戻る                                                             Home
                          薩人唐漂流サマリー

年号干支
(西暦)
旧暦月日 場所等 記事
文化10酉 3月21日    鹿児島出帆 大嶋勤務のため薩摩藩士達の出発、代官、与力5、目付2、その他家来
(1813年) 4月28日 大嶋着 大嶋に到着、先任者たちと交代、以後2年間大嶋で勤務する
文化12亥 8月14日 大嶋、大熊湊出帆 薩摩より後任来たので帰国のため三艘で出帆、内伊勢田丸には49名乗組むが西風、雨のため同日三艘全船大熊に戻る
(1815年) 8月17日 同所 再出帆、風順調だが伊勢田丸徐々に遅れ僚船とはぐれる
8月21日 大嶋、東古仁村 伊勢田丸は東古仁上陸、僚船二艘は大嶋津代湊に投錨の情報得るたので薩摩めざし再出帆
8月24日 洋上 帆の修繕
8月□日(27か) 風向北東に替る、夜強風になり帆柱鳴る、帆を下ろす
8月28日 強風、帆柱切捨、大嶋の面間切見たが風強く近付けず
8月29日 早朝より荷物打捨、 四時頃風かわり北北西めざすが楫折れ碇おろす
8月30日(晦日) 雨、西風強い。 指料流し祈願、北風に替る
9月2日 神鬮(みくじ)をあげる、明日には陸地みるであろう
9月3日 流れ次第にしている内、小さな島みたが近付けないうちに見失う
9月4日 雨、箱蓋等に請け溜置く
9月5日 陸地見えず、以後流れにまかせ漂流
9月27日 水主一名病死し箱に入れ船中におく。 小型の唐船二艘見かける
10月4日 唐漁船三十艘見かけ、会話試みたが通じず、漁船は行ってしまう
10月5日 漁船数百艘、内十艘近付く、陸地へ案内頼むも通じず、陸地見え、碇おろす
10月6日 広東省褐石鎮 風強く夜碇綱切れ沖へ流される、端舟にて48名上陸、母船焼失。 地元役人と接触、上陸地点から約三里の広徳禅寺が宿所に提供される。水牛を見る。
10月7日 恵州褐石鎮 唐人たちが見物にくる。 船頭宅衛門病死、 地元役人が僧よび葬る。無人で牛が臼を引いているところ見る。
10月8日 陸豊県 褐石鎮から6里ほど、城内町家1千軒余、宿所2軒割当られる
10月11日 陸豊県 県役所出頭、祭り見物
10月27日 陸豊県 役人より乗捨た端舟の代銀の申し出あり、不要の旨解答
10月28日 陸豊県 綿入れの数、寸法など調査
11月1日 陸豊県 明日出発する旨聞く、全員の綿入れが支給される。又端舟の代銀受領したので家来、水主の股引購入。別に二貫文貰ったので酒など購入
11月2日 海豊県 役人五人付き添い陸豊県出発、轎に乗り7里。武器は柳ごり、風呂敷に包む。 旅館に泊まる
11月3日 嶺脚 役人付き添いで海豊県役所出頭後直ぐ出発、7里で嶺脚に到着宿泊
11月4日 鳳河渡、教嶺 羊蹄山、鳳河山越、河に出て舟二里、上陸後鷲準、通り教嶺宿泊
11月5日 平山鎮 陸路教嶺出発、途中平山鎮から二艘と役人一艘、計三艘の舟に夜通し乗る
11月6日 帰善県、博羅県 城の内外に町家千軒、上陸、舟再出発、博羅県で夜米受取る
11月7日 鉄山岡、東莞県 鉄山岡では山無く、田畑あり、畑に砂糖黍、夜中東完県通過
11月8日 番禺県 大河に出上陸、広東省城下、船五六千艘、外洋船三十艘、オランダ二艘あり、諸国の商館もある
11月13日 番禺県 広南へ送る旨連絡あり、約40日留まる、武器の売渡し打診あるが断る
11月14日 番禺県 蒲団47給与される
11月19日 番禺県 人数、武具確認
11月22日 番禺県 冬至、賑やか、食材、酒提供される
番禺県 帰善県より乗ってきた舟は番禺県の船三艘に乗り換え
12月10日 番禺県 盗賊騒ぎあったが大したことではなかった
12月16日 番禺県 当地寺参拝、天公堂、関帝堂
12月20日 南海県、仏山 番禺県役人付添出発、南海県、仏山では川に向かって遊女店がある
12月21日 三水県 三艘の船に乗り分かれる。食料積み込み
12月23日 芭巴 町家四五十、合図の鐘太鼓鳴らして通る
12月24日   何処にも舟立寄らず
12月25日 清遠県 清遠県は町家1里ほど続く、舟乗替え出帆
12月26日 横石、峡山越 峡山越に寺があり左右に梅樹があり風景よろしい
12月27日 何処にも舟立寄らず
12月28日 英徳県 城に櫓あり、通過
12月29日 玉補庄 人家少々、川筋に番所あり銅鑼を鳴らして通る
12月30(晦日) 観音厳 付添役人より正月料理差し入れ、珍しい岩屋のあるところ
文化13子 1月1日 観音厳 正月、新年の挨拶
(1816年) 1月3日 観音厳 同日まで滞舟
1月4日 曲江県 繁華の地、町家数千軒、女船頭の渡し舟、一町ほどの舟橋がある
1月5日 船替え以後夜は川中に舟を繋ぐ
1月10日 南雄州 町家数千軒、 長さ五六十間、幅五間の太鼓橋
1月11日 南安府 上陸、梅見物、宿屋に泊まる
1月12日 南安府 北京へ貢物を届けた帰路の暹羅人みかける
1月13日 南安府 同所出船
1月15日 江西省 町家数千軒、城に櫓あり、舟繋ぐ
1月16日 船替えて出発
1月18日 十八灘という瀬の狭い川通過、夜は舟繋ぐ
1月19日 万安県 付添役人より米など渡される、 風雨強く川中に舟繋ぐ
1月20日 出船
1月22日 吉安府廬陵県 町家多く建続き、城もみえる、 欧陽永叔の出身地
1月23日 同所出船
1月24日 峡江県 町家多く建続く
1月25日 豊城県 町家多い
1月28日 南昌府 町家多く見通せない、 勝王閣見物
1月29日   南昌府出船
2月1日 瑞洪鎮 町家五六百軒が川中の島にある、見物人大勢あり
2月2日 龍津 町家ニ三百軒、 春秋時代の呉国で莫耶の剣を打ったところの由
2月3日 龍津出船、 町家百軒程の所に舟繋ぐ
2月4日 安仁県(ママ?) 町家数千軒、付添役人より米など渡される
2月8日 貴渓県 町家数千軒
2月12日 鉛山県川口 町家四五百
2月13日 広信府 舟乗換出船、町家数千、
2月15日 広信府 雇水主、坊助病死、当地へ葬る
2月16日 浙江省常山県 上陸、昼食代一人4拾文づつ支給される、宿屋に宿泊
2月17日 出発、川幅1-2町、川筋10里ほどみかん山
2月23日 厳州府 町家数千軒、厳子陵が釣をした台を通る、石の上に屋根、祠あり
2月25日 銭塘県 六角六重の塔、五湖あり
仁和県 銭塘県と家続き、三里四方程の大きな町
2月26日 石門県 夜通し乗る
2月27日 嘉興府 至って手広い町
平湖県 暗夜で町家の様子不明
2月28日 乍浦 李大爺という役人に面会、通事付く、問屋のようなところの二階に居住
2月29日 乍浦 付添ってきた役人と暇乞い、大嶋紬など贈る
3月4日 乍浦 海関役所へ幼年の水主連れてゆく、刀を見たい旨朱洪という役人躰に言われる
3月5日 乍浦 朱洪、刀を見に来る
3月7日 乍浦 海防官役所へ全員出頭、五月中には帰国させたい旨聞く
乍浦 武器は箱にいれ封印、但し箱、錠前は預かる
乍浦 湯屋のはなし、 石の壷に樋で湯を入れる、10人程入れる
5月11日 乍浦 日本向け船の荷主が蘇州からきて面会、荷主による招待及び狂言様見物
乍浦 夏の氷のはなし、 冬の間に山間で作る
6月1日(朔日) 乍浦 天后堂の祭礼の芝居見物に荷主より招待される。馳走になる
6月7日 乍浦 通事人の案内で観音山に登る、荷主の差し入れで帰国前祝
6月10日 乍浦 日本向船出帆に向け、三組に分けて乗船、武器持帰り指示あり、荷主に挨拶に行く、二番船組乗船
6月11日 乍浦 三番船組乗船
6月13日 乍浦 二三番船組同時出帆
6月14日 乍浦 六番船組乗船
6月15日 乍浦 六番船組出帆
6月24日 長崎 二番船組 長崎到着
6月26日 長崎 三番船組 長崎到着
6月27日 長崎 六番船組 天草に漂着、挽船により長崎へ回航、 水主一名6月15日病死