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                    坂本龍馬の霧島登山
  今年のNHK大河ドラマは坂本龍馬だったが、昨日龍馬と妻おりょうが新婚旅行で霧島山に登山をして
天の逆鉾を引抜く場面を見た。 この登山については龍馬が姉に宛てた手紙が残っており、当ホームページ
古文書コーナーの「霧島山天の逆鉾2」の中で紹介している。 当然ながらドラマは色々脚色もあるので実際の
龍馬の書簡の中登山の部分を抜粋して現代文にしてみた。 叉一昨年4月下旬に登山した時の写真など
併せて掲載する。(20101231)。



姉宛の龍馬書簡に書かれた霧島山と逆鉾の前面及び側面図

山全体のスケッチに「イ」左下道筋の始まり、「ロ」道筋半ばより少し上、「ハ」頂上の少し下、「ニ」頂上、「○」上三分の二程の右側に、夫々文字叉は記号が書き込まれている。
          龍馬書簡抜粋現代語訳 
             前文略
その後三月に京都から大坂に下り、四日に蒸気船に二人で乗り込み長崎に九日、十日には鹿児島に到着しました。此時京留守居役の吉井幸助も同道で船中では色々話しました。 その時吉井の勧めで温泉でも行ったら、という事で霧島山方面に向かいました。 

途中日当山(日向山)の温泉に泊まり、塩浸と言う温泉にも行きました。 この辺は大隅地方で和気清麻呂が庵を結んだ所で、蔭見の滝があります。 この滝の高さは90メートル程で直下し、実にこの世のものと思えないほど珍しい所です。 ここに十日程宿泊し、谷川の流れで魚を釣り、ピストルで鳥を撃ったりして楽しくすごしました。 これから叉深く山に入り霧島の温泉に行きます。 

そこから叉霧島山に登って天の逆鉾を見ようと思い、妻と二人で延々と登りました。 橘氏の西遊記程ではないが道が大変悪く、女の足にはきつい所ですが漸く馬の背越え迄よじ登り、ここで一休みし叉延々と登り終に頂上に到達して逆鉾をみました。 

その形は(右図の様であり、これは確かに天狗の面である。 両面に顔をつけてある青銅製である。)

やれやれと腰を叩きながら、漸く登ってきたのにこのような予想外に滑稽な天狗の面に接し、二人で笑いあいました。 この逆鉾は少し動かして見たら簡単に動くので、 二人で両方の高い鼻を押さえてエイヤと引抜いたところ、僅か1.2mから1.5mの長さだったので叉元通りに戻しました。 これは青銅で作ったものでした。 

  
この場所は高山なので目の届く限り見え渡り大変興味深いのですが、何分四月(旧暦、今の5月)なので未だ寒く、風も強いので注意深く下山しました。 辺りは霧島つつじが一面に生えて実に作った様に美しい眺めでした。 

この山全体の形は左図の通りです(図中にイ、ロ、ハ、ニ、○印あり)
○印は火山の跡の穴で直径が330m程、すり鉢の様で下を見るのも恐ろしい程です。
イ印からロ印迄の間は山坂で焼石ばかりで男でも登るのがきつい程です。 焼け土はさらさらして少し妻は泣きそうになり、500メートルも登ると履物(わらじか?)が切れます。
ロ印からハ印迄は所謂馬の背越えで、確かに左右の深さは目が届かない程かすんで見えます。 余りにも危ないので妻の手を引いて行きました。
ハ印からニ印迄は気楽に登れて、滑り落ちる心配もありません。

霧島山より下り霧島神宮に参拝しました。 ここには大きな杉の木があり、社殿は古めかしく荘厳です。 ここに一泊して後霧島の温泉宿に戻ると吉井幸助が待っており、同道で4月12日(旧暦、現在の5月26日)鹿児島に帰りました。
            以下略
注1:上記は慶応2年12月4日(1867年1月9日)書簡より
注2:蔭見の滝とは犬飼の滝の事という。 薩摩弁で犬をイン、飼はケと発音する事から、インケンと聞き間違えたと推定する。 実際の犬飼の滝は霧島市にあり、巾22m、高さ36mの由


現在の逆鉾は柄の上に三本の刃が付いている。 元々はこの状態だったが江戸時代には噴火の為刃が破損、紛失していた。 その意味ではドラマでは柄しか無かったのは正しい。

ドラマでは引抜く時に龍馬一人で引抜いているが、実際は書簡によれば妻おりょうと共同で引抜いている。 叉かなり大げさに振り回しているが右の様にそのまま戻している。 
両方の天狗の鼻が調度刀の鍔の様に見えるので、ドラマを見た友人は何か大きな刀を振り回していた、と云っていた。 

写真左は正面、右側面より撮影
龍馬のスケッチの「イ」の辺りに当る。 高千穂河原から暫く低い木立のダラダラ坂をのぼると、木立に切れた辺りから急に坂がきつくなり、焼石地帯が延々と続く。
スケッチの○に相当する部分で「御鉢」と呼ばれる噴火口の跡が大きく口を開けている。 直径3町余と龍馬書簡にあるが300-400m位か。 深さも100m以上ありそうである。 今でも時々水蒸気を噴き出すという。
スケッチ「ロ」に相当する部分で所謂「馬の背越え」の部分で、上の御鉢の縁になる所を通過する。 橘南渓は刀の刃の上を行ようだと表現している。 風が強い時は這って行くという程である。 この縁の区間は半周近く(200-300m)ある。 霧島登山の最大の難所という。
スケッチ「ハ」から頂上を望む。 龍馬は「ハ」から「ニ」頂上は至って気楽に登った様に書いているが、実際「イ」の急勾配の焼石の山肌をゼーゼーしながら登り、風にハラハラしながら馬の背越えをした後だけに、えつ、まだ登るの、という感じである。
頂上の風景、写真中央の小高い頂上に立つのが逆鉾。 「ヤッタ」終に来たかと感激一入。 人が多いのは偶然頂上の整備で地元高原町と国土交通省職員及びボランティアの人達が作業をしている。
龍馬書簡原文はこちら

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