古文書目次に戻る

 安政箇労痢(ころり)流行記
  
―安政五年江戸のコレラ流行記―

  安政箇労痢流行記は安政五(1858)年秋、江戸でコレラが大流行し、万を超える人がこの病気で
命を落した時の事を書き残したものである。 作者は幕末の戯作者で明治以降は新聞記者となった
仮名垣魯文で、板本として安政五年九月に出版された。 

  今年令和二年は新型コロナ(covid-19)の感染が早春に始り、秋には収まるのではと大方の予想に
反し、世界中で拡大が続いており、秋どころか当分はコロナと共存必要とか言われる今日この頃である。
  このコロナ流行の影響か、160年前に出版された当コレラ流行記が国立公文書館はじめ、京都
大学、早稲田大学図書館からネットでデジタル公開された。不用不急の外出云々が云われる中、家で
原文に接して歴史をひも解く事ができる便利な時代である。
  多くの人命を奪った感染症は奈良時代の天然痘、中世ヨーロッパのペストなど歴史に残っており、
近くはSARS、スペイン風邪、それ以外にも人類の歴史の中で感染症は数多くあったと言われる。 
ただ病気そのものは無くなっていないが、流行はいずれも一過性の様でワクチンや決定的治療法が
ない時代でもいつの間にか収まっているようである。
 
 この安政本の序文ではその140年前(享保元年、1716年)に江戸で流行した疫病で短期間に八万人
が死亡し、火葬が間に合わず土葬も墓地が一杯で、やむなく品川沖で水葬にした事など古書から引用、
此度のコレラとの比較の為と述べている。 但し享保の疫病は現在でも何の病気か明確ではないが、
インフルエンザと推定されている。
 安政五年のコレラは江戸市中で八月一ヶ月で万を超える人が犠牲になり、人々が恐怖の余り時節を
考えない祭礼を行う様子や火葬場の混雑ぶりなどが記されている。 一方シーボルトが残した西洋医学
による予防法や応急処置等も細かく載せている。 しかし発症すると急速に悪化し、一晩でコロツと
死ぬ事から「ころり」と呼ばれ、この病気の犠牲になった著名な人々(芸能、戯作者、画家など)
四十余名のリストまで出ている。
 又幕府からは給付金(米)が支給されたようだが、52万人に対して六万両相当とあるが、この
記述に関連して江戸の人数、職業、給付対象者が今一つよく分からない。 どのように解読するのか
更に検討を要する部分である。
 後半には本疫病に関して江戸市中で起こった事件の話題を幾つかを載せているが、真偽はもとより
直接コレラに関係ないと思われるものもある。 
 
安政ころり流行記現代文訳注→こちら      安政箇労痢流行記翻刻文→こちら


  感染症が大流行した後に、世の中がどう変わるのか。 過去の歴史から見る限り、医療技術等は当然
進歩しただろうが、それ以外歴史が大きく変わったと言う記録は見えない。 今のコロナ前とコロナ後で
どうなるのか色々云われている。 例えば一極都市集中から地方分散へ、リモートオフィス、テレワーク
の進展、産業構成が変わるとか言われているが、これは前から言われている事である。 後の人が今を
見る時、コロナで歴史が変わったとは見ないだろう。 結局感染症は一時的なもので歴史を変える様な
ものではなく、変わったとすれば本来変わるべきものだったからではないだろうか。 変えようと思って
も中々変えられない慣習や仕組みも感染症を契機に良い方にかわる事もあるかも知れない(20200815)。