異国船取扱

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                 寛政度異国船取扱指針

寛政三亥年九月朔日於殿中、松平陸奥守様松平
阿波守様、松平伊豆守様御渡被成候由ニて
大目付安藤大和守殿差出候御書付

先頃筑前・長門・石見之仲え異国船一艘漂流之様子
ニて程遠く乗難候儀も有之、又地遠く寄来ル儀も候て
彼是日数八日程之内、右之趣ニて当時帆影も不相見
趣ニ候、惣て異国船漂着候ハヽいづれニも手当いたし
先船具ハ取上置長崎表江送り遣し候儀、夫々可被相
伺事ニ候、以来異国船見懸候ハヽ早々手当人数等差
配り、まづ見へかかり事がましく無之様ニいたし、争談
役或ハ見分之もの等いたし様子相試可申候、若拒候
趣ニ候ハヽ船をも人をも打砕無念者筋候間、彼船江
乗移迅速ニ相働、切捨等ニも致し候ハヽ召捕候義も
尤可相成候、勿論大筒火矢など用候も勝手次第之
事ニ候、争談等も相ととのひ、又は見分等も不拒趣ニ
候ハヽ成丈穏ニ取計、右船をハ計策を以成とも繋置、
船具等を取上置、人をハ上陸いたさせ番人付置立帰
不申候様いたし早々可被伺候、若及異議候ハヽ捕置
可被申候、異国之者ハ宗門之所も不相分儀ニ付番人
之外見物等をも可被禁候右漂流壱弐艘之儀ニ候ハヽ
前文之通可被相心得候、若数艘ニも及候か又は船
小さく候とも最初より厳重ニも不取計して難成様子ニ
候ハヽ其分ハ時宜次第たるべき事ニ候、尤右躰之節
ハ都而向寄領分えも早々申通シ人数・船等を取揃
可被差出候但出張之陣屋又は小領等ニて其場ニ
大筒之類有合不申ハ最寄之内所持之場所A申談
次第早々差越取計候様可被心得候

右之趣可被相心得候、尤其時宜ニより取計一条致し
かたき事ニ候へ共事ニ臨、伺を経候ては図を失ひ可申
儀ニ付、先大概心得之趣相達候条、其余は但略は
時宜ニよりて可被取計事ニ候、兼而議定致し置可然
儀ニ至り候ハヽ成丈ケ可被心配候、尤家来共格別
出情之者ハ名前等をも可被書出事
    九月
(天保雑記第32冊)

寛政三年の幕府通達

最近筑前、長門、石見等辺異国船が一艘漂流して
いる様だが遠くで乗付も難しく、八日程経た今は
帆影も見えなくなった。 
一般に異国船が漂着した場合、保護して先ず船具
は取上げた上で長崎へ送るべきか否か伺いを
立てる事。 

尚異国船を見懸けた場合は、敏速に警備体制を
整え、大騒ぎせずに談判・見分の役人を派遣する。
もしこれを相手が拒むなら、人も船も打砕くのもやむを
得ないので、相手船に乗移り、素早く切り捨てるか
捕縛するべし。 勿論大砲や火矢等使用も許容される

談判が成立するか見分を拒まない場合はなるべく
穏便に取計い、この船を繋がせ乗組員は上陸させ、
番人を付け勝手に戻らない様にしておき、伺いを
立てる事。 若し異議を唱える様なら捕らえて置く事。
宗門の件もあるので異国人には番人以外、見物人
等近づけぬ事。 
漂流が一艘だけなら前述の通りで良いが、若し数艘で
漂着とか、一艘でも最初から厳重に扱わなければ
ならない場合もあり、臨機応変に処理する事。この様
な場合は近隣の領主にも連絡し人員や船の協力を
得る事。 出張の陣屋や小領では大砲の用意も無い
かも知れないので、所持の最寄領分より調達する事

この趣旨を徹底し、場合に依っては処理が難しい事も
あるかも知れないが、その時になって伺いを待って
いたのでは機会を失う事もあるので、先ずは概ねは
通達の添い、例外は臨機応変に処理する様に
普段から物事を決めて置く心配りをする事。 
又家来中で特別良く働いた者は名前等も報告する事
    九月  
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                    文化度異国船取扱改め

文化三寅年正月廿六日青山下野守様御渡之由ニ而
大目付神保佐渡守殿A御触達
                 大目付江
     文化三亥年相触候趣
先達ておろしや船長崎え渡来致、通商等之義相願
候得共、難取用筋ニ付其旨申諭、先年与へ置候信
牌も取上候、以来乗渡間敷旨堅申渡、帰帆為致
候ニ付再渡はいたす間敷候得共、以後万一漂流ニ
事寄乗渡何れ之浦方ニ船繋申間敷ものニも
無之候間、異国船と見請候ハヽ早々手当致し人数
等差配先見分之もの差出、得と様子相糺し、弥
おろしや船に無相違相聞候ハヽ能々申諭し、なり
だけ穏ニ帰帆いたし候様ニ可取計候、尤実ニ難風
に逢漂流いたし候様子ニて食物水薪等乏しく直ニ
帰帆難成次第ニ候ハヽ、相応ニ其品相与へ可為致
帰帆候、且何程相願候とも決て上陸は不為致帰帆
迄は番船付置、見物等をも相禁し、其段早々可有
注進候、尤再応申諭し候ても相拒不致帰帆及異議
候ハヽ時宜ニ応じ不及伺打払其旨申聞候、右
躰之始末ニ至り候節は、諸事寛政三亥年異国
船之儀ニ付、相触候趣ニ准し取計可申候
右之趣万石以上之面々并其以下ニても海浜ニ領分
知行所 有之候面々え不洩様可被相触候
   正月


(天保雑記第32冊)

文化三年老中より大目付へ通達指示
先だって(文化元年)ロシア船が長崎へ
来て通商を求めてたが、断り以前に与えた
長崎への通行証も取り上げ、再来せぬ様に
伝えて帰国させた。 

今後漂流難破を理由に国内湊に入って来る事
も在り得るので、異国船と見たら早めに警備 
体制を整え、しっかり調査してロシア船で
あれば立去る様に説得する事。 

若し本当に漂流して食物や薪水が乏しい
場合は相応にこれを与えて帰国させる事
。 
しかしどんなに相手が希望しても上陸はさせず
立去る迄は番船を付け、見物も禁止しこの旨
報告する事。 再三に渡る説得でも拒否して
立去らない場合は打払う旨通告し、寛政三年
の異国船取扱いに准じて処理する事。

この趣旨を万石以上の大名を及びそれ以下
でも、海岸線に領地、知行所のある者達へ
必ず伝える事
正月
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                      ロシア船特別注意令

文化四卯年十二月九日牧野備前守殿御渡之由ニ而
大目付井上美濃守殿A御触達
               大目付江
おろしや船取計方之儀ニ付き、去寅年相達候趣も
有之候處、其後蝦夷之島々江来たり狼藉に及び
候上ハ向後いづれ之浦方ニてもおろしや船と見請
候ハヽ厳重に打払ひ、近付候ニおいてハ召捕又は
打捨、時宜ニ応可申すハ勿論之事ニ候、万一難船
漂着にまぎれ無之、船具等も損し候程之儀ニ候
ハヽ其所に留め手当いたし置可被相伺候、畢竟
おろしや人不埒之次第ニ付、取計方きびしく
いたし候訳に候条油断なく可被申付候
右之通万石以上以下海浜に領分有之面々え不洩
様可相触候
 十二月


(天保雑記第32冊)

文化四年老中より大目付へ通達指示

ロシア船取扱いについて昨年通達したが、その
後蝦夷地方の島々で彼等は狼藉を行った。
今後どこの海岸でもロシア船と思われる船は
厳重に打払い、近づけば逮捕切捨ては勿論の
事である。

万一船の難破漂着に間違い無く船具等も破損
している場合は、その場に留めて監視する事。 
兎に角ロシア人はけしからんので油断しない
よう申付ける

この趣旨を万石以上の大名を及びそれ以下
でも海岸線に領地、知行所のある者達へ必ず
伝える事
十二月

1.ロシア船はラックスマンにより1792根室に大黒屋光太夫等の漂流民を届け通商を希望したが、幕府は漂流民は
  引取ったが通商は断り、対外窓口は長崎である旨伝え長崎への信牌を与えた。
2.文化三の通達の前にロシアはこの信牌及び仙台のj漂流民を伴いレザノフが長崎を訪問し通商を求める。併し
  この時も幕府は漂流民は受取ったが通商は拒否し、前に与えた信牌も取上げた
3.度重なる幕府の交易拒否に不満なロシア商人がカラフトやエトロフの日本の番所を襲い略奪した事件が文化三、四年
  にあり、文化四年の通達となった。 
4.寛政三年の異国船取扱い通達、 異国船が漂着したら見分をし、もし見分を拒否したら打払う、見分を受入れるなら穏便
  に取り扱い、処理について御伺いを立てる事
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                  文政異国船打払令(無二念打払令)

無二念打払令   
文政八酉年二月十九日水野出羽守殿之御書付

異国船ハ渡来之節取斗方前々A数度被 仰出候之
おろしや船之儀ニ付、文化之度改而相触候次第も候
所いきりす之船先年於長崎及狼藉、近来者所々小船
ニ而乗寄薪水・食料ヲ乞、去年ニ至候而者猥ニ致上
陸、或ハ廻船之米穀・島方之野牛等奪取候段、追々
横行之振舞、其上邪宗門勧め入候いたし方も相聞旁
難被捨置事ニ候、一躰いきりすニ不限南蛮・西洋之
義ハ御制禁邪教之国ニ候之間、以来何れ之浦方ニ
おいても異国船乗寄セ候を見受候者其所ニ有合候

人夫ヲ以、不及有無一図打払、逃延候者追船等不及
差出其侭ニ差置、若押而致上陸候者搦捕又者打留
候而も不苦候、本船近付居候者打潰候共是又時宜
次第取斗へき旨末々之者迄申合、追而其段相届候
之様改而被仰出候間、得其意浦々備手立之義者
土地相慮之実用専一ニ可心掛手重過不申様、又
怠慢も無之永続可致便宜ヲ考、銘々
存分ニ可被申付候、唐・朝鮮・琉球などは船形・
人物も可相分候得共阿蘭陀船ハ見わけも相成兼
可申、右等之船万一見損打誤候共御察度有之間敷
候間、無二念打払候ヲ心掛図ヲ不失候様取斗候所
専一之事ニ候条無油断可申付候
二月

二月十九日御用人御渡御書付
異国舟国々江渡来或ハ於海上出合候節、向々より
之届書多不違様申聞候も専要なるべく候、今般
異国船打払之義被仰出候者事ヲ好候筋ニ者無之
候得共、近来之様子難被捨置次第ニ付而被 仰出
候条、精々入念可申付候
   二月
(天保雑記第32冊)

文政八年(1825年)無二念打払令

異国船渡来時の取扱いはこれ迄数度通達
されているロシア船については文化年中の通達
の通りであるが、イギリス船も先年長崎で狼藉
を行い、最近では所々へ小船で乗付薪水、食糧を
要求し、昨年は上陸したり或いは廻船の米や島の
牛を奪う等横行し、その上キリスト教を勧める等
捨て置訳には行かない。  イギリスに限らず
全体的に西洋の国々はキリスト教国であるので何処
の海岸港でも、異国船が近付いたら其場に居合わ
す者達で有無を言わさず打払い、逃げたら船を出し
て追う必要なく其侭で良い。 もし強硬に上陸する
なら捕縛するも打殺すも構わない。 本船が近付
けば、打ち壊すのも臨機応変に実行する様に末端
迄相談し、その事を届ける様に改めて通達する。 

しっかりとこの趣旨を理解して、夫々の海岸を手持ち
人員で効率良く守り、贅沢にせず怠慢にならぬ様
継続可能な体制をとる様にする事。 又中国や朝鮮
琉球は船の形、人物など見分けも付くが、オランダ
は見分け困難であり、万一オランダ船を打誤ったと
しても咎めはないので、何も考えずに打払いを心
掛け、機会を失わない様にする事が重要であるので
油断なく実行する事
    二月 
異国船が渡来したり、或いは海上で出合った場合
夫々の届が多く有りの侭を相違なく報告させる事が
重要である。 
今般の異国船打払の通達は決して争いを好むもの
では無いが、昨今の状況は放置できないので通達
されるものであるから、真剣に且つ入念に部下に
指示する事

1.イギリス船長崎で狼藉:文化五年(1808年)、イギリス軍艦フェートン号がオランダ国旗を付けて長崎へ入港、
  出迎に向かった出島オランダ商館員を人質として、薪水を要求する事件があった
2.1820年頃(文政期初期)から日本近海に豊富な鯨資源が発見され英国の鯨漁船が進出し、1830年頃からアメリカも
  日本近海捕鯨に進出する。 
3.牛を奪う: 文政7年(1824年)薩摩藩宝島にイギリス船員が艀で上陸し牛を奪った報告が文政7年に薩摩藩
  から出ている
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                     天保薪水給与令
天保十三寅年七月廿二日土井大炊頭殿御渡
 異国船渡来候節無二念打払可申旨、文政八年
 被 仰出候、然ル所当時万事御改正ニて享保寛政
 之御政事ニ被復、何事ニよらず
 御仁政を施度との難有 思召候、右ニ付ては外
 国之者ニても逢難風、漂流等ニて食物・薪水を乞
 候迄ニ渡来候を其事情不相分ニ一図ニ打払候てハ
 万国え被対候御處置とも不被 思召候、依之文化
 三年異国船渡来之節取計方之儀ニ付、被 仰出
 候趣ニ相復し候之様被 仰出候間、異国船と見請
 候ハヽ得と様子相糺、食料・薪水等乏しく帰帆
 難成趣ニ候ハヽ、望之品相応ニ与へ、帰帆可致旨

 諭、尤上陸は為致間敷候、併此通被 仰出候ニ付
 ては海岸防禦之手当ゆるがせニ致し置宜など
 心得違、又は猥ニ異国人ニ親ミ候儀等ハ致間敷筋
 ニ付、警衛向之義は弥厳重ニ致し、人数并武器
 手当等之義は是迄よりハ一段手厚、聊ニても心弛ミ
 無之様相心得可申候、若異国船より海岸之様子を
 うかがひ、其場所人心之動揺を試候ため抔ニ鉄砲
 を打懸候類可有之哉も難計候得共、夫等之事ニ
 動揺不致、渡来之事実能々相分り
 御憐恤之 御主意貫き候様取計可申候、され
 共彼方
より乱妨之始末為し候か、望之品相与へ候て
 も帰帆不致及異議候ハヽ、速ニ打払臨機之取計は

 勿論之事ニ候、備向手当之儀は猶追て相達候次第
 も可有之哉ニ候、文化三年相触候趣書簡は可有之
 候得共、為心得別紙通相達候
  七月
 右之通可被相触候
(天保雑記第50冊)
天保十三年(1842)老中土井大炊頭より大目付へ

異国船渡来の節、無条件打払令が文政8年に
出されたが、此度改正して享保、寛政の頃の方針に
戻す事にする。 これは仁政を施行しようという有り
難いお考えからである。
即ち外国の者が遭難、漂流等で食物、薪水を乞う為
に渡来した時、その事情が分らない中に一様に打払
のは、諸外国に対する処置とは考えられない。
随って文化三年の異国船渡来の節のとり扱いに
戻される事となったので、異国船を見懸けたら様子
を良く調べ、食料や薪水が欠乏して帰帆出来ない
のであれば希望の品を相応に与えて、帰帆する
様に説得し、上陸はさせない事。

しかしこの方針により海岸の防禦などをゆるがせに
して良い等と誤解をしたり、又勝手に異国人と親しく
したりしない事。 警備体制は更に厳重にし、守備
人数や武器の準備等充実し、少しも油断が無い
様に心掛ける事。 若し異国船が海岸の様子を窺い
試しに鉄砲等打掛けても動揺せず、渡来の目的
を把握し、この通達の趣旨を貫く事。 

しかし相手より乱妨を仕掛けたとか、希望の品を与え
ても帰帆せず反論する時は、速やかに打払を臨機
応変にする事は当然である。 警備体制については
追って通達する。 文化三年の通達は有ると思うが
参考の為に添付する
   七月
以上通達する事
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               天保14年外国へ漂流した日本人の受取り方
天保十四卯年八月六日
  外国江漂流之者連越候節受取方之事
御勘定奉行江
日本人之内、外国江漂流致し候ものは手寄次第
唐阿蘭陀の内へ受取可連越候、其外之国々より
連越候とも不請取旨、此度在留のカピタン江申渡
外国のものとも為致通達候、

右ニ付而ハ向後唐阿蘭陀の外、外国のもの共、若
漂流人を連渡候儀有之候とも、決而受取申間敷候、
外国之船何れの浦々江乗寄候とも、去寅年相達候通
薪水食料等乞候ハヽ、其廉而己用弁致し遣、早々
出帆為致候様取計可申候、右之外、都而去酉年相達
置候通り、可心得候
右之趣、万石以上以下領分ニ海浜有之面々江、不漏
様可被相触候

右之通、大目付江相達候間、御料所之内海岸付之
分江、不漏様可相触旨、御代官并御預所役人江も
可被申渡候
     八月
(出典:徳川禁令考)
天保14(1843)年御勘定奉行へ
外国へ漂流したの者が送還された時の受取り方
日本人のうち、外国に漂流した者の情報あれば
中国かオランダ船で受取り、送還すべきである。
其外の外国より送還してきても受取らない旨
此度在留のオランダ商館長に伝え、外国の者達に
通達させた。

これに付て今後中国オランダ以外の外国人が、
若漂流人を連れてきても決して受取らない事、
外国の船が何れの浦々へ着いても、昨年に
通達した通り、薪水・食料等などを乞へばそれは与え
直ぐに出帆させるよう取計う事、それ以外全て去酉年
通達の通りと心得られたし
此事を万石以上、以下で領分に海浜がある面々へ
漏らさず伝える事

     八月