古文書トップへ

                オランダ風説書を読む その4
                   
−最後の別段風説書−
      オランダ別段風説書は1840年(天保11年)から1857年(安政4年)迄17年間毎年提出
された。 最後は1858年(安政五年)の説もあるが、安政四年分が通常通り長崎奉行配下の通訳官に
よって訳された後、別途幕府天文方(司天台)でも訳されて安政五年二月に上程されたので安政五年
最後説が出たものと思われる。 この安政四年版の写本は嘉永五年版と同様以外と少なく、接する
事が困難なので「幕末外国関係文書」の中で既に活字化されたものがあるのでこれを借用した。 
 この活字文書も写本を忠実に翻刻したようでカナ書による固有名詞の読み違いと思われるもの
が多い。 例えばオランダ語のVolst (公爵)がフ
ルストとなっている。 多分翻訳原文はフルスト
となっていたものを写本の段階でヲをチと写し間違えたものと推察する。
  
      安政四年版の内容・構成は安政2年、3年と同様にオランダ本国の記述から始まり、
ジャワ島を中心とするオランダ植民地、英国の東洋植民地、中国の事、英国及びヨーロッパ各国の
動き、ロシア、南北アメリカ各国の様子、最後は東洋に展開する欧米海軍の艦船リストとなっている。
 このグローバルな情報提供は弘化三年(1846年)の別段風説書から始まっており、それ以前の
六年間は清国の阿片戦争の経過始終を伝えている。  19世紀半ば東洋に押寄せ支配を強める西洋
列強と夫に反抗する東洋諸国、植民地の動きが西洋の目線ではあるが、比較的正確に伝えられている
と考える。 

      19世紀グローバリゼイションの嵐の中で日本が開国するに当り、幕府要路の人々は
これらの情報を吟味した上で、国家として最善の舵取りをしたのではないだろうか。
  安政元年―3年には既に西洋主要国(米、英、露、仏、蘭)と和親条約の締結が終了しており、
安政四年には米国のハリスが駐在して通商条約の交渉を始め、安政五年には主要国と通商条約も締結
している。 そんな状況下で風説書もオランダとしては提出する理由もなくなり、幕府高官は継続を
希望したがオランダが断ったと云われている。 開国前夜の日本にとってオランダ風説書、特に
別段風説書の果たした役割は非常に大きかったのではないだろうか。

      オランダ風説書を読み始めてから1年半程になるが、オランダ語表音の上に不正確な
カタカナ表記に苦しみながら、なんとか全ての別段風説書17年分を当HPで写本翻刻文及び現代語訳
を紹介してきた。 但し弘化元年(1844)と嘉永五年(1852)分は抄であり、いつか写本に接する機会が
あれば全文を是非解読して見たい。

    
安政4年(1857)別段風説書原文及び現代語訳へ

天保11年(1840)−弘化2年(1845) 風説書を読む その3

弘化3年(1846)−嘉永2年(1849)  風説書を読む その1

嘉永3年(1850)−安政3年(1856)  風説書を読む その2