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                  天の逆鉾考             
 
                      ー霧島逆鉾の謎ー
  宮崎・鹿児島両県の間、霧島連山東端に高千穂峰というのがある。 この山頂に天の逆鉾と呼ばれるものがあり子供の頃この逆鉾に関する天孫降臨伝説を聞いた事はあるが、子供ながらも歴史の話とは違うと云う事で単なるお伽話としてしか認識していなかった。 
  又この高千穂をデザインしたものが母校の高校校章だったが未だにこの山には登った事がなく逆鉾も見ていない。  ところが最近偶然この逆鉾に付いて江戸時代の写本に接する事になり、俄かに興味を覚えて調べはじめた。

左写真は霧島連山の中、高千穂の峰      


江戸時代後期に宮崎成身という幕臣が書き溜めた「視聴草」という写本があるが、最近是を見ていたら偶然故郷の霧島山逆鉾の話が出ていた。 この記録は宮崎成身より少し前の大田南畝(蜀山人として有名の文筆家)が書いたものを宮崎が写している事から、今から200年以上前の記録である。 その当時既にこの逆鉾は山頂に存在しており、しかも鉾の三本の刃部分が折れている。 文書では非常に細かく鉾の形状・模様をを書写しているが、この逆鉾が誰によって、何時頃、何のために作られたかは全く触れて居らず、唯往古から有るとしている。 何となくヒントになりそうなのは10世紀の中頃、性空上人と言う法華経の僧侶が霧島山中で修行をしており、不動堂を開基したとある。 

推定の域を出ないが、縄文・弥生の古代から此地で生活した人々による霧島山への山岳信仰が性空上人の仏教と結びつき、度々噴火を繰り返す山の神の怒りを鎮める事を祈願して建立された物ではないだろうか。 建国神話との結びつきは後から付けたものではないだろうか。

では後とは何時か。江戸時代の記録は霧島山であり、元禄年間(300年前)の地図でも霧島山となっており高千穂の名は見えない。 天孫降臨の地として古事記で「筑紫の日向の高千穂の霊(く)じふる峰」としているところから、建国神話と結び付けるために霧島山を高千穂の峰にしたのではないだろうか。 そう考えると明治以降に紀元節設定を初め万世一系の天皇制が強化された頃ではないか、と私は思うが今後も機会があれば更に調べて見たい。 

又地元高原町の町制60周年記念冊子によれば、折れた刃先の修復は戦後になされたと記述されている。刃先は当然レプリカと思うが、本体(柄の部分)は昔の侭なのだろうか、これも興味ある事である。 
逆鉾の材質は銅の鋳物と思われるが、弥生時代に既に同じ様な工法で銅鐸などは出来ている。 又鉾というのは元々大陸からのものであり渡来人により古墳時代には既に日本に存在した筈である。しかしこの逆鉾はそこ迄は遡らず、仏教と山岳信仰が結び付いた平安後期から鎌倉時代以後ではないだろうか、しかし疑問は尽きない。(20090112)

左の逆鉾は現在の物
高原町制60年冊子より
 
全長は冊子には表記が
ないが1.3mの剣とある
 
江戸文書から計算すると
全長は1.8メートル位で
地中が20cm余との事故
地上は1.6メートル位か
 

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