思われる周正建子の暦(周暦)なども存在したとされています。  従って夏暦の正月は殷暦では二月、周暦では三月となります。  夏、殷、周は中国の古代王朝として史記にも記述されていますが、 夏については伝説の王朝であり、 現在実在の確認作業がすすめられつつある段階です。 夏正の暦を夏王朝が使っていたという証拠はなく、春秋戦国時代から使っているものを夏正としたようです。 尚其月の一日については何れの月も朔月(新月)からとなります。