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碑銘 水門帰帆

第八句「水門(ミナト)の帰帆(キハン)高楼に映ず」
那珂湊を見下ろす場所に碑があり、当時江戸と水戸を往来したであろう大小の船が真っ白い帆を懸けて湊に出入りしたものと想像できる。 現在は碑の直下の海岸は埋め立られ建造物が多いが、当時はもっと間近に海がせまっていたと思われる。広浦秋月に次いで往時を偲ばせる場所である。

碑銘 村松晴嵐

 第七句 「遥かに望む村松晴嵐(ムラマツセイラン)の後(アト)」
東海村原発施設に隣接する山中のお寺、村松虚空蔵尊の裏手100メートル程の山中に碑がある。 周囲の松林や雑木が大きくなり、外への視界は全くない場所である。 此地を詠んだ公の和歌「真砂地に雪の波かとみるまでに塩煙はれて吹く嵐かな」を併せて推測すると海上の塩霧が嵐で吹き飛び、真っ白な砂の海岸線と太平洋の大海原が一望できたものと思われるが、今は何も見えない。 八景の中で最も往時のイメージが掴めないところである。

碑銘 広浦秋月

 第六句    「月色玲瓏(レイロウ)たり広浦の秋」
涸沼湖の北岸、広浦公園内に碑があり、現在でも往時の水戸八景に最も近い風景を臨めるのではないだろうか。 昼下がりの立寄りなので月こそ無いが湖面が陽光に美しくきらきら輝き、遠くに筑波山を見ることができた。湖岸には往時も有ったであろうと思われるべか舟が何艘か陸揚げされていた.。

碑銘 岩船夕照

 第五句「花香(カコウ)爛漫(ランマン)たり岩船(イワフネ)の夕(ユウベ)」何の花の匂いがしたか不明だが、大洗市の那珂川流域を南から望む丘の中腹に碑があり、夕日に那珂川の川面が美しかったであろうことは想像できる。今は木が大きくなりすぎて視界は狭い

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

碑銘 仙湖暮雪

「水戸八景」第一句「雪時(セツジ)嘗
(カッ)て賞す仙湖の景」

碑は偕楽園の中にあり千波湖を見おろす場所である。
現在では高速道路や鉄道が湖との間にあるが、
往時の雪景色の湖を想像することはできる



碑銘 太田落雁

 第四句「太田の落雁(ラクガン)芳州を渡る」

丘の中腹に碑があり、視界は開けており現在は住宅ばかりだが往時は畑か田んぼで雁が一休みするために下りてくる情景が想像できる

碑銘 山寺晩鐘

第三句「山寺の晩鐘幽壑(ユウガク)に響き」

太田市の木に囲まれた小高い山の中にある西山研修所の敷地内に碑があり、近くにお寺があったものと思われるが確認はできなかった。

碑銘 青柳夜雨

第二句 「雨の夜(ヨル)更に遊ぶ青柳
の頭(ホトリ)」

水戸市青柳町。 那珂川の高い堤防と小さ
な畑の間に大きな柳の木があり、その傍ら
にひっそりと碑がある。今は堤防が高く川
の景色は見えないが往時は堤防も低く、雨
のそぼ降る那珂川が臨めたのであろう。