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               夏草やつわものどもが夢の跡(4)

  分裂していた北朝内を統一した隋は南朝の陳を
582年に滅ぼして全土を統一し、土地の
再配分を行うなど中央集権体制を確立しました。 しかし南北の交通改善の大土木事業や、
度重なる高句麗遠征などで人心が離れ、
40年弱で唐に取って代わられました。 

  唐は
618年から907年まで続いた長期王朝ですが、大唐帝国と言われ、唐が最も繁栄した
時代、756年に大きな内乱が起こっています。 原因は時の玄宗皇帝が寵妃、楊貴妃の機嫌を
とるための情実人事を行ったことから、一地方長官(節度使)だった安禄山が
謀反
起こしました。これに一時軍隊までもが呼応したため大乱になり、都長安を逃れた玄宗は
楊貴妃を処分せざるをえませんでした。 反乱軍の手におちた長安と洛陽は翌年奪回されましたが、
反乱は史思明達に引き継がれ最終的に収束したのは九年後(安史の乱)と言われています。

  この時代に遭遇した杜甫(712770盛唐)は官吏として事変に巻き込まれ、地方を転々
としましたが、遠い昔ではなく、将にその時代の栄枯を詠んだ有名な律詩を取上げます。


11
春望
国破在山河   国破(クニヤブ)れて山河在(サンガアリ)
城春草木深   城春(シロハル)にして草木(ソウモク)深し
感時花潅涙   時に感じては花にも涙を濺(ソソ)ぎ
恨別鳥驚心   別れを恨んでは鳥にも心を驚(オドロ)かす
烽火連三月   烽火(ホウカ)三月(サンゲツ)に連(ツラナ)り
家書抵万金   家書(カショ)万金(バンキン)に抵(アタ)る
白頭掻更短   白頭(ハクトウ)掻(カ)けば更に短く
渾欲不勝簪   渾(スベ)て簪(シン)に勝(タ)えざらんと欲す

詩解
国都である長安もすっかり壊滅してしまったが、昔ながらの山河が残った。春がきて城には
草木が深く生い茂っている。 この時世を見ると花をみても涙がながれ、家族との別れを
惜しんでは鳥の声にも心が痛む。兵火は三ヶ月にも及び、家族からの手紙は万金に価する
ほどありがたい。白髪は掻けば掻くほど毛が抜け、かんざしもさせないくらいになりつつある



   隆盛を誇った唐も安史の乱を境に坂を下り始めますが、それども西暦907年まで尚150年の命脈を
保ちます。 しかし朝廷の力は次第に弱まる一方、宦官と軍閥が跋扈し、9世紀の後半からは黄巣の乱を
はじめ内乱続きとなります。  この時代に遭遇した曹松(830−901晩唐)は以下の詩を残しています。 
この詩の結句は現代でも良く使われています。

12
巳亥歳 曹松      巳亥(キガイ)の歳(トシ)
沢国江山入戦図  沢国(タクコク)の江山(コウザン)戦図(セント)に入(イ)る
生民何計楽樵蘇  生民(セイミン)(ナン)の計(ケイ)あってか樵蘇(ショウソ)を楽しまん
憑君莫話封侯事  君(キミ)に憑(ヨ)って話す莫(ナ)かれ封侯(ホウコウ)の事
一将功成万骨枯  一将(イッショウ)功(コウ)成って万骨(バンコツ)枯(カ)る


詩解
豊かな水郷地帯や山河も皆戦場になってしまった。 人々はどうやって生活を楽しめばよいのだろうか。
君にお願いする、大名になることなど話さないでくれ。 一人の将軍の功名の陰には数万の兵士の犠牲が
あるのだから
註 巳亥歳= 西暦879年
   

   唐の滅亡後は70年程五代十国という短期政権が続iいた後、 宋に王朝は引き継がれてゆきます。 
唐詩を軸に中国の歴史を見てきましたが、宋以後も漢詩の流れは続きますので別なページで歴史を
ひもときながらとりあげてゆく予定です。

参考文献  
史記 中央公論社、 ちくま学芸文庫
中国五千年 陳舜臣 
唐詩三百  東洋文庫

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