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                    春宵一刻価千金

  中国では唐王朝が滅びた後、約半世紀は短期王朝が乱立し五代十国の時代といわれますが、
やがてその国の一つである後周の将軍趙匡胤が後周国王から禅譲を受け、宋を建国、統一国家を
樹立しました。 宋は960-1127年を北宋と呼び、其の後の南宋と区別しています。 
  北宋の太祖は軍人出身でしたが徹底した文治政治を行い、商業が発達し市民経済が活発に
なった時代といわれます。 船により、馬車により、あるいは人力で物が運ばれ、露店、店舗が繁昌
する様子を描いた清明上河図からもそれは読み取れます。  
  又メインストリートには正店と看板を出した高級な酒楼は三階造りになっており、この時代に
生きた蘇軾(1036−1101、号:東坡居士、高級官僚)は繁栄する都市の様子を見ながら詩を詠んだ
ものと想像されます。 

春夜  蘇軾           春夜
(シュンヤ)
春宵一刻価千金     春宵
(シュンショウ)一刻イッコク価千金(アタイセンキン
花有清香月有陰     花に清香
(セイコウ)有り月に陰(カゲ)有り
歌管楼台声細細     歌管
(カカン)楼台(ロウダイ)(コエ)細々(サイサイ)
鞦韆院落夜沈沈     鞦韆
(シュウセン)院落(インラク)(ヨル)沈々(シンシン)

詩解
 春の夜の一刻は千金に価するなあ。 花は清らかな香りを放ち、月はおぼろにかすんでいる。 
宵の口まで歌声や管弦であんなに賑やかだった高楼もすっかり静かになってしまった。 
女子供が遊んでいた邸の中庭のぶらんこも今は静かに垂れ下がり夜は深々とふけて行く。   

北宋の都、開封の賑わう
メインストリートに面して立
つ酒楼(正店)

清明上河図より
町を行く高級官僚(士大夫)
蘇軾もおそらくこのような
様子だったと想像する

清明上河図より

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又蘇軾より15歳程年長で、北宋きっての有名な政治家である王安石(1021-1086)も多くの詩を
残しています。 蘇軾が上の様な町の風景を詠んだのに対し、田園の風景を詠んだ王安石の
以下の詩を取り上げます。

初夏即事 王安石         初夏即事
石梁茅屋有湾碕     石梁(セキリョウ)茅屋(ボウオク)湾碕(ワンキ)有り
流水濺濺度両陂     流水(リュウスイ)濺々(センセン)として両陂(リョウヒ)に度(ワタ)る
晴日暖風生麥気     晴日(セイジツ)暖風(ダンプウ)麥気(バッキ)を生じ
緑陰幽草勝花時     緑陰(リョクイン)幽草(ユウソウ)花時(カジ)に勝る

詩解: 石の橋、茅ぶきの家、そして曲がった岸辺がある。 流れる水はさらさらと両側の堤の間を
流れてゆく。初夏のよく晴れた日に暖かい風が吹くと、麦の香りがする。 緑の木陰で若々しい
麦草は花が咲く時期より趣がある。 

北宋当時の田舎の風景
清明上河図より

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