解説に戻る      (街談文々 第六話ー第十話)   前ページ      次ページ    Home
第6

          第六  金談聞変身
一 此節赤坂辺の酒屋の亭主被召捕(めしとらえられ)御仕置相成。 此者下町辺ニ
  幼年より年季奉公相勤居(あいつとめおり)候処、生得(しょうとく)律儀なる者にて主人
  の気にもかなひ、年季も明ケ相応の方え有付べき心掛(こころがけ)居候内、
  赤坂ニて商売ハ酒屋居付地主(いつきじぬし)ニて、後家入の由世話いたし候者有之(これあり)
  相談に拘り候処、親方ニては宜(よろし)ケるまじと、相とどめ(留)候得共自分気ニ
  入是非参り度と申事故、親方より金子三十両貰ひ右酒屋え入
  夫(いりふ)致し、能(よ)く家事糺見(ただしみ)候処、居地面も家賃ニ入、借金も最初の相
  談よりハ余程多分由へ当惑致候へ共、親方不承知なるを押はり
  参りし事なれハ、離縁いたすも親方へ面目無之(これなき)ニ、二三年骨折候へ共
  何分手段及(および)かね、去暮牛込辺ニ心易者(こころやすきもの)有之(これあり)、是へ罷越(まかりこし)金子才
  覚相頼處(あいたのむところ)、是も暮ニて何分金談の手蔓(てづる)無之(これなき)由にて、互に
  雑談に時をうつしける内、亭主申候は扨(さて)金も在ル所ニは沢山
  あるもの、小川町ニ浅野織部様と申御方あり、此屋敷殊之外(ことのほか)御金持ニて
  御居間の縁の下に壱百万両、 石の唐櫃(からびつ)に入、埋有之(うめこれあり)、 おしき金子を
  寝かし置事と噺ければ、夫ハ誠ニ候也(ト)申ニ付、相違無之(そういこれなき)と申。 扨々(さてさて)
  羨敷(うらやましき)事なりと、申別れたり。 夫より右金子ほしく相成、何卒(なにとぞ)
  取出し度と、毎晩浅野家屋敷を付狙らひよふよふしのび入、縁の
  下に這ひ込、堀立(ほりたて)見候処、いかにも石の櫃有之(これある)様子故、道具無之(これなく)ては
  と其夜は罷帰り、尤(もっとも)屋鋪え這入候ニは梯子(はしご)なくてハならぬ事故
  はしご一挺持行候由。 是等の事人目ニもかからざる事不思義な  
  れ。 扨(さて)翌晩鑿(のみ)、金槌(かなづち)(など)持参致、蓋取申べくと骨折候得共、中々
  動キもせず。  時刻を移し此日手段も不行届(ゆきとどかず)其夜も帰り、其翌日 
  何と工夫を致候哉(や)。 扨(さて)翌日は御屋敷煤払(すすはらい)ニて屋敷中人大掃
  除致候處、 思ひよらざる所にはしご壱挺有之(これあり)。 是ハ合点ゆかずと段々
  見廻り候ニ、 盗賊の入候様子なれハ色々吟味いたし、若哉(もしや)御居間の下
  ニやと、改見(あらためみ)候へば所々堀ちらし、石の蓋もいぢり有之(これあり)候へ共蓋を取候様
  子義無之(これなし)。 左候へば又今晩も参(まいる)べくも難斗(はかりがたし)、其手当を可致(いたすべし)とやしき
  中寝ず番ス。 又裏手馬場にも立番など致し用心候処、運の盡(つき)
  ニは今夜も参り伺居(うかがいおり)候迄、人音大勢いたし今晩ハ何故ケ様に
  人居候哉(ひとおりそうろうや)不思義なり、 今夜ハ金子も手に入るところ残念至極と
  暫時(ざんじ)相待(あいまち)見合居(みあわせお)る間、門番の者夜中の食事に参り候間、?
  時分といつもの通り忍び行し処見付られ、すわや盗賊ト?程
  こそあれ大勢にて取かこむ。 こハ叶(かな)わぢと逃出し、塀を乗
  越候処、追欠(おいかけ)(きた)りし者刀を抜(ぬき)切りかけ、餘程(よほど)手負(ておい)候得共命ニは
  気づかひなくよふよふ宿所に帰り、 途中ニて怪家(けが)致候趣(おもむき)にて
  療治致居ける。 扨(さて)浅野家よりも此段早速御届ニ相成候間、
  公儀より諸向え穏密ニ御尋有之(これある)処、疵人(きずびと)の事故、早速相知レ
  戸川大学頭殿え被召捕(めしとらえられ)御吟味の処、 始末不残所申けるよし

   此者は幼年の時分より実梯(じってい)に年季奉公相勤、 主人より
   褒美金迄貰ひ身分片付候処、 家内の困窮ニ心配して
   一時の談話ニ風与(ふと)悪心発記(ほっき)してかかる大罪なし、父母より
   賜りし大切の骸を野外に捨らるる事あさましき事ならづや。
   前の二カ条と此一条を閲(けみ)して善報悪報の来る事如斯(かくのごとし)慎むべし。

第7

         第七  狩場之疎忽(そこつ)

一 文化元甲子二月八貫野ノ鹿狩の節、 御目付永井靭負(ゆきえ)御番
  方太田志摩守組飯塚主水え過(あやまち)にて槍を突当て候節
  御目付同役伊東長兵衛、靭負御役御免被仰渡(おうせわたされ)、左の通
  同三月廿三日若年寄立花出雲守殿於宅(たくにおいて)同人申渡、御目付
  佐野宇右衛門罷越(まかりこし)立合

                 御目付 永井靭負
                 名代  平賀鉄之助
  其方儀八貫野鹿狩の節、 飯塚主水え槍突当候段、過とは申
  ながら一分の働を心懸ケ候義と相聞(あいきき)御番方の不作法とも思召候
  依之(これにより)御役御免(おやくごめん)寄合(よりあい)被仰付(おうせつけられ)

      其節の落首
  竹槍の卒忽も永井鼻の下鹿も目付も御先キまっくら
  槍違ふ鹿と目付の身ハ靭負只一筋に永井だんぶつ
  同役の卒忽を伊東まけ押シミ智恵は菜の葉に止まる長兵衛
  槍先の目付を人のわらび宿つかれて戻る先キは板はし(板橋宿)
  同士討を目付奴ぬふりの臆病ワ我身の上を伊東長兵衛
  鹿目付突きそこなふて八貫野永井ハ紋のなしの切口
  狩出せし鹿とも知らず長いもの足を突かれて何と飯塚
      



      第    司馬甘仏名
一 文化元甲子二月十九日正八ツ時司馬甘交死去
  佛名  對雲了喜楽山信士  俗名 大伴寛十郎 
  司馬全交門人なり戯作の草セイし(くさぞうし)、道笑(どうしょう)すご六、天明六丙午春新板に出ス
  其餘二三部あるよし。 又自筆の随筆あり。予所蔵す、即門人芝山ノ書
  此書柴山所持の書也。 写本の筆初ハ同門芝勲の書也。 通称大倉
  八太郎、此人文化二巳六月卒ス。 中程所々の助写ハ芝山なり。 文化元年
  三月中旬甘交死去の後、末を自(みずから)写。 オワンヌ通称名倉殿の?此人
  文化四卯一二月卒ス.。 此書夫より予が元ニ蔵。 右当人ハ御能狂言?也
                        海野淡海

第8

       第八   揚尾駅仇討
一 文化元甲子三月十三日夜七ツ時中山道揚尾宿敵打
               討手  武洲高麗郡萩村
                 田安所領百性 富五郎 子(ね)弐十才
               敵   武洲川越赤尾村出生
                    無宿  林 蔵 子(ね)廿五才 
  右武洲揚尾宿旅籠屋清右衛門宅にて討取申候。 此所は
  御代官朝岡彦四郎支配所なり。 富五郎兄兵左衛門事
  去々享和二戌年御代官伊東友之助支配所川越大塚野
  新田にて林蔵ニうたれしなり。    

第9

     第九 狂女粧紅粉 
  狂女ハいづくの者、いずれに住む事を知らざれども世人仙岱狂
  女と称す。 眼前見る處凡二十年来容色変せず、 一嚢(いちのう)
  負い、木履を着て聯歩(れんぽ)す。 暫(しばし)も毛髪を乱し衣裳
  を蔽(やぶ)る事なく、朝に櫛梳(くしけづ)り)、夕(ゆうべ)に粧(よそお)う。 着る処の物、或
  時ハ紅、あるときは白ふりたりといへども綴(つづれ)を引く事なし。
  暑(あつき)に涼しさを着、寒(さむき)にあたたかなるを重ぬ。 荒年にも
  飢ず、水旱(すいかん)の労なく三界を家とし所住(すむところ)きはめず。
  汚れを産せず、強て乞(こう)事なく夫婦の家にして物
  を取らするに男の手より曽(かっ)て受けず、妻女の手
  よりあたうる時ハ袖に納め、銭あれば蘭麝(らんじゃ)をもとめ
  脂粉を買う。 中嶋の狗杞練(くこねり)下むらの油求めうれば、
  さわりなき軒下に寄て形ち作る。 冬は負喧(ふけん)
  て糸針をもて衣裳をつくる。 嗚呼摩姑仙女清し
  といえども爪とらざれバ見ぐるし、毛女剃らざれバ毛深
  し、 絵にかける小町ももとせの姿は綴れをさげ、畚(ふご)を
  持り。 何ぞ縫ざるや、何ぞ食器をあらハにもてるや。  此女は
  一嚢此中に調度の満てると見へて食するに器をあらわ
  さず、いくばく年を経て顔色常に同じ、蜂腰(ほうよう)かがまず、俤(おもかげ)
  かわらで年のこと歎ずる色なし。 遊歴する所日をかさぬる
  事なく市中に遊ぶかと見れば田家にあり、是地仙(ちせん)
  いうべからむ。 あまりの不思儀なるに其姿を写して賛あらん事を思ふ。

   容嬌仙岱女
   寿数且無知
   疑自蓬莱到
   紅顔似昔時
                       敬忠
   根をたへてうきとも志ら奴うき草の
   さそいぬ水に身をまかすらん     真柴翁
   煙管為笄花作粧
   幾年来往鬢猶香
   不知嫗玩人間否
   但見人間愛嫗狂
                    袁平仲
   狂女とも見へず柳の風静(しずか)       清雅
   梅の雪是や仙女の身多しなミ     篤興
   俤のかハらなでしこ撫子(なでしこ)野石竹(のなでしこ)いつまで草の花のかんさし
   
   観仙岱狂女遊路傍     東元
   雲帯衣裳華作簪
   年中穏跡路頭臨
   是非膏薬徳平類
   卓爾仙岱狂女心
   蝶の来て狂ふ仙女が髪の上      貢橘
   水仙や年を越ても花乃艶        徳賀
   折りて挿せ月のかつらをかんさしに 木釜 
     

  粧紅粉 美人を装う
  聯歩  宮中での歩く様子 足を交互に前に出さず、一旦そろえる
  水干  大水や旱魃
  中嶋  江戸の有名店 化粧品屋
  下村  江戸の有名店 油屋
  蜂腰  細い腰
  負喧  日向ぼっこ

第10

     第十  斑犬入城内
一 文化元甲子三月廿九日ごま毛まだらの犬一疋御本丸大
  手へ走り込しを御門の傍(かたがた)是を打殺さんと取巻しに
  大勢いの足軽を噛倒し、夫より下条橋中の御門を経て中雀
  御門の堀を飛越御玄関馳上り、御徒番所前御書院番所前
  を走り、大広間前の庭へ馳出たり。 御徒目付両人、御小人目付
  人足大勢召連れ探セしに、御能舞台の下、破目を突破り
  血付有之(これあり)しを人足の者両人素肌に成、這入ければ後へ抜し跡
  あり。 是をしたいそこここと尋ければ御宝蔵のうしろ御堀
  の内へ飛込、石垣を真直に上る處を石を打付御堀へ追落、
  人足弐人田船に乗り追ければ、御休息の後(うしろ)石垣を上り、犬
  走りを一間程にして上り居たりしを追落し、馬取(うまとり)取りわな
  にかけ捕(とらえ)ければ、およきなながら船を引故、罠の柄を水中に
  押込殺セし由なり。 誠に珍事というべし、此節戯文 

           五大力
  いつまで犬をたづねてもなまなかの騒き物おもい、たとへせこ
  出て棒ふるとても、縁と座敷の下をはふ アアなんとセう
  病犬心ふちほへてうへてハさわぐ、御たいそうこわそう
  ながらのぞく色なき御舞台、やがて出よぞへ捕ヨぞへ
  大勢ひふちこミ泥だらけ

  註
  五大力 芝居の用語

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