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                     太陽暦の歴史
 紀元前8世紀のロムルスによるローマ建国の頃、暦は春めいてくる三月から始まり10ヶ月で終わり、冬の間は月の名前もなく調整に使われていました。 その後第二代のヌマ王が冬の間の2ヶ月を命名してJanuarius(一月)、Februarius(二月)として三月の前にもってきました。 このため7、8、9,10、を意味するSept,Oct, Nov, Decが9月、10月、11月、12月にシフトしたと思われます。 それはともかく、一ヶ月を29日と30日で構成し、季節がずれると閏月を入れて調整する太陰太陽暦の基礎ができ、ヌマ暦として数百年使われました。
 
 しかし長い間に閏月挿入の管理も乱れ、シーザーの頃には暦と季節が合わなくなっていたようです。 そのため紀元前45年、シーザーは暦の改革を行い、エジプトの暦を参考にして一年を太陽の運行365.25日とし、奇数月を31日、 偶数月を30日とし、更に4年に一回閏年として平年より一日多い月を設け、 ユリウス暦とよばれる太陽暦を制定しました。 平年が29日、閏年が30日の月を二月にしたのは、 暦が三月から始まっていた時代の名残で最後の月が二月だったからと言う説です。 ついでにシーザーは第7番目の月を従来の名前、Quintilisの代わりに自分の名前を入れ、Julyとしています。 シーザーの死後、4年に一度の閏年の管理があいまいになり、 再度シーザーの後継者、アウグストウスが矯正し、少し余計なことをしています。 即ち、第八番目の月Sextilisを自分の名前に代えAugustとし、本来偶数月で30日だったものを一日増やし31日とし、その分二月を一日減らしています。 従って二月の平年は28日、 閏年を29日とした最終的なユリウス暦がヨーロッパ諸国の標準になりました。

 ユリウス暦も1500年使うと暦と季節が少しずつ狂ってきて11日ほど暦が遅れ、宗教行事に支障がでたローマ法王グレゴリオ13世が暦の改革に乗り出しました。 ユリウス暦では一年の長さを365.25日としていますが、その後の天文学の進歩で実際は365.2422日であることが分りました。 そこで計算の結果、閏年は4年毎だが、100年毎の閏年は平年とし、400年毎に平年でなく閏年とする、 ということに決めました。 更に遅れた11日をスキップして暦をスタートしました。 是が1582年に制定されたグレゴリオ暦と呼ばれるもので今日の太陽暦の暦です。

 太陽暦の一月一日は古くはヌマ暦の一月一日であり、中国や日本の太陰太陽暦の正月元旦のような天文学的な意味はないということです。 敢えて云えば冬至の十日後ということでしょうか。  
 加筆:更に調べたところ、ヌマ暦で一月、二月が加えられる以前の暦では最初の月は春分の日を含んでおり、その月の新月を一日としたことから、前に加えた二ヶ月の最初の日を一月一日としたといわれています。 

 余談ですが西暦2000年はコンピュータの2000年問題で大騒ぎしました。 実はその問題となった本来の事とは別に、西暦2000年はグレゴリオ暦では400年に一度の特殊な閏年扱いの年だったわけです。 グレゴリオ暦を生半可に理解していると100年毎の閏年ではない平年としてしまうけれど、 実は400年に一度の例外閏年です。 寧ろ何も知らずに閏年は4年毎、 と思って作った怠け者のプログラムの方が問題の発覚がなかったことになります。