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                    天竺物語書
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  播磨国高砂船頭町徳兵衛天竺江渡り候物語
一私十五歳ニて天竺へ渡り申候、此時ハ京都角倉与市殿商船ニて
 船頭大坂前橋清兵衛と申仁ニ被雇召連渡り申候
一長崎ゟ女嶋・男嶋迄九拾六里、夫ゟたかさんく迄六百五拾里 *別本高砂、 台湾の事 
 但シたかさんくの長サ七百五拾里有、此国之都の四拾二三里 *別本七十五里、都圭籠より十二三里 
 程沖ニうくう・たけんと云嶋二ツ有、是迄日本ゟ南へ走り申候、たか
 さんぐより六百五拾里西へ走、かんとうの口阿万川と申所ヲ見  *広東の阿瑪港 マカオの事
 立申候、此天川之海の深サ九百九拾九尋有、南ニ当り大くるす  
 小くるすと申星出申候、是迄日本北斗の星ヲ見立
 土圭ヲ以方角ヲ考走り申候、此所ゟ大くるす・小くるす       *磁針 南十字座の明るい二つ
 の二星ヲ考申候、天川ゟ三百里南走りひようのはなと申ヲ    *ひょうの鼻 雷州半島か海南島付近か
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 見立申候、なんきんととんきんの堺め之はな也、是より     *南京、トンキン:現在の中国とベトナムの境
 三百里西へ走り、かうちのとろんが嶽と申所大山ヲ見立申候 *交址国 ベトなむ北部 ダナン付近か
 則達磨大師の御誕生所也、是ゟ四百里南へ走、ちゅんばの *ちゃんば占城国 ベトナム南部 
 くわろうと云嶋有、是ゟ四百里南へ走りかほうちやのほる 
 こんとうろと申島を見立申候、是ゟ二百里南へ走り、しゃ    *カンボジャ国のコンダオ嶋
 むのいも嶋と申嶋有、是ゟ八百里乾へ走りまがた国りう     *インドシナ半島の先端の島 
 さ川の口也、長崎ゟ此所迄三千八百里也             *暹羅のメナム川か、 地図上4800キロ
一しゃむの国りうさ川の口ゟ三里川上へ登りばんでびやと    *メナム川 バンコック付近か
 申城有、此所ニ而日本ゟの御朱印ヲ改、まかた国の都江   *この当時暹羅〔タイ)の都はアユタヤ
 早舟ニて差上被申候、ばんでびやゟ二十七里川上へ登り
 番国と申城有、 是より川上へ二十七里上登うり         *別本より追加
 ひさらと申城有、此所ハ古空海と文殊と智恵あら          
 そい被成候所也、是ゟ弐拾五里川上へ登り都なり、大海   *大海=アユタヤか   
 と申なり、是迄りうさ川口ゟ七十五里有              *メナム川口からアユタヤ直線50キロ

一てびやだいと申所ニ寺有、此寺屋敷ハ昔しゅたつ長者の   *アユタヤの仏教遺跡のある地域か
 屋敷也、但しゃむ一国の長老王也                  
一長サ弐拾里宛の釈迦堂三ツ有、てひやたいゟ此堂迄
 七里町続也、即立釈迦・居釈迦・寝釈迦と申て三尊
 有、釈迦の御作也、但立釈迦東向、居釈迦ハ北向、寝    *アユタヤ寝釈迦復元 高5m、全長28m
 釈迦ハ頭北、面西也、寝釈迦の小ゆひの厚サ三間      
 余有、堂の柱壱本の大サ拾五人手ヲ引合十五度
 廻り候得とも漸三分程廻り申候、余り温気故悉クハ廻り
 不申候、堂の軒の内ニ幅八間の通り町三筋有、則
 釈迦堂町と云也、彼堂ハ釈迦仏共ニ土の山ヲほりぬき
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 堂・尊形ニ御作り被成候、至今諸人年忌等志ニハ薄ヲ調
 尊形・堂ニも薄ヲ打申し候故、金仏の様ニ相見へ申候、此三ツ
 の堂六十七里続、高弐拾里有之候故、まかた国ヲ海上ゟ
 見立申候ハ此釈迦堂ヲ目当テニ仕候、此外山ト申儀無之
 近所ニ見江不申候、国の奥ニハ高山多ク有之候得共見へ不申候
 但天竺ハ六丁以壱里ト申候
一都ゟ四拾弐里川上ニりやうつ仙有、其山の高サ壱里計り    *別本霊鷲山
 有、幅八丁ニ長サ十六丁有岩有、此岩の上ニて仏説法被遊候
 所也、其岩の上ニ少高キ所ニ仏の御座像形・御足形有    
 并手洗有、但都ゟりやうつ山まで四拾ニ里ノ間三月末  
 ゟ卯月末迄市立申候、天竺の八日市と申ハ此市
 の事也、是ゟ四十三里川上へ登りさせん石と申          *座禅石

 岩有、此岩高サ三十二三丁御座候由、此岩りうさ川中へおゝい
 かゝり居申候、此岩の上にて諸仏座禅被成候故、座禅石と云
 此岩りうさ川中へおゝいかゝりたる上ニ仏作の御堂
 有、此内ニ坐像の釈迦一体有、此座禅石ゟ二里程川下へ
 下がりごんが川と申川有、東へ別れ流申候、即此川の下の口ヲ *メコン川上流か
 かほうちやと申、ごんが川の遠き奥迄千二三百里程有       *別本より 六千
一りうさ川下ゟ七十五里川上大海と申都迄唐船参申候       *貿易船
 夫ゟ川上へハ御通シ不被成候、但小舟ハ川上へも参候、川下ゟ川上迄
 の道法老たる者ニ尋候へハ、行戻り八年ふりに仕廻候
 者有之候へ共、彼川上のだんどくせんへハいたらず帰候由   *檀特山 釈迦の前身が修行した山  
一ちゃ屋六こんひつひると申所へ都ゟ八百里未申へ参候     *六昆(リゴール)
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 此所ゟすわう、伽羅出申候、是ゟ九百里未申へ参候得ハ    *蘇方木、染料(赤)
 じゃがたらと申所有、此所ゟ革の類色々で申候、是迄      *ジャワ島ジャカルタ 
 まかた国の未申の角なり、是ゟ南ニなんばん国有         *暹羅国の南端、 南蛮=スペイン
 ほりぎす有、乾ニ当りおらんだ有、いぎりす有、ぬび        *ほりぎす=ポルトガルか、阿蘭陀、イギリス
 すすわんによろ有、たつたん国有                  *ノビスバンヤ(メキシコ)、たったん=ムガールか
りやうつ山の廻りニはゆるたらやうの木の葉毎年壱くるハ    *別本霊鷲山、一車  
 宛出申候、当地十輪寺ニ御座候たらやうの葉ハ仏在世     *多羅葉、葉の裏に字を書いた
 の時、四界御説法聞書被成候文字御座候を、てびや        
 たいの長老ニ申請参候、是ハ私ヲ雇被参候船頭前橋
 清兵衛宿、木下六左衛門と申仁内室ニハ長老妹ニ而御座候
 故、長老ゟ被申請候ヲ一葉所望仕、当寺什物に上ケ
 置申候、此六左衛門ハ日本ニてハ三百石計取申侍の由     *日本では中下級武士

 天竺ニてハ王帝の御番衆ニて御座候、則大納言の位のよし申候 *暹羅国アユタヤ朝  王城の警備隊長か
一日本ゟ天竺へ渡り申候ハ十月十六日ニ長崎福田を出船仕、明ル
 三月三日ニまかた国りうさ川はんてびや迄参候、帰朝ノ時ハ    *暹羅国メナム川バンコク付近
 中年壱年逗留仕、三年めの卯月三日りうさ川口出船、八月
 十一日ニ長崎着船仕候
一拾五歳ニて渡り申時乗申船ハ角倉与市殿ニて長五十二間横   *長二十五間の誤りか 
 九間の唐船なり、人数三百九十七人乗申候
一後ニ渡り申時ハ私拾九歳ニて渡り廿一歳ニて戻り申候、此時ハ十月
 十四日ニ長崎福田ヲ出船仕、明ル二月六日にまかた国へ参着、又
 明ル八月六日ニ長崎へ帰着仕候
一後ニ渡り申時ハおらんたのやようすと申仁の唐船ニて渡り申候    *ヤン・ヨーステン
 やようすハ長崎ニも屋敷有、日本ニて知行千石被為遣、江戸
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 ニも屋敷有之、やようすかしと申町有、船頭ハびとうと市         *八重洲河岸
 右衛門と申候、長崎の者ニて御座候、おらんださよ船と申候、人数三百
 八十四人乗申候
一万里が瀬と申ハなんきんととんきんとの堺目びやうのはなと
 万里か瀬のはなとけぬき合のはな也、此瀬のあい十五里
 御座候、此万里か瀬のすゑ、じやがたらの口迄御座候、但三千四五
 百里程流申候瀬ニて御座候、丑寅ゟ未申へ流れ申候瀬也
一まかた国領内真木もふるさんとめと云所有、都ゟ道程   *サントメ インド東海岸マドラス、ポルトガルの基地
 千里宛さんとめ迄三千里有、皮の類・織物・嶋類色々         *嶋類=縞織の綿布 桟留とも云った
 商売出申候、此所天竺極て熱国故、四季共人々通車ニ  
 乗往来仕候、車ゟ落申候得ハ焼付其侭ミいらニ罷成申候由
一まかた国ニやしほと申果物御座候、日本ニて大き成梨之様ニ  *椰子の実
 相見へ申候、彼やしをヲ二ツにわり候得ハ内ニ水四合ほと
 御座候、此水諸毒を解申故日本人にハ早くに用ひ申候、其皮半分ニ  *下線別本より追加
 米三合程入申候、是ニて壱匁ニ米六十はい売申候、但壱匁ニ
 壱斗八升の積り也
一伽羅山ハ中天竺ちゃ屋六こんの伽羅山と申候、此所ゟ   *六昆 シャムのマレー半島中部属国リゴール
 大分出申候、此外るすん、かほうちゃゟも出申候
一まかた国ニも伽羅山と申候林御座候、伽羅山ハ当三月ニきり
 申候ヘハ来三月時分ニ上のかわをさる、悪敷所ヲぢんまな
 はんと云、真の能木ヲ伽羅と申候
一さんごじゅハりうさ川の口、こんが川の口ニ御座候、此外なんきん  *別本珊瑚珠
 の都の口ニ大分有之由申候、川の口出来申よし伝也
一まかた国ニ松ハ無之、したん、こくたん色々の樹木ござ候、竹ハ
 大分御座候、大竹と申ハ大サ四かいも五かいも御座候、然共竹之    *長さ四五階分か
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 よう殊外ほそく小ゆびのふとさほとならでハ無御座候           *「よう」は葉か
 ふしの間一尺程御座候、町方ノ屋普請ニ竹を引割り引物ニ遣申候  *下線 別本より
一屋作りハ大形ハ二階作りニ仕候、熱国故他ゟ高ク床ヲはり、二階
 住居にして床の下ハ明置申候、屋根ハかわらふき、こけら
 ふきニも仕候、畳も籐筵ヲ表ニ付申候、冷物故用申候由
一人からハ日本仁ゟせい高ク生付けたかくきれいニ相見へ        *人柄 背高く綺麗
 申候、男ハ耳ゟ下ヲそり、頭髪ヲ置、末ヲ切居申候、南蛮
 風ニて有之由けし坊の風ニて御座候、女ハ髪ヲ其侭置 
 伽羅の油ヲ用申候、身へも用い髪ハからわけニとぢくり居申候、     *単の襦袢
 ひとへのぢばんのごとく成ものを着、前ニさがりたるを取て後へはせ
 下ケ帯のごとくして上ニハはあと申て十徳のごとく成
 
物ヲ着申候、女の礼服ハ被かたびら着申候                  *かつぎ
一男ハ腰ニびつとくと云て海部包丁のごとく成脇指ヲさし申候
一てんくわんと申て上下とも冠ヲ着申候、上官ハいんすのよう       *天冠 *印子=純金
 らくヲさけ、下々ハしんちうなと用申候                     *瓔珞 首胸腕の装身具
一惣別出家衆ハ女人通候跡ヲ其侭通り不申候、男通り申候ヲ
 待居申候故、男道へ罷出ちゃかと申て十念仕候へハ道通り
 被申候、ちゃかとハ釈迦と云事と聞申候
一俗仁ハ日本仁ヲ見候へハ両の手ヲ合、ちゃかト申候て拝候て
 通り申候、殊外敬申事ニ御座候
一食喰事ハきんかふ、いやとハミらいと申候
一三四月ゟ六七月迄ハ少涼敷御座候、然共日本ゟハあつ
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 く御座候、八九月ゟ三四月時分迄ハ夏季ゟ格別あつく
 御座候、一日三四度も水をあび申候
一白銀ハ灰吹銀を遣申候、日本の白銀ハ二割半引申候、灰吹
 銀ヲ一両、一匁、又弐分五厘如斯ニ切、両の口ニ極印ヲ打置
 はかり不入ニ取やり仕候、銭ハ日本のごとく遣申候
一米ハ壱年ニ三度出来申候、三月六月十月三度米ニ成
 申候、根付ハ春一度仕候、後二度ハひつじのごとく出申候
 初と後ニ出来申候米ハ中米ニて御座候、六月ニ出来申米
 上米ニて納りニ罷成候、米のわらハ取不申かりすてしたきノ       *刈捨て、下木
 ごとくニ仕候、稲はくびかりニ仕候て米ニ致申候、米入申俵
 ハ籐筵ヲかますニぬいて、かますニ四斗五升、五斗程入
 申候、わらの類遣不申候、縄ニもとうヲへき縄ニない遣申候

 三尋程出来申候
一麦、あわ、ひえハ無之、大豆小豆ハ御座候
一うり・なすび不断多御座候、日本之風味同敷、瓜ハ何れも
 あじよく御座候、白瓜ハ無之候
一獣物類、虎・象・唐鹿なと多有之、象ハ国王ニ象屋ヲ
 建飼被申候、象の頬ニ鍵ヲ打立引廻シ水なとニ飼申候
 象のつらの疵星出申候へハ壱夜ニいへ申候由、大象ハ
 軍陣の時引ならべせいろうを組かけ申由申候                *井楼=やぐら
一牛ハ無之候、すい牛多有之、百姓日本之牛之ごとく
 飼遣入、田畑ヲもすき多ハ車計ニ用申候
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一日本ゟ馬ハ小ぶりに相見申候
一猿ハ無之申候
一ふんとうと申て日本之山犬之ごとく成者、人をあやめ申候       *危める=傷つける、殺す
一じゃこう犬ハ鉄炮ニて打、其侭つぼニ入れ土ニ埋置、後取出    *麝香鹿  漢方の香料の一つ
 売買仕候、天竺人ハむさきものニて嫌申候、是ニ能、
 にたるひほうと申もの御座候、見違て打申候へハ捨申候
 是をひほうの死と云
一りうさ川に鯉、鮒、鱒色々魚多有之候、此りうさ川
 小川迄蛇多有之候、あつき時分水ヲあび候へハ、子共
 なと竹にて柵かけ置此内ニて多あび申候、自然蛇
 にとられ候へハ、てひやたいの長老王へ頼候て文字ヲ
 調もらい川上ゟ流候へハ、蛇半死せり上申候、討取申候

一りうさ川の蛇角無之候ハ釈迦御説法以後角落申候
一くじゃくハ家々庭々飼申候、ふんハ人之毒ノ由家の外へ
 捨申候、ほうおう空ヲ通り候へハ恐れて家の内かけ入申候      *鳳凰
一鳶・烏有之候、とびハ日本同様ニ相見へ、烏ハ白くク御座候
一天竺の山田仁左衛門と申仁ハしゃむ一国の国主也、日本  *アユタヤ王国の高官、後六昆(リゴール)王
 ゟ之御朱印ヲ改被申候、生国日本伊勢之山田
 の仁、御師の代官ニて江戸へ罷下り徒成事有之、御
 吟味被成候故長崎へ欠落シ、飛乗シしゃむ国へ渡り国主ニ
 被頼、所々軍陣之時能働被致手柄有之、則国主
 の婿ニ被成、後ニ国主の跡を継被申候よし
一山田仁左衛門ヲおやかうほんと申候、おやかうほんと申ハ侍大将
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 の事ヲ云由、位ハおんふうと申と左大臣のよし申候
一侍ハとあひ衆と申候、知行何万町と申候、王帝の御番    *アユタヤに日本人町があり山田はその長
 御勤被成候
一日本ゟ積参候商物ハかや、から笠、扇子、ぬり物、銅
 鉄道具尤刀脇指望申候、多ハから笠、かや、扇子
 望申候、日本之上うすくて強有之候故望申候
一天竺ゟ買候糸巻物、薬種、伽羅、すよう、さめ抔           *蘇方木、鮫皮
 買上り申候
一角倉与市殿船頭ニ参候前橋清兵衛ト申ハ大坂塩屋
 道薫出入仕候仁ニて御座候、其時分大坂大年寄ハ
 淀や孝安、大塚や心斎、塩屋道薫ゟ肝煎被遣候
 
 私義ハ船頭清兵衛ニ被雇参候
一与市殿船ニ水主分八十人参候、長崎・南蛮・おらんた       *別本五十人
 其外海上案内に巧者成ルものヲ吟味仕被雇参候、水主  
 之内役者ニ具物と申ハ、帆柱、梶、碇ニかゝり申者
 を極置申候
一たいこんとハ         梶取のもの
一あはんとハ          柱登ル者ヲ云
一両こんとハ          両帆手綱の役ヲ云
一一てん二てん三てんの縄 三筋の役ヲ云
一たうてんとハ         碇の役ヲ云
一てつかう           荷物積役ヲ云
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一さほん            さうしの役ヲ云               *掃除
一かき付            物書申役ヲ云
    天竺物数ノ名
壱ハ うんか     弐ハ とらす            *一から十迄はポルトガル語と思われる
三ハ てれす     四ハ くわとろ
五ハ しんく     六ハ せいし       
七ハ せいて     八ハ おいて
九ハ のひ      十ハ でし
百ハ てふんてき   千ハ れん
万ハ とん

     唐七帝の名
ちゃちう           ふくちう *福州
ちんちう           ちんもう *泉州 ?
からのくに          かんとう *唐の国 広東
なんきん        〆七都の名             *中国の主要港の様に見える
    中天竺之名
 とんきん    かうち 達磨の御誕生所也 *トンキン交址
 ちゃむは    るすん             *占城  呂宋
 かほうちや   〆五帝の都也        *東補塞(カンボジャ)  *インドシナ全体も天竺と見える
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一空海御座候所ハうりひさらと申所けいくわい山 
 清鈴寺と申寺ニて御座候                    *空海は唐の都長安の清龍寺で学んだと云う
     天竺商船御免被為成候人数
 角倉与市   茶屋四郎   平野藤治郎  
 後藤     籠屋     江屋
             〆六人京都
長崎             阿蘭陀
 末次平蔵   高木作左衛門  やようす
天竺
 山田仁左衛門  しゃむノ他多                 *他にも50人以上朱印状が与えられた

一初渡り申時分、長崎御奉行竹中采女様ト申候
 右天竺往来仕候義御尋ニ付覚申候通
 物語仕候
一徳兵衛拾五歳ニて天竺江渡申年ハ寛永三丙寅    *寛永三 1626、 慶長17 1612生か
 暦元禄七歳迄ハ六拾九歳ニ罷成候、徳兵衛齢 *元禄七 1694 85歳  *初渡りから69年後書いたか
 八十歳ニて剃髪、法名宗心号ス