弘道館正門
弘道館記拓本掛軸

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                 弘道館にまつわる漢詩及び弘道館記

弘道館賞梅花  徳川景山

弘道館中千樹梅
清香馥郁十分開
好文豈謂無威武
雪裡占春天下魁

読み下し
弘道館に梅花を賞す  徳川景山(斉昭)

弘道館中千樹(センジュ)の梅
清香(セイコウ)馥郁(フクイク)十分に開く
好文(コウブン)豈(アニ)威武無(イブナ)しと謂(イ)わんや
雪裡(セツリ)春を占む天下の魁(サキガケ

詩解
弘道館には沢山の梅があり、今十分に開き良い香りをただよわせている。 梅は別名好文というが文を好み
威武に欠けるか、否そんな事はない、雪の残る中春を先取りし、ひとり天下の魁になっているではないか。
弘道館で学ぶ諸君も文武において天下の魁となって欲しい、という烈公の気持ちが込められている様ですね

弘道館記(原文)
弘道者何人能弘道也道者何天地之大経而生民不可須臾離者也弘道之館何為而設也
恭惟上古神聖立極垂統天地位焉万物育焉其所以照臨六合統御宇内者未曾不由斯道也
宝祚以之無窮国体以之尊厳蒼生以之安寧蛮夷戎狄以之率服而聖子神孫尚不肯自足楽
取於人以為善乃若西土唐虞三代之治教資以賛皇猷於是斯道愈大愈明而無復尚焉中世
以降異端邪説誣民惑世俗儒曲学舍此従彼皇化陵夷禍乱相踵大道之不明於世蓋亦久矣
我東照宮撥乱反正尊王攘夷允武允文以開太平之基吾祖威公実受封於東土夙慕日本武尊
之為人尊神道繕武備義公継述嘗発感於夷斉更崇儒教明倫正名以藩屏国家爾来百数十年
世承遺緒沐浴恩沢以至今日則苟為臣子者豈可弗思所以推弘斯道発揚先徳乎此則館之
所以為設也抑夫祀建御雷神者何以其亮天功於草昧留威霊於茲土欲原其始報其本使民知
斯道之所来也其営孔子廟者何以唐虞三代之道折衷於此欲欽其徳資其教使人知斯道
之所以益大且明不偶然嗚呼我国中士民夙夜匪懈出入斯館奉神州之道資本西土之教忠孝
无二文武不岐学問事業不殊其效敬神崇儒無有偏党集衆思宣群力以報国家無窮之恩則
豈徒祖宗之志弗墜神皇在天之霊亦将降鑒焉建斯館以統治教者誰権中納言従三位源朝臣
斉昭也

(読み下し文)
弘道とは何か。人能(よ)く道を弘める也。 道とは何か。天地の大経にして生民しばらくも離れる
べからざるものなり。 弘道館は何の為に設けられたか。 恭しく惟(おもい)みるに上古神聖極を立て
統を垂れ天地に位し万物を育す。其の六合(東西南北、上下=天下、世界)を照臨するを以って
宇内を統御するは未だかって斯道(このみち)によらずばあらざるなり。 宝祚(皇位)之を以って窮まり
無く、国体之を以って尊厳、蒼生(人民)之を以って安寧、蛮夷戎狄(外国の蔑称)之以って率服す。 
而して聖子孫尚敢えて自ら足れりとせず人に取りて善をなす楽しみ、すなわち西土唐虞三代(堯、舜の
時代に夏、殷、周の三代)の治教を資(と)りて以って皇猷(天下のはかりごと)を賛(たす)く。 
是に於いて斯道愈々大にして復(また)尚(くわ)うる無し。 中世以降異端、邪説、民を誣(し)い世を
惑わし、俗儒曲学、之を捨て彼に従い皇化陵夷(りょうい=衰退)、禍乱相踵(からんあいつぎ)世に
於いて大道の明らかならざること蓋し亦久し。 我が東照宮(家康)は撥乱反正(乱を鎮める)、尊皇攘夷、
允(まこと)に武、允に文、以って太平の基を開き、吾祖威公は実に封を東土に受け、夙に日本武尊命の
人となりを慕い、神道を尊び武備を繕い、義公(光圀)継述し、夷斉に感を発し、更に儒教を祟(たっと)び
明倫生名以って国家に藩屏たり。 爾来百数十年世に遺緒(いしょ)を承(う)け、恩沢に沐浴し、以って
今日に至る。則(すなわち)臣子たる者、豈(あに)斯道(このみち)を推し弘め先徳を発揚する所以(ゆえん)
を思わざるべけんや。 此れ則(すなわち)館を設けたる所以なり。建御雷神(たけみかづちのかみ)を
祀れるは何ゆえか。 其天功を草味(そうまい)に亮(うけ)、威霊を茲の土に留めるを以って其始めに
原(もと)づき、其の本に報い、民をして斯道(このみち)の(よ)って来る所を知らしめんと欲すれば也。
其の孔子の廟を営めるはなにゆえか。 唐虞三代の道此れに折衷せらるを以って其の徳を欽し、其の
教えを資(と)り、人をして斯道益々大に且つ明らかなること、偶然ならざる所以を知らしめんと欲すれば也。 
鳴呼、我が国中の士民、夙夜(しゅくや)懈(おこた)らず斯の館に出入りし、神州の道を奉じ、西土の教を
資り、忠孝二つなく、文武岐(わか)れず、学問と事業は其の効を殊にせず、神を敬い、儒を祟(うやま)い
、偏党あることなく、衆思を集め、群力を宣(の)べ、以って国家無窮の恩に報ぜば、即ち豈(あに)徒(た)だ
祖宗の志墜ちざるのみならんや。神皇在天の霊も亦将に降り鑑み給(たま)わんとす。 斯の館を設けて
以って其の治教を総べる者は誰か。権中納言従三位源朝臣斉昭なり。
(参考 水戸論語 百川元著 昭和15年発行)

大意
弘道とは道を広めることであり、其の道とは人が人として持ち合わせるべき真理である。弘道館を建てた
理由は以下のとおりである。 我国は天孫の国であり、天孫の道により国を維持してきたが、更に儒教の
道を取り入れ磐石の道にした。 然しながら中世以降に色々な思想が入り込み、本来の道が廃れ、国風が
衰退し、世が乱れたが、東照宮、徳川家康が乱を鎮め、尊王攘夷を行い、文武を盛んにし、太平の基礎を
作った。 水戸の祖、威公はこの地に封され、日本武尊命の人となりを慕い、神道を尊び、武備を盛んにした。
義公はこれを継ぎ、更に儒教にも力を入れ国家の藩屏となってきた。 以来百数十年、この道を引継ぎ
恩に感じ今日に至る。 臣子たるものとしてこの道を更に推しひろめ、先人の徳を称えるべきではないか。
 これが理由である。 建御雷神を祀るのはこの神がこの国に降り立ち、最初に国づくりを行ったからである。
 孔子を祀るのは堯舜及び中国の古代王朝の理想の道を伝えるからである。 我国の士民よ、日夜怠けず
この館に出入りし、この国の神と中国の儒を敬い、忠孝を両立させ、文武は分かれず、学問と実践を相乗させ、
党派に偏らず、みんなで考え、力を合わせ国家の恩に報いなさい。 そうすれば御先祖の期待に応えるだけ
でなく、天にまします神のご利益があるだろう。 
この館を設けて、その教育を統率するものは誰あろう、権中納言従三位源朝臣斉昭なるぞ。

というような事でしょうか。 締めくくりはテレビ水戸黄門の「この葵の御紋が目に入らぬか」調になってしまい
ましたが、それにしてもこの思想は過去いろいろな局面で切り取って使われたと思います。 「尊王攘夷」は
幕末の志士やテロリスト達に、 前半の皇国史観は戦前の教育にも使われた事でしょう。  文武両道分れず
というのも私のでた高校のモットーであり、今も続いているようですが、具体的には進学校として実績を挙げる
事と同時にスポーツで全国に名を馳せることかな。 現代でも「学問と事業は其の効を殊にせず」などは大事な
ことですね。 これは実践に役立たない学問は学問でなく、学問の裏付けのない実践はこれまた危なっかしい
ものだと言うことです。