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                     小林誌

                  -郷土史を訪ねるー


   古代の小林の地名を今に遺す夷守(ひなもり)岳
 郷土小林の歴史を記したものとしては、今から
五十年程前に市役所による「小林市史」が編纂され、
原始時代から戦後の復興期に至る迄の郷土の歴史が
かなり分厚い二巻の書に纏められている。 
 その中で江戸時代以前の事に関しては小林誌という
書が所々引用されているので、興味を持ち郷里の友人の
協力で資料を取り寄せ解読を試みた
 この書は今より150年前、小林郷士の赤木通園と云う
人が明治二年(1869)に郷土の歴史を三巻の書に纏め
小林誌(しょうりんし)と名付け、明治四年位迄追記
している。 この著者は有名な国学者で神道家である
平田篤胤に師事しており、 明治六年に五十九歳で死去
している。(20180918)
 原本は既に赤木家にも残っていないようだが、昭和初期に小林小学校の先生数人がかなり忠実に(と思
われる)写本をしたものがあり、その写本を三十年程前に複写コピーしたもの三巻が小林図書館に寄贈
されて残っている。 この写本の原本も現在所在不明で、友人も県図書館、県文書センター等関係先を
調査したが発見には至らなかった。  一方昭和25年に小林市役所(この年に町から市になった)でも
写本を作っており、それは今も同図書館にある。
 今回昭和初期の写本を底本として全巻翻刻、現代文訳を試みる。 尚市役所本も校合の為に大変参考
になる事は云う迄もない。 手書の古文書でしかも図書館で手袋着用ではめったに人の目に触れる事も
ないと思われるが、郷土の先人が残した記録を少しでも多くの人に知って戴きたいと思い、此度解読と
活字化を試みた次第である。

 小林は天孫降臨神話で有名な高千穂峰の麓に位置し、著者も国学の徒であり天孫降臨について特別な
思い入れが感じられる。 これは江戸時代、或いは戦前の史書では記紀神話が国家起源の基本になって
いるので当然と思われる。 縄文、弥生、古墳時代などの時代区分が現代の歴史書の常識であるが、昔は
古い事は凡て古事記、日本書紀で神代の事として述べられる。 だからと言って歴史書の価値を失うもの
でもない。 天孫降臨神話も稲作技術を持った集団が日本にやって来て、それ迄日本列島に住んでいた
縄文人との軋轢や交流が色々な神話に置換えられ語り継がれたと思えば良いのではないだろうか。 
どこから来たかは分らないので天から降ったと言伝えられたものだろう。
 天孫降臨はさておき、小林の地が始めて史書に登場するのは日本書紀の景行紀である。 景行天皇が
熊襲との戦いの前線基地(仮行宮)をおいたとあり、夷守(ひなもり)の名が登場する。景行天皇は
倭の五王と呼ばれる五世紀の応神―仁徳朝の前の時代であるから四世紀頃の王か大王と思われ、謂ゆる
前期古墳時代である。 
 次に文書に残るのは平安時代十世紀の延喜式駅馬制度の中で夷守駅として登場する。 但日本の古代
国家としての完成は飛鳥時代から奈良時代初期(七‐八世紀)と言われ、郡県制や五畿七道が定められ、
この頃には駅馬制度ができたと云われるので或いは夷守もあった可能性あるが史料はない。
 次は十二世紀の鎌倉幕府成立の頃、日向図田帳という土地台帳史料があり、摂関家荘園である島津庄
の中の真幸院として登場する。 この時は飯野・加久藤迄含んでいるようである。

 中世になると日向諸県郡は島津家の守護の範囲に入り、小林は三ノ山として薩藩旧記雑録や三国名勝
図会に断片的に登場する。 更に戦国時代には伊東家、島津家との争奪の地として両家関連の史料に残る
がこれらは殆どが戦いの記録である。

 近世江戸時代になると小林郷は鹿児島藩の主要郷村となるが、 歴代の地頭、幕末の郷の人口と職業
構成、村別生産高、人口等などが記されている。  明治十年の西南戦争で小林の地頭館は敗走する
西郷軍に焼き払われ郷の公的史料は凡て灰燼に帰したと云われているが、その前に著者が残した貴重な
史料である。 赤木家は郷士年寄(地頭代行職)を代々勤めた家柄であり、著者自身も地頭館の役人か
或いは資料を見る立場にあったと想像する。
 第一巻は上記の流れの中で日向、諸県、小林などの名称考を委しく述べている。

 第二巻は小林に纏わる各神社の由緒、変遷を細かく述べており、特に天孫迩々杵命を祀る霧島岑神社
が、高千穂九合目位から度重なる噴火で数度の遷座を余儀なくされた経緯を始め、小林にある岑神社
こそが天孫を祭る本家と主張している。  その他多くの郷内神社について紹介している。
 次に霧島連峰の山々の名称起源や噴火の記録などが述べられているが、特に著者が力を入れているのは
県北の高千穂との間の天孫降臨の本家争いであり、周囲を巻き込み正統は霧島である事を熱心に述べて
いる。

 第三巻は古址、古城、古戦場、寺院等について述べている。
古址では景行紀に纏わる伝承を各所委しく述べ、 古城は郷内の凡ての古城を説明しているが、小林城を
廻る伊東軍と島津軍の戦いに多くの紙面を割いている。 寺院についての項目はあるが神社の様な説明は
なく、 伊東家島津家の戦死者などの墓名誌だけである。 廃仏毀釈が吹き荒れた直後でもあり、著者も
国学者であるから寺院の取扱いが神社に比べて少ないのはやむを得ない事と思う。 

小林誌 第一巻現代文訳はこちら    第一巻翻刻文はこちら
     第二巻現代文訳はこちら  第二巻翻刻文はこちら
     第三巻現代文訳はこちら  第三巻翻刻文はこちら 
     付 関連写真はこちら   
参考文献
鹿児島県の歴史 原口泉一外 山川出版社        
製本版があります→こちら
鹿児島藩の民衆生活 松下志朗 南方新社
日本書紀 講談社
続日本紀 講談社
古事記 岩波書店
薩藩旧記雑録 国立公文書館
日向纂記 平部嶠南
三国名勝図会 国会図書館
襲峯一覧 八田知紀 宮崎県立図書館
魏志倭人伝、宋書倭国伝 岩波文庫
霧島仏花林寺錫杖院神徳院由緒 鹿児島県立図書館
本藩地理拾遺集 鹿児島県立図書館
薩隅日地理纂考抄 鹿児島県立図書館